水売りと辛辣女
日の出前。
空は明るくなったが、まだ太陽の姿は無い。
ソワソワするマルテに、シアは、
「セアラと先にお行き、母さんはマナの朝ご飯を持って後から行くから」
と、二人を先に〝水汲み〟へ向かわせた。
「セアラ、はやくっ。」
にこにこと笑うマルテはセアラの手を引いて走り出した。
ひやりとした朝の景色の中、オアシスの集落のあちこちに人影がある。
皆、水を貰うために外へと現れた人影だった。
ざっと見、世帯数は40軒くらいだろうか。
こんな寂れたオアシスにしては、世帯数は多い。
見掛ける人影が女子供ばかりが目に付くという事は、他の家でもシアの家と同様、男手は出稼ぎに出ているのだろうと思われた。
セアラは見掛ける人々の表情を見て、
「ふうん。」
感心した。
貧乏オアシスにしては、みんな疲れた表情してないわね
立ち止まってご近所同士の井戸端会議に花を咲かせて居る女達の顔も和やかなものだし、老婆を労わりながら付き添って歩く女も優しげに微笑んでいる。
5、6人の子供達がマナが居るナツメヤシの木の方へ走って行く姿も見た。
ただ、
どうしてみんな手ぶらなのかしら・・・
子供はともかく、大人達の手にあるのは小さな器だけだった。
シアが〝マナの朝ご飯を持って行く〟と言っていたので、人々が持つ器の中身はマナへ届ける〝おすそ分け〟だろう。
みんな水を貰いに行くというのに水瓶を持つ者が誰も居ない。
セアラははんと鼻で息を吐き、
「どうやって水を配るつもりかしら。」
問題の〝水売り〟がどうするのか、見物させて貰う事にする。
ナツメヤシの下にマナの姿が見えた途端、マルテはセアラの手を放して走り出した。
木の幹へ背を預けて、敷物の上へゆったり座るマナの周りに子供がたかっている。
よく見ると、マナが座る敷物の前に、大きな敷物が1枚増えている。
今、マナが座っているのはセアラが意識を取り戻した時に横たわっていた敷物だが、前回見た時は木の下にあるその1枚だけだった。
増えた敷物の上に、マナを取り囲んだ子供らと、子供らから少し離れた所に4、5人のお年寄りが座っている。
マルテは子供達の人垣を横から回り込んで、走っていた勢いのままマナの膝へ飛び込んだ。
「おはよう、マナ。」
人見知りのマルテが満面の笑みで顔を上げる。
すっかり懐いているのだ。
マナはマルテの頬を撫で、
「おはよう、マルテ。」
静かに笑む。
顔を上げ、マルテの後をつかつかとマナへ歩み寄って来たセアラへ、
「おはよう、セア 」
セアラは言い掛けたマナの言葉を遮り、
「ちょっと!どういうつもりなのよ!」
セアラは声を荒げてイメトレ通りにマナの胸倉を両手で掴んだ。
マルテを含む、子供らの目が点になる。
きょとんとセアラを見つめるマナは、
「・・・・・何の事?」
首を傾げる。
具体的な話になり、セアラの顔が真っ赤になった。
説明しようと必死に口を開こうとするが、そのものズバリがなかなか言えない。
やっとのこと、
「それはっその、・・・私に水を飲ませた事よ!」
言えた。
マナはというと、傾げた首を一度戻したが、再び傾げ、
「え・・・と、水を飲まないと死んでしまう、よね?」
訊く。
淡々と返され、セアラはしどろもどろに、
「そ、そうだけど、方法は他にもあるでしょ!」
言うが、それでもマナに変化は無く、セアラの様子を不思議そうな顔で見たまま、
「うーん、思いつかないけど。気に障ったのなら謝るよ、すまなかったね。」
マナはあっさり謝罪の言葉を口にする。
真っ直ぐに見て来るマナの視線に拍子抜けしてしまい、
「・・・・・・・・・なんなのよ、もお。」
顔を歪めたセアラはぽそっと呟いて、マナの胸倉を掴んでいた手を外した。
そこへ、後から来たシアが現れ、
「おはよう、マナ、これ食べておくれ。」
持って来たナンと干しナツメのジャムの乗った器を差出した。
マナはそれを受取り、
「ありがとう、シア。」
マナの言葉に、〝いいんだよ〟と首を振ったシアは、
「マナ、今日はマルテと一緒にセアラもいいかい?」
訊いた。
「歓迎だよ、多い方がいいさ。」
「じゃぁ、お願いね。」
頷いたマナへそう言って、シアはその場を離れた。
すかさず、
「私が何?」
セアラが訊く。
マナはシアから受け取った器を傍に居たマルテに手渡すと、マルテはそれを持って敷物の端へ座るお年寄りの元へ運んだ。
マルテを見送って、マナは体をずらして自分が座る敷物の上にセアラが座るスペースを空け、
「一人で食事をするのは寂しいだろう?だから、オアシスの子供達やお年寄りたちと一緒に食べているんだよ。君も一緒にどう?」
マナの言葉に、子供らが座る敷物の上へ目をやると、そこには集落の人々が持ち寄ったと思われる食べ物の乗った器がいくつも並んでいた。
座らず、そこに仁王立ちのままのセアラは嫌味っぽく、
「〝遠慮せず受け取る供物〟なわけ?長のくせに、民から食べ物を巻き上げるなんてどういう了見なのよ。」
言うのだが、マナはにっこり笑い、
「私がここでみんなに水を分ける条件は、みんなが朝の挨拶に来てくれる事だったんだよ。そのうちみんなが好意で朝ご飯を持って来てくれるようになったから、じゃあ子供たちやお年寄りと一緒にご飯食べようって事にしたんだ。」
今度はセアラが首を傾げ、
「?・・・意味が解らないわ。」
怪訝な顔をした。
マナは空けたスペースをセアラへ〝どうぞ〟と手で示して座るように促し、
「みんなで朝ご飯を食べるのは私が決めた事だけど、家族が出稼ぎに出た一人暮らしのお年寄りの安否確認もできるし、食事が終わったら子供たちがお年寄りを送って行って、そのままその家でお年寄りの手伝いをする。これはオアシスの人達が決めたんだよ。」
「・・・いいシステムね。」
素直に感心して、セアラはマナの隣へ座る。
このオアシスは横の繋がりがしっかり出来ている。
これでもう少し豊かなら申し分ない。
お年寄りの一人がマナとセアラの食事をよそった器を、マルテがセアラの元へ持って来たのでそれを受け取る。
「ありがとう、マルテ。」
セアラはマルテへ言い、よそってくれたお年寄りの方へにこりと笑って頭を下げた。
その仕草を見ていたマナは声に出さず、〝ふうん〟と感心した。
この娘なら、ここでやっていけるかもしれない
物言いは鼻につくが、セアラはきちんと他者へ感謝する事が出来る。
口元に微かな笑みを浮かべてマナは一人頷いたのだが、セアラは食事を始めた子供たちとお年寄りを見つめ、
「ところで、いつ水売りを始めるの?」
つんとした口ぶりでマナへ言葉を放った。
疑いの眼差しのセアラは、
「早起きしてみんな来てるん・・・だか、ら?」
言い掛けて、セアラがふとあげた視線の視界の中に、先程までその辺に居たオアシスの女衆の姿が無い。
マナはマルテが持って来た器の中にあったイチジクのドライフルーツを二つ手に取った。
ひとつをセアラの手へ渡し、
「みんな私に挨拶して水を受け取って、帰ってしまったよ。残っているのはここに居る子供たちとお年寄りだけだ。」
「いつの間に?」
「みんなの家の中にある水瓶へ直接水を配ってるから、女衆が水を運ぶ必要は無いよ。君の水瓶はとりあえずシアの家にある。」
言われた瞬間、セアラの眉間に深々と皺が寄った。
「水瓶ひとつなの!?それっぽっちで何が出来るのよ?」
思わず声が高くなる。
マナは相変わらずの困っている風でもない困った顔をして、
「困ったな。」
ぽつりと言うが、
「困ってるのは私よ!」
セアラが被せて来る。
セアラを見つめて静かに笑むマナは、ふと目線を伏せてぽつりと、
「・・・そろそろかなと、私も思っていた所だし。」
「何?」
怪訝な顔でセアラが訊き返すと、
「セアラ、水を『獲る』力をやろう。君は少し水の大切さと恐さを学ぶべきだと思う、多過ぎる水は人を変えてしまう。」
「私に説教する気?ここが水が無いからうまくやれてるオアシスだという事ぐらい理解は出来てるわ。でもね、砂漠では何をするにしても水が必要な事も知っているのよ。」
捲くし立て、ぎろりとマナを睨んだ後、はたと気づく。
「・・・水を得るって何?」
「『獲る』、だ。」
マナはセアラの手に渡した干しイチジクを取り、自分の手にあったイチジクと一緒に器へ戻す。
お互いの手がフリーになった所で、マナは隣に座るセアラを腕の内側へ抱き込んでセアラの両手を自分の両手で包んだ。
突然抱き寄せられてぎょっとしたセアラは顔を真っ赤にして、
「なにするのよ!」
ジタバタともがきながら喚くのだが、男の腕に敵うわけも無く、
「じっとして。」
落ち着き払ったマナはそう言い、セアラの両手を合わせるように自分の手をあわせて閉じた。
すると、そこから水が零れる。
零れた水がセアラの膝を濡らした。
衣の裾を濡らしてひやりとした水が足を濡らす光景を、セアラは声も出ず唖然と見守る。
マナはセアラの閉じた両手を開き、その両手で器を作ってそこへ水を溜めてみせた。
「飲んでごらん、汲みたてだから美味しいよ。」
言われても、セアラは身動きも出来ずにそれを見つめている事しかできなかった。
マナはお構いなしに、
「〝汲み方〟は判ったね?追々慣れるといいよ、これからは君がこのオアシスのみんなに水を配りなさい。」
セアラへ告げた。
当のセアラは、
「あなた・・・本物?なの?」
唖然とした顔をマナへ向ける。
シアは確かに、
この人ね、このオアシスの水の神様だよ
そう言った。
シアが言ったのは比喩的な意味だとセアラは思っていたのだが・・・。
くすりと笑ったマナは、
「偽物だとは誰も言ってないと思うよ。水売りとも言ってない、かな。」
言ってセアラの手を解放して、器に戻した干しイチジクを再び手に取り、美味しそうに齧った。