セアラ
◇◇◇◇◇
いつの頃の事なのか、
そこがどこの砂漠なのか、
それは誰にもわかりませんでした・・・。
◇◇◇◇◇
砂漠のオアシスにある豪商のお屋敷で、召使の小娘二人がボヤいておりました。
毎日繰り返されるいつものボヤきだった。
緑のある中庭に面した長い廊下を歩きながら、
「もーっこれで何回目?どういう神経なのよ。」
小娘の一人が空になった大きな水桶を二つ両脇に抱え、イライラと口を尖らせる。
同じく、空になった水桶をひとつ胸に抱いている小娘も、
「いいご身分だわ、ここがどこだか判ってるのかしらね。」
呆れ顔から盛大に漏らした溜め息混じりにやれやれと溢した。
が、二人の真後ろで、
「教えられずとも、〝ここ〟が砂漠の ど 真ん中なのは知っているわ。」
涼やかな声が答える。
「!!」
「!!」
小娘二人は心臓が止まるかというほど驚いて振り返る。
と、元来た廊下の真ん中で仁王立ちになっている〝どういう神経〟か判らない〝いいご身分〟の若い女が立って居た。
砂漠の民の常として、身分の高い女性はベールで体を包み隠し、肌はおろか顔も人に見せないよう慎ましやかに振る舞う事が常識なのだが、女は臆する事無く美しい顔を晒し、高圧的な態度で使用人の小娘達に言葉を吐いた。
小娘二人は縮み上がり、紙の様に真っ白な血の気の無い顔色になって、
「申し訳ございません、お嬢様!」
声をそろえて必死に頭を下げる。
はん、と鼻で息を吐いた若い女は、
「まだ、髪を洗い終わっていないのよ。お水、さっさと持ってらっしゃい。」
長く美しい金の髪を撫でながら言う。
小娘達は頭を下げて、慌てて井戸へ向かって走り出した。
小娘達の背中を見送り、若い女は面白くなさそうな顔をして中庭の緑へ目をやった。
白い肌にある深い青の瞳に、砂漠の豪邸にある〝小川まであつらえられた中庭〟が映る。
美しい顔が、面白くなさそうに歪み、
「在る物を使って何が悪いのよ、他にする事も無いんだし。」
セアラはぼそっと溢す。
セアラは砂漠のオアシスの街に居を構える豪商の娘だった。
商家に生まれた彼女は類稀な商才を持っていたが、彼女の不運は美しい女に生まれた事だった。
◇◇◇◇◇
小娘達が豪華なセアラの私室へ運び込んだ水桶の水で、セアラは髪を洗っていた。
中庭に面したセアラの自室の軒先で、水桶からたっぷりと水を汲みあげて髪を濡らす。
髪を濡らした水は、惜しげも無く地面へ流してしまっている。
小娘の一人はセアラの髪へ柄杓で水を掛けながら、
まっさらの水をここまで無駄にするなんて・・・
怒りで軽く殺意が湧く。
砂漠の民は水桶の最後の一滴まで生活水に使いまわしてから、最終的に庭木や作物への水として大地へ還す。
砂漠では水は黄金よりも貴重なのだ。
それを・・・と小娘が苛々と眺めている矢先にセアラの声が飛ぶ。
「もっとしっかり掛けてちょうだい、砂が落ちないわ。」
セアラは髪を洗うため『だけ』に、水の催促をする。
しかも、だだ流しで。
柄杓を握る小娘はギリギリと歯を食いしばったが、どっと溜め息を吐いて水桶の中へ柄杓を突っ込んだ。
この人に説教しても無駄だわ・・・
諦めて、柄杓の水をザアとセアラの髪へ流した。
濃い金の髪が、水を含んでキラキラと輝く。
セアラは容姿に恵まれた美しい娘なのだが・・・。
セアラの口が、
「やっと洗い終わったわ。あなた達がノロノロ水汲みするからこんなに遅くなってしまったじゃない。」
苛々した口調で言って、髪が含んでいる水をザッと手で漉いて床へ落とした。
セアラが床へ落とした水を見て、小娘はとうとう溜め息を吐いてしまった。
その溜め息についてセアラは間髪入れず、
「あなたの仕事は私の小間使いよ、私は『そんな仕事』は与えてないわ。」
セアラは濡れた髪を乾いた布で押さえながら、さらりと言葉を吐いた。
小娘はぐっと言葉に詰まるが、セアラはさらに追い込みをかける。
「あなたが屋敷に無償で居るのなら、私はあなたのお説教も少しは聞くわよ?歯軋りするほど私の水浴びが気に入らないのでしょう?でもね、あなたどうしてここに居るの?あなたは私を訪ねて来た友人とかでは無いわよね?私、友の言葉ならガッツリ耳を傾けてもいいわ、でも、私、友達居ないから誰かの忠告を聞く事も無いのよね。そもそも、このお水ってお父様が造ったカレーズから汲んだお水でしょ?あなたのお水ではないわよね?私の話、まだ聞きたい?」
一気に喋ったセアラの言葉だが、最後の〝まだ聞きたい?〟の部分だけが小娘の耳に残って理解できた。
小娘は黙って首を振る。
セアラはじっとその様子を眺め、
「そ、じゃぁ後片付けお願いね。」
立ち上がって振り向いた所で、部屋の入り口に立つ父親に気が付く。
しばらくそこに立ってセアラと小娘の様子を見守っていた様で、この屋敷の主は困った顔をしていた。
その困った顔で、
「あの、セアラ、入ってもいいかい?」
オドオドと声を掛ける。
滅多に娘の顔を見に来ない父親の来訪の理由はすぐにセアラにも思い当たる。
セアラはにっこりと極上の笑みを浮かべ、
「私は、もう、どこへもお嫁には行きませんから。」
笑顔とは裏腹に棘のある言い方で先制攻撃に出るが、
「・・・・今度こそ大丈夫だよ、とても良い縁談だからね。」
刺々しいセアラに、父親は気を遣うように優しく言う。
セアラの顔からすっと表情が消え、
「お父様って懲りませんよね、それを受けたら18回目ですのよ?わたくしの婚礼。」
無表情に言い放った。
焦る父親は、
「いやいや、〝今度こそ〟、おまえに不自由はさせないと 」
「今までの結婚だって、不自由はしておりませんでしたわよ?」
父親の言葉を遮り、セアラはつんと冷たくあしらった。
取り付く島もないセアラの態度に、父親はどっと大きく息を吐く。
「おまえの幸せを思って、破格の持参金を持たせたのだからね・・・・。」
父親の目から見ても『型破りな我儘』の過ぎる娘に持たせる持参金は常識外れの額だった。
が、その持参金も色褪せるほどの生活態度に嫁ぎ先は悲鳴を上げてしまう。
美しい花嫁は返品され続け、とうとう17回も回数を重ねてしまっていた。
当のセアラはクスリと笑い、
「言ってしまってよろしくてよ?『持参金の倍額の手切れ金付きで返品されるとは思わなかった』って。」
「ちゃんと積立しているから、嫁ぐ度に持参金が増えているんだけれど・・・ねえ。」
肩を落とした父親は、また、溜め息を吐いた。
嫁ぐ度に増える持参金は、そろそろ豪商が屋敷を構えるオアシスの街を丸ごと買い取れそうな勢いとなっていたのだが・・・。
ここまで来るともう、持参金目当ての婚礼以外ナニモノでもない。
毎度の事だが、セアラは嫁ぐまで花婿となる男に会った事も無い。
相手の男が人となりも知らないセアラ自身に興味があるとはとても思えなかった。
セアラは溜め息を吐き、両手で顔を覆った
そのまま、肩を震わせてその場へ座り込む。
顔を覆った両手の中でくぐもった嗚咽のような声を漏らしながら、セアラはとうとう床に突っ伏して、金の髪がはらりと床へ広がった。
父親は慌ててセアラの側へ寄り、その震える背中へそっと手を添え、
「な、なにも、泣かなくてもいいのだよ、セアラ。」
動揺した父親は、〝不運の花嫁〟と嘆いていると思われる娘に対して優しく声を掛けるのだが・・・。
父親の思いとは裏腹に、セアラの肩が大きく揺れ、顔を覆っていた両手が外れるとセアラは爆笑しながら顔を上げた。
お父様も諦めが悪いわね、どうせまたすぐに返されるのに
ヒィヒィと苦しそうに笑い続ける。
「お、お父様。」
笑い過ぎて切れ切れの息の中で、呼吸を整えようと必死のセアラは、
「18回目、よろしくてよ。わたくしに相応しい包容力を見せていただくわ。」
やっとの思いでそう言って、笑い続けた。