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四話 お仕置き

 俺の隣には、ピタッと寄り添う千歳の姿があった。

 降り頻る雨の中をゆっくり歩いて行く俺と千歳。ひとつの傘を俺達は二人で身を寄せあって使っている。

 もっとも、半ば一方的な千歳の、


「卓磨、傘無いんだ……じゃあ一緒に帰る?」

 

 という提案に俺はただ頷いただけだ。別に他意があった訳じゃない。断じて。

 あのあと、俺達は図書室を去った。

 千歳は俺の予想通り、図書委員として、非常勤の司書さんから新しく購入した本の搬入を頼まれていたようだ。

 

 無論、他にも図書委員はいるのだろうが、ウチの学校の図書室利用者はそれほどでもない。

 書籍のそのほとんどが電子化され、端末上で貸し借り出来る時代。そのなかで、本を実際に借りて読むなどという手間は、現代ではあまり好まれない。

 ましてや天莉高校では携帯端末『PA(personal assistance)』の導入もあり、滅多に本の貸し出しは行われないというのが現状だ。

 

 ――『PA』。天莉高校へ入学した際に携帯を義務付けられる長方形のシルバーカラーの端末機。

 その効果は、おおよそ学習面の利便化に偏っている。

 『PA』は大手ゲームメーカー『デュアルエンジニアリング』が発表した学習補助装置だ。

 

 これは学校内に個別のネットワークを構築することにより、生徒一人一人がローカルネットへ登録され、学校側の管理体制が非常に手軽になるというモノ。

 

 例えるなら出席。朝礼の時間に行われる点呼などによる出席確認は『PA』を操作する事により一括して行われる。下校時には逆に、下校申請を出すことでようやく帰宅が認められる。未だに下校していない生徒は教師には筒抜けという訳だ。

 

 勿論、これだけでは学習面の補助には繋がらない。この端末は、家にいながらローカルネット内の電子書籍を簡単に借り出せるし、場合によっては校内に残る教師に質問等を投げ掛ける事が出来る。

 課題の添付も、ファイル形式で送られてくるから、無駄なプリント類が貯まらないのも生徒的には嬉しい面もあるようだ。

 

 この端末の導入は、俺達が丁度入学した時から始まったらしく、また、新設校でもある天莉高校はこういった最新機器の導入が思いっきり成されている。

 当然一年経った今でも、根っからの貧乏性の機械音痴である俺にとっては、なかなか慣れない悩みの種のひとつだった。

 

 ――と、話が逸れたがここで重要なのは、電子書籍を簡単に借り出せる、ということだ。

 つまりはこういった事情から、図書委員の仕事というのは限り無く、無いに等しいということなのだ。

 

 その為、図書委員というのは割かし人気の委員会だ。

 特にやりたい事も無い者にとっては、めんどくさい委員会には極力入りたくない。だから当然、楽だと分かっているモノには人が集まる。

 

 幸い(?)ウチのクラスでは、それぞれいい感じにバラけたので、そういう楽をする事が目当ての連中はいなかったが、他のクラスと合同で行う委員会活動では、偏った結果を生むことになった。

 図書委員には、そういった楽を求めるサッカー部が多く集まる結果となった(別にサッカー部が悪いわけではない。たまたまサッカー部だったというだけ)。

 

 千歳は明らかにそのなかで浮いており、予想通りというべきか、図書委員の雑事は全て千歳一人に任せられる事になった。

 

 ――任せられた、というのは詭弁だ。これは単なる、押し付けに違いない。

 

 ただ俺はそれを聞いて、「なるほどな」としか思わなかった。

 別に可哀想だと思ったりしなかったし、俺が手伝ってやろうなどと考えもしなかった。

 それは――あまりにも遅すぎた。

 

 俺がこの話を聞いたのは、全ての事件が終わってからのこと。

 そして、その事を千歳は一言たりとも、己の口で語りはしなかった。

 結局千歳は最後まで、俺にその事を話す事はなかったし、俺からも別に訊こうと思ったことは無かった。

 

 仮に、現段階千歳と同じ傘に入っている俺がそれを知ったとしても、どうすることもなかっただろう。

 織田卓磨はそういう人間だった。良くも悪くも、普通にめんどくさい事は嫌いな高校生だった。

 

 ――だからこそ、俺はここまで変わってしまったのかもしれないが。

 表情を表に出さない彼女が言わないのならば、俺は気付かない。この時の俺は、少なくともそういう男だった。


      ●


 手の甲が触れる。その度に、俺の心臓がどくんと脈を打つ。

 それを知ってか知らずか、千歳が俺に体を寄せてくる。

 普通に考えれば、一人用の傘に二人が入っている状態なのだから、濡れないように体を寄せてくるのは当然だ。

 ましてや千歳は無表情。そんな彼女のその行為に、変な事を考えてしまうのは、全くおかしな話じゃないか。

 けれど――あの笑顔がどうしても頭の中から消えていかない。

 ……所謂ギャップというヤツだろうか。普段から感情を表に出さない千歳だからこそ、ここまで意識して仕舞うのか?

 俺は頭を振って、無理矢理に思考を打ち切る。

 これ以上考えるのはよそう。そんな事を考えたって仕方ない。

 瀬戸千歳は変な奴。それ以上でもそれ以下でもないじゃないか。

 俺は傍らの千歳を横目で見る。焦点は真正面に向けられたまま、大してこの状況をなんとも思っていないかのように千歳は歩く。

 

 ――ほら見ろ。気にしすぎなんだよ俺は。

 

 俺は深く息を吸って大きく吐いた。そして雑念をようやく追い出し、強く地を蹴った。

 

 普段通りの街並みが流れる。雨の世界がそこには広がっていた。

 

 俺達の住む街、葉鷺町(はさぎちょう)。隣街と二分する大きな川が流れる街。

 都市近郊にあるこの街は、中心駅の新幹線開通後、若者達が多く減ってしまった。殆どの若い人達は、都心部へと働き口を求めて出ていく。そうしてこの街は活気を失っていった。

 

 一時は、若者達をこの街へ呼び戻すべく打ち出された、新都心計画なるものが存在したこともあったが、今ではその計画の見積もりが甘い事に気付いた市議会議員達は、直ぐ様その計画を白紙に戻してしまった。

 既に建築が進められていた高層ビル群も、そのほとんどが完成を見ずにそのまま放置されている。

 まるで、この街から出ていこうにも踏ん切りのつかない、この街に取り残された俺たちを表しているようにも思えた。

 

 俺と千歳が歩いているのは国道沿いだが、一向に車が通る気配を見せない。

 せいぜいすれ違っても二、三台といったところか。

 軒を連ねる店達も、閑散としている。いくら都心部で有名なフランチャイズ店であろうとも同じだった。

 

 高校生くらいの若者は隣街へ行って遊ぶ事が常。隣街は葉鷺町と同じ様に新都心計画を打ち出し、しかし成功という結果を生んだこちらは、見事に若者達が増え、様々な店が構える活気のある街となっていた。

 まるで陰と陽。表と裏のような街。

 そのなかで出ていく事の出来ない若者達は暮らしている。いつか大人になって、光あるところへ行くために、今を過ごしている。

 

 ――俺は、どうだろう。

 

 他の奴等のように俺もここを出ていくのだろうか。

 過ごした街は色褪せて、日々を遠いモノにしていく。いつしか人は忘れて、掴んだ光を必死に離さぬように抱え込む。

 なら俺は、ずっと影なのだろう。

 

 犯した罪。その枷が俺を縛り付ける限り、この街は俺という存在を逃がしはしない。

 俺の人生は、とっくのとうに諦めている。

 今は妹の光凛の幸せの為に出来る事をやる。例えそれが辛くとも、光凛の笑顔を守る為なら、俺は死んだっていい。

 それがあの日、誓った事だった。


「卓磨……怖い顔してる」

 

 唐突に、千歳がそんな事を言ってくる。

 表情には現れないが、制服の裾をしっかり掴む千歳の様子は、俺を心配しているようだった。

 そこで俺を自分の思考が負に傾いていたと気付く。

 やはり雨の日はいけない。暗い考えばかりが巡ってしまう。意識せずとも。

 自然と思い出してしまう。雨の日は決まって良いことが起こらない。あの事件の日も、そしてあの日もそうだった。


「別にそんな顔してねぇよ」

 

 俺は苦笑を浮かべ、千歳を見る。少なくとも、心配してくれる奴に、変な顔は見せられない。


「けどまぁ……心配してくれてありがとよ」


「……うん。別にいい。私は卓磨が好きだから、当然の事」


「そっか…………。――ん?」

 

 ――今コイツ、さらっととんでもない事言わなかったか?


「お、お前……今、なんて……?」

 

 「?」とクエスチョンマークを頭上に浮かべ、首を傾げる千歳。とぼけているのかそうでないのか、その表情からは判然としない。

 こういう時にこのポーカーフェイスは厄介だ、と思った。


「お前なぁ……」

 

 俺は呆れ半分で溜め息を吐き、いい加減千歳についてあれこれ考えるのはよそうと思った。考えれば考えるほど、無駄だと、何度目かも分からぬ程に思い知った。本気にしたってしょうがない。

 千歳が再び前を向き、俺が視線を同じ様に戻した時だった。


「あぶねぇ!」

 

 俺は咄嗟に身をひねり、先程落下する本から千歳を守った時と同じ様に、千歳に覆い被さった。

 滅多にここを通らない車が、俺達の脇を通り抜ける。しかも大型トラックが、水溜まりを跳ね上げるおまけ付きだ。

 

 千歳は一瞬の事に呆気に取られたように目をぱちくりさせた。

 しかし、俺の奮闘空しく、水溜まりは二人分を見事にずぶ濡れにしてしまう。

 

 ――あぁ本当に厄日だ……。

 

 これでは何のために時間を使ったのか分からない。まるで意味のない徒労じゃないか。

 俺は忌々しげに去っていくトラックを睨み付ける。当然奴は、悪びれもせずに雨に濡れた道を疾走していった。

 

 チッ、と舌打ちし、千歳に「大丈夫か?」と声を掛ける。

 そこで俺は固まってしまった。

 千歳の体が雨に濡れ、服越しに肢体のシルエットを浮かび上がらせていた。

 

 眼が離れない。

 千歳は相変わらず無表情。自分の今の状況を 分かっているのだろうか。

 雨に濡れ、張り付く制服。長い前髪。

 水も滴るいい男という言葉があるが、それは女も同じだろうと思った。


「卓磨……濡れてる……」

 

 千歳が俺の頬をなぞる。

 くすぐったいような刺激が肌に伝わる。しかし不思議と嫌じゃない。

 俺の意思に反して、抱えた腕に力が篭る。

 

 理性がどうにかなってしまったのか、俺の視線は千歳に釘付けだった。

 何がなんだか分からない。いつもの自分じゃないみたいだった。

 瀬戸千歳がおかしいのか、俺がおかしいのか、今の俺はその判断すら出来やしない。

 白い素肌に浮き上がる、朱に染まった頬。そして桜色の唇――。

 継いで、


「…………卓磨、良いよ」

 

 甘えるような、誘いの問い掛け。

 それが俺に引き金を引かせてしまった。

 

 ――もうどうにでもなってしまえ。

 

 俺は千歳を強引に引き寄せ、そして――。


「なにやってんの……お兄ちゃん……!?」

 

 …………………………あ。


「ああああああああ!? 光凛ぃぃぃぃいい!? 何でこんなところにいるんだ!?」

 

 見られてはいけなかった、知られてはならなかった。そう、今こうして黄色いカッパに身を包んだ、完全防水装備の小四の妹――光凛だけには!!


「お兄ちゃんがそんなことするなんて思わなかった!! お外で女の人襲うなんて信じられない!! 変態!! 犯罪者!!」

 

 失敗、失態、兄の好感度大失墜!!

 一気に暴落していく俺の株価デフレーション。


「違う!! これは…………」


「何がどう違うっていうの!?」


「誤解だ……!! 俺は何もしていない!!」


「嘘だよ!! 私見たもん!! お兄ちゃんが無理やりその女の人に――」


「卓磨……こっち見ないとダメ……」

 

 と、不意に。


「~~~~~~!?」

 

 口。唇。熱。柔らかい。

 突き抜ける陶酔感。心。痺れ。雷に打たれたように唐突。

 数秒。濃密。蕩ける。甘い。真っ白。脳内。恍惚。

 

 ぷはっと、千歳が唇を離す。唾液が艶かしく唇の端を伝っていく。

 それを千歳は指ですくい、もう一度唇へと這わせた。


「卓磨……お仕置き」

 

 そう言って、千歳は俺に二度目の笑みを浮かべて見せた。

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