シアとマルテと貧乏オアシス
陽が沈むと、途端に気温が下がる。
シアの家で暖を取る。
こじんまりとした煉瓦造りの小さな家だった。
シアと娘のマルテの二人で暮らしている様子で、〝出稼ぎに行った夫はあと半年は戻らない〟とシアは言った。
娘のマルテは5、6歳くらいだろうか。
母親を手伝ってセアラの為のハンモックの準備をする。
「女所帯だから気兼ねはいらないからね。」
そう言って、シアはセアラを歓迎してくれたのだが・・・。
夕飯の支度をしてくれたシアが竃で焼いたナンを差出し、
「お食べ。薬味が口に合えばいいけどね。」
土間へ敷いた粗末な絨毯の上へ座り、その日のメニューを三人で囲む。
並ぶという程皿数があるわけでは無い。
塩を混ぜて小麦を練って焼いたナンが盛られた皿と、ナンへのせる薬味が二皿。
薬味は挽いた干し肉とナッツを香辛料で甘辛く煮詰めた物が一皿と、マルテが好きそうな干しナツメを蜜で煮詰めたジャムが一皿。
セアラはナンを千切って干し肉とナッツの薬味を添え、口に入れ、無言の間が空く。
・・・肉の質が良ければ悪くないわ
使われているのは筋肉だった。
貧しいから上等の肉は手に入らない。
ナンも、もう少し質のいい小麦なら、ここまでぼそぼそとした口当たりでは無い筈なのだ。
練り加減も焼き加減、塩加減も申し分は無い。
惜しい。
「・・・マズいわ。もっといい材料は手に入らないの?」
セアラは思うままを言う。
マルテは口を尖らせ、
「お母さんのごはん、おいしいよ。」
セアラに言うと、セアラは、
「だから言ってるのよ、これなら商隊相手の商売が出来るわ。」
真面目にマルテに答えるのだが、幼いマルテには難しい事がよく判らない。
口を尖らせたまま、じとっとセアラを見るマルテは、
「でも、マズいって言ったもん。」
「意味が解らないのなら口を出さないでちょうだい、正しく物が言えなければ、相手が正しく答えても理解は出来ないのよ。」
セアラはマルテを子ども扱いしない。
マルテの眉がハの字に歪んで泣きそうになった所で、シアはくすくす笑いながら、
「ありがとう、マルテ。セアラは母さんの作ったごはんを褒めてくれたのよ。」
優しくマルテの頬を撫でる。
そして、
「セアラ、今の私達が口に出来る物はこれが精いっぱいなの。口に合わなくても食べておかないと体が持たないわ、病み上がりなのだから。」
シアは優しく微笑んだ。
しかし、セアラは無表情のまま、
「言われなくても食べるわよ、私は見掛けによらずタフなの。」
言って、手にあるナンへたっぷりと薬味をのせ、形の良い唇が大きく開いてナンを頬張った。
口の端へついてしまった薬味を白く細い指先で拭って口の中へ収める。
セアラの様子にシアはくすくすと笑い、
「お屋敷の奥様とは思えないわね。」
セアラは首を振る。
「お試し期間だったから正確にはまだ奥様では無かったのよ、どうせ返品されるのに、よく知りもしない男に触れられるなんてゾッとするわ。」
悪びれた風は一切なく、肩を竦めてみせた。
シアは気の毒そうに、
「大変だったね。でも、もうその男の所へ帰る事はいらないから安心おし。」
そう言うが、セアラはナンを頬張るのに忙しい口元で、
「冗談じゃ・・ないわよっ、持参金の元金ふぁけでも取り返さないふぉ、丸損じゃない。」
言って、セアラは手にあったナンを二つにぶっつり千切って片方を口へ放った。
全然、めげてない。
シアは目の前のタフな〝お屋敷の奥様〟の物言いに、ははっと大きく笑った。
「良かったわ、セアラが元気になって。」
笑いながら、シアは手に取ったナンの上へ二皿の薬味を半分ずつ添えてセアラの前へ〝お食べ〟と差し出す。
受取りながら手にあった残りのナンを口に収め、ふと、目覚める前の朦朧とした意識の中でセアラの唇に触れた感触を思い出し、
「ねえ、私はどうやってここへ来たの?」
まず、訊く。
シアの顔が状況を思い出して微かに歪み、
「綺麗な供物の箱に詰められていたの。運んで来た男達はすぐに引き上げてしまったわ。」
聞かされた状況に、
「・・・問答無用で捨てられたわけね。」
セアラは18番目の夫の〝包容力〟に、呆れた。
シアは続けて、
「すぐに箱から出したのだけど、暑さにやられたみたいでね、意識が無かったからずっとマナが看病してたのよ。」
告げた。
セアラの脳裏に再現された唇に触れた軟らかい感触は、間違いなくそういう事だと思う。
若干、苛々するが、とりあえずそれは押さえ、
「どのくらい意識が無かったの?」
訊く。
「3日くらいだね。」
シアの答えに、
3日もあれば好き放題に〝何〟でもできるじゃないのよ!
セアラの眉間に深い皺が入った。
もう、意識が無い間に何かされたとしか思えない。
疑い出すと際限は無く、〝何か〟がどんどんエスカレートして行く。
セアラは一呼吸置き、腹を据えて確認の為に、訊く。
「私に水を飲ませていたのは、あの男?」
殺気だって問い掛けるセアラの様子を不思議に思いつつも、シアは頷いて、
「マナだよ。」
答えた。
シアの首が縦に振られ、セアラは思い切り息を吸いこんでどっと溜め息を漏らした。
どうやら、意識が無いのをいいこと(?)に、口移しで水を飲まされていたらしい。
「あぁ、もう、なんなのよ・・・。」
今すぐマナの胸倉を掴んで罵倒してやりたい気分だった。
苛々とシアに手渡されたナンを齧る。
と、干しナツメのジャムの甘酸っぱい香りが口に広がった。
セアラは目を丸くし、
「これ、文句無しに美味しいわ。」
思わず感想を口にする。
「でしょ?母さんの料理は美味しいのよ。」
言って、マルテはにっこり笑う。
「マルテは腕のいい専任の料理人が居ていいわね、私に譲ってくれない?」
セアラが真顔でそう言うと、マルテは泣きそうな顔でシアにしがみついた。
シアとセアラは、マルテのその様子を見て声を出して笑う。
笑われて、きょとんとセアラを見上げるマルテへ、
「マルテ、安心なさい。シアは私に買えないくらい高価な料理人だから。」
セアラの美しい顔が優しく微笑んだ。
マルテもなんとなく意味を察してにっこり笑う。
二人がクスクス笑って食事の手が止まってしまうと、シアが〝ほらほら〟と割って入り、
「二人とも早く食べて寝なさいな。明日はね、朝から水を貰いに行くから早く起きなきゃいけないのよ。」
〝あ〟、と顔を上げたマルテが、
「セアラのお水入れをもらうのよ。」
口を添えた。
不思議な言葉に、セアラは首を傾げた。
「私の水入れって何?」
訊かれ、マルテは大きく頷いて、
「このオアシスの人は、みんな自分の水入れを持っているのよ。マナがその人に合うだけの水入れをくれて、お水を入れてくれるわ。」
マルテが言い切った言葉に、セアラの眉間に再び皺が寄った。
どっと溜め息を吐きなおし、
「・・・水売りふぜいに口移しで水を飲まされたなんて。」
ぼそりと呟き、苛々と干しナツメのジャムののったナンを鼻息荒く頬張った。