十六話 飴細工の刀
時刻は深夜零時少し前――。
天莉高校の武道場には、既に役者は揃っていた。
俺と明智。向かい合って立つ俺達の距離は、偶然にも剣道の試合と同じ。
白線の外側に立つ明智は胴着に身を包み、目を浅く伏せただじっとその時を待っている。
それは俺も同じ。流石に胴着ではないがこちらも制服を着込み、時が過ぎ行くのを待っている。
この道場に溢れ変える張り詰めた空気。弛緩を許さない緊張に満ちた雰囲気は、普段とは違うと改めて思う。
それは今からここで行われる対戦のせいだけ、という訳では無いかもしれない。
張り詰めた空気は確かにピリッとしたモノを含んでいるが、しかしそれでも空気中にたゆたう湿気や埃をまるで感じないという事はあり得ない。道場ではどうしたって埃や湿気が付きまとうといのにだ。
しかし現にそれは起こっている。
肌が捉える感触や、鼻を通る臭い。体が感じる重さに至るまで、その全てが違和感に満ちていた。それはまるで、電気信号を通じた仮想の感覚。人工的に作られている映像を無理矢理脳にぶちこんだような……。
そんな釈然としない考えを抱きつつも、俺は静かに意識を研ぎ澄ましていく。
この空間に入ってからどういう訳か思考の速度が早くなったように感じる。問いに対する考えが一瞬の内に構築され、次なる思考へと連続していく。
だからこそ、俺は落ち着ける。
思考が加速するということは、悩む時間も短いということ。そこから心身をより、緩やかなものにしていくのにそう時間は掛からない。
俺は吸い込んだ息をたっぷり十秒掛けて吐き出した。
試合の前に行う黙祷と同じ効果が体から無駄な力を取り除いてくれる。久方ぶりの呼吸法ではあったが、多少の懐かしさを感じるくらいに俺は剣道から離れていたらしい。その全てが懐かしい。
そう、懐かしいのだ。
この木造の道場も、張り詰めた空気も、胴着に身を包んだ明智も、それら全てが懐かしい。
けれど、かつてのそれとは決定的な違和感がそこにある。
本当にここは俺の知る学校だというのか、というその相互関係の不一致が俺の脳内に異常となって現れるのだ。
ただそれも、ここにいる間に慣れてきた。――同時に、それが裏生徒会なのだという理解まで。
これから行われるゲームはこの世の理屈を越えた超常の現実。世界すら歪め、変化こそが当然となるこのゲームには、今までの俺のように変わらない事を望んでいたのでは適応出来ない。
その考えは俺の強がりで、ただのエゴ。
ゲームだからとか関係ない。世界は常に流転し移ろうモノだという事実から目を反らしてきただけにすぎない自己満足だ。
これまではそれでも良かった。けれどこれからは、それじゃ守れない。
――光凛。何よりも大事な妹の命を救う為には、この絶望に向かう状況を変化させるには、全てを掛けなければならないのだ。
だからこそ、その一歩は明智――お前であってくれて良かった。
俺はこれで……もう後ろを振り返らずに済むから――。
と、その時だった。
俺の耳に、ゴォンという鐘の音が届いたのは。
何処からか聞こえてきたその鐘の音。それは俺の根幹にまで響き、浸透する。
そうだ、これはまさしく始まりの鐘。
俺は今、ここから始めるのだ。
『裏生徒会選挙戦――織田卓磨 対 明智大和――開始してください』
脳に直接届いた声が開始を告げる。
唐突なそれは現実の終わり。ここから先は、
「行くぞ……明智ぃぃぃぃいいいッ――!!」
「来い……織田ぁぁぁぁああああッ――!!」
どうなるか、誰にも分からない――。
●
それまでの緊張が嘘だったように、俺達は叫びと共に駆け出した。
それは形式をおもんばかる武道には相応しくない、まるで喧嘩の様な始まり方。
けれどこれでいい。俺達がこれから行うのは綺麗に型の嵌まった試合じゃない。戦いなのだ。
全身全霊をぶつけた、魂の闘争。
それは何者も介在する余地のない、切迫した綱渡りのようなもの。
立っている者が一人になるまで続く、死闘の果てに有るのは、叶えたい願いに一歩だけ近づいたという事実だけ。
だが、それこそ望むところ。
俺は一度、明智とこうして、本気で喧嘩したいと思っていたのだから――
「でぇぇぇりゃぁああああ――!!」
声と共に明智は振るった。
いつの間にか現出した大太刀は明智の身長を遥かに越した無骨な刃。
両手で支えるのがやっとだろうに、明智はそれを片手で振ってのける。
刃が閃き、刃先に刈るべき獲物の姿が映し出される。
風をも切り裂く勢いで真上から振り降ろされた大太刀を、俺は間一髪横っ飛びで回避する。
間抜けな動きを見せつつも、油断は出来ない。明智は直ぐ様方向転換し俺に追撃の突きを見舞う。
大太刀のリーチは長い。俺は距離を取って戦うよりも紙一重の回避から接近する事を選択する。
さすれば長いリーチは仇となり、振り回したあとの時間は即ち一撃を叩き込む間隙となる。
――今ッ!!
刹那、次の一撃を放つために太刀を引き戻した明智へと間合いを詰める。
それは俺の『能力』を使う為の有効圏内。
「ハァッ!!」
形成する。今まで嘘だったそれを、この一瞬で俺は現実へと昇華させる。
空想は現実に。仮想は事実に。
構えた右手に光が集まる。それはやがて像を結び形を取る。
――飴細工の刀。
俺の手には、一本の抜き身の刀が生まれていた。
脆く、少し力を込めてしまえば容易く崩壊してしまうだろうそれは、まさしく俺の生み出した力の具現。
能力を決める際に俺は、オートで決める事を選択した。
悪くない事になる。そう言った千歳の表情はどうだったろうか。
どんな力を持っているのかまるで未知数だが、今は俺自身の選択と、千歳の言葉を信じて振り抜くのみ。
俺が意識を攻めに向けた時に自動で精製された飴細工の刀は、導かれた先の結果。
利き腕ではない右手に生まれた刀を握り、俺はカウンターとなる切り返しを明智に向け放った。
――しかし。
「なッ!?」
思わず声になって出てしまう驚愕。
「――ッ!?」
一瞬身構えていた明智すらも表情に出して驚く有り様。
なんとあろうことか、飴細工の刃はいとも容易く砕け散った。
明智に触れた瞬間、手応え皆無に四散した刀。
最初からそうなるだろうと想像に難くない結果は、なんの予想外も無しに事実を突き付けた。
この能力は――欠陥だ、と。
だが、
「ハッ!?」
俺が茫然としている暇も与えず、既に太刀を引き戻していた明智が、俺に斬りかかってくる。
「貰ったッ!!」
慌てて身を捻った俺に、容赦なく降りおろされた刃が肩に一閃――。
「ぐあぁああぁあああッ!!」
あわよくば、脳天から両断せんと迫っていた太刀は、俺の緊急回避で肩へと軌道が変わった。
しかし、恐るべき激痛が切りつけられた肩に奔る。
半ば転げる様に距離を取るが、その痛みは尋常じゃない。
内から外へと暴れるような痛みが、全身の動きを妨げる。
……これがゲームだって? 馬鹿言うな畜生がッ。
俺は吐き捨てる様に胸の内で呟いた。
この痛みが仮想のモノだと誰が信じられる? 俺だって半信半疑のこのゲームで、確かに本当だと感じていた部分こそがこれ。
圧倒的な現実感。空想である事を許さない感覚器官に対する暴力行為。
あの日千歳と戦っていた男子生徒が見せた怯えの色は、この痛みを知っているからこそのモノだろうが。
斬られた箇所を見やる。なるほど確かにゲームだ。血なんか出ちゃいねぇ。
だが克明に俺を蝕む苦痛は本物。
「く、そ……がぁああああああ!!」
けれど立つ。この程度の痛み、耐えられずしてどうする。光凛を失う痛みに比べたら、この程度の事に動じていられるか。
もう一度確認しろ。俺が何をしにここに来たのかを。
刻み込め。立ちはだかる敵の姿を。
俺は眼前に立つ、明智の姿を見る。
睨み付け、挑発する様に笑みさえ浮かべてやる。
「……やるな織田……初めてでこの痛みに耐えられる奴はそういない」
すると、明智は俺に声を掛けてきた。三メートル程の距離から見えるその表情は冷やかだ。
「当たり前だろうが……俺はこんな所で倒れてらんねぇんだよ……」
「そうか。だが、その能力では勝つのは無理だな。お前の能力は欠陥品だ」
明智は続ける。
「裏生徒会における決め手は能力。身体能力は別に向上しないし、自分に出来る範囲の動きしか出来ない。だからこそ、能力は最重要。なぁ織田……お前は何を思ってその能力を選んだ? それで勝てると本気で思ったのか?」
「別に俺が考えた訳じゃねぇよ。勝手にこの能力になったんだ」
そう。だから俺はこんな能力を引き当てちまった。ツイテないとしか言い様もない。
「オート……ならその能力はお前自身というわけか……」
「……どういう意味だよ……」
「オートで決定する場合、能力は何を元に能力を選ぶか……既に存在していた能力をランダムに選出する訳じゃない。その人物のデータ、心の有り様。そういったひとつひとつから断片を継ぎ合わせひとつの力を組み立てる。織田……お前のその飴細工の刀はお前その物だ。敵を葬る鋭い刃を持っていても、それを型どるのは脆く簡単に壊れる飴細工。壊れない事……変わらない事を望んでも、すぐにそれは壊れてしまうお前自身」
衝撃が走る。雷が頭の先から足先まで一直線に走ったような衝撃。
明智の分析は確かにその通りだ。
俺はいつだって、自分の世界を壊さんとする敵を憎んできた。けれどいずれ、俺の世界は崩れ去り変化する。
まさしく的を射ている。こんな刀じゃ、何も守れないし、倒せない。
行き着く先は壊れる事。それでも立ち向かうというなら、無駄な足掻きを通り越した自殺衝動だ。
「敗けを認めろ……織田。お前はここにいる様な奴じゃない。ここは安易に踏み込んではいけない魔窟と同じだ。リスクとリターンの見積りぐらい出来る奴だろお前は。無駄な苦痛を長引かせる事もない、ただこう言えばいい。――俺の敗けだ、と」
告げる明智。一切の表情を廃した機械の様な声で、明智は憮然とそう言った。
それは俺に向けた最期の慈悲か。友だからこそ、アイツは俺に退けと言う。
「馬鹿にすんじゃねえよ明智。……魔窟? ……リスクとリターンの見積り? それがどうしたよ。そんなもん分かってんだよ馬鹿野郎! こっちはとっくのとうにメーター振り切れてんだよ、もう止まれねぇし止まるつもりもねぇ。最期に立ってた奴が勝ちだっていうなら、それは俺だ。勝って、勝ち抜いて、掴むのは俺だッ!!」
ここぞとばかりに俺は叫ぶ。自分のおかれている状況すら頭の隅に押しやって、明智に向かって声を飛ばす。
明智はそんな俺をどう思っているのか。飽きれて、言葉すら出ないのか、何も言わずに目を伏せる。
そして――、
「織田……」
明智はゆっくりと目を開け、俺に言った。
「いい加減に理解しろよ甘ちゃんがッ! テメェの脳ミソは叫んでればなんとかなると思ってるプリン女と変わらねぇ。勝つ? どうやって? 理屈じゃねーだろお前の考えは!! どんな事にも、そうなる原因があるんだよ!! 気合いだけじゃ現実は変わらない!! お前がそう言ったんだろうが織田ッ!!」
「――――」
沈黙する。俺は黙らされる。
明智の語る言葉は正論だ。俺の考えは謂わば強がり。そんなものはまるで意味がないと明智は吐棄する。
かつて――俺がそうであったように。
「もういい……俺の知ってる織田卓磨はそんな戯れ言は言わない……。残酷な現実を誰よりも受け入れている男だからこそ、俺達はその男の剣に惹かれ夢を見た。こいつには勝てないと突き付けられた現実を受け入れて、お前の背に夢を託したんだ……。けどあの時『鮮剣』は死んだ。夢に潰れて、消え失せた。残るお前はなんだ? ただの脱け殻だ。そんな奴が今更出ばって何しに来たっていうんだ!! 答えろ織田ッ!! お前のその左手で何を掴めるっていうんだよッ!?」




