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荒廃した街で、退廃した俺たちは  作者: つくたん
堪えきれない答えに応える章
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蛇章 万魔

からん、とベルが鳴った。


生まれなどに意味はなく、また個にもさほど意味はない。

肝要なのは全体の存続であり個については重要視されない。我々はただのパーツなのだ。

だから自分というものなど希薄である。それはまだ、自己を確立できていないからだと姉たちは言う。

運命の選択をする頃には自己が定義されるのだと姉たちは言う。どう生きるかを選択できるほど、自己認識が堅固に成り立っているだろうからと。それまでは希薄で曖昧なままが普通であるのだと。

まるで白く漂う冷気のようだ。氷にもなれず水にもなれず。凍てつくことすらできずに漂うだけの存在。

そう自己を評価しているのだが、姉たちはかつて自分が通った道だと微笑みながら私の卑下を宥めてくる。

希薄で曖昧な自己認識は、この地の主として立っても変わらない。運命を待つだけに飽いてヒトの世に出てみたものの、何の感慨も特にない。

そういう顔でいると本来の体の持ち主みたいだと魔淫の姉は言うが、元の人間など知らないのでどうでもいい。


44ー444地区。永久欠番の呪われた地。

そう呼ばれてはいるが特に悪い事件があったわけではない。単に数字の並びが不吉というだけで人が住みたがらずに過疎地となった。

その土地を丸ごと買い取ったのがとある女であった。何処から現れたのかわからない彼女は何処から用意したかわからない金で土地を買い占め、そのまま地区丸ごとを巨大な円形闘技場にした。

ヴァイスの支配さえもはね除ける無法の円形闘技場はヴァイスに対抗する者たちの巣になるかと思われた。

しかしそこで行われている行為があまりにも残虐であるために、そしてオーナーの正体不明さゆえに、調査を行おうとした者たちの怪死の連続ゆえに誰もがそこから手を引いた。

触れたら血ごと凍りつくような背徳の無法地帯。それが44ー444地区である。

「万姉」

手紙が届いていると声をかけられ、彼女は振り返った。血のように赤く、何の感慨も浮かんでいない瞳が妹を見た。

この彼女こそ、この円形闘技場のオーナーだ。名は秘されており、リグラヴェーダと名乗っている。だがその名はヴァイスの一級、"魔淫"のリグラヴェーダと同名であるために便宜的に万姉と呼ばれている。

「蛇が手紙をくわえてきたの」

「そう。ありがとう、渡してちょうだい」

長い銀髪が肩からこぼれ落ちた。視界にかかった髪をすくって耳にかけ、妹から差し出された手紙を取る。

妹の肩には黒蛇が乗っており、これが伝書鳩ならぬ伝書蛇をつとめたのだろう。ご苦労様、と労るように冷たい鱗の頭を撫でておく。

「下がってていいわ、マイナクベール」

「えぇ、オルトゥーリア姉さん」

手紙の内容を教えてね、と言い残して妹は紗のように長い黒髪を翻して部屋を出たぱたぱたと足音を立てて立ち去る妹の気配を見送り、彼女は息をつく。

2人きりの時だけとはいえ、真名を呼びあうのはまずいだろうか。ヒトの世で暮らしてまだ50年ほどなのでこのあたりの機微がわからない。機会があれば今度ヒトの世に慣れている姉たちに聞いてみよう。

そう考えつつ手紙を開く。手紙の主は今考えていたことを最も聞いてみたい姉からだった。

魔淫の女王と呼ばれる姉はヒトの世に混じってから1000年ほど経っている。所属するコミュニティを変え土地を変え世界を渡り歩いている彼女は、通りにヒトの世ではリグラヴェーダと名乗っているが真名をクァウエルという。

「クァウエル姉さんが私なんかにねぇ」

人生の大先輩である。顔も真名も知っているし言葉を交わしたこともあるが、遠い存在すぎて交流は薄い。

先達である姉たちよりもさらに先の存在なのである。人間の感覚でいえば、遠い親戚が芸能人であるようなものか。別世界の人間というべきか。立っている土俵が違う。

そんな魔淫の女王からの手紙の文面を視線で追う。背中に隠したものを出してくれとの内容だった。

背中に隠したもの、というと征服者(ヴィクター)とかいう奴らのことか。ここがヴァイスの支配を受け付けない地だからと逃げ延びてきた哀れな者たち。運命に足掻く人間の抵抗は見ていて面白いので受け入れたのだが。

それらについては決闘という形でショーにするつもりなのだが。ということは別のものだ。

そんな風に思考を推理させなくてもわかる。"零域"とかいう薬の調合書だ。とあるつてで手に入れたそれは、我々に伝わる秘薬を目指して作られたものであり、我々の存在を露見させる危険性のあるものだ。

だから回収しておいたのだが、どうやらその処分を魔淫の女王が任されたらしい。

万姉リグラヴェーダは返事を書くための便箋を手に取った。インク瓶にペンをつけて、ふむ、と唸る。

一種の憧れさえ抱いている姉の頼みなので叶えたいところだが、はいそうですかと渡すのはなんだか気にくわない。90年ほど前の話だが、体の持ち主の人間のことを引き合いに出されたことを思い出す。根に持っているわけではないが、意趣返しくらいはさせてもらおう。

「麗しき魔淫の姉へ。万妹が述べます……」


万妹からの返事が来たのは、材料を砕いて煮込んでいる時だった。

「もう少し待って」

返事をしたためた手紙をくわえて戻ってきた黒蛇を机の上で待たせる。

あとは余熱で十分なところまで段階を進めてから火を止めて、そしてから蛇から手紙を受け取った。

金の装飾がされた便箋にはヒトの世で暮らすコツを問う雑談から始まり調合書を持っている旨と、それを渡すための条件が書かれていた。

曰く、決闘でヴァイスが面白いことを見せれば調合書を渡すという。"ヴァイスが勝つ"ではなく"面白いことをすれば"というあたり妹らしい。要するに勝敗自体はどうでもよく、妹を楽しませればいいのだ。

面白いこと、と思考を滑らせる。妹が面白がるような案件はいくつか抱えているが、さてどれを出そうか。

運命に足掻く"灰色の賢者"のことは取っておきだから提示するにはまだ早いとして。いや、でも。

「ごめんなさい。また使い走りをしてね」

返事を書くために便箋を取り出しつつ、机の上でとぐろを巻いている黒蛇に声をかける。了解と言いたげに鱗の尻尾が揺れた。

"灰色の賢者"そのものはまだ秘密だが、"灰色の賢者"にまつわるひとつの因果について教えてやろう。きっと妹は面白がるに違いない。

それと、真名で呼ぶことについては同胞以外に聞かれなければ気楽にしても構わないのだと書き添えておく。調合書を渡す条件云々よりも妹にとってはこちらの方が重大だろうから。

「……はい、お願いね」

蝋で封をした封筒を蛇に渡す。手紙をくわえた黒い鱗が滑っていく。

戻ってきたらたっぷり労ってやらねばならない。腹一杯食べさせて好きなだけ寛がせて休ませてやろう。

食事についてはたくさんあるから安心ね、とリグラヴェーダは室内にいる"人たち"を眺めた。人が余っているからちょうどよかった。


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