戦章 戦場
転移魔法特有の眩しい光に視界を覆われ、反射的に閉じてしまった目を開ける。
まず視界に入ってきたのは受信側のみの転移装置と、その周りに立っている自分たち。どうやら全員転移できたようだ。
それから黄炬はぐるりと首をめぐらせる。乱雑に建てられた無数の掘っ建て小屋と無造作に積まれた瓦礫で彩られた光景が広がっていた。
古びた家屋ではあるが生活感はない。ただ障害物として、隠れ場所として設置してあるといった風情で、人が住んでいる気配はない。なんとも殺風景な環境だろうか。
そんな殺風景で無秩序なバラックの群れのはるか遠くには壁があった。
44-444の地はその地区全体が壁に囲まれている。この大陸だか国だか町だかわからない土地の中心で引きこもる彼らがそうするように、高い壁が地区をぐるりと囲んでいる。石造りか鉄製かの違いはあるが、外部と隔てるという意味ではどちらも同じだ。
堅牢な石造りの高い壁で囲まれた掘っ建て小屋の集まりで構成された風景が44-444地区の内部であった。
「……よくぞ参られた」
ふつり、とどこからか声がした。音のする方向をたどってみると転移装置からであった。どうやら装置の中に無線機か何かを仕込んであるらしい。
声の主はもちろんこの地区のオーナーだ。名は明かさず、外部からはオーナーと、内部の人間からは万姉の通称で呼ばれている。
その声を聞き、リグラヴェーダはわずかに目元を緩ませた。愛しい同胞の妹と直に言葉を交わすのは久しぶりだ。
「私のことは万姉と呼んでいただきたい」
「バンシ?」
「万、姉、と。……名乗りは置いておいて」
決闘の前の準備の段階だ。玖天や忸王といった後衛部隊を専用の部屋に移さねばならない。
そのための転移魔法は装置に仕込んであるので、該当者だけ触れて転移してほしいと万姉が告げる。該当者以外が触れた場合には作動しないし、該当者がこの場から逃げ出したとしても捕まえるので逃亡は無駄だという旨も付け足した。
「はいはーい!! んじゃ、行ってきます! みんな頑張ってねー!」
中継が問題なく続いていることを確かめて玖天がひらりと手を振った。躊躇がない。
それに倣って忸王も手を添える。梠宵がそれに続き、ご主人様が動いたことで絖も従う。ゆるりとリグラヴェーダが形のいい指先を伸ばし、鼻歌を歌いながら"灰色の賢者"が手を伸ばした。
「転移シーケンス開始」
かちん、と音がして玖天たちの姿が消える。転移できたようだ。
さて、あとはこちらだ。ぎゅっと気持ちを引き締めて黄炬は掘っ建て小屋の向こうを見る。この向こうには征服者の残党がいて、その中には伯珂もいる。
もし伯珂に遭遇してしまったとしたらどうしよう。どう出るかなど決めていない。その時になったらその時に決める。
「まだ向こうの用意が済んでおらんでな。悪いが待ってほしい。……ここまで来て発狂とは…」
後半の独り言は聞き取りにくかったが、聞こえた単語を拾うに、決闘当日になって恐怖と緊張で正気を失った者が出たようだ。それに鎮静剤を打ち、処置をするから待っていてほしいとのことだ。
それに、専用の部屋に通された玖天たちがそれぞれ腰を据える時間も必要だろう。
「早くしてくれない?」
「あぁ、10分もかからんさ」
焦れた瑶燐が急かす。その催促に万姉は頷いた。
鎮静剤は打つがその意識が落ち着きを取り戻したかどうかなどどうでもいいので構わない。静かになったら開始地点に放り出しておくだけだ。征服者すべてという頭数さえ揃えば生死や正狂は問わないのだ。
「あっそ」
手元でカードをいじりながら瑶燐は待つ。今現在、発動している法は"魔力探知禁止"だ。魔力を察知できなくても音や気配で人の場所などおおよそわかるので、これが一番周囲への影響が少ない。
それに、敵はぎりぎりまで見えない方が公平だ。開始前からお互いの場所がわかっていたらつまらない。開始と同時に"魔力探知禁止"を解除する。そうすればお互いに条件はイーブンになる。
問題は新たに何の法を敷くか。2撃目を無効にする"集中攻撃禁止"あたりか。敵を待ちながら迎撃できる有利な場所を確保するまでに戦闘をできるだけ回避する手段として。
そもそも、相手は何人いるかわからないのだ。残党はそう多くないし、ここに逃げのびるまでにいくらかは脱落しただろう。だが動ける者、戦える者、魔力持ち。なんら数はわからない。何人いたとしても全滅させるだけだが。
「戦闘が始まったらまずは散開ですかね」
固まっていては絶好の的だ。第一、これ以上無名の彼が視界にいるのが嫌だ。
水葉があたりを窺いながら提案する。この掘っ建て小屋や瓦礫は、こうして誰かにゲリラ戦をさせるために配置されたのだろう。ということは、隠れるのに絶好の場所、追い詰めるのに絶好の場所といったものが意図的に用意されているに違いない。
この場合はオーナーだろうか、設置者の考え方の癖が読めればある程度地形が把握できるだろう。
「じゃあ各個撃破ってことでさぁ?」
「それでいいわね。殺した数でも競う?」
愛用のサリッサをだらりと力なくぶら下げた名無しの彼の発言に瑶燐が続く。いいね、と捌尽が乗ったことで小さな勝負が決定した。
「霜弑も水葉も姫ちゃんも参加だからね」
「……勝手に決めるな」
個人プレイをやめろという願いは完全に無視らしい。目の前で行われるやり取りに白槙は顔をしかめた。
だが、これはこれでいいかもしれない。黄炬の活躍を作るという意味では。一級にも負けない撃破数を記録すれば黄炬に反目する輩もそれなりに黙るに違いない。
連携の方は諦めるしかないだろう。今回は。黄炬を気にかけている霜弑なら多少の勝負は捨て置いても黄炬のサポートに回るはずだ。お膳立てはしないが、厄介な芽だけは潰してくれる。
そして霜弑がそう動けば捌尽も何らかのアクションを起こす。捌尽が動けば瑶燐が連鎖するし、3人が動いたなら水葉も無名も行動が変化するだろう。そうした結果、連携のようなものができればベスト、くらいに考えておこう。というよりそれ以外にあいつらを動かせる方法がない。
本当にこいつらはどうしようもない。改めて白槙は苦い苦い思いで溜息を吐いた。
「苦労してるね、大丈夫?」
「誰のせいだ、誰の」




