六話 異形の現実
葉鷺町唯一と言ってもいいコンビニでのバイトを終えた俺は、帰路を歩いていた。
殺風景な町並みが広がる葉鷺町。しかしコンビニだけは学生にありがたがれ、なんとか経営を維持している。
俺自身、未成年というのもあってなかなか出来るバイトが少ない中、非合法に深夜近くまでバイトを許してくれる俺の頼るべき最後の砦だ。潰れない事をいつも願って仕事に取り組んでいる。
コンビニは天莉高校に程近い場所に位置している。
中心駅を出て二十分程歩いた先が天莉高校。その道なりにコンビニはある。
都合俺の家からコンビニは歩いて五分程度、学校に至っては十分程度のところにあるので、コンビニに行こうとすれば自然と学校の前を通る事になる。
俺はその道すがら、天莉高校の校門前を通りかかった。
校門は、当然固く閉ざされている。電子ロックされたこの扉は、不法に侵入すれば視認できない赤外線センサーが侵入者を感知し、すぐさま警備会社へと連絡が繋がる仕組みになっていて、誰もここへ入ることは出来ない。
無論、今は深夜零時ちょっと前なので、本来ならこんな所に寄る用事もない。さっさと家に帰り、さっとシャワーを浴びて寝るだけだ。
明日も朝は早い。光凛が楽しみにしていたハイキングが予定されているので、弁当を作らなくてはならないからだ。今は十月の頭なので、きっと紅葉も見られるはず。
年に数回は体調不良で学校を休む光凛。去年のハイキングはそのせいで行けなかったから、今年は非常に楽しみだと言っていた。それに彩りを添える弁当を作るのが俺の役割だ。紅葉にも負けないほど鮮やかな弁当を作って、驚かせてやりたい。
だから――こんな所にいてはならないのに。
「何やってるんだアイツ……」
俺は校門の前で立ち尽くし、それを見ていた。
その様子は判然としないが、間違いなくアイツだった。
「千歳……?」
そう。家に帰ったはずの千歳が、校門の内側、それもグラウンドの方へ向け歩いている。
――何故アイツがここに?
俺は疑問に思った。この校門は先程言った通り固く閉ざされている。しかも無理に侵入しようとすればセンサーに反応し、警備員がすっ飛んでくる。
ならば何故、千歳はあそこにいるのか?
考えるが答えは出ない。だが仮に、侵入する手段があったとしてアイツはあそこで何をしようとしているのだろう。向かうグラウンドにいったい何があるというんだ?
しかし――次の瞬間、俺は信じられない光景を目の当たりにする。
「――!?」
突然、光が差した。
それは学校の四方に配置された白色灯。その光が、まるでスポットライトの様に、バッと、グラウンドの中央を照らし出している。
そこへ、千歳が行く。まるでステージの上に上がる役者のようだ。
しかし、同時に千歳の対面に人影が延びる。それはやがて、輪郭を光のなかで写し出した。
それはこの学校の生徒だ。身に着けた制服が、それを表している。
学ラン。男子生徒である。
茶色に染めた長い髪。鬱陶しいくらいの無造作ヘアは、見るからにチャラチャラした雰囲気を出している。
ポケットに突っ込んだ両手。キツい眼差しと浅黒く焼けた肌。その肌の色は何やらスポーツでもたしなんでいるのかもしれない。
対峙する両者は何やら会話をしている。ここからはよく聞き取れないが、男子生徒が一方的に話しているだけのようにも見える。
口許を歪め、千歳を指差す男子生徒。
千歳は何もせず、じっと何かに堪えるように立ち尽くしている。ここからでは表情は見えないが、きっと千歳は普段通りのポーカーフェイスで男子生徒に向かい合っているに違いない。
だが、千歳だけでなくあの男子生徒までがここにいる。これはどういう事なのだろう――と、俺が思ったその時だった。
大きな音。汽笛にも聞こえるそれが、俺の耳を叩いた。
頭を揺さぶるようなその音は、広く重く響き渡り、俺に妙な感覚を植え付ける。
それは一種の浮遊感。ふわりと体が浮く感覚によって精神と肉体が切り離された様に、体から力が抜けていく。
音はやがて小さくなり、暫くして音が完全に消えたと思った時、俺は目を見開いた。
グラウンドに、大きな箱が存在していた。全長三メートル程の大きさ、正方形のその箱は宙に浮いている。
千歳の後方に位置するそれは、スポットライトの光を飲み込むほどに暗い色をしており、まるで闇そのもののよう。
しかし、それだけではなかった。
男子生徒の両脚が炎を帯びている。燃え盛る炎の赤が火の粉と共に空へ散る。
まさしくそれは、超状現象の類いだった。
有り得ない現実。俺の知らない世界がここに存在している。
まるで悪い夢でも見ているんじゃないか、俺はそう思った。
自分の理解を越えたモノを認めんとするが如く、思考は危険を訴える。
しかし悪い夢は、覚めて欲しい時ほど鮮明に脳裏に残り続ける。俺の目は、刻み込むようにその光景をフィルターに捉え続けている。
思考とは別に、感覚が告げる。
見逃してはならない、と。
俺はじっと視線を今ある光景に向け続ける。
刹那、両者が共に動き出した。
速かったのは男子生徒。燃える両足で土を蹴り、一気に千歳に接近する。
千歳は慌てず、ゆっくりとした動作で右手を前に突き出した。
その動きに呼応するように、閉じていた箱の口がバタンと開く。すると、そこから影が二つ飛び出してきた。
スポットライトに飛び込む影。その影の正体は光によって暴き出される。
――甲冑?
それは銀の甲冑に身を包んだ、中世の騎士の様な風貌をしていた。しかし纏う雰囲気は、何もない空洞の様な嘘っぽさ。いや、あの甲冑の中身はまさしく空っぽだ。
人形のようなそれが二体、男子生徒の前に立ちはだかる。
甲冑が動く。その手にはおもちゃのようなロングソードが握られており、ゆったりとした動作で甲冑は剣を振り下ろした。
しかし遅い。男子生徒はその剣を余裕を持って回避し、甲冑の横っ腹に燃える脚でカウンターの蹴りを繰り出した。
ベコォッとその身を凹ませ、吹っ飛んでいく甲冑。まるで重みのない体は、呆気ないほど軽い。
男子生徒は吹っ飛んでいく甲冑に目もくれず、剣を今にも振り下ろさんとしている残された甲冑へと、再び蹴りを食らわせた。
やはり呆気ない。甲冑はひしゃげ、地に這いつくばる。
するとどうだ。吹き飛び、地に無惨に這いつくばる二つの甲冑が、まるで溶けるように、光の粒子となって霧散した。あたかもそこには始めから実体を持った甲冑など存在していなかったかのように。
男子生徒はニヤリと笑んだ。そして、千歳に向け再度突っ込む。
千歳は腕を横に薙ぐ。大きな箱がまた、ひとつの影を吐き出す。
現れたのは、一匹の鳥。ギラつく様な赤い目は、電線から獲物を見おろすあの鳥を連想させた。
――カラスだ。しかし色が白く、普段目にする、嫌悪感を抱かせる黒い見た目と違い、何処か神々しさを感じさせる。
カラスは鋭利な嘴を男子生徒へ向けたまま飛翔する。
飛び上がり、そして一気に滑空。
そのままの勢いでぶつかれば、いとも容易く肉はぶち破られ穴を開ける事も可能だろう。
向かってくるカラスに男子生徒は蹴りでもって迎え撃つ。
灼熱を纏う右足が閃いた。男子生徒の繰り出した蹴りが、カラスの嘴と真っ向から対峙する。
しかし――。
「あっ!?」
男子生徒が膝を着いた。確かに蹴りはカラスに命中したというのに。
だが、俺は見ていた。蹴りは確実に前方から迫るカラスを捉えていたのを。
しかし一方で、千歳は箱の中からもうひとつの影を呼び出していた。
男子生徒の遥か後方。光の当たらない場所にそれはいる。
何処か、戦国時代を想起させる綿袴。結い上げられたまげはまさしく武士だ。
しかし今、手に持つそれは刀ではない。
一丁の銃。しかも近代において生み出された自動拳銃だ。
俺が見たのは、闇の中で煌めく銃口の光。そして、吐き出された弾丸が男子生徒を貫く瞬間。
体が痛むのか、彼は動きを止め項垂れている。これが仮に現実であったのなら彼は間違いなく死の淵に立っている。
――けれど、これは本当に現実か?
なんらかのアトラクション。映画の撮影。フィクショナルな光景は妙に現実感のある実体を持っている。
俺が見るこの景色は確かにここに存在し、鮮明にリアルを見せつける。
有り得ない。こんなことは絶対に。
空っぽの甲冑。白いカラス。自動拳銃を持つ武士。
どれもこれもが嘘の様。
燃える脚を持つ男子生徒だってそうだ。あんなもの、脚に油でも塗りたくって火を付けでもしなけりゃああはならない。
どうかしている。
この景色も、景色を写し出す脳も、捉える目も、千歳も、男子生徒も、そして俺自身もどうかしている。
千歳が、手を振り上げる。男子生徒を見下ろし、振り上げた手を下ろす。
それだけで、容易く現実は崩れ落ちる。
浮遊する箱が開き、中から有り得ないモノを吐き出す。
――それは蛇だった。大きな顎と、ざらっとした皮。ギョロりとした眼は、獲物を捉えんとする狩人のそれ。
にょろりと伸びた長い舌が不気味に揺れ、尻尾の先がうねうねと蠢いている。
千歳の身長を遥かに越す、二メートル近いその体躯。蛇にあるはずのない、人のような手と脚がそれにはある
蛇が地を自らの脚で這う。項垂れていた男子生徒が接近する影に気づき、声にもならない叫びをあげる。
「うぁあああぁああああああ!?」
男子生徒は腰を抜かしているのか、上手く力が入らず立ち上がる事が出来ない。
必死に後ろへ後退り、懸命に蛇から逃げようとする。
それは最初ここに来た時に見せた、余裕の笑みを浮かべていた彼からは想像できないほどに惨めで、滑稽な姿だった。
じりじりと、精神からしゃぶり尽くすように、蛇が男子生徒へにじり寄る。
しかし、それももう終わりだった。
後退りする男子生徒の動きが止まる。背中が何かにぶつかったのか、これ以上進めない。
それは先程、男子生徒へ弾丸を放った武士だった。
鬼の面を被り、見る者を震え上がらせるその畏怖すべき様は、男子生徒へと絶望を叩きつける。
蛇が口を大きく開く。武士が、銃口を男子生徒の頭に突き付ける。
そして千歳は――これまでに無いほど無邪気で、凄惨な笑みを浮かべ、口だけの動きでこう言った。
――やっちゃえ、と。
「ぎゃああああああああああ――――――!?」
男子生徒の叫びが、空しく夜空に消えた。
●
俺はその場から走って逃げた。
逃げて逃げて逃げて、逃げ続ける。
何故今まであそこにいることが出来たのか、不思議なくらいに、体が自然と脚を突き動かす。
恐怖が体を支配する。強張る体は汗でびっしょり濡れている。
構わない。今はそれどころじゃない。
眼が合ったのだ。 あの一瞬、確かに千歳は俺を見付けていた。
男子生徒から視線を外し、俺を真っ直ぐに見詰めていた。
まるで――次はお前だと、言わんばかりに。
お前はもう――逃げられないと、告げんばかりに。
違う。嘘だ。ろくでもない空想だ。
何が実体を持っているようだ、だ。ふざけるな! 有り得ない。有り得ないんだよこんなことは!!
狂っている。何もかもが、この全てが。
――瀬戸千歳……お前はいったいなんなんだ――!?
●
夜は無情に過ぎていく。時は止まらず、なだらかな坂を下降していく。
常に同じ時など有りはしない。幸せな時は、簡単に形を失っていく。
ここから始まる。うつろう時は、俺に選択を迫る。
今がその、始まりの場所。
分岐点は、すぐそこにある……。