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荒廃した街で、退廃した俺たちは  作者: つくたん
堪えきれない答えに応える章
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蛇章 伝書

からん、とベルが鳴った。


246ー8地区のある日の昼下がり。

ぱん、と広げて皺を伸ばし、若い女性は洗濯物を干していた。今日はとてもいい天気だ。きっと洗濯物もよく乾くだろう。

ヴァイスの拠点が襲撃されたというニュースも、その迎撃も済み後始末に入っていることも、ここでは遠い話だ。荒区の秩序を維持するヴァイスの庇護下ではあるが、それも三級がたまに見回りにやってくる程度。住民同士が連携しあって、穏やかで静かな日常を保っている。

「リグさん、こんにちは」

隣家と庭を仕切る垣根から、ひょこりと金髪の女性が声をかけた。彼女の隣には車椅子の青年もいた。

「こんにちは、シンシアさん。用件はいつもの薬? 今出すわ、待ってて」

洗濯籠をその場に置き、ぱたぱたと女は家の中に戻っていく。

隣家の若夫婦は仲睦まじく、近所からも愛される家庭だ。事故により車椅子となった夫を支える献身的な妻は周囲から手厚く支援を与えられていた。

この家に住む女もまた同様だ。事故の影響で足が痛むという夫のために痛み止めを処方してやっている。彼女の作る薬はよく効くのだと近所では評判になっており、頼る人も多い。

ややあって、黒塗りの箱から痛み止めの薬を持ってきた女が戻ってくる。はい、と渡すと、若夫婦は恭しく頭を下げた。

「ありがとう。……本当にお代はいいの?」

「いいのよ。気にしないで」

薬作りは趣味でやっているようなものだしね。その証拠に、薬店なんて開いていないし。

そう言って、女は若夫婦に手を振った。振り返りながら何度も頭を下げる若夫婦を見送り、さて洗濯物の続きでも、と籠に向かい合う。手慣れた手つきで洗濯物を干し終わり、空になった籠を抱えて家の中に戻る。

庭戸を閉めたと同時に、その聴覚に、からん、というベルの音が響いた。鐘の音の発生源は玄関からではなくこの部屋からだ。

音のした方に視線をやる。見れば、白い蛇が小さな封筒をくわえて鎌首をもたげていた。

おやまぁ珍しいこともあるものだ。蛇が手紙をくわえて家の中にいることではない。手紙の主のことである。

「魔淫の姉様のご用件とは」

蛇から手紙を受け取り、女は封を開く。流れるような文字で用件が書いてあった。

探し物があるのだという。それは我らが真実を司る氷神に問えるものではなく、我々のネットワークによって探さねばならぬものなのだと。

何を探しているかは手伝いを受諾しなければ言えない。だが貴女ならば確実に居場所を知っていることだとも。

「ま、魔淫の姉様の要請なら断る道理もなし」

受けるか断るかと選択肢のように並べられた文面のうち、受諾に丸をつける。その途端、じわりとインクが滲んで探し物の名を綴った。

「あぁ…これはこれは…」

探し物がこれならば、こちらのネットワークを訊ねるのも当然だろう。納得しつつ女は手紙を畳んだ。

伝書鳩ならぬ伝書蛇ご苦労様と白蛇を撫でる。触れたところから黒い鱗に変わった蛇を肩に乗せ、女は軒に吊るした鐘をかんかんと鳴らした。

「この地に住まうヒト堕ちの同胞よ、この堕姉の声を聞きたまえ……」


からん、とベルが鳴った。


伝書鳩ならぬ伝書蛇を送ってから1時間も経たずに返答が返ってきた。真っ黒な鱗の蛇は少し膨らんだ封筒をくわえて戻ってきた。

ご苦労様とリグラヴェーダは蛇を撫でて封筒を受け取る。ここに知りたいものの答えがある。

伊達に5万年ほど生きてはいない、探す方法などいくらでもあるのだと格好はつけたがその方法はいたって単純だ。この国だか街だか大陸だかわからない広大な土地に散る同胞に声をかけただけのこと。玖天の情報網でもわからないのなら、別の情報網を頼ればいいだけだ。

リグラヴェーダと同じように長命に飽きて、あるいはヒトと添い遂げようとして、彼女の種族は各地に散っている。複雑な掟と生態を守りながら暮らしている。

そんな彼女らはヒトの世に交わった者専用のコミュニティを持っている。その代表者である女に手紙をよこし、調合書を知らないかと訊ねたのだ。

あとは彼女をつたってコミュニティに情報が行き渡り、答えが返ってくるのを待つだけだったのが、意外なほど早く回答が戻ってきた。

「流石は堕妹。可愛い子」

妹と呼んでいるが血縁ではない。年下のことを妹と呼ぶ文化なのでそう形容している。

ろくに説明もしないのでついさっき"灰色の賢者"に勘違いをさせてしまったままだと思い返しつつ、リグラヴェーダは文面を視線で追った。

"零域"が"獣王の角"に近付きつつあること、それによって我らの存在が露見する危険については彼女らのコミュニティにも届いていたようだ。だからこそ彼女らは騒ぎにならない程度に、ヴァイスに不審に思われないように、一般人として社会に溶け込みながらその成り行きを注視していた。

開発者である科学者を葬ったその後、彼の財産は何処に行ったのか。解体されたラボの機材は何処に行ったのか。

それらはすべて44ー444地区の主のもとに行ったのだ、と文面は締め括られていた。

44ー444地区の主といえば、かつて肉体を器とするために捕らえ、そして今は妹の魂が入っている彼女だ。

「……あら」

可愛い妹が持っているとは。驚きだ。持っていて、そしてリグラヴェーダが探していると知っていて隠していたなんて。なんて意地悪な妹だろうか。

なんとまぁ、と嘆息してリグラヴェーダは新たな手紙をしたため始めた。

可愛い万妹、その背中に隠しているものを出しておくれ、と綴った手紙を机の上でとぐろを巻いて待っている蛇へと渡す。黒蛇は手紙をくわえ、するりと床を這っていく。

ソファの下に潜り込んでから気配が消えた伝書蛇を見送り、リグラヴェーダは薬棚に向かう。

返事が返ってくるまで薬でも作って待っていよう。襲撃のおかげで"人が足りない"のは解決されたが今度は"人が余って"しまった。さっさと"優秀な人材"から使っていかないと。


からん、とベルが鳴った。

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