戦章 征服
ああ、殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ。
俺たちに逃げ道などないのだから。
もうすでに自分たちの運命は決定している。ヴァイスの本拠地から敗走した段階で。ヴァイス内に送り込んだスパイの存在が露呈した時点で。
そこまでならまだ覆しようはあった。この国だか大陸だか国家だか街だかよくわからない荒廃した土地にはヴァイスを気に入らない組織や集団など無数にいる。個々の規模はごくごく小さいが、小さいからこそ目につかずに隠れられている。彼らに匿ってもらい、再起を狙うこともできた。
だが、我々が逃げ延びた先はそんな場所ではなかった。逃げ隠れて雌伏の時を待ち、再起するのでは過去の繰り返しだ、一発逆転を狙うべきだと誰かが言った言葉に従い、それができる場所に乗り込んだ。
44-444地区。4が並ぶゆえに不吉がられ、永久欠番の区画と恐れられた場所だ。物好きなオーナーが区画ごと買い占めて建てた巨大な闘技場はヴァイスの支配さえはね除ける。そこならば追っ手は来ないし身体を休めることができる。物資も調達できるし、うまくいけば武具や武器も手に入る。そうすれば逆転は可能なのだと逃げ延びたうちの誰かが言った。
44-444地区のオーナーに事情を説明すると、オーナーは逆転のための舞台を用意してくれると言った。まるで初めから、征服者がここに逃げ延びてくることを知っているかのように手早く準備を進め始めた。
そしてオーナーにより用意されたのが、この決闘の場であった。まるでレールに載せられて出荷される家畜のように、征服者に打ち合わせることなくオーナーの一存で事は決定した。
だが、それでもよかった。たとえレールに載せられて出荷される家畜のように規定路線を歩かされても我慢できた。これで逆転を狙えるならば我慢しようと誰かが宥めた。
しかしそれは大いなる罠なのであった。すべてを察する頃には遅かった。レールに載せられて出荷される家畜に肉切り包丁が振り上げられた瞬間と同じように、手遅れであった。
「……ところで、ひとつ確認したいんだが……あの時、ああ言い出したのは誰だ?」
「え? ……あれ? そういえば、誰が言ったんだっけ?」
最初から仕組まれていたのだ。この区画に逃げ延びようという提案も、逆転が可能なのだという言葉も、逆転を狙えるならば我慢しろと宥める慰めも。
言うならば蛇が唆した。満身創痍で逃げたあの集団に44-444地区の人間が混ざっていたのだ。混乱の中、互いを見やる余裕などなく、知らない人間が混ざっていてもそれに気付くことはできなかった。
的確に紛れた刺客は、征服者の残党たちに要所で囁いた。44-444地区に逃げろ、逆転を狙え、我慢しろと。
こうしてこの運命は完成されたのだ。自分で歩いていると思っていたが、レールに載せられて流されていただけだったのだ。
自己決定すら許されない。もうすでに運命に翻弄されるだけなのだ。もはや征服者はオーナーの玩具も同然。この決闘でさえ、自らの進退をかけた命がけの戦いではなく、闘技場で暇潰しに行われる少し珍しいだけの演目にすぎない。
なんとも滑稽だ。ある者は気が触れて笑い続け、ある者は壁に向かって延々と自問自答を繰り返し、ある者は叫びながら独居房を走り回り、ある者は自殺をはかって取り押さえられ、ある者は他者を殺そうとして取り押さえられた。
そしてある者は静かに覚悟を決めた。逃げられない、生きられない。ならばせめて、この生き様を歴史に刻むのだ、と。
「……伯珂さん」
呼ばれ、俯いていた顔を上げる。快活な壮年の顔は疲労でやつれていた。
伯珂に声をかけた青年もまた同様だ。その表情は肉体的にも精神的にも摩耗しきっていた。
ただし、伯珂と青年の目つきだけは違っていた。摩耗しきった青年の目とは違い、伯珂の目は最後に一握り残った決意のような執着のようなものが瞳には宿っていた。
「このまま戦って、どうなるんですか」
それが仕組まれたものとはいえ、負けたら全滅の1回限りの決闘。逃げ場はない。
そして、勝ち目はない。戦えば間違いなく死ぬだろう。魔力持ちはわずかに6人。ヴァイス側は一級の5人に鍵の1人、白槙を加えて7人だから数の上では拮抗している。だが、実力は天地ほども差がある。20人足らずの魔力持ちでない者に"零域"を使わせたとて、その差は覆せないだろう。道端の小石を蹴り飛ばすように、何の感慨もなく殺される。
一級の後衛部隊まとめての代理である1人は一級に比べてはるかに実力が劣るという。全員でかかれば殺せるし、代理の彼が死ねば一級はまとめて死ぬので勝ちにつながる。だがその勝ち筋はわざと用意されたもので、ヴァイスも弱点を把握しているから守りにいくだろう。結局は一級とぶつかる。
そもそも、勝ち負けの問題ではない。戦ってどうするというのだ。どうなるというのだ。忠誠を誓ったリーダーは死んだ。襲撃は失敗し、敗走した先はすべてが仕組まれていた。決闘は勝てはしないし死しかない。わかりきっているのに、何故戦おうとするのか。
それは意地だという。この先に何も望めないのなら、せめてこの一瞬の"いま"を刻み付ける。ただその意地のために勝ち目のない戦いをするのだ。
「……お前は」
ぽつり、と伯珂が呟いた。そのあたりに転がっていた瓦礫に粗暴に座った姿勢で、立ちすくんでいる青年を見上げた。
意地と執念でぎらぎら輝く目で射抜かれ、青年はさらに身を固くする。この目は他の誰もがしていて、ただ自分だけが憔悴の目であった。
何故自分だけが仲間たちと違うのか。意地と執念で染まった目ができないのか。何が違うのか。その疑問を解決すべく青年は伯珂に聞いた。
青年にとって、面倒見のいい伯珂は父親代わりのような存在だった。ヴァイスに潜入していた時も似たような世代の青少年に構っていたから伯珂のそれは生まれつきの性情だろう。
父親のように振る舞う伯珂は青年の頭をぐしゃりと撫で、いつもこう言うのだ。お前は優しいな、と。照れ臭くてくすぐったいが、青年はその言葉が好きだった。
「お前は優しいな」
だからこの状況で伯珂がその言葉を発することが何よりも嬉しかった。皆が意地と執念に染まりきったこの異常な状況で、いつも通りの言葉を発したことが。
しかし、その喜びは直後に覆される。優しいな、といつもの台詞を発した口で、だが、と続ける。
「だが……その優しさは今は要らない。不要だ。邪魔だ。邪魔なんだよ」
そんなことを考える奴は要らない。疑問を差し挟む奴は要らない。そう言って首を振る。要らないのだともう一度口にする。
青年は気付いただろうか、伯珂は同じ目をしていない彼の名を呼んでいないことに。"俺たち"の線引きの中に入っていないことに。お前と呼んだその声音は親しみを込めたものではなく、唾棄するような響きがあったことに。
「あぁ、余計な感情だ。そんな感情を持ってるんじゃ俺たちの仲間じゃねぇ」
どうやらまだ気付いていないようなので、はっきりと言葉でもって言うとしよう。
冷淡に突き放す言葉に貫かれて愕然とする彼に、でも安心しろ、と伯珂は片方の口端を上げた。それを合図に、たむろしていた連中が立ち上がり、その場に彼を押さえ込む。地面に引き倒して口を開けさせる。ひび割れかけた薬瓶が陽光にきらめいた。
「でも安心しろ。これを使えばそんな感情はなくなる。そうなったら俺たちの仲間だ」
もう一度俺たちの仲間になろう。狂気をはらんで伯珂は笑い、錠剤を青年の口に流し込んだ。
「変異確認。異形化完了……"観測"終わり」
「よし、行くぞ」
「あぁ、逝くぞ」




