戦章 前戦
そして、ついにこの日が来た。
手順は至って簡単だった。まず、ヴァイスの本拠地に結界を張る。これは拠点に備わっている青く透明な防御結界ではなく、44-444地区のオーナーの手配で張られたものだ。
まるで氷のような白く濁った半透明の結界はヴァイスの拠点を外部から物理的に遮断する。こうすることでヴァイスの本拠地から逃げられる者はいなくなる。
そうしてから決闘に出陣する者を44-444地区の決闘場へと運び出す。実際に戦闘する前線部隊だけでなく、梠宵や忸王といった後衛部隊も決闘場へ運ばれる。彼女らの首を預かる黄炬が死んだ場合にその場で首を切るためだ。戦闘には参加しないので、戦いが終わるまでは専用のスペースで待機してもらうことになっている。
決闘の様子は玖天のはからいにより拠点へと中継されている。食堂の大モニターだけでなく、休憩室の小型ディスプレイや各個室の備え付けの小さな通信端末などにも配信される。
「思うんですが」
オーナーが寄越した決闘場への転移装置を前にして、水葉はふと呟いた。
すべてのヴァイス団員を集めてから閉じ込めて逃げられないようにはしているが、こちらが小細工する可能性は考えられていないのだろうか。
例えば、万が一に白槙や一級たちが拠点に帰られなくなった場合を考えて、二級あたりの何人かをあらかじて逃がしておくだとか。
単純に白槙や一級の影武者を用意することだってできるだろう。実際に戦えば偽物だとわかってしまうので、黄炬のせいで首を切られる時以外は別室で待機することになっている後衛部隊ならば影武者にしてもばれないだろう。
そういうことをこちらがしないと思っているのだろうか。水葉ならそうする。
そんなことをしないと信用されるほどあちらのオーナーとは親密ではない。というよりこれまで交流すらろくにない。そんな相手を全面的に信じて任せるとは。
「俺のプライドが許さん」
わざわざヴァイスと征服者の全員対全員の戦いをセッティングしてくれたのだ。それに応えるのが頭目というものだ。
団員を事前に逃がすことも影武者も考えていない。白槙のプライドが許さない。全部と言われたら全部だ。
それに、事前の打ち合わせをしていて感じたことがある。オーナーと名乗る人物の言動がリグラヴェーダとかぶるのだ。
どこか超然としていて、はるか高みから見下ろすような雰囲気はそうそう出せるものではない。白槙はリグラヴェーダが何者かなど知らないが、彼女のことには深く踏み込んではならないものだと直感している。あれには強く追求してはならないと勘が告げている。
そんなリグラヴェーダと同じ雰囲気を感じたからこそ、今まで44-444地区には関わろうとはしなかった。そしてオーナーと実際に言葉を交わしてみてその直感は当たっていると感じた。
あれはリグラヴェーダと同類の"踏み込んではいけないもの"だ。氷に触れると凍傷を起こすように、触れてはいけない。
リグラヴェーダはあらゆることをなす。それは彼女が持つ独自の知識と技術によるものだ。そのリグラヴェーダと同類ならば、オーナーだって同類の知識と技術を持っているはずだ。
その知識と技術があれば、ヴァイスの脱走や影武者など見破れるに違いない。だから白槙はそれらの手を打たなかった。
そのあたりを説明するとリグラヴェーダが睨んできそうなので、水葉にはプライドが許さないとだけ説明しておく。小細工をしない第一の理由なのでいいだろう。
「そうですか」
男のプライドならば仕方ない。そういった機微は理解する方だ。水葉は納得した風情で頷いた。
「おい黄炬、大丈夫か?」
「あ、はい」
見送りの団員の視線はおおむね黄炬への激励がこめられているが、その中に棘のあるものを感じる。きっとこれが黄炬のことをよく思っていない人物たちからの視線だろう。
平和に暮らしたいので、いずれは彼らを納得させられたらいいのだが。そんなことをぼんやり思っていた黄炬の背中を白槙が叩く。
「足引っ張るなら、その足切り取っちゃうからね」
「……捌尽」
やはり捌尽は自分一人で十分だという思考を変えてはいないようだ。黄炬が邪魔になるなら行動不能にして打ち捨て、瑶燐あたりに護衛させるという作戦はまだ捌尽の想定に置かれている。
物騒なことをやめろと捌尽をたしなめて霜弑は嘆息する。黄炬を中心にして一級の連携を密にするという白槙の考えを見抜いているのなら、それを汲んでやってもいいだろうに。
「ボクも行ってイイんだヨネ?」
「らしいさぁ」
ぴょこん、と可愛らしく手を挙げ、"灰色の賢者"が転移装置の前に立つ。ヴァイスに籍を置いてもいない流浪の旅人だが、特別に同席してやれないかとリグラヴェーダが提案したのだ。
リグラヴェーダの提案というあたりが引っかかるが、オーナーの許可も得たので彼女もまた決闘の場へと行くことになった。戦いには参加しないので、梠宵たちと同じく専用の部屋での待機となる。
「何でもいいわ。さっさと行くわよ」
焦れたように瑶燐が装置の作動を急かす。ヴァイスに反逆する者を早く始末したいと狂信者の心が叫ぶ。特に伯珂とかいう裏切り者はこの手で血祭りにあげなければ気がすまない。こんなところで悠長に雑談している暇などないのだ。
「焦りは禁物よ、瑶燐」
「だって」
ヴァイスに反逆する者を目の前にして待たされるなど気が狂いそうだ。早く排除しなければ。早く、早く、早く、早く。
焦る気持ちを宥める梠宵の言葉を振り切って鼓動が逸る。あちらの準備が整い次第、転移装置が作動することになっているのだが、それを待つ時間ですら耐えられない。
「……落ち着く薬でも出しましょうか?」
「嫌よ。リグの薬飲んだら死んじゃう」
逸る気持ちで鼓動が煩いのなら、心臓が止まれば焦燥を感じなくなるとか、そういった理屈を捏ねるに違いない。リグラヴェーダの性格はよく知っている。
「カルシウム摂ったら? にのちゃん、ちゃんと朝ごはん食べさせた?」
「はい。瑶燐さんはきちんと朝に食堂に来ましたよ。……でも、そういう問題ではないと思いますけど」
中継用の小型端末の最終調整をしながらの玖天の問いに忸王が返す。瑶燐は苛立ちはカルシウム云々の問題ではない気がするのだが。
本当にこいつらは、と白槙が顔をしかめると同時に、かちりと転移装置が作動する音がした。
「転移シーケンス開始。転移ヲ開始シマス」
機械的なアナウンスと共に転移装置が光る。拠点に置いてあるそれと同じように、一瞬魔方陣が浮き上がり、光が一同を呑んだ。




