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靴を履き替えて、学校を出て。その瞬間。
ふわっ、と一瞬、体に違和感があった。これは、どういうわけか。私のお気に入りの神社に行った時の感覚と、よく似てる。でも今日はなぜか、いつもの様な清らかさは感じない。
???
ちょっと混乱して、立ち止まっていると。
上から、何かが倒れる音とガラスの割れる音、男子たちの悲鳴が聞こえてきた。
「なにっ?!」
なんだか分からないけど、事件の予感?履き替えた靴を もう1回履き替えて、私は階段を駆け上がった。
階段を上りきってみると、既に野次馬がごちゃごちゃいた。つい 好奇心から、人を掻き分けていくと。
「嘘、私の教室?」
見てみれば、さっき出てきた教室の戸がふっとんでいて、廊下側の窓が割れて、廊下に散乱している。中は真っ白なもやが教室中に立ち込めていて、様子がわからない。
呆気に取られて 呆然と立っていると、視界に見知った顔が。
「猿渡っ!」
人を掻き分けて、猿渡に辿り着く。猿渡は私の顔を見ると、はっ、として ボタボタと涙をこぼし始めた。
「ちょっと、泣いてないで!何があったの?」
「わ、わかんないよ…郷田君から、逃げてきたらもう、こんなんなってて…どうしたらいいか、わからなくて…」
ひっく、としゃくりあげる猿渡。泣きたいのは、こっちだよ…
「泣くな、猿渡!先生すぐ来るだろうし、中にいる人たちを助けないと…」
泣き止まない猿渡の背中を擦りながら、しっかりしろ、と大声で励ましていると。
「――――――嫁様?」
教室の中から、声がした。
聞いたことがない声。他のクラスの子かな。男子っていうより、大人の男性の声だったから、先生かもしれない。こんな時だっていうのに、やけに落ち着いた声が、少し奇妙だけど。
「待っててくださいね!今 他の先生が助けに来ますから!」
姿形も見えない 真っ白な もやに向かって叫ぶ。早く、誰でもいいから来てよ先生。
「…助け?」
「そうです、助けに来てくれます!」
どこか不思議そうに聞き返すその声を、おかしいと思う余裕はなくて。
「助けが必要なら、僕が」
「はっ?」
予想外の返答に、答えに困っていると。
ぶわっ、と教室に立ち込める白いもやが 渦を巻いて、既に割れていた窓から外へ流れ出していく。
風圧がすごくて、飛ばされないように近くにあった置物の様なものにしがみついた。
やっと収まったかと、そうっ、と目を開けると。
教室には、着物を着た見たこともない綺麗な男の人が1人、立っていた。隅に机と、男子がひっくり返ったり、ビックリした顔のまま固まっているのが見えた。…いや、硬直してる?誰1人として、そのポーズのまま、動き出さない。
「何、これ…」
目の前の出来事が、信じられない。私と男の人1人を残して、世界が止まっちゃったみたい。
「あ、猿渡は…」
さっきまですぐそばにいた猿渡の姿が見当たらなくて、辺りを見回すと。…いた。
私が飛ばされないように しがみついていた物。それが猿渡だった。
「なに、これ…?え?どういう事?」
皆固まってるの?え、なんで私だけ?
混乱して へたりこむ私に、そっと近づいてきたらしい男の人が、私に優しく語りかける。雪の様に真っ白でサラサラで柔らかそうな髪が 肩に着くぐらいで切られていて。前髪からのぞく目は、繊細な睫毛に彩られながら、切れ長で優雅。瞳は金色で、呆ける私が映っている。つんと尖った鼻は、まるで作り物のよう。
これだけ美しい男の人、生まれて初めて見た。でも、なんだかこの人、動物の…き、狐を彷彿とさせる。なんで?
未だにへたりこんだままの私に手を差し出し。
「助けてあげるよ、紗菜ちゃん」
切れ長の目を細めて、笑った。うわ、色気がすごいわー。
助けるって言われても、何をどうやって助けてもらえばいいのやら。私の頭がいかれちゃったのかなって思うくらいの状況だし。
「何でも言って。全部、叶えてあげるから」
いやね、何でもとか叶えてあげるとか言われても…あー、駄目だ。頭が働かないし。
頭ぐるぐるで、何がなんだかサッパリな私の耳に、階段を駆け上ってくる足音が聞こえた。
あ、もしかして先生?やっと助けに来てくれたの?ていうか、動けるの?
混乱しながらも、助けがきたという希望のお陰か、すこし平静を取り戻す事ができた。
「紗菜っ!」
え、この声は、犬飼君?なんと、駆けつけてきた救世主は、まさかの犬飼君?先生じゃなくて?!
「無事か、紗菜?!」
犬飼君はへたりこむ私に気が付くと、駆け寄ってきて心配そうに声をかけてきた。上から下まで観察して、怪我がないかを確かめているみたい。大丈夫だよ。精神的なダメージはあるけど、体は無傷だよ。大丈夫、と犬飼君に伝えるために、不安そうな犬飼君に、笑顔で頷く。
犬飼君は、ふう、と安堵のため息をつくと。
私の前の男の人を睨み付けた。
「おい狐、どういう事だよ。こっちに干渉しない約束だろうが」
ピリピリした雰囲気が漂うなか、狐と呼ばれた男の人は、ふっ、と不敵に笑って。
「勘違いしないで。呼ばれたから来ただけ」
何でもないように、軽い口調で言った。え、お2人は知り合い?ていうか犬飼君、この人の事狐って言ったよね。やっぱり狐っぽいよねこの人。
「呼ばれただと?嘘をつくな。お前を呼び出せる程の腕前の人間が、こんな所にいるか!」
こんなに大声出して怒ってる犬飼君、初めて見たし。そんなお怒りMAXな犬飼君を全く気にしていないかのように、男の人は 教室の隅を指差した。
「あれを見て」
言われるままに、指差した方を見てみれば。倒れた机に紛れて、所々破けた紙が。あっ、あの紙は。
「こっくりさんだ!」
私が教室を出る前に、クラスメイトがやっていた こっくりさんに使っていた紙だった。
急に叫んだ私に、犬飼君は戸惑い、男の人はニコニコしたまま私を見ていた。
「こっくりさん…?あんな低俗な物で お前が呼び出せる訳がない」
訝しむ犬飼君に、男の人は手を差し出した。その手には、10円玉が3枚。え。ごめんね、意味わかんないのは私だけかな。ただの30円にしか見えないし…
「人間の貨幣だろ。それがどうした」
つまらなそうにそれを見る犬飼君。
よかった。仲間を発見。意味不明なのは私だけじゃなかった。
「この貨幣に跡があったから。だから低級霊を押し退けて、僕が会いに来たんだよ」
「跡…?」
やっぱり意味がわからない。ねえ、わからないの私だけ?きっと犬飼君もわからないよね?ちょっと希望を込めて彼を見てみると。犬飼君は真剣な目で、じっと10円を見ていた。
「君の種族は鼻がいいから、匂いって言えばわかるかな」
…わかりません。何だろう、これ。だんだん会話が厨2病?みたいになってきてる。跡とか種族とか匂いとか、何だか聞いてたら ひゃーーってなってきたし。見ているこっちが恥ずかしいから、もう厨2病ごっこはやめてよ…
なのに。
「この匂い…まさか、お前が会いたいっていうのは…」
すんすん、と鼻を鳴らした犬飼君が、はっ、と弾かれたように私を振り返った。
ええ、犬飼君、まさかの参戦?!やめて、私を巻き込まないで!恥ずかしいからそういう遊びは2人きりで人のいないところでやってよお願いだから。
「紗菜、あの10円、お前のか?」
「え?」
ビックリした。厨2病ごっこのお誘いのセリフが来るのかと思った。驚いたけど、聞かれたならば、答えてやるのが世の情け。質問の意図は分からないけど、私は犬飼君に 小さく頷いた。
「その10円が こっくりさんに使った10円なら、私のだと思う。昨日猿渡にあげたから…」
猿渡にあげた時点で、私のじゃなくなってるんですが…そんな突っ込みいれる人、こんな緊迫したシーンでは残念ながらいませんが。
私の返答に、犬飼君は苦虫を噛み潰した様な顔をして、
「10円に残った、紗菜の微かな跡に気づいたから、こっちに来たのか…何のために?」
警戒した様子で、犬飼君が問う。背中に私を庇うのも忘れない。わあ、やっぱりイケメンは所作が違うね。女の子だったら、ここはドキッときますな。
問われた男の人は、相変わらず目を細めて笑ったまま、
「…そうだね、まずはお礼を言いに、かな?いつも来てくれてありがとうって。賽銭代わりの茶色い飲み物も、甘くて美味しかった。お神酒以外の飲み物、初めて飲んだよ」
ずっと笑ったままで表情は変わらないはずなのに、ぶわっと一気に色気が滲み出てきた。うわ、なんだこの人。
「…ええ?私あなたに会ったことありませんよ?それに、賽銭代わりって、昨日のココアの事ですか?まさか、見てたんですか?!」
色気にあてられて、ちょっと頬が熱い。テンパってアワアワしてるし。…うん、待てよ。神社にいた人なのかな、この人。んで、ココアを処理してくれたって事かな。…あ、もしかして!
「もしかして、あの神社の神主さんですか?」
行き着いた答えをぶつけてみると、男の人は、片手で口を押さえて、クスクスと笑い始めた。そういえば着物だし、どことなく神聖なオーラ?が出てるし、きっと神主さんだったんだ。
「ちがうよ。僕は彼らに仕えてもらっているんだ」
…うん?神主さんの上の立場って事?
「あの、私 神職系の職業あんまり詳しくないんで…神主さんの上の人、知らないんです。それこそ、上っていったら、神様ぐらいしか…」
へへ、と頭を撫でて、笑って誤魔化す私。
「紗菜ちゃん…」
またしても、クスクス笑われちゃったし。
「知ってるじゃない」
「……はい?」
あれ、会話の流れおかしくないかな。私、なぜかこの人が神様だって突き止めたみたいになってるぞ?
聞き間違いかと思って、男の人を見てみると。金色の瞳と、バチっと目があった。
なぜか出てくる脂汗。果たしてそれは、厨2病ごっこに意図せず混ざってしまったからなのか、それとも神様を目の前にした恐怖?からなのか…
どっちにしろ、私に良い展開にならなそうだし…