マナ
セアラはゴアステのオアシスの族長の第四夫人になりました。
◇◇◇◇◇
18番目の夫へ、苦い顔をした使用人頭が言いました。
「新しい奥様はオアシスのはずれで人足を使って勝手に水路を作っておられます。」
それを聞いて、18番目の夫は眉を顰めました。
18番目の夫がセアラへ理由を問うと、セアラは、
わたくしの持参金でやっている事です、口を挟まないでいただきたいわ
果物が食べたいのです
オアシスのはずれへ水を引いて、そこへ作らせます
まったく動じる事無く、真っ直ぐに夫を見つめて言いました。
18番目の夫へ、第一夫人は金切り声で言いました。
「奥向きの務めは一切やらないのよ。ベールも着けないなんてはしたない!」
18番目の夫は、繰り返される第一夫人の小言に嫌気がさしました。
なので、セアラへ妻として屋敷の奥で過ごすように言い付けると、
わたくし、1年後に妻になるとお約束しましたわね?
わたくしたち、まだ正式に夫婦ではありませんもの
それまで奥へは入りませんわ
まったく動じる事無く、夫の言い分を退けました。
18番目の夫へ、ゴアステから一番近いオアシスの長が訪問した時に言いました。
「君の第四夫人は失礼だな、ウチのオアシスで手に入らない作物を訊かれた。」
18番目の夫は、相手への謝罪としてラクダを10頭贈りました。
そして、セアラへどうして来客へそんな失礼な事を言ったのか訊きました。
しかしセアラは、
ご存知?人が持っていない物というのは高く売れますの
そう言えば、オアシスのはずれの〝わたくしの農園〟では、
お客様のお答えにあった作物を作っておりますのよ
当然のように答えたのです。
とうとう怒った18番目の夫は、
「セアラ、悪いが屋敷から外へ出ないでくれるか。女は家の中で楚々としているものだ、何もしてくれるな。」
セアラへ言い放ちました。
セアラはにっこりと笑って頷き、
では、わたくし、あなたの妻として美しくあるよう努力をしますわね
そして、セアラは毎日大量の水を使って美しい金の髪を洗った。
◇◇◇◇◇
自分がどういう状態なのか判らないまま、横たわって手足が重くて起き上がれない・・・。
セアラがそうしていたのは長い時間のような気もするし、ほんの少し微睡んでいただけのようにも思う。
ふわふわと暗く澱んだ意識の中で、何度か何かが唇に触れる感触があり、口に水を含ませる者があった。
セアラは重い目蓋を薄っすらと持ち上げ、隙間から差し込んだ青空の景色の眩しさに顔を顰めた。
ぼんやりと見えた青空を遮る人影が現れ、
「目が覚めたかい?」
そう言って、覗き込んでくる砂まみれの顔があった。
貧相な身なりの中年の女だった。
ナツメヤシの木陰に敷かれた敷物の上へ、仰向けに横たわっていたセアラは青空と見慣れない女の顔に怪訝な顔をして体を起こそうとした。
起こそうとしたが、頭が重い。
ガンガンと痛む頭に、微かなうめき声をあげる。
これ、二日酔い?
大きく息を吐いて、だるそうにナツメヤシの幹へ体を預けて座る。
そして、
「ここはどこ?」
目の前の中年女へ訊く。
中年女の後ろに隠れていた少女が、中年女の陰からおずおずと顔を出して、
「マナのオアシスよ。」
恥ずかしそうにセアラへ言葉を投げて来た。
少女の人見知りなぞ気にも留めず、セアラは、
「どこですって?」
痛む額へ手をあてて、苛々したように訊き返した。
セアラから訊かれたが、はにかんだ少女は答えずに中年女の後ろへ隠れてしまった。
少女の代わりに答える男の声があった。
「私のオアシスだよ。」
セアラが背後から降って来た声の方へ顔を上げると、セアラが体を預けていたナツメヤシの傍らに男が立って居た。
まず、男が身に着けている金糸で縁取りされた鮮やかな青い衣が目についた。
それなりの身分らしい。
体躯の良い背の高い男で、優しげな顔立ちは造形も良く、見栄えは申し分無い。
ばらりとした黒髪が掛かる顔にある黒い瞳がじっとセアラを見おろしていた。
男は屈んでセアラの顔を覗き込むと、
「まだ、顔色は悪いようだね。」
言って、細工物の金の腕輪の光る腕を伸ばし、セアラの頬に着いた砂を指で拭った。
が、セアラはお構いなしに、
「あなたのオアシス?」
男を見つめて言う。
「そうだよ。」
マナは頷いた。
頷いたのを確認し、セアラは周りをキョロキョロと見回して周辺の状況を確認する。
そこは、さびれたオアシスの集落だった。
風化した煉瓦造りの建物がちらほらと目につき、作物らしい作物も取れる様子では無い。
実がなるとは思えない貧弱な砂ナツメの木があちこちに点在している。
と、セアラのターンになる。
「こんな小さなオアシスの長?私はゴアステの族長夫人のセアラよ。私をゴアステへ送り届けなさい、褒賞が貰えるわ。」
一気に言うセアラにくすりと笑ったマナは、
「少し元気になったようだね。」
造形の良い顔が優しく笑んで言う。
セアラは一瞬見惚れて目を丸くしたが、すぐに眉間に皺を寄せた険しい顔になり、
「あなたは民の為に私をゴアステへ届けて、できるだけ高い褒賞を踏んだくる算段でもしてなさい。民に貧乏暮らしをさせるのは長が悪いのよ。」
有無を言わせない強い口調で言いつける。
その様子を心配そうに見ていた中年の女は、
「・・・・マナ、この人どうするんだい?」
訊く。
マナはと言うと、
「困ったな。」
あまり困っている風では無いのんびりした様子で中年の女へ苦笑いを見せるのだが・・・。
その様子に苛々したセアラは、
「なんなのよ?」
なかば、睨み付けるように二人を交互に見た。
が、マナはセアラの視線に気もくれず中年の女へ、
「シア、この娘をしばらく預かってくれないか?」
中年の女は頷き、
「いいわよ、ウチは女所帯で気兼ねはいらないもの。」
二人で勝手に会話をし、
「セアラ、こちらはシアだ。とりあえず彼女の家で暮らすといい。」
セアラへ結果を告げた。
「ちょっと!私をゴアステへ送りなさいよ!」
さすがに切れる。
マナはあまり困った風では無い困ったような顔で、
「君はゴアステから私へ贈られた〝供物〟なのだよ。」
言った。
意味が解らず、セアラは声も出ずに口元だけが『は???』という形に半開きになる。
マナの説明下手加減にケラケラ笑ったシアが、
「そのうち慣れるよ。この人はね、捧げられた供物はありがたく受け取る主義なのさ。」
さらりと言い切ったのだ。
言ってる事はどうやら本気らしい。
今度は、
「はぁっ!?」
セアラの声が出た。
シアはクスクス笑い、
「ああ、この人ね、このオアシスの水の神様のマナだよ。」
言った。
シアの言い放った言葉にセアラは呆れたような溜め息を吐いて、
「バカじゃないの?」
言って、まったく信じていないセアラはマナを睨んだ。