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イン・ヒズ・アームズ

凛視点、一部パパ視点です。

「ああ、ここにあったんだ、俺のシャツ」

 あいつはいつもの憎たらしい(とぼ)け顔で、ベッドに近付いて来る。

 ドアは少し開いたままだった。

「な、なんで勝手に入って来るの! プライバシーの侵害だわ!」

 あいつが近付いた分だけ、私はベッドの上で後ろに下がっていく。


「ちゃんとノックは何回もしたぞ。いないのかと思ったんだけど」

「もっとちゃんと確認してよ!」

 私は完全にパニックになっていた。

 最悪な場面を見られてしまった。

 どうしよう。どうしよう。


「ごめん。でも確認っていっても……」

 あいつは申し訳なさそうな顔になる。

 さらに、ノック以外にどう確認すればよかったんだろう? と、悩んでいる様子。

 ああもう、こんなことでいちいち謝らないで。悩まないで。

 こんなの、ただの八つ当たりに決まっているのに。


「でも、俺のシャツを凛が持ってたなんてな。

 さっきのケンカの続きのいたずらかな?

 それとも、寂しくて不安になったのかな」

 独り言のようにつぶやく。

 別に怪しむ様子もなく、いつも通りのへらへらした笑顔を浮かべて。


「どっちも違うわよ。ただ間違えて持ってきちゃっただけ」

 どんな間違いだ。

「せっかくだから、どんな大きさか見てたの」

 何のためにだ。

 我ながら、ひど過ぎる言い訳。

「わかったわかった。別に何でもいいよ。

 ……ここ、座っていいか?」

 私の苦しい言い訳も気にせず、ベッドの、私の隣を指さす。


「……どうぞ」

 心臓はまだどきどきしているけれど、あいつの能天気な態度のおかげで、気持ちは少し落ち着いてきた。

 というか、ここまで近くにいるなら、あいつではなく、こいつと呼ぶべきなんだろうか。

 ずっとあいつを避けてきた私には、そんなことも分からなかった。

 他の呼び方には、慣れていないのだ。

 ともかく、こうなったら、潔く謝って、帰ってもらうしかない。

 何を、どう謝ればいいのか分からないけれど。


「その前に、ドア閉めて」

 こんな姿を他の家族にまで見られたくはなかったので、ドアは閉めてもらった。

 ただ、ドアを開けたままにしていたのも、娘の部屋に入る時の、あいつなりの気遣いなんだろう。


 ドアを閉めたあいつは、ベッドに腰かけ、私を見た。

 一瞬、驚いた顔になる。

 シャツの下が下着だと気付いて、改めて変に思ったのかもしれない。

「……あんまり見ないでよ」

 私はシャツの前をより固く閉じ合わせた。

「ああ、ごめん。服、着るの待とうか?」

 あいつは目を逸らしながら言う。

 今更何を照れているんだ。いつも翔子姉さんや美貴たちと一緒に、お風呂に入っているくせに。

 でも、ちょっとだけ優越感も感じた。

「別にいいわよ」

 今は意地でも、このシャツを手放したくなかった。


 気まずさを感じながら、しばらくは2人とも無言のままだった。

 でも、やがてあいつの方から切り出した。 

「凛が何かに悩んでいるのか、困っているのか、分からないけどさ。

 何かあるなら、どんなことでも話してほしい。

 凛もたまには甘えてくれよ。姉さんや妹たちに遠慮することはないんだ。

 パパはいつでも待ってるから。

 どんな時でも凛を待ってるし、凛が大好きだから」

 私のほうを見ないままに言う。

「あ、もし、ママのほうがいいっていうなら、それでもいいけど……」

 そして自信なげに、余計な一言を付け足した。

「うん」

 私も下を向いたまま、答える。


 ようやくこちらを向いたあいつが、怖々と、私の肩へ手を伸ばしてくる。

 私は少しだけ体を近寄らせた。

 するとあいつは、私の肩に手を置いて、そっと抱きしめてきた。


 抱きしめられると、安心した。

 今までずっと、こうされたかった。

 でも、こうされてしまうと、全てが台無しになってしまうと思っていた。

 それまで怯えながら抑えていたものが暴れ出してしまって、何もかもが終わってしまうと思っていた。

 でも今は、全然怖くない。

 実際に抱きしめられてしまえば、安らぎしか感じなかった。


 私からも体をくっ付け、抱きしめ返した。

 腕をあいつの背中に回し、胸と胸を合わせる。

 あいつは私の髪を撫でながら言う。

「やっぱり、凛の髪はすごく綺麗だな。ずっと触っていたいくらいだ」

 私を褒める時は、いつも同じ言葉ばかりだ。

「ふん」

 私は顔を横へ背けた。

 髪を褒めてさえおけば、私が喜ぶとでも思っているのだろうか。

 私の髪が綺麗? 当たり前だ。

 誰のためにいつも手入れしていると思っているのだ。




---




 洗濯をしようと脱衣所へ向かうと、俺のカッターシャツが足りないことに気付いた。

 そしてシャツを探して、最初に向かったのがここ、凛の部屋だった。

 別に凛が俺のシャツを持っていると、考えたわけじゃなかった。

 ただ丁度、凛の様子が気になっていた時だったので、無意識に足が向いてしまっただけだった。


 でも意外なことに、凛は俺のシャツを持って部屋にいた。

 というか、着ていた。

 少し驚いたけれど、凛はまだ10歳だ。

 しっかりしているように見えても、色々不安に思うこともあるのだろう。

 思い返してみれば、幼稚園の頃の凛は、俺の帰りが遅い時は、よく俺の服を引っ張り出して遊んでいたらしい。

 もしかしたら、その頃と似た気持ちになっていたのかもしれない。

 もっとも、本当のところは分からない。

 尋ねても簡単には教えてくれないだろうし、問い詰める気もない。


 出来ることなら、どんな悩みでも打ち明けてほしいし、その全てに対して力になりたい。

 でも、感じたことをほとんどそのまま表現してくれた、幼い頃とはもう違う。

 親にも言えないこと、言いたくないことだってあるだろう。

 子どもは、親が想像できないほどのスピードで大人になっていく。

 だから俺に出来るのは、ただ、何があっても守ると、何があっても味方でいると、全身を使って伝えることだけだ。

 いつか救いを求める手を伸ばしてきた時、その手を全力で掴み返せるように。

 そのためにも今は、できるだけしっかりと、腕の中いる凛を感じていたかった。


 凛をこうして抱きしめるのは、かなり久々だった。

 多分、小学校に上がってすぐくらいが、最後だったと思う。

 抱きしめて初めて、ここ数年間、ずっと凛を抱きしめたくて仕方がなかったことに気が付いた。

 凛との抱擁は、すごく懐かしくて、愛おしい感覚がする。

 一方で、最後に抱きしめたのがつい最近だったような、錯覚も感じた。

 同時に、どうして今まで抱きしめなかったのかと、不思議に思った。

 だんだん素っ気なくなってきた凛に、拒絶されるのが怖かった?

 そんなもの、拒絶されてから考えればよかったのに。

 凛は、嫌なことは嫌だとはっきり口にできる。

 それに、沙織も、他の娘たちもいるんだから、俺が間違ったことをしていれば、正してくれたはずなのに。


 思えば、凛が俺を本気で拒んで、抵抗したことなんてあっただろうか。

 いつも言葉はきついけど、何だかんだで家族の行事にも黙って参加してくれていた。


 そんな凛が、胸を密着させてきた。

 薄くも柔らかな胸から、鼓動が伝わる。

 俺が入ってきた時はひどく慌てていたが、今はかなり落ち着いているようだ。

 凛は姉妹の中でも華奢なほうだ。

 細くて、色白で、見た目からして繊細だ。

 綺麗に伸ばした黒髪や、気の強さを感じさせる目も相まって、張り詰めた弦のよう。

 その姿は美しいけれど、危うさも感じる。

 俺と沙織が名付けた“凛”という名が、その体を表してしまっているようでもあった。


 娘たちと向き合うと、いつも思う。

 こんなにも美しく、愛おしい存在が、俺の血を分けて生まれたなんて、なかなかに信じがたい。

 同時に、これは俺の娘以外の何ものでもないという感覚もある。

 俺にとっては彼女たち以上に大切な存在なんて、どこにもいないと実感する。


 左手を凛の背中に回し、右手で凛の髪に触れる。

 その体は細いけれど、柔らかくて温かい。

 指の間をこぼれる髪の感触もひどく心地よい。

 今はきっと、人生で一番幸せな瞬間の一つだ。 

 だから、いつまでもこうしていたいと思った。



 

---




 あいつの腕の中で、ただ幸せだけを感じていた。怖いことなんて何もなかった。

 ずっと求めていた人の腕のなか。きっとせかいでいちばん幸せなばしょ。

 ここでなら、いつかは向き合えるようになるのかな。

 自分の気持ちの正体を、目を逸らさずに、見つめられるようになるのかな。

 たとえ忘れたり、抑えつけたりしなくても。

 この気持ちを抱いたまま、普通の親子のように、接することが出来るようになるのかな。

 

 軽く、頭を撫でられた。

 普段はこんなこと、絶対にさせない。

 でも、こちらも、背中に回した腕に力を込めた。

 より強く、胸を押し付ける。

 この鼓動が伝わるように。この震えが伝わるように。

 この気持ちが溶けだして、あいつの体にしみ込むように。

 あいつの鼓動も伝わってくる。

 このまま、2つの鼓動が1つになればいいと思った。

 

「凛、パパは凛のためなら何でもするよ。だから、心配しないで」

 耳元で繰り返される。

「別に、何も心配なんかしてないけど。

 ……ありがとう、パパ」


 大好き。

 最後の言葉は口には出さない。

 その言葉の中にある何かに、万が一にも気付かれてはいけないから。


「うん。俺も大好きだよ、凛。

 世界でいちばん、大好きだ」

 それでもあいつは、何かを感じ取ったのか、だらしない笑顔でそんな言葉をかけてきた。

 私にパパと呼ばれたことが、そんなに嬉しかったんだろうか。


 ……分かってる。あいつの言う好きは、私の好きとは“種類”が違う。

 きっと私だけじゃなく、姉妹みんなにも、そしてママにも、同じ言葉をかけるのだろう。

 それでいい。他の家族を差し置いて、私だけを選ぶようなら、私が許さない。


 でも。もしかしたら。

 私をいつでも待っていると言ってくれる、この人なら。

 世界で一番好きだと言ってくれる、この人なら。

 例え、好きの“種類”が違っても。

 この気持ちすら、受け入れてくれるのかな。


 そんな考えが()ぎったけれど、すぐに否定する。

 それは駄目だ。

 いくら何でも、そこまで迷惑はかけられない。

 そこは、親不孝娘の、せめてもの守るべき一線だと思った。




 顔を上げると、あいつの唇が目に入った。

 別に綺麗でも何でもない、少し乾いた唇。

 思わず、その唇に吸い寄せられそうになって、必死に体を押しとどめた。


 全身に冷や汗がにじむ。

 今の感覚は、何だったんだろう……?

 耐えられたのが奇跡だと思えるほどの、不意に感じた激しい衝動。

 キスなんて、小さい頃はよくしていた。

 ここ数年は、しようと思ったことさえ、なかった。

 数年間で、随分変わってしまっていた。

 それなのに、今の瞬間は、何を考えていた……?


 私はまた、怖くなった。

 体が震えて、すぐにここから逃げないといけないと思った。

 それなのに、またあいつは、私の頭に手を伸ばした。

 ゆっくりと、優しく、撫でられる。

 そして、私の頭を抱え込んで、自分の胸にうずめた。

 それだけで、私の震えはすぐに収まり、また、どこまでも安らかな時間が戻ってきた。




---




 1人の父親と1人の娘は、ひたすら抱きしめ合っていた。

 互いの鼓動を、愛情を、伝え合うように。

 きっと本当には伝えきれないものを、それでも伝え合おうとするように。

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