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三話 瀬戸千歳

「図書室まで運ぶから」

 

 瀬戸が先程口にした最後の言葉だ。

 言われるままに本を拾い上げた俺は、これまた成り行きで瀬戸の仕事に付き合う事になってしまった。

 有無を言わさぬ迫力で、すっかりイエスマンに成り果てた俺は、本来の目的である『どうやって濡れずに帰るか』を頭の片隅へ追いやり、瀬戸の横に並んで歩いている。

 

 あの山の様に積まれた本は分担し、半分に分けて持つ。中には辞書や図鑑といったモノも有ったので、そういった明らかに重い種類は俺が担当した。

 相変わらず表情には出ないものの、瀬戸の足取りは軽い。先程のような覚束ないモノではなくなっている。

 瀬戸自身、あの量の本を一人で運ぶのはキツいと思っていたのかもしれない。俺という荷物運びを手に入れた事を内心喜んでいるかもなぁ……と、俺は伺う様に横目で瀬戸を見るが、


「…………」

 

 無言のまま彼女は、真っ直ぐ目的地に向かって歩くのだった。

 ただ、俺自身無駄な会話は好まないタチなのでこの沈黙は別段苦には感じない。

 無論、瀬戸が何故このような仕事を任せられているのか気にならない訳ではないが、どうせ委員会や部活、もしくは偶然居合わせた教師に頼まれたか、酷いところでは仕事の押し付けのいずれかだろうと思うので、まぁ特に訊くことでもないだろうと思った。

 想像の斜め上を行く回答があるというのなら、それはそれで訊いてみたいとも思うんだが。

 

 そうして会話という花を咲かせないまま俺達は、図書室まで本を運んだ。

 鍵は掛かっていないらしく、両手が塞がっている瀬戸は足で扉を開けてしまう。

 あまり女子が人前でとる様な行動では無いだろうが、人の目など気にしそうにない瀬戸ならば、妙に納得出来てしまう行動だった。

 瀬戸はささっと中に入ると、長テーブルの上に両手に抱えた本を下ろした。俺もその隣へ本を下ろす。


「ふぅ……」

 

 左手は握力が減衰しているだけとはいえ、あの量の本を抱えるのは流石にキツい。自然と口から空気が吐き出される。

 ただ、俺でさえキツいと思ってしまうのだから女の子である瀬戸からすれば、かなりの重労働であるはず。ましてや先程は、一工程で本を一気に運んでしまおうとしていたというのだから、全く恐れ入る。

 案外、二回に分けて運ぶ方が楽だろうに、意外とそこら辺がめんどくさいと感じてしまうタチなのだろうか。

 

 瀬戸を見る。

 無言で窓の外を眺めている。長い前髪と、眼鏡が相まって表情はよく分からない。というか、最初からよく分からないのだが。

 

 しかし、見れば見るほど分かる事もある。

 高い鼻筋と、すっきりした顎のライン。長いまつ毛とくりっとした瞳。ともすれば長い前髪も、何処かミステリアスな雰囲気を出すのに一役買っている。

 俺達の高校――天莉高校の女子制服は黒のセーラー。白のスカーフがアクセントになっているのだが、瀬戸は同色のカチューシャを着けている為、何処か統一感があってバランスが良い。

 

 スラッとした体型は、一年生の佐伯と比べてもやはり官能的で女性的。出るところが出たそれは、人によって――というか俺にとっては堪らないモノがある。

 先程瀬戸を抱えた時の柔らかな感触が、見ているだけで思い出せそうだった。

 

 つまり――瀬戸千歳は可愛い。

 それはもう、クラスの女子の中では間違いなく断トツに。

 しかし、瀬戸の人気は皆無という現実。可愛い女子には敏感な男子であっても、そのセンサーには引っ掛からない瀬戸の無色透明っぷりは、例え米軍の電子機器であっても捉えられないのではないか、と思った(米軍のセンサーと比較対照になる程に女に対する男子高校生の嗅覚は凄まじいとも言えるが)。

 

 だからどうする、という事でもない。俺は別に瀬戸千歳に惚れたというわけではないし、告白するようなシチュエーションでもない。

 とはいえ、ここでこうしていても手持ち無沙汰感は否めない。用も済んだ事だし早くおいとましたいのが本音だ。

 取り合えずここを出てから傘を探そう。誰かしら忘れている奴もいるに違いない。……まぁ限り無く低い可能性だろうが。

 ――と、そこまで俺が考えた時だった。


「ねぇ……」

 

 先程まで、窓の外へと向いていた眼差しが俺を射抜いている。

 

 ――まただ。さっきと同じ様に体が動かなくなる。

 

 瀬戸は小さく唇を震わせ、言葉を紡ぐ。


「なんで貴方はここにいるの?」

 

 ――は? お前が手伝えって言ったんだろ!

 

 という俺の台詞は言うタイミングを逃して胸の裡で消える。

 瀬戸がノータイムで言葉を続けたからだ。


「なんで貴方は私を手伝ってくれたりしたの?」

 

 まだ続く。


「おかしいじゃない。そんなのってあるはず無いのに」

 

 瀬戸の表情は無機質なまま変わらない。けれど言葉には力が篭る。


「ねぇ、貴方はどうしたいの? 誰かにそうしろって言われたの?」

 

 その、うって変わった様な言葉のラッシュに俺は恐怖感を抱いてしまう。

 言いながら無表情でジリジリとにじり寄ってくるのだから、尚更恐い。


「もしかして貴方は違うの? 他の人とは違うっていうの? そうなの? そういうことなの?」

 

 体が動かない。故に近付いてくる瀬戸との距離は最早目と鼻の先。唇が触れそうな程に近い距離だ。

 瀬戸が言う。


「ねぇ……答えてよ」

 

 その言葉が終わった時、俺の体に力が戻る。それはまるで、この空間を支配する何かが今だけ喋る事を許したみたいだった。

 嫌な汗が額に浮かぶ。空を覆う雲が濃くなり、雨が強さを増す。雷が轟く。

 なんと答えればいい? 正直に言うのがこの場合正解なのか? 訳が分からない。けれどこの言葉によって俺の人生が変わるような気さえしてくる。

 

 大袈裟でなく、本当に。

 それは確かに俺の直感なのだが、風邪を引くのが何故か分かるように、これ以上曲げたら腕が折れるというのが分かるような、そんな感覚に近い。

 つまりはマージン一杯にまでメーターが振り切れた状態。それも危険値を知らせるメーターの、だ。

 瀬戸は真っ直ぐに俺を見ている。眼鏡の下にある目が、俺という存在全てを理解しようとするかのようにじっくりと睨めまわす。

 

 俺はそれに堪えられず、


「お、お前がやれって言ったんだろうが!!」

 

 先程胸の裡で抑え込んだ言葉をそのままぶつけた。

 

 ――言った。言ってしまった。

 

 後悔してももう遅い。これで俺は後戻り出来ない。野となれ山となれだった。

 頭を抱えて逃げ帰りたい。情けないことに、俺はそんな事さえ思ってしまっていた。

 けれど俺は見た。瀬戸を。

 瀬戸の見せた反応は――、


「それって……私の事が好きってこと?」


「は?」

 

 全く的外れの、訳が分からないモノだった。

 

 ――どう解釈したらそうなるのだろうか。

 

 コイツ頭おかしいんじゃないだろうかとさえ俺は思った。


「……そう」

 

 顔色ひとつ変えず、瀬戸は顔を逸らす。まるで照れている様にも見えるが、何度も言うように、表情は全く変わらない。


「……じょぶ……ちゃん……違う……私は…………」

 

 ただ何を思ったのか、瀬戸は何やらぶつぶつと呟き始めた。ヤバイこいつ、電波受信してる。

 瀬戸はおかしいやつ。確かにこの認識は疑いようもなく真実だ。

 クラスで孤立してしまうのも宜なるかな。

 けれど俺は、何を間違えたかこの変な奴に関わってしまったのだった。


「あなた名前は?」

 

 瀬戸は今更ながら訊いてくる。同じクラスなのだが、彼女にとっては全く記憶に無いらしい。しかし今は、その状態に戻りたい。

 俺はおそるおそる答える。


「織田……卓磨……」


「……そう。卓磨って言うのね。卓磨、卓磨、卓磨、卓磨、卓磨、卓磨」

 

 何度も俺の名前を呼び続ける瀬戸。まるで自分のなかに俺という存在を刻み込んでいる様だった。

 暫く、同じ様に俺の名前を連呼し続けた瀬戸は、急に大人しくなると、


「千歳。私は瀬戸千歳」

 

 今度は自分の名を告げた。

 

 ――いやいや知ってるから。同じクラスだから。

 

 などとは言えるはずもない。俺はただ頷いた。特に意味もなく。


「…………」

 

 瀬戸が俺をじっ、と見詰める。無表情なのが恐いんだが。


「……千歳。卓磨、千歳って呼んで」

 

 瀬戸はそう言って、またもや俺を見詰める体制へ。

 なるほど。どうやら瀬戸は自分を名前で呼んでほしいらしい。だからこうやって俺をじっと見詰めて待っているのだ。


「……千歳」

 

 改めて言うとクソ恥ずかしい。女子を名前で呼んだのは初めてだ。

 けれど、そんな俺の気持ちはどうやら瀬戸――もとい千歳には届かないらしく、


「もう一回」

 

 アンコールを要求してくるのだった。

 俺は頭を掻きながら、


「千歳」

「もう一回」

「千歳!」

「もう一回」

「千歳!!」

「もっと」

「千歳、千歳、千歳、千歳、千歳、千歳、千歳ええええええええ!!」

 

 ぜぇ、ぜぇと呼吸が乱れるくらいに俺は叫ぶ。

 どうやら千歳はようやく満足したらしく、


「うん」

 

 と短く頷くだけだった。

 けれど俺は見た。確かに一瞬の事ではあったが、紛れも無くそれは――笑顔だった。

 初めて見せた笑顔。

 感情なんて無いのかと思うぐらいに、真顔を貫いていたあの瀬戸千歳が、俺にだけ見せたその笑顔は、どんよりとした雨雲を晴らす太陽の輝きのようだった。

 

 ――ああなんなんだよクソッ。

 

 俺は胸の裡で毒づいた。それを認めるのがなんだか癪に触るようで、妙に気恥ずかしい。

 

 ――瀬戸千歳。良く分かんねぇけど可愛いじゃん。

 

 これは俺が、この訳の分からん女に少しだけ興味を持った初めての瞬間だった。

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