CRADLE TO GRAVE(クレイドル トゥ グレイヴ)
今回は凛視点です。
ベッドから離れて机についた私は、筆箱に隠していたカギを使って、引き出しを開けた。
取り出したのは一冊のアルバム。
中に収められているのは、あいつの写真ばかりだ。
机の周りにあいつの写真を一枚も飾っていない分、全てをこのアルバムの中に集めている。
本当に大事なものは、カギをかけて誰の手も届かないところにしまっておかないといけないのだ、と私は考えている。
このアルバムは思い出と共にいつもしまっているけれど、ちょっと泣きそうなときや、何だか寂しくなったときは、こうして取り出して中の写真を眺める。
いつもあいつと距離を取ろうとしたり、気持ちを忘れようとしている一方で、こうして未練がましく写真を大事にしている矛盾に、自分のことながら呆れてしまう。
だけど気持ちを落ち着けるにはこれが一番効くのだ。
アルバムを見ていると、余計に涙が出てきたり、寂しくなってしまうことも多いけれど、最後には気持ちがすっきりしている。
こんな姿、絶対に人には見せられないな、と思いつつ、アルバムをめくっていく。
赤ん坊の凛を挟んで嬉しそうに笑っているママとあいつ。居間のソファーで居眠りしている、あいつの寝顔。小学校にあがったばかりの私が、あいつの腕にまるで恋人にするようにしがみついていて、あいつは照れくそうにしている……。
写真を順に追っていくうちに、私は昔のことを思い出していた。
小学校一年生の夏。就学して初めての長期休暇を目前にして、クラスの誰もかれもが少し浮かれ気味だった。
そんなある日、教室で数人のクラスメイトが集まって騒いでいた。
近くに寄ってみると、好きな子は誰かというような話をしているようだ。
みんな恥ずかしがったり、からかい合ったりしていて、中には少し泣きそうになっている子までいた。
でも私には、なぜ騒ぐ必要があるのか分からなかった。
この胸の真ん中にある、“好き”という気持ちに、恥ずかしい所なんて何もないのに。
だからみんなの会話に割って入り、堂々と、「私はパパが大好き! いつかパパと結婚するの!」と言った。
当然、クラスのみんなは大笑い。特に男子からは、散々にからかわれた。
パパと結婚なんてできるわけがないって。そんなことも知らないってバカじゃねえの。
家族の前でもほとんど泣いたこともなかった私にとって、学校で初めての大泣きだった。
その“事件”以降、パパと結婚できないというのは本当なのか、先生や姉たちに尋ねたり、図書室で調べたりして、間もなく現実を知ることになった。
途端に、今まで何の疑いもなく、パパと結婚できる、結婚するんだと思っていた自分が恥ずかしくなった。
同時に、結婚できないことを教えてくれなかったパパ――――あいつへの反発も感じるようになった。美貴が使いそうな表現になってしまうけれど、当時の私としては純情を弄ばれた気分だった。
教えてくれなかったのはママや姉たちも同じなのに、なぜだか怒りはあいつにばかり向いた。
大人になったら、本当に好きな人と結婚して、幸せになりなさい。ずっとそう教えられてきたのに。
その本当に好きな人とは結婚できないなんて、なんて酷い話なんだろう。
一番腹が立ったのは、どうして結婚できないの、と尋ねた時のあいつの答えだ。
「いつか凛にも、パパにとってのママや、ママにとってのパパみたいに、世界で一人だけの、本当に好きな人が見つかるよ。それまで焦らず、パパの凛でいていいんだよ」
そもそも答えになっていない。
あの時のあいつのしたり顔を思い出すたびに、張り倒してやりたくなる。
いつか見つかるって、いつ? それは今じゃないの?
好きな人って、大人になってから出会うものとは限らない。
生まれてすぐ好きになった人が、一生一番好きなままってことも、きっとあるはずなのに。
もう一度引き出しを開けると、白いノートを取り出した。表紙にタイトルも書いていないそのノートは、秘密の日記帳だ。
その中には、パパのことが好きな理由、パパと結婚したいと思った理由が、思いつくまま雑多に書かれいてる。
アルバムと併せて、絶対に他人には見せられない、墓場まで持っていくと誓っているものだ。
自分の気持ちを整理するために、一年生の夏休みから書き続けている。ノート一冊分埋まるまで書き続ければ、何かが分かるかもしれないと思っていたけれど、気が付けばもう八冊目に突入している。
パパと結婚しない場合、どうすれば幸せになれるだろうかと、幾通りものライフプランを設計して書いたりもしているが、なかなかうまくいっていない。
大きくなれば、“好き”ってどういうことなのか、分かるのかなとも思っていた。
でもあれから3年経って、10歳になっても何も分からない。
むしろ、いっぱい悩んだ結果、余計に自分の気持ちが分からなくなってしまった。
写真立てから写真を抜いてみても、アルバムに写真を集めてみても、日記をつけてみても、話すのを避けてみても、結局何も分からないまま。
だけどそれでも。一つだけ、分かったことがある。
私がパパを好きだと思う気持ち、パパと結婚したいと思う気持ちは、きっと間違ったものなのだ。
理由はよく分からないけど、持っていてはいけない気持ちなのだ。
私は、そう結論した。
日記にまた何か書き足そうとして、やめた。今まで同じことしか書けそうにない。
アルバムと日記帳を引き出しにしまっていると、写真立ての中で笑う美貴と目が合った。これは確か、半年ほど前に家族でピクニックへ出かけたときの写真だ。
美貴はパパの腕に抱きついている。その姿は一年生の頃の自分と重なって見えた。もっとも、この写真の中のパパは写真立てから見切れているけれど。美貴の笑顔には少しの曇りもなく、好きな人と一緒にいられることの幸せを満面で表しているように見える。一方、その隣にいる私は、口をまっすぐに引き結んで、何だか険しい顔をしている。確か、何とか笑おうとはしたものの、上手く笑えなかったんだ。
いつも素直に自分の感情を出せる美貴を、改めて羨ましく思う。それに比べて私は――――
と、いつものループの陥りかけたところで、ふと思った。私と美貴の違いは何だろう。
美貴のパパへの好意は、真っ直ぐで迷いがない。結婚は出来ないという現実を知っても、陰ることもない。
そんな美貴に呆れはするけれど、その想いが絶対に悪いもの、許されないものだとは、私には思えない。
他のみんなはどうなんだろう。
姉さんたちも、妹たちも、充分ファザコンと呼べると思うけれど、やっぱりそれが悪いという気はしない。
どうして自分の気持ちは悪いもので、みんなの気持ちは悪くないと感じるんだろうか。
パパに対する気持ちを、直接尋ねてみれば分かるかもしれない。
私は、姉妹にインタビューをするため、部屋を出た。
一部表現を変更しました。内容は変わりありません。(2015.2.11)
一部加筆修正しました。(2015.3.1)