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九話 魔の問いかけ

 栃原から聞いた、千歳の過去。

 アイツもまた、俺と同じように過去を背負っていた。けれど、それが俺の行動に直結することは有り得ない。

 確かにその過去は壮絶なモノ。自身の人格すら否定しまうほどの重みは、他人である俺には量る事の出来ないモノだし背負うのは千歳自身だ。

 

 同情はしても、そこに自分の手を差し出す事はない。

 千歳が人に依存し、自分の存在を肯定したがっているのだとしても、それはあいつ自信が選んだ道であり、俺がとやかく言うモノではない。

 俺も確かに過去を持ち、それによって苦労はしている。だが、それを後悔はしない。……いや、してはいけない。

 道は、自分の手で選んだ。ならばそこに意味を持たせるのは周りではない。自分なのだ。

 だからこそ、俺は思う。千歳の行動はつまり、

 

 ――自業自得だ、と。

 

 しかし、こうして千歳を探している今の状況には、この感情は関係無い事も確か。

 今日登校してきた際には眼鏡を掛けてきていたが(予備だろうか?)、フレームの種類が違っていたところを見ると、この種類は俺の持つこれっきりのようだ。

 仮にあいつが大事にしている物だったとしたら、俺自身なに食わぬ顔で持ち続けているのは、どうにも胸が痛む。

 

 そんな安っぽい誠実さだけで、俺は今、千歳を探していた。

 時刻は既に放課後の時間帯。まばらに下校者も出ている頃だが、今日一日で千歳を見たのは朝のあの時だけだ。

 どこへ行っているのか知らないが、授業には一度も顔を出さず、しかし下校申請は出されていない(担任に確認を取った)ところからして、未だ校内にいるのは確かだった。

 

 そして俺は、千歳がいるだろう場所に取り合えずあたりをつけ教室を出てきた。

 千歳が行くところ。それは即ち人目を避けられる所だろう。

 無類の本好きという面から見ても、考えてみればここしかない。

 

 そう、図書室だ。

 俺は図書室に向かっている。教室を出て渡り廊下を渡ればすぐに着いてしまう距離。


「アイツは……!?」

 

 そんな時である。俺は一瞬にして、またもや昨夜の光景を脳裏に甦らせた。

 それはあの時、あの場所にいた男子生徒が、たった今俺の目線の先から歩いて来たからだ。

 見間違える筈はない。あの無造作に伸ばされた茶色い髪。そして、浅黒く焼けた肌。まさしくあの時の彼だ。

 だが、様子がおかしい。

 頼りなさげに虚ろな眼差しで歩く男子生徒。昨夜とはうって変わったその様子は、どうにも腑に落ちない。

 そんな事を思いながら、彼に視線を傾けていると、


「……卓磨」

 

 俺が探していた件の人物。瀬戸千歳の声が後ろから聞こえてきた。

 俺はゆっくりと振り返り、千歳を見る。

 もたげた首に合わせ、前髪が流れる。その透き通った黒い髪は、思わずすいてしまいたくなる。

 眼鏡の下にあるくっきりとした瞳はまっすぐ俺を見詰めている。

 半日ぶりに見る千歳の姿は、妙に艶かしく映った。


「千歳……」

 

 俺は何か言おうと、取り合えず名前を呟いた。

 さっさと眼鏡を渡して立ち去れば良いだけなのに、俺の体は無意識のコントロール化にあるかのように、言うことを聞きやしない。

 千歳の前に立つと起こる症状は、またしても健在だった。

 千歳はもたげた首をお越し、一度瞬きしてから呟いた。


「卓磨……私に何か様?」

 

 それは奇しくも、朝の一幕のリプレイ。千歳は意図したのかどうかは分からないが、不敵に笑みを浮かべて言った。

 そして、俺が言葉を返そうとしたその時だった。


「うあ……あ、あ、ああああああああああ!!」

 

 絶叫。

 恐怖に震える男の叫びが、廊下に反響した。

 それを発したのは、よろよろと歩いていた男子生徒だ。

 俺は跳ねるように視線を変え、男子生徒を見た。

 虚ろだった眼差しはくっきりと見開かれ、何かに怯えるように唇を震わせている。

 指先は正面に掲げられ、その人差し指が対象を指し示す。

 向けられているのは千歳。彼は千歳を指差しこう言った。


「お前……お前が!! お前のせいで!!」

 

 訳の分からない怒号が飛ぶ。千歳は全く意に介した様子もなく、まるでそこには何も存在しないかのように、視線は俺から離れない。


「卓磨……行こ……?」

 

 そう言って、俺の袖口に手を伸ばそうとする千歳。俺はそれを振り払い、今の状況について問う。


「おい、こいつはどうすんだよ。お前に用があるみたいだぞ?」

 

 何故? といった顔を浮かべ、千歳は首を傾げる。俺の問いに対する反応ではなく、俺の行動についての反応だ。

 再度、俺は問う。


「いいか。お前に用があるのは俺じゃない。こいつだ。昨日、お前が化け物どもをけしかけてたこいつだよ」

 

 動揺していたのか、脳裏に浮かんだ昨夜の事が、咄嗟に俺の口を滑る。

 これで、千歳は俺があの場にいたことに確信を持つだろう。有り得ないだろうが、千歳が勘違いだったと思う線は無くなってしまった。

 けれど今はそんな事はどうでもいい。まずはこの男子生徒だ。

 彼の怯えかたは尋常ではない。今さっき大声で吠え散らかしたかと思えば、今度は蓋でもしたように固く口を閉ざし、両腕を背に回してガクガク震えている。

 情緒不安定な男子生徒。しかしそれを見ている俺の隣で、千歳が意外な言葉を発した。


知久(ともひさ)……。もう嫌いだって言ったでしょ」

 

 俺は我が耳を疑った。

 その声音は千歳が普段話す時のトーンではなく、それよりももっと低い、突き放す様な声音だったのだ。

 そして何より、千歳が俺以外の名前を呼んでいるのを初めて見た。

  知久……それが彼の名前なのだろう。幾ら声音は鋭利なナイフの様であっても、言葉は千歳と彼の親密さを表すもの。

 その事に、妙な気持ちを抱いてしまう俺は、どうかしている。

 そんな事を思いつつも、状況は変わろうとしていた。

 男子生徒はようやく震えを止め、俯いていた視線を千歳に向けた。


「許……して、くれ……。俺にもう一度、チャンスを……」

 

 今にも掠れそうな声で千歳に懇願する男子生徒。彼のその必死さは目の端に溜まりつつある涙が証明している。

 彼の要求の実権は、千歳にある。千歳は彼にどういう結論を出すのだろうか。

 伺う様にその眼鏡の下に隠れた漆黒の瞳を見る。

 その瞳に含まれた色は、呆れと無関心を含んだ拒絶の色。俺が朝方千歳に向けたモノとまったく同種の視線が、男子生徒を貫いている。


「返してくれ……俺の夢を……俺の希望を……俺の幸せを……」

 

 男子生徒はその眼差しに気付かず、言葉を続けていく。その愚直さは、ある意味彼の切迫感を示している。

 何がそこまで彼を変えたのか。

 昨日の自信に道溢れた彼の姿が、今は遠い幻にさえ思えてしまう。

 その時だった。

 

 ――あれ?

 

 俺の中で、ひとつの考えが顔を出した。

 彼が変わった原因。そんなの決まっているじゃないか。

 俺は確かにこの眼で見、もう千歳と関わるまいと決めた要因があるではないか。

 

 ――昨夜の不可思議な光景。超常の世界。

 

 次々と生まれ出る化け物。それらが当たり前のように存在する学校のグラウンドという閉鎖空間での戦闘。

 千歳と男子生徒が知る、俺の理解が及ばぬ世界。

 そこでの出来事が、彼を変えたのだ。


「知久うるさい」

 

 と、千歳の声が思考の波に呑まれかけていた俺の意識を現実へ引き戻した。

 けれど、


「うるさいうるさいうるさい。知久は私を見放した。もう要らないって言った。だからいらない。私はもう知久なんかいらないの」

 

 ダムが決壊するかのように、千歳の言葉が流れ出る。


「知久は忘れちゃった? 言ったでしょ。ルールは絶対だよって。私との約束守れないなら、やっちゃうよって。ねぇ、言ったよね?」

 

 俺は恐怖を感じた。

 これ程までの狂気。千歳の抱えた闇がそこにあるような感覚が俺を包み込む。

 男子生徒はもう、無理だった。立っていられず膝を着く。踞り、言葉の暴力を丸まった背は受け止める。

 千歳は暫く喋り続けた。普段あまり喋らないのはこの時の為であるかのように、溜まったモノを吐き出した。

 俺はそれを耳に入れるのをやめた。聞くことすら胸糞悪い様な事が平気で出てくる。

 彼と千歳の肉体関係。彼が千歳に要求した酷い羞恥。弄ばれた玩具の様な扱い。それらは余りにも現実離れしていた。

 

 けれど、それは俺の主観的な感覚に過ぎない。

 俺が知る現実とは、即ち俺という存在が認識するひとつの世界の枠組みでしかない。

 その範疇の外に存在するモノは、俺の中で非現実として仕分けされているだけなのだ。

 だからこそ思う。千歳の世界の現実は、如何様なモノなのかと。それが理解できる者は、果たしているのだろうかと。

 

 千歳はようやく言葉を吐き出し終えた。もうすっかり小さく丸まってしまった男子生徒にも、千歳の言葉を聞いた後では素直に同情出来ない。

 千歳はその男子生徒に対し興味が失せたのか、その視線は二度と彼を見る事はなかった。

 そして、視線は俺へ。


「卓磨……。行こ?」

 

 再び、促す千歳。何事も無かったように振る舞うこいつの神経はどうかしている。

 俺は首を振ってそれを断る。今の男子生徒の様子を見た後では、あまり強く出れない。


「千歳……これ……」

 

 俺は胸ポケットから、件の眼鏡を差し出した。

 用事はこれだけだ。千歳に関わるまいと決めた俺の最後の責任。


「お前が昨日家に忘れていったやつ。返すよ……」

 

 これが本当に最後だ。千歳との関わりはここで切れる。

 俺の現実が変わらない為にも、それは必要なのだ。

 しかし千歳はいっこうに受け取ろうとしない。何故だ?


「おい……」


「卓磨……」

 

 千歳が呼ぶ。俺を見上げ、一回瞼が落ちる。


「返さなくていい。それは卓磨にあげる」


「いや……」

 

 だって、と千歳がすぐさま継ぐ。


「それ、わざと忘れたの」


「なっ!?」

 

 目を見開き驚く俺。千歳は更に続ける。


「卓磨……私のところ、来てくれないかもしれないでしょ? だから、わざと忘れたの。……そしたらほら、卓磨、来てくれた」

 

 口許に手をあてる。溢れた笑みを隠すように。

 けれど隠れない。その大きく、凄惨な、狂気を孕む笑みはまさしく瀬戸千歳の本当に嬉しそうな顔だったのだから。

 

 おぞけが走る。この女はまるで魔性だ。

 俺が自分を遠ざける事すら考え、それを計算に入れている。

 そして俺は、まんまとその道を踏んだというのか。

 栃原の言っていた事はこういう事だったのかと今更ながらに実感した。

 

 だが、もう遅い。

 千歳は俺に悪魔の囁きを唱えた。


「ねぇ卓磨……『裏生徒会』って知ってる……?」

 

 それはまさしく悪魔が俺に問い掛けた、これからの未来すらねじ曲げる、魔の契約への誘いだった――。

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