Natural Born Lovers(ナチュラル・ボーン・ラバーズ)
翔子姉さんの部屋を後にした私が次に向かったのは巴の部屋。
インタビューは、巴で最後にするつもりだ。
美貴とは昨日話をしているし、園児組はこういう話をするには幼すぎる。
巴もまだ7歳で、充分幼いはずなのだけれど、年齢以上の貫禄がある。何か役に立つ話が聞けるかもしれない。
それに巴は昨日の夜、家族みんなの前で、「大学で勉強してパパと結婚できる方法を探す。それが出来なければ、政治家になって法律を変える」という大胆な宣言をしている。
ぼーっとした雰囲気の割に行動の早い巴のことだから、もう何か調べ始めているかもしれない。
そんな巴の部屋に入るのもまた、ある意味勇気がいる。
いきなり開けると、本やその他のよく分からない物の山が倒れてきて、飲み込まれることがあるからだ。
ノックをし「開けていい?」と訊くと、「どうぞ……」と囁くような、でも不思議と耳に残る声が返ってきた。
運よく部屋へは無事に入ることができたけれど、中は相変わらず足の踏み場もなかった。
その混沌ぶりは翔子姉さんの部屋の比ではない。
声は聞こえど姿は見えず。
大量の本やよく分からない機材、不気味な人形や謎のオブジェが所狭しと置かれていて、巴の姿すら見えない。
しかし、翔子姉さんの部屋の無秩序な散らかり方と違って、巴の部屋の物の配置には何かのルールがあるようだ。
注意して動けば、何も踏まず倒さずに部屋の奥までたどり着けることもある。
あくまで“こともある”だけで、大抵はいくつかの山を崩すことになるのだけれど。
物があり過ぎるために、電気をつけているのに薄暗く感じる部屋を、恐る恐る奥へと進む。
この部屋は巴が小学校に上がると同時にあてがわれたから、使い始めてまだ1年も経っていないのに、よくここまで物を増やせるものだと思う。
巴の部屋の大きさは他の姉妹のものと同じだが、ベッドはなく、寝るときは布団を敷いている。
机も座卓しかなく、その座卓もデスクトップPCを置いているほかは本やお菓子で埋まっている。
そのPCはパパが依然使っていたものだ。廃品回収に出すところだったものを、巴が直して使うからと言って譲り受けた。
みんなせいぜい分解して遊ぶくらいだろうと思っていたけれど、多少の部品を買い足すだけで本当に修理してしまった。その後も、あちこちから集めてきたガラクタを継ぎ足し、モンスターめいた禍々しいマシンに作り変えてしまった。
我が妹ながら、狂気じみた才能だと思う。
そんな狂気じみた妹は、座卓の前に陣取りPCに向かっていた。
狭いスペースに小さな体をちょこんと収め、眼鏡越しの真剣な視線を、画面に向けている。
画面にはいくつものウィンドウが開かれているのが見えるけれど、何をしているのかはさっぱり分からない。
座卓の周囲には何冊もの本が広げられている。
巴の部屋が散らかっているのはいつものことだけれど、散らかっている物のジャンルはよく入れ替わっている。
なので、部屋の様子、特に巴の周りを見ると、今何に夢中なのかが分かる。
今日は法律や歴史関係の本が多いようだが、美貴が好きそうな恋愛関係の本も何故か混ざっている。
巴がそれらの本を少し動かし、私が座れる程度のスペースを作ってくれた。
「今は何を調べてるの?」
「もちろん、パパと結婚する方法よ」
尋ねると、即答された。
「本気でそんなこと調べてるの?」
「もちろんよ。美貴姉たちとも約束したし。凛姉だって本当は知りたいでしょ?」
「私は別に……。それに、そんな方法あるわけないわ」
「確かに、血のつながった親子で結婚することは、現代日本じゃ認められていないわ。でも世界の歴史に目を向ければ、親子婚の事例もあるのよ。……やっぱり、珍しいことではあるみたいだけれど。
ただ、2人の強い愛さえあれば、きっと方法はあるはずよ。そのためには、パパをその気にさせないといけないわ。だからまずはオンナを磨いて、パパを私のトリコにしようと思っているの」
それで恋愛の本を読んでいたのかな。調べ物をしているとどんどん脱線していくのも、いつもの巴のパターンだ。それでも最後には、目的を果たすことも多いのであなどれない。
とはいえ、『年上のカレを落とす方法』『あなたをモテさすフレーズ集』といったタイトルの本や、ファッション・メイク雑誌に恋愛モノの少女漫画、果てには婚活雑誌などが、どう役立つかは想像できないけれど。
「……でも、なかなか使えそうな情報がないの。年上との恋愛のアドバイスはあるけれど、相手がパパの場合なんて載っていないし。ここはやっぱり、前から考えていた惚れ薬の製作に本腰を入れるしかないかもしれないわ」
こうして話を聞いていると、美貴に負けないくらい、巴も、ませていると感じる。頭が良くて色んなことを知っているので、妹だってことを忘れそうになるときもある。けれど、時々舌足らずな喋り方になることがあり、それを聞くと、とたんに幼さを感じて、可愛く思えてくる。
そんな巴も、巴なりに色んなことを考えているみたいだ。話の内容はいつも通り無茶だけど。
「……そういえば。凛姉の用事を訊いていなかったわね」
「いいのよ、続けて。昨日の宣言からどうなったかを訊きたかっただけだから」
「ああ、今日はその話をしに来たの? てっきりまた、パパの写真を貰いに来たのかと思ったわ」
「ち、違うわよ」
「そう。……せっかく、この前の動物園の写真が、整理し終わってるのに」
「ホント!?」
しまった。つい声が弾んでしまった。
そう。実は巴には、家族……それも、主にあいつの写真を横流ししてもらっている。
機械いじりが好きであり得意でもある巴は、デジカメで撮った家族写真の管理も担当していて、整理が終わると家族共用のパソコンへデータを送っている。その中でも家族の集合写真などは、あいつやママがプリントアウトして、家族共用のアルバムにファイリングしている。
さらに私たち姉妹が1人ずつリクエストし、それぞれが欲しい写真をプリントアウトして貰うこともできる。私も幼稚園までは、自分や、あいつの写真なんかを貰っていたけれど、今ではそんなものを欲しいなんて絶対に言えない。
でもある時、何かを察したらしい巴が交渉を持ち掛けてきた。
それは、巴は誰にも内緒で私に欲しい写真をくれるかわりに、私は巴が欲しがる参考文献や部品を集める手伝いをする、というものだ。
何のための参考文献で、何に使う部品なのかは全く分からないけれど、口止め料としての意味もあると考えると、高くはない。
せいぜい図書館での本探しを手伝ったり、空き缶や使い終わった電池をあげるくらいだ。たまにお小遣いからカンパを求められることもあるが、私は買いたいものもあまりないので、大して困らない。
「写真……、本当にいらないの……?」
私が気まずく感じていると、巴がじとっとした目で見つめながら確認してきた。
「い、いるけど……。今は他の話をしに来たの。
昨日の話は本気なの? 大学で勉強して、パパと結婚する方法を探すって」
「本気も本気よ。凛姉だって本気でしょ」
「な、何が」
「パパとずっと一緒にいる方法を考えてるってこと」
「そんなこと考えてないわよ。むしろ早くこの家を出て、自立したいって思ってるわ」
「嘘。毎日パパの写真にキスして寝てるくせに」
「してないわよ!」
思わず声を荒げてしまい、私はまた、しまったと思った。巴のペースに、はまっている。
巴は無表情に見えるが、雰囲気で分かる。これは絶対に面白がっている。
巴は表情があまり変わらず、声も落ち着いているので、冗談なのか本気なのか分かりにくい。
今のような不意打ちをもらうことも多く、翔子姉さんや美貴よりも油断できない相手かもしれない。
「あいつの写真を貰っているのは、家を出た後に顔まで忘れると流石に駄目だと思うからで、別に、アルバムを作ったりなんかは、全然してないんだから」
「……冗談はさておき」
私の必死の弁明をあっさりと流して、巴は言った。さっきまで触り続けていたマウスも手放し、私に向き合う。
気付けば、PCのウィンドウも全て閉じられている。露わになったデスクトップの背景は、家族の集合写真だった。机の上の狭いスペースにも家族の写真が入った写真立てがいくつか置かれていて、私は微笑ましい気持ちになり、少し落ち着いた。
「何を迷うことがあるの? 私とパパは、きっと前世から結ばれる運命だったのよ。運命の恋人と一緒になるために、出来るだけの努力をするのは当然よ」
「運命……? どうしてそんなことが言えるの」
「だって、生まれて初めて出逢った男の人を、ここまで好きになるのよ。これって絶対運命だわ」
「…………」
「私とパパは、ずっと昔から愛し合っていたのに、何かがあって引き裂かれたの。それを可哀想だと思った神様が、親子に生まれ変わらせてくれたんだわ。だって、親子だったら、最初からずっと一緒にいられるでしょ。親子の絆だけは、どんなことでも絶対に切れないし。私、パパと娘って、恋人になるのに最高の関係だと思うわ」
言い切ると、巴にしては珍しく、はっきりと微笑んだ。
正直、驚いた。巴が色々な脳内ストーリーを持っていることは何となく感じていたけれど、まともに聞いたのは初めてだった。まさか、こんな設定だったなんて。
「それは巴の想像でしょ。証拠なんてないもの」
「確かに証拠はないわ。でも、離れ離れになった恋人の生まれ変わりと再会するってお話は実際にあって、例えば小泉八雲がまとめた――――」
「ごめん、証拠のことは今はいいから……」
PCで何かを調べようとする巴を引き止める。巴は薀蓄を語り出すと止まらなくなることがあるのだ。
「そう? まあいいわ。今のパパと私が愛し合ってること自体が、証拠みたいなものだし」
「私が言いたいのは、巴があいつを好きだと思っているのは、運命とか恋愛とは関係ないんじゃ、ってことよ。生まれたときからあいつと一緒で、あいつに育てられてるから、そう思うだけで。刷り込みっていうか、洗脳っていうか。生まれて初めて会った人を好きになるのって、運命でも何でもなく、普通のことなんじゃないの?」
「だったら凛姉は、パパより好きな男の人がいるの?」
「えっ」
「生まれてすぐはパパしか知らなくても、もう他の男の人のことだって少しは知ってるわ。クラスの半分くらいは男子だし、男の先生だっているし。でも、一番好きなのはずっとパパよ。
凛姉はどうなの? 私よりも“けいけんほーふ”だと思うけれど、パパより好きな人はできた?」
舌足らずな声に問われる。
「そ、それは……これからできるわよ。まだまだ、先は長いんだし……。というか、別にあいつのことも好きじゃないし……」
うまく言い返せない。私はいつの間にか巴じゃなく、自分に言い聞かせようとしているような気がしてきた。
「ただ、あいつは親だし、生活を握られてるから、今は一緒にいないといけないだけだし……」
だんだん声が小さくなってしまう。
「そう、確かに育ててもらっていることも大事ね。私たちはそもそも、パパを頼りにしないと生きていけないのだし。でも、考えてみて」
巴が私に向かって身を乗り出してきた。
「それの何が問題なの? 私はパパのためなら何だってしたいと思ってるし、パパだって私たちのためなら、きっとなんだってしてくれるわ。これ以上の愛なんてないわ。運命や恋をどう思うかは人それぞれだけれど、“好き”って気持ちから目をそらしちゃいけないわ。新しい出会いを避けることもないけれど、今一番好きな人を全力で追いかけることは、絶対に間違っていないわ」
巴の勢いに押されて、つい頷いてしまいそうになった。何だか洗脳されてしまいそうだ。
ただ、思っていた以上に、巴はしっかりした考えを持っていて、迷いがないことは分かった。
「巴はすごいなあ。その歳でそこまで考えられるなんて」
私はすっかり感心していた。生まれ変わりとか言い出したときは、ちょっとどうしようかと思ったけれど。
「これもパパのおかげね。情報を集めて、考えられるような環境を与えてくれたもの」
この部屋やPCが、その環境ということかな。あいつは絶対、そんなに深く考えてなかったと思うけれど。
「……パパと結婚なんてバカバカしいっていう、凛姉の言うことも少しは分かるわよ。確かに難しそうだし、結婚にこだわらなくてもいいのかもしれない。結婚しなくたって、パパと私は運命で結ばれているから。
でも、結婚式は女の子の夢よ? 本当に大好きな人との結婚式。これを諦めるなんて、それこそ難しいわ。
……それに、パパの好きと私の好きは、きっと少し違うもの。いくら運命で結ばれていたって、心が完全に通じ合うとは限らないわ。だから、いつかきっと、私がパパを好きなのと同じように、パパにも私のことを好きにさせてみせるわ。そのための努力でもあるのよ」
巴のいじらしさに胸が痛くなる。
「じゃあ、ママはライバル?」
私は尋ねた。
「……そうね。ママも大好きだし、感謝もしているわ。パパとママはずっと仲良く一緒にいてほしい。でも、それとこれとは話が別。もし、私がパパと結ばれるのを邪魔をするのなら、ライバルになるかもしれないわね。当然、それは凛姉も同じよ」
巴が不敵に微笑んだ。眼鏡もきらりと光る。
思ったより表情も豊かなのかもしれない。
「分かったわ。……色々話してくれてありがとう。知らなかった巴の一面を、たくさん知れた気がするわ」
「……私も、凛姉のことがまた少し分かったわ。
心配しないで。パパとの前世からの恋人は、私だけじゃない。きっと凛姉や、他のみんなも一緒だから」
「う、うん。じゃあ、そろそろ行くね」
私は周りに積まれている本の塔を、崩さないように立ち上がる。
そして一歩を踏み出す前に、一つ頼み事をした。
「後で写真ちょうだい」
一部加筆修正しました。(2015.3.1)