健やかなりし未来のために
今回はパパ視点のみ、娘の登場なし、ということになりました。
自室の座卓で、幼稚園時代の凛が描いた結婚式の絵を見ながら思い出に浸っていると、ノックの音が聞こえた。
妻の沙織だろう。
ここは一応俺の部屋ということになっているが、実質は沙織との共用だ。
寝る時は華弥、愛、優結もやって来るので、俺にとってプライベートな空間という感覚は薄い。
それでも沙織は、部屋に入る時にノックを欠かさない。
そんな律儀さは、俺も見習わないといけないと思う。
娘たちも年頃になってくるし、注意するに越したことはないだろう。
「入るわよ」
「どうぞ」
予想通り、沙織が入ってきた。
出会った頃と変わらない艶を保った長い黒髪に、眼鏡の似合う柔和な顔。
いつ見ても安心する、最愛の妻の姿が目に入る。
「ちょっと休憩。疲れたわ~。あの子たち、本当に元気」
そんな沙織も今はお疲れのようだ。
俺の右横に座り込み、肩に頭をもたせかけてきた。
服越しでも、少し汗ばんでいるのが分かる。
「どうしたんだ?」
沙織の肩を抱き寄せながら尋ねる。
「洗濯機を回してる間、優結たちのお遊戯会の練習を見てたの。
そしたらみんな、はしゃいじゃって……。振付のお手本見せてって、私も一緒に踊らされるし、大変だったわ」
お遊戯会の準備は順調なようだ。
「お疲れ様」
言いつつ、沙織の肩を少し揉んでみる。
「でも、みんななかなかのものよ。
ちょっと振りを間違えたりはするけれど、あの元気で十分カバーできるわ。
何より、ウチの子たちは世界で一番可愛いもの」
「それは当たり前じゃないか」
根拠はないが、間違いない。
もっとも、世の親の多くは、そう思っているのかもしれない。
「衣装もよく似合っているわ。あとで見てあげて」
娘たちの晴れ姿はもちろん見たい。
「そうだな、是非。沙織の頑張りの成果だな」
優結たち3人が通う幼稚園では、基本的にお遊戯会の衣装は園から貸し出される。
そして、衣装を家に持ち帰ってアレンジすることも、多少ならば許可されていた。
沙織はここ数日、3人の衣装を少しずつ手直ししていた。
「少しでも役に立てばいいけれど。でも、あの子たちは何着ても似合うし。
……あら、これ、凛のよね。懐かしいわね」
延々と親バカ話を続けそうになっていたところで、沙織が机の上の絵に気付いた。
「うん、ちょっと思い出して、見てたんだ。
前はここに飾ってたんだけど、凛がだんだん嫌がりだしたから外したんだよな。
まあ、大きくなるとこういうのが恥ずかしくなるのは分かる」
「凛が幼稚園の頃だったから、もう4年も前になるのね。
……凛ったら、みんなにウェディングドレスを着せるなんて、面白いわ。
こんなにお嫁さんがいたら、あなた大変」
描かれている、花嫁姿の7人の娘たちを指して沙織が言う。
……そう言われると照れてしまう。顔がニヤけるのを抑えられない。
「どうしてママだけウェディングドレスじゃないのって訊いたら、『ママはもう結婚してるからダメ』って言われちゃった。
なるほどって納得したわ」
確かにそういうこともあった。沙織も色々と思い出しているようだ。
「この頃は優結はまだ生まれていなかったけれど……、この犬って、何だか優結みたいじゃない?
凛には予感があったのかしら」
「優結が生まれてから改めてこの絵を見た時、何だか感動したなあ。
……その時はもう、額からは外してたけどさ」
思い出話をしていると、沙織に相談したくなってきてしまった。
「でも、凛はだんだん俺にキツくてなってきてさ。
年頃だし、それは別にいいんだけど。
何か気になってることとか、イライラしてることがあるなら言ってほしいよ。
娘たちに心当たりがないか訊いてみても、はぐらかされたり、ニヤニヤされたりするだけだし。
愛なんかは、『凛おねえちゃんもパパのこと好きだよ?』なんて、自信満々に言ってくるんだ」
つい愚痴っぽくなってしまった。
沙織にはいつも話し過ぎてしまう。
「ふーん」
沙織までニヤニヤしだす。
何かを察しているような様子だ。
「何だよ。何か知ってるなら言ってくれよ。
それとも、あれか、何か女同士でしか分からないような話なのか?」
「そういうわけでもないと思うけれど?」
沙織が悪戯っぽく微笑む。
一見大人しそうな沙織の、こういう表情はたまらない。
でも、今はそれどころじゃない。
「謎掛けみたいなことはやめてくれよ。
これは凛の成長に影響するかもしれないことなんだぞ」
「大丈夫、心配しなくても、我が家の娘たちはしっかりと成長しているわ。
……健全に育っているかっていうと、ちょっと分からないけれど」
「どういうことだよそれ。不安だな」
「ふふっ、教えてあげなーい。ライバルを応援することになるかもしれないし」
「……全く話が見えない。
まあいいよ。沙織がそう言うなら、きっと間違いはないんだろう」
俺は沙織を何よりも信頼している。
何か本当に危ないことになるようなら、助けてくれるだろう。
ひとまず安心することに決めた俺は、頬をくすぐる髪の感触を感じつつ、沙織の横顔を見つめた。
惚れた女の顔というものは、初めて見た時からどれだけ時間が経っていても、心を燃え上がらせるものだ。
しかし、こんな時間から本気で燃え上がるわけにもいかないので、何とか気持ちを抑える。
「でも、凛のことを気にかけるのは、いいことだと思うわよ。
あの子のこと、しっかり見ててあげてね」
「それは、もちろん見てるよ」
見られている、はずだ。
「そうね。
ああ、あなた、今度出張に行くでしょ。
その時にお土産でも買ってあげたら?
もちろん、ちゃんと凛のことを考えたものをね」
「なるほど、そうだな」
確かにそれは名案かもしれない。
もともとお土産は買う予定だったが、みんなで食べられるお菓子くらいのつもりで、深く考えていなかった。
でも、せっかくの機会だし、家族一人一人のために何かを選ぶのもいいだろう。
「凛だけにってわけにはいかないから、全員分必要だな。どんなのがいいと思う?」
「それは自分で考えて。そのほうが絶対みんな喜ぶわ。私の分は、気にしなくていいから」
そう言われても、娘が欲しいものなんてなかなか分からない。
クリスマスなんかにプレゼントをあげるときは、事前にそれとなくリクエストを訊くし、サプライズ要素が必要ない場合は、大抵各自に欲しいものを選ばせている。
しかし、ここは頑張ってみるしかなさそうだ。
「分かった、考えてみるよ。
……どうしても決められなかった時は、電話するから助けて」
「だーめ」
しゅん。
「さて、と。洗濯の続きをしてくるわ。たまっていたから、第二便もいっぱいあるの」
沙織は俺の頬に口づけ、立ち上がろうとした。
それを俺は引き止める。
「あ、いいよ。そっちは俺がやっておく。
残ってるのは大体俺と沙織の分だろ?
沙織はもう少し休んでて」