オアシスの行方
次の日の朝、ナツメヤシの木の下に人垣が出来ていた。
いつもマナが座っていた敷物も片づけられ、そこに旅装束で立って居るマナをオアシスの人々が取り囲んでいる。
旅立つマナに別れを惜しむ人々を、セアラは遠巻きに冷めた目で眺めていた。
シアはマルテと一緒にセアラの側に立ち、セアラの様子に笑いを噛み殺しつつくすくすと笑っている。
老婆がひとり、マナの手を取り、
「マナ・・・・。」
感謝の言葉を掛けようとするが、何を言っていいのか言葉が続かない。
マナは老婆の手を優しく握り返して、
「世話になったね、体を大事にね。」
言葉を掛ける。
別れを惜しむ人の波は途切れず、次から次へと人が押し寄せて終わりが見えない。
悲しそうな顔をした人々のひとりが、
「本当に行ってしまうのかい?」
皆が心の内にあった言葉を口にした。
マナは本当に困ったような笑みを浮かべ、
「寂しがり屋だから人恋しくてまたすぐに来るよ、そんな悲しそうな顔をしないでおくれ。」
静かに言う。
今にも泣きそうな女衆の一人が手にしていた餞別の品を差出し、
「マナ、これ、わたしが作ったの。」
言って、包みを渡すと、次々に声が上がった。
「マナ、これも。」
「これも持って行っておくれ。」
貧しいオアシスではそうそういい物を揃える事は出来ないが、出来る範囲で精一杯の物を皆が持ち寄っていた。
軽く積み上がった餞別を前に、
「みんな、ありがとう。」
静かに言って、
「セアラ。」
人垣の向こうでしらっとこちらを見るセアラへ声を掛けた。
人垣が一斉に振り返ってセアラの方を見る。
そして、
「これはすべて君にあげよう、ここで暮らすには必要だよ。」
マナは静かな視線でセアラへ言ったのだが、セアラはマナの言葉をはんと鼻で笑い、
「誰がここで暮らすって言ったの?バカじゃないの?」
言葉を放った。
セアラの方を見ていた人垣の顔は一様に一瞬きょとんとし、セアラが言った言葉を飲み込んだ途端、声をそろえて、
「「「「「「「はい?」」」」」」」
驚きとも疑問ともつかない声が漏れる。
マナ自身も目を丸くしており、少し考え込んだ後、
「・・・いや、この流れはどう考えても、君がここで少しばかり苦労して見識を改める流れだろう?」
セアラへ訊くが、
「私、ちょっと出掛けて来るから、戻るまであなたが水番しててちょうだい。」
聞いていない。
半開きになったマナの口がやっと、
「え?」
訊き返した。
内面が軽くパニックになっているマナを余所に、セアラのターンは続く。
「あと、どうしてこんなトコにオアシスがあるの?水脈はどこ?」
口答えを一切させない口調で問うセアラに、
「元々あった水脈は移動してしまったんだよ、大きな水脈だったんだけど・・・。」
つい、マナも素直に答える。
「じゃぁ、近くに水脈はあるのね。水脈と一緒に人間も移動したらいいんじゃないの?」
「それが出来なかったから、私がここに居たんだよ。」
セアラの視界に並ぶオアシスの人々の顔の中に、独り暮らしのお年寄りの姿が映る。
家族を待つ老人はそこから動かなかったのだろう。
他にも理由はあるのかもしれないが、
「バカじゃないの?」
セアラは、言葉を小石と一緒に破れたオブラートに詰める勢いで投げつける。
セアラの勢いに、目が点になっていた人垣の視線が一斉にマナの方を見た。
バカバカ言われてるの、この人?
人々のきょとんとした視線が物語るものに、うっと押され気味になったマナは思わず首を振り、
「と、とりあえず、セアラの話も聞こう。」
人垣はうんと頷き、ざっとセアラの方へ視線を戻した。
本格的に困りの顔のマナは、
「セアラ?」
改めて訊き返す。
しかしセアラは、
「どうでもいいわ、とにかく留守番してて、私はマルテとゴアステ行ってくるわ。シアの了解は得ているの。」
話を終了させた。
「は?」
と、話が見えていないマナを放置して、
「シア、後は宜しくね、あの人〝あんな〟だから。」
「いいわよ、任せてちょうだい。こちらこそ、マルテをお願いね。」
セアラとシアの会話はすんなりと纏まり、セアラはマナの方へ顔を向け、
「ああ、あなたのその腕輪ちょうだい、旅費にするから。それと、今あなたがしてる旅の装備はそのまま私にちょうだい、このまま出るから。」
やはり、有無を言わせない。
マナは呆れたような笑みを浮かべて頷き、
「いいよ。」
人垣を抜けてセアラの方へ歩み寄った。
腕にある金の腕輪を二つほど外してセアラの手へ渡す。
そして、
「気を付けて行っておいで。」
マナは白旗を上げた。
マルテは傍らで二人の様子を見上げて、
「マナ、〝尻に敷かれてる〟ね。」
にっこり笑ってマナへ言う。
さすがに苦笑いになったマナは、
「マルテは難しいこと知ってるんだね。」
屈んで、マルテの頬を優しく撫でた。
◇◇◇◇◇
ふた月が過ぎ、朝陽が差した砂漠の景色に大商隊が現れた。
マナのオアシスに入りきらないほどの大所帯で、ラクダやヤギや、荷を満載した大きな荷車が何台も連なっている。
隊を構成する男達の数も、戦争にでも行くのかという程の人数が揃えられていた。
人足風の厳つい男達の人波みの中から、しっかり日に焼けた女が一人、オアシスへ進み出ると、
「おかえり。」
オアシスの入り口までオアシスの人々と一緒に迎えに出ていたマナが、静かに笑んで声を掛ける。
見た目も逞しくなったセアラは、にっこりと小麦色の肌に健康的な笑みを浮かべ、
「紹介するわ、7番目と8番目の夫から借りた煉瓦職人、5番目と11番目と15番目の夫から借りた井戸掘り職人、3番目の夫から貰ったラクダ、12番目の夫から踏んだくったヤギ、他、歴代の夫達から掻き集めた人手と物資よ。」
キャラバンの内訳を語る。
頷いたマナは、
「たくさん集めたんだね、大変だったろう。」
と、労ったつもりだったのだが、セアラの顔がギリッと険しくなり、
「誰のせいだと思っているの?」
「え?」
いきなり噛みつかれ、本気で困っていない風の困った顔になった。
やっぱりセアラはお構いなしに、
「こんなちっぽけなオアシスでチビチビ水配ってるだけでいいとか、本気で思ってるわけ?」
骨を砕く勢いで噛み付く。
「・・・何が?」
相変わらずのセアラに、マナはくすりと笑い、訊く。
セアラは、
「まず、食事がマズいわ。」
「貧しい土地だからね。」
〝仕方が無い〟というマナの答えに、セアラがキレる。
「材料が悪いのよ!豊かにすればいいじゃない!」
「水も無いし、そもそも君の言う豊かさには資本がいるだろう?」
マナは静かに答える。
セアラは大商隊を指差して、
「私は〝返品は持参金倍返し〟の女なの。恐ろしいほどの持参金を持って嫁いだものだから、18番目の夫は私を返品できなくてここへ捨てたの。だから、ゴアステへ行って持参金の分だけ回収してきたわ。」
「その持参金を?」
「使ったのよ。」
言って、セアラはふんと鼻息荒く息を吐いた。
マナは大量の物資を前に、改めて、
「このオアシスの為にそんな投資をしてもらっていいのかい?」
訊く。
すると、セアラはぶっ飛び理論を展開した。
「あなた、私の19番目の夫でしょ?だったら、倍返し出来るトコまでこのオアシスが豊かにならないと私を返品できないわよ?いいわけ?」
目を丸くしたマナは一瞬言葉を失うが、
「いや・・・いやいや、私は君を娶ったつもりは 」
「贈り物は受け取る主義なんでしょ?だったら、わたしの19番目の夫じゃない。何も持って無い夫は初めてだけど、私があなたを物持ちにしてあげるわ。」
またしても、セアラはマナの言い掛けた言葉を押し返した。
「ええ・・・と・・・・。」
ぶっ飛び理論をひっくり返す言葉を探すうちに、言葉を失ったマナへ、
「よかったね、マナ、お嫁さんが来てくれて。」
マナの側へ現れたシアが言う。
シアの周囲に居た女衆の一人が、
「え?セアラはマナの奥さんなの?」
マナへ訊くのでマナが慌てて、
「いや、違 」
「そうみたいよ。やっぱり押しの強い女でないと、この人こんなだからねぇ。」
再び、言い掛けたマナの言葉をシアが押し返してしまった。
答えを聞いた女衆は、
「ホントに?良かったね、寂しがり屋のくせに一人ぼっちだから心配してたのよ。」
ほっとした顔で嬉しそうにマナの肩を叩く。
にやりと笑うセアラは、
「観念なさい。私に説教するとか、身の程知らずを後悔するのね。」
勝ち誇ったように言う。
久しぶりに聞くセアラの物言いに、マナは呆れたように笑った。
「君はもっと素直になった方がいいかな。」
「私に説教すると、高くつくわよ?」
入れ食い状態で切り返して来るセアラへ、
「私は十分値の張る妻を娶ったと思っているよ。」
と、男前がにっこり笑って見つめて来るので、セアラはどきりとして目を逸らす。
「・・・まぁ、わかればいいのよ。」
マナは耳たぶまで赤面しているセアラの頬を両手で包み、
「あまり早く物持ちにならないように気を付けなくてはね。」
じっとみつめて言うのだが、赤い顔のまま、またしてもギリッと殺気を漲らせた視線でマナを見上げるセアラは、
「私の歴代の嫁ぎ先は今バブルの真っ最中よ、私無しではいつ弾けるか判らない栄華を満喫してるわ。嫌でも私はあなたを物持ちにしてみせますからね。」
マナを物持ちにする事がセアラに不可能だと言ったわけでは無く、マナはプロポーズに近い言葉を吐いたつもりがセアラには伝わらず、セアラは怒った。
「いや、あの・・えっと・・・ごめん。」
ずっと傍にって・・・意味だったけど
どう説明したものか判らないが、
「ま、いいか。」
ふふ、とマナは笑う。
と、いつの間にかマナの傍らには荷車から降りて来たマルテが立って居た。
ずっとマナの様子を見ていたのだが、
「マナ、〝尻に敷かれる〟って、幸せって事?」
マナへ訊く。
意味は知らない。
マナは頷いて屈み、
「そういう解釈もあるみたいだね。」
にっこり笑って優しくマルテの頬を撫でた。
その後、急ピッチで地下水路の敷設が行われ、オアシスの建物群も綺麗に改築されたマナのオアシスは、時間の経過と共にとても豊かになりました。
オアシスの地質を調べて塩害が起こらないと確認されると、5年後にはそこに果樹園が広がった。
果樹の合間には、家畜を養うための牧草を植え、牧草を食んだ家畜から良質の肉が手に入るようになった。
シアが出した商隊相手の商売も軌道に乗り、出稼ぎに出なくなった夫と二人で店を切り盛りしている。
街はとても豊かになりはしたが、相変わらず子供と年寄りがナツメヤシの木の下で食事をとる光景は変わる事はなかった。
19番目の夫と暮らすセアラは、当て付けに毎日髪を洗うような事も〝極稀〟にしか無く、穏やかな日々を送りましたとさ。。。
おしまい