戦章 前哨
「いらっしゃい。歓迎するぜ」
飛び込んできたヴァイスを迎え入れるように伯珂は不敵に笑う。そこには、かつてヴァイスで見せていた気のいい男の姿はなかった。
先頭で飛び込んだ瑶燐と黄炬、続いて窓を蹴破った水葉と悠々と窓枠を乗り越えた捌尽と霜弑の一団をぐるりと囲むように彼らは立った。それでもたった5人。伯珂を含めてそれだけしか征服者には残存戦力としての魔力持ちがいなかった。
「伯珂……」
「よう黄炬。こんな形で再会はしたくなかったなぁ」
残念だ。言葉とは裏腹に伯珂の表情は冷めている。まったくそんなことを思ってもいない形だけの惜しみだ。
今しがた入ってきたばかりの窓の外では有象無象の気配がする。振り返らなくてもそれが"零域"で変じた異形の群れだとわかる。
「会いたかったわ、そして死になさい」
唾棄するように瑶燐が言った。殺す。殺してやる。殺意はもはや止められず、理性の箍を越えて行動に移した。
瑶燐の手が翻る。武具でも何でもないただのナイフが伯珂めがけて投げられた。
「っと……"犠牲者による防衛"!」
伯珂が手元のカードを叩いて叫ぶ。次の瞬間、伯珂を庇うように異形が現れた。立ちはだかった異形はそのまま眉間にナイフを受けて倒れる。
「悪いな、そのラブレターは受け取れそうもない」
「伯珂、もういい」
とっとと作戦に移るとしよう。面頬で口元を覆った女が大弓を引く。竪琴のように弦を爪弾くと、小さな電気が走った。ぱちん、と紫電を散らして床を走ったそれは一見何ともないように見えた。
「何しようとしているのか知りませんけど、……っ!?」
踏み込んだ水葉の鼻先で電撃が弾けた。衝撃で1歩退き、水葉は先程の行為の意味を理解した。
結界だ、これは。見えない電撃の網で囲んでいる。一歩踏み込めば電撃が全身を貫くように。
まずはこの網を何とかしなければならない。その場から1歩も動かないで。だが、難しくはないことだ。そのための手段なら水葉は無限に持っている。
「瑶燐、借り……」
「おっと、させないよ! 逆為!」
「はぁい」
どぷん、と。征服者の1人がまるで足元の落とし穴に落ちるかのように消えた。それも一瞬で、ずるりと水葉の影が尾を引いた。
「動いちゃだぁめ」
じゃないと殺しちゃうよ。くすくす笑いながら影から白い腕が伸びる。やや遅れて頭と胴が水葉の足元から現れた。
水葉を後ろから抱き締めるように腕を回したフードの人物はまるで人質を取るように言った。
「悪いけど」
「そういうの容赦ない人が1人」
前半は捌尽が、後半は水葉が。それぞれ言う。後半を担当した水葉が言いきらないうちに銀色の煌めきが宙を薙いだ。
生憎恋人以外興味はないので人質の意味はない。捌尽の刀がひらめき、水葉につきまとったフードの人物を両断せんとする。しかし刃が獲物を捉えるより先、フードは再び影に沈むように消えた。空振った切っ先が水葉のうなじのあたりの髪の毛先を切った。
「やぁだ、こわぁい」
伯珂の足元からずるりと上半身だけを現し、彼か彼女か判然としないフードは笑う。どうやら、影から影へと渡り歩く能力の武具を持っているようだ。
「遊ぼう、遊ぼう、遊ぼう」
そして死ぬんだ、そして死ぬんだ、そして死ぬんだ。きっちり3回繰り返した子供は手を叩く。ぱん、と手が合わさったそこから泡が生まれた。ぱちぱちと拍手するに従い、いくつもの泡が空に浮かんだ。
「……"ラグラス"」
あの泡は爆弾か何かだろう。そんな武具があるのだといつか"灰色の賢者"から聞いた。触れると爆発する虹色の泡は空気中の水分を寄せ合わせて作るのだとか。
だが、空気中の水分を使うのなら"ラグラス"も同じ。氷剣はあらゆる水に干渉する。空気中の水分も例外ではない。
「……凍れ」
氷剣を振り回すでもなく、ただ右手に提げただけの霜弑が呟く。しかしそれで十分だった。冬の朝のような冷気が頬を撫で、直後、浮かんでいた泡は砕け散った。
「もういいでしょお互いの実力見せは。下らないことに時間を費やさないで」
右目に眼帯をした桜色の髪の女が嘆息した。下らない、もういい、辟易する。さっさと死なせてほしい。そのための作戦を実行しようじゃないか。
ようやく接敵したか。モニターを見ながら万姉はワイングラスを傾けた。モニターに映っているこの映像はヴァイスが放ったドローンによる中継映像とは別のものだ。武具によるもので、原理としては超音波を使った魚群探知機に近い。フィールド中の瓦礫やら何やらに楔を打ち、それをソナーとして周囲を探知する武具だ。そこに魔力持ちが通れば受信機となるモニターに丸で表示される。フィールドの地図と重ねれば、誰が何処にいるかがわかるというわけだ。
「武具なんて使わないでもいいでしょうに」
わざわざ武具を使うなんて。万姉の様子を見てリグラヴェーダがぼやいた。彼女らの種族は武具の大元である魔術を理解している。武具は複雑な魔術を簡単に発動させるための道具であり、だから魔術を理解しているならば武具など使わずとも魔術を用いればいいだけだ。
今、万姉がやっていることは、プロの料理人が出来合いの惣菜を買っているようなものだ。
「そうそう、中継映像くらいそっちに流すよ?」
リグラヴェーダの呟きを別の意味に解釈した玖天が端末機を指す。この映像はヴァイスの専用通信網で流しているものだが、玖天の端末機にケーブルを繋げば万姉が見ているモニターでも見られるはずだ。
おそらく、あの探知機のようなものは脱走したりした人間を探索するために使うものだ。戦う人間を眺めるためのものではない。本来の用途から曲げてまで見ようとしなくても、こちらから鮮明な映像を提供するというのに。
「ふふ、ありがとう。でも、出来合いの惣菜もなかなかいいものよ」
後半は玖天ではなくリグラヴェーダへの返事だ。言葉にはしなかったが、きっとリグラヴェーダは熟練の料理人の腕を持ちながらも出来合いの惣菜を買うような真似をしていることが疑問なのだろう。だが、出来合いの惣菜は惣菜でなかなかいいものだ。
同じことは魔術でできるが、それをやるためには複雑な魔術式をフィールド中に書き込まないといけない。一方武具ならば楔を適当な間隔で埋めておけばそれが探知機になる。過程の省略と単純化は時に本家本元に勝るのだ。
「……そう」
ヒトの世に混ざるのなら、ヒトの世の者らしくするべきということか。まどろっこしくても武具を使うべきだと。
それが万姉なりの処世術なのだろう。納得することにしたリグラヴェーダは、さて、と視線をめぐらせる。やはり面白い、と愉悦の顔でそれを見た。
「……ナンデ…アレを持ってるノ……?」
モニターの光景を驚愕の顔で眺める"灰色の賢者"を。