月は東に陽は西に ③
金の髪と浅黒い肌と、オアシスの湖に空を映したような深い青の瞳。
砂漠の西にある国の男は黒髪が多く、その男の容姿はひと目で異国の出の者だと判る。
体躯にも恵まれている。
戦争に負けた国から売られてきた頃はまだ子供で、奴隷として買い手を流れ流れて、いつの間にか剣を握って働くようになっていた。
奴隷上がりでも『兵』として価値があったので、王族へ献上された、らしい。
男が仕えたのは同じ年頃の『王位とは無縁の王子』で、実力のある者であれば出自は問わず要職に採用するような変わり者だった。
変わり者のイレット王子に仕え、意味の無い命令をされた事も、使い捨てにされるような扱いを受けた事も無い。
このままイレット王子は次王に忠実な武将として仕え、自分もその兵として一生を終えるものだと思っていたのだが。
深い青の瞳が天幕の方へ来る二人を見とめた。
自分の主人とこのオアシスの主夫妻が会談を行う天幕へ、接待用の飲み物と果物を届ける為にやって来た使用人の女だった。
女の右手に白い包帯がのぞいている。
その隣を地図らしき大きな巻紙を抱えた子供が歩いている。
二人には初対面では無い。
一度だけ会っている。
あまり良くない対面の仕方をした。
マケルクは一度だけ、小さく息を吐いた。
息を吐いて、自分が息を吐いてしまった事についてハッとする。
それが意味する事に瞬間的に戸惑った。
自分がした事が『悔いてはいけない事』だと判っていて、悔いない為には何も感じないように自分を矯正するのが最善だという事も理解している。
『主命』とはそういうモノだ
理解している。
理解していても、視界にある二人の姿にまた、小さく息を吐いてしまった。
◇◇◇◇
使用人であるルルウは屋敷で忙しく立ち働く時にベールを身に着けたりしない。
屋敷には『旦那様』が居るので、本来であれば、若い女性であるルルウは室内でも慎ましやかにベールを身につける方が望ましい。
彼女の主人が『動きが制限されると仕事の効率が悪いし、視界が狭くなって危ないから(そんなもの)着けなくてよい』という方針の屋敷であるから、屋敷内では着けていない。
ルルウがしっかり仕事をするので、彼女の主人も彼女を尊重して大切にしてくれる。
さすがに、外へ出歩く用事の時は慣習通りに『大多数の者がそうするように』ベールをつけた。
日差し避けの意味もあるので、これはつける方が都合が良い。
今まで、合理性やその場の都合に合わせた『自分に合わせて慣習を解釈する』という考え方が無かったので、ベール1枚の事だがルルウ自身にとってとても新鮮だった。
我慢する事に慣れた生き方をしてきたルルウには、
『昔からこうだから』というモノが通用しない主人
に、使えるようになって、心に羽が生えた様に毎日が楽しい。
その型破りな女主人のセアラに至っては、屋外で走り回って仕事をしている時ですら日除けのベールしか身につけておらず、その美貌は世間へ駄々洩れにしていた。
セアラ曰く、
無駄よ
と、言う事らしい。
そうは言っても、セアラは他の女性が慣例として顔を隠し身を隠すために往来でベールを身につける事を否定したりしない。
セアラは、
私がベールをつけない事を彼女らが咎めたら、
その時に考えるわ
『たかがベール1枚、戦争も始まりなんてそんなもんよ』とも言っていたが。
ルルウはその『たかが1枚』のベールを型通りにすっぽり被って、旅人用の天幕まで主人夫妻が対応している『大切な来客』用の飲み物と果物を載せた銀のトレーを届けに来ていた。
しばらく前に屋敷で起きた騒動の時に負った怪我は完全には癒えていないが、動けないわけでは無いので早々に仕事へ復帰している。
少し、感覚が鈍い事もあるが、気をつけて居れば物を運ぶくらいの事は出来る所まで回復しているので問題ない。
セアラに地図を持ってくるように言いつけられたマルテと一緒に屋敷から出た。
マルテはルルウが『賊に斬られた』事を知っているので、ルルウを気遣ってくれる。
屋敷を出る時もマルテは、
「ルルウ、大丈夫?地図と交換してもいいよ?こっちの方が軽いよ?」
と。
セアラが自分の持てるもの全てを学ばせている秘蔵っ子は、セアラの気遣いまでそっくりで、セアラのミニチュアのようだった。
小さな主人の気遣いに、ルルウはほっとする。
「ありがとうございます、大丈夫ですよ。」
言って微笑んだ。
そして二人で天幕へ向かったのだが。
目的地の天幕前で二人が目にしたのは、隊商を装っては居るが、騎馬兵の物々しさを隠しきれていない男が10人近く、天幕の周囲で『警護』している様子だった。
天幕の中でマナとセアラが対応している『大切な来客』がただ者では無いことは一目瞭然。
呼ばれて来ているので、二人は天幕へ近寄らないわけにはいかないのだが、一旦、天幕目前で足が止まってしまった。
『これ、行ってもいい雰囲気?』と、躊躇っていると、天幕の扉の前に居た男が二人へ歩み寄って来た。
ルルウには歩み寄った警護の男に見覚えがある。
正確には、男の浅黒い肌の色と深い青の瞳に見覚えがあった。
事が起こった時、賊は顔も隠した全身黒づくめだったが、見えていた特徴的な目元は見間違いようがない。
何者かをしっかり認識した途端、ルルウの体が硬直してまったく動けなくなってしまった。
その場に立ち尽くすルルウの目の前まで歩み寄ったマケルクは、ゆっくりとした動きでルルウの手にある飲み物と果物の載ったトレーを覗き、
「役目上、検分する。」
と、品物を検めた。
見渡して、銀の食器に載る物について異常は見当たらない。
王の元へ届いたとしても、こういうイレギュラーな場面で王がそれを口にする事はほぼ無いので、刃物のような『その場で武器になりそうな物』が無い限り通す。
マケルクは確認して頷き、横へずれてルルウの進路を開けて様子を見るが、ルルウは顔色が真っ青で前へ進めそうにない。
警戒した動物が息を殺して身動きしないように、ルルウが何もできないでいると、マケルクは、
「傷は、大丈夫か?」
静かに訊くが、
「・・・寄らないで。」
怯えて今にも座り込んでしまいそうなルルウは消えそうな声でそれだけやっと言えた。
小さな溜め息と共にマケルクは、
「すまなかった。」
ぽつりと言う。
マケルクの顔を下から見上げていたマルテも気が付き、ルルウを背後へ庇うようにマケルクの前へ滑り込んで、屈託ない声音で、
「お水の人だね。」
と、『噴水になった人』だと。
マケルクは苦笑いになり、
「おまえも。役目上の事とは言え、すまなかったな。」
言葉を渡すと、マルテはにっこりと笑って頷き、
「お名前なんていうの?」
「マケルクだ。」
「わたしはマルテっていうんだよ。ルルウに謝りに来たの?」
訊く。
頷いたマケルクが砂へ膝をついてマルテと目線を合わせ、
「〝私は〟、そうなのだろうね。」
王の護衛達は『護衛』として今オアシスを訪れていて、マケルクの目的も当然そうなのだが。
ただ、再びこのオアシスへ足を踏み入れたマケルクには内心、複雑なものがある。
掴みかねる自分の内面に、曖昧な答え方しかできない。
マケルクがそれにもまた困っていると、お構いなしにマルテは、
「自分のために?ルルウのために?」
まっすぐにマケルクを見据えて訊いた。
子供とは言え、あのセアラに学んでいる子供なだけあって踏み込んで来る。
さすがにマケルクも一瞬、間が空くが、
「なかなか手厳しいな。自分の為、だろうな。」
謝罪の言葉の本質を自白させられた。
マルテは『うん』と頷いて、
「素直だね。セアラなら『いい子』って褒めるよ。」
にかっと笑う。
「褒められるとは思わなかったよ。」
マケルクには苦笑しか出ない。
マケルクがまた息を吐いていると、天幕から人が出てくる気配がして、扉をイレット王が押し開け姿を現した。
その姿にマケルクが慌てて立ち上がり控える。
マケルクが少し狼狽する様子に、
「マケルク。」
声を掛けたイレット王は怪訝な顔をした。
マケルクは目線を伏せたままイレット王へ浅く頭を下げる。
一瞬の躊躇が王と目線を合わせる事を避けた。
ルルウとマルテに『謝る』という事がイレット王に異を唱える事だとマケルク自身がよく判っている。
『王命』で動いたマケルクは、それに疑念を抱く事はあってはならないが、『王命』で斬ったルルウと剣を向けたマルテに謝った。
それが、忠誠に影を差す行為なのでマケルクが困っているのだが。
ハッと正気に戻ったルルウはイレット王の後から出てくる人影の元へ助けを求めるように逃げていく。
イレット王の後から出てきたマナが扉を押さえたまま、セアラの手を取って外へエスコートしセアラが中から出てきたが、セアラの姿を見た途端マルテはマナとセアラの元へ駆け寄って、
「マケルクがね、ルルウに謝ったの。」
言ってしまった。
イレット王とマナが一瞬顔を見合わせ、お互いそれぞれ何か思う顔になり、マケルクを見た。
二人に視線を浴びせられたが、マケルクは一切表情を変えずそこに控えていて動かない。
先に口を開いたのはマナで、
「そうか、彼は一番大事な側近だったね。」
『いつも側に置いているね』とイレット王の顔を見る。
イレット王は特に表情が変わる事もなく、マケルクへ視線を向けたまま、
「少し、無理をさせたか?」
何か責めるでもなく、問うと、
「いいえ。」
マケルクも感情の見えない平常通りの受け答えしかしなかった。
ただ、一瞬ヒヤッとした空気がある。
イレット王の『王命に従う事で精神的に無理をしたのではないか?』という問いもイレット王の本心ではあるが、立場上、それを聞いた所でどうしてやる事も出来ない。
『王命』だから。
『王命』だから、それを受けて遂行した事に疑問を持つ事は許されない。
イレット王とマケルクの間にあるのは『王命』問題なのは一目瞭然。
マナは彼らの主従関係の事にどうこう口出しをするつもりは無いが、不思議な光景にみえていた。
内面に反して表情が動かない様子のイレット王を不思議そうに眺めていたマナは、同じく表情の動かないマケルクへ視線を戻し、『ああ、そうだった』と思い当たって、
「イレット、私もだ。」
切り出す。
脈絡なくマナが切り出したので、イレット王もナチュラルに、
「何の話だ?」
とマナへ返事をした後に、続けて苛っと、
「というか、呼び捨てにするな、私を何だと思っているんだ?」
イレット王にじろりと睨まれたが、マナはさらりと、
「友人だよ。」
あまりにもさらっと言い切るのでイレット王は『はぁ?』と口が開いて言葉が出なかった。
マナはそのまま続け、
「だから、君の友人を傷付けてすまなかった。」
イレット王の目を真っ直ぐ見ながら要点を伝える。
言いたいのは『あの時、(反撃のためとはいえ)マケルクを水瓶にして悪かった』という旨の事らしい。
内容も意図も何もかも、イレット王は一瞬意味が理解できず、
「あ???」
と、怪訝な顔で聞き返すが、それには答えず、マナはマケルクへ視線を移し、
「君も。」
マケルクへ言葉を渡す。
マケルクもきょとんとなってしまったが、マルテが、
「マナが謝ってるのは友達だから、だね。」
とまたにかっと笑ったところでイレット王がやっと理解して苦笑いになり、
「〝私〟は王である以上、頭は下げられない。」
『ごめんなさいが簡単に言えれば苦労は無い』とマナへ言うのだが、マナはふふっと笑い、
「いいと思うよ、それで。」
頷いてしまった。
呆れる。
マナの価値観に呆れたイレット王はふと、
「〝神様〟はどうなんだ?人間ごときに頭を下げてていいのか?」
訊いてみたくなった。
マナは静かに笑んだまま首を振り、
「この子に教えられたんだ。」
ニコニコとマナを見上げてくるマルテの頬を撫でる。
「は?」と怪訝な顔になるイレット王へ、
「〝尻に敷かれる〟のが私の幸せなのだそうだよ。」
と、ふふっと笑った。
◇◇◇◇
お付き合いいただきましてありがとうございました。
この物語はここでおしまいです。
またご縁がございましたら宜しくお願いいたします。




