旦那様、現る?
やってしまった…
超絶自己嫌悪。
ブラキカムの城壁の外側に、城壁を背にして丸太で組まれた吹き曝しの外牢がある。
基本的に、法を犯した人間を『みせしめ』に放り込んでおく場所なので、罪人が干からびて死ぬまで牢へ入れておく事は無い。
無いのだが、セアラは不敬罪に問われ、イレット王から『三日間放り込んで水も食料も与えるな』という厳罰が下されていた。
ついでに。
謁見の間から女侍従に〝どうぞこちらへ〟と外牢へ連れ出される時、『おつか(』がつかつかと歩み寄って来て、貧相な顔が楽しそうに浮かれて『生きて出られると思うなよ』という捨て台詞まで吐かれてしまっている。
牢番にお金を握らせて『出すの忘れてましたー』なんて
やりそうな感じの人よねー
炎天下の牢の中で、城壁へ背を預けて座り込んでいるセアラの口から、『あーあ』という溜息が出る。
お供でついてきたオアシスの男手と傭兵は宮殿の傍にある牢へ入れられている筈だ。
気の毒な事をした。
返す返すも悔しい。
口を尖らせて、人妻に言ってよい冗談ではないのじゃない?とぷりぷり怒ったり。
そして、冷静にかわせなかった自分に猛省したり。
牢生活の三日間は今始まったばかりなので、ひとまず反省の時間を取ることにしたのだが。
とはいえ、城壁の南側と言えば、1日中陽の光を浴びる場所なのだ。
牢の造り上、組み上げられている丸太の陰以外の日陰も無く、砂の上に座り続けていなければならない。
分厚いベールは取り上げられることは無かったので、それを被っていれば飾り立てたままの屋外向きではない装備でもなんとかなる。
すっぽりと被ったベールの中で、こっそりと両手を並べて水を掬う手つきをとる。
するとそこへ水が湧きあがった。
オアシスの水の神様に貰った力だった。
『君に水を獲る力をあげよう』
水を獲た途端、マナの顔が思い浮かび、恋しくなる。
さっさと帰らないと
そう、自分を奮い立たせ、ベールの中で獲りたての冷たい水を口に含んだ。
こくりと飲み下した時、聞き覚えのある声が呼ぶ。
「セアラ。」
慌ててベールを取り去ると、既に牢の中、セアラの目の前に屈んでセアラをのぞき込むマナが居た。
びっくりしてしまい、久しぶりに見る夫の顔に喜ぶよりも先に、
「!? なんで居るのよ!?」
叫んでいた。
マナは優しく笑い、右手を伸べてセアラの髪にある簪を抜いてセアラに差し出す。
セアラが右手で受け取った簪は、出発前に『似合うと思うよ』と言ってマナが渡してきた『緑色の玉のついた金の簪』だった筈なのだが、今、セアラが手にしているのは『緑色の玉が無くなっている金の簪』だった。
さすがに察した。
簪の先端を見つめて眉間に皺を寄せ、簪の先端をみていた視線をそのままマナへ向けて、〝これにくっついてずっと一緒についてきていたの?〟と、左手の指先で簪の先の玉が着いていた部分をとんとんと示してじろりと睨む。
セアラに詰められると、いつもなら『困ったような困った顔』になるマナなのだが、薄く微笑む表情を変えず、牢の中の不遇のセアラに、
「どうしてるかな、って。」
そう言って、水を飲み掛けて居て濡れたセアラの口元を指先で拭い、セアラの頬を撫でた。
その手が、ヒヤリと冷たい。
冷たくて気持ちが良いので、セアラはそのままマナの手の中へ頬を埋める。
やっと、ほっと落ち着いたセアラはふふっと笑って、
「馬鹿なの?」
マナの掌の中へぽつりと呟く。
マナもふっと笑い、冷たい手で暑さで熱っぽいセアラの額も撫でた後、
「隣、いい?」
と、セアラの左側へ左膝を立てた胡坐をかいて座り、ひょいと隣のセアラを横抱きに抱えて自分の右太腿の上に座らせ、すっぽりと右腕の中に抱き込む。
城壁の南門は人の出入りは少ないとは言え、人目が全く無いわけでは無い。
というか、罪人の見せしめというのは往来に晒しものにする事なのだ。
見せしめのための牢の中でいちゃつくのは如何なものか?
恥ずかしくて顔を真っ赤にしたセアラがマナの腕の中から脱出しようとジタバタともがきながら、
「ばっ バカなの!?」
と、言葉でも抵抗するが、マナの腕はびくともせず、さらに、真顔のマナは至近距離から、
「夫にバカバカ言うのはどうなの? 意外と傷つくよ?」
と有無を言わせない空気感で押され、セアラは体の抵抗も言葉の抵抗も阻止されてしまった。
しゅんとなったセアラも、
「ごめん。」
ぽつりと言っておとなしくなる。
しゅんとマナを見つめるセアラに、ひとつ溜め息を吐いたマナはいつものように穏やかな顔に戻った。
そして、ジタバタともがいて乱れたセアラの髪を左手で整えながら、
「で、どうするの?」
この状況について、セアラの方針を訊く。
セアラ自身、牢の中に居る今はやれる事が限られているので、
「3日ここに居ればいいだけだから簡単よ。水は自分で獲れるのだから干上がったりしないし。」
と、刑期の終了まで耐える選択と答え、溜め息を吐いて夫の冷たい肩へ寄り掛かった。
ひんやりと気持ちがいい。
全身がヒヤリと冷たいマナの膝でその腕に包まれていると、炎天下の暑さがまったく気にならない。
気持ち良くて眠ってしまいそうになる。
セアラが落ち着いたようなので、セアラが選択した『牢に立てこもっての意地の抗議』について、マナは、
「その前に、王がハレムに移すと思うよ。」
と、セアラへ頭から冷や水を掛けるような事を言う。
目を見開いてマナへ顔を上げたセアラの顔を覗き込み、マナは続ける。
「ここに君と背格好の近い女性を入れておけば問題ないわけだし、その女性は死んじゃうからオアシスには君が亡くなった知らせだけが届くことになるんだけど。」
珍しく一気に話しているマナの顔に、一瞬、苛っとしたものが滲んで消える。
初めて見るマナの様子に、セアラはきょとんとマナの様子を見守って居ると、マナはひとつ溜め息を吐いて、
「どうする?」
また、セアラに訊いた。
セアラはただただ不思議で、首を傾げた。
こののんびりした夫がどうしてこういう変な態度を取っているのか?
セアラの中で色々と想定して考えてみるが、どれがしっくりくるのかというと、
「妬いてる?」
ぽつりと聞いてみる。
そう言われて、今度は『あれ?』とマナの間が開いて何か考えた様子で、真剣に考えて居るのかしばらく無言になった後、腑に落ちたような顔に。
そして、セアラへ優しく笑んで見せて、
「・・・悪い?」
開き直った。
マナが真剣に考えて居る一連の様子がおかしくて、セアラもくすくすと笑い、
「好き。」
伝える。
マナもふっと笑い出して、
「私もだよ。」
と、答えて、そのまま和やかに過ぎるのかと思いきや、ふっと笑うマナの表情は変わらないが、
「で、私が結構な勢いで怒ってるのも?」
と、先程の自身の精神面の内部調査の結果を報告した。
普段からおっとりのんびりしていて、感情の起伏があまり感じられない温和な人物は、怒り方も激したりしないので、恐い。
『怒っている』と、宣言したマナの体がさらに冷たくなる。
マナの体が冷たいのは、セアラに涼をとらせる為では無かったらしい。
怒っているから体が氷のように冷たいのだ。
自分の妻に『ハレムへ入れる』だの『三日牢屋に入ってろ』など、(おそらく簪に宿っていたと思われるので)目の前で言われ放題だったのだ。
『愛妻家』の夫が自分の事より怒るのは当然なのではなかろうか。
それを知ってしまった途端、セアラの顔から余裕が消える。
笑えない。
なにせ、セアラの目の前に居るのは、『神様』なのだ。
国王は所詮『人』で、攻撃能力などたかが知れている。
激した神様のやり様がどんなものかなんて、人が想像できるものではない。
セアラは心配気に、
「何もしちゃだめよ。」
何もさせたくない。
水の神様の逆鱗に晒されるであろう大多数の人間の事よりも、目の前の夫に穏やかに過ごしてもらいたい。
何事もなく、二人で過ごす砂ナツメの木陰に帰りたい。
セアラの思いが通じているのか居ないのか、セアラが見つめる先のマナの顔にはもう笑みは無く。
無表情に、さらりと、
「王都の水脈を止める。」
決意表明をされてしまった。
あなたそういう神様じゃないでしょっ
セアラはじろりとマナを睨み、
「それ、だめ。」
止める。
が、代案はもっとダメだった。
「じゃ、王を殺す。」
「それ、もっとダメだから!」
いつもの剣幕で怒るセアラに、マナの顔がきょとんとなってセアラの顔をじっと見た。
セアラが怒る。
いつもの事。
マナにとっては日常的で、平和の象徴みたいなものなのかもしれなかった。
以前マルテに『尻に敷かれるって幸せって事?』と聞かれた事があったかと思い出して、マナは可笑しくなり、クスクス笑う。
そして、
「平和的に交渉しようかな。」
言って、セアラの額へ自分の額を寄せ、セアラを安心させるように笑った。
セアラもほっとしたように、
「そうして。」
と、両手でマナの頬を包む。




