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フライパンは振るものです。


「お、野田くん。その子が新しい子か?」


 屈辱の模様替えが終わり、ピーラーで芋の皮剥きをしながらメニューの説明を受けていると、キッチン内に俺や野田チーフとは少し違うコックコートを着たスタッフが3人ほど入ってきた。


 はて、と首をかしげる。確か昨日、店長からは現在キッチンスタッフは俺を入れて3人との説明を受けた気がするのだが。


「おはようございます、斎藤さん。紹介しますよ、今日からの鈴森くん」

「えーと、よろしくお願いします……?」

「鈴森くん、こっちは隣のステーキハウスのスタッフ。経営が同じでね、キッチンは共用なんだ」

「あ、そうなんですか」

「鈴森くんか、俺は斎藤、あっちが金井と谷尾。まあ、顔を合わせる時間は多くないと思うが、よろしくな」

「はい!」


 なるほど。よく見てみれば、胸にあるロゴマークの文字が違う。それに、総勢3人で使ってるにしては、やたら広いキッチンだと思ってたんだよな……


「に、しても」


 斎藤さん──隣の人たちの中で一番年配のおじいさんが、俺を見て、嫌な感じに笑った。


「ちっけぇな。埋もれねえか?」

「!!」

「あ、斎藤さんもそう思いますか?」

「!!!」

「ああ。何つーか、うちには今までいなかったからな。こういうコンロの向こうにいたら見えなさそうな奴」

「!!!!」

「ですよねぇ。あれですね、いっそ特例として、一番長くしたコック帽でもかぶせておいたら見失いませんかね」

「!!!!!」

「お、いいじゃねえか、それ」


 あははははは、じゃねえよジイさん! ちょ、お前ら人をネタに何という会話しやがるんだ!?


 知ってるぞ、俺だって知ってるんだぞ、コックさんの帽子が、地位が上がるにつれて長くなっていくってことくらい! 未経験だからってバカにすんな、つかそこまで小さくねえ!

 むしろお前たちこそ、斎藤のジイさん以外全員ひょろ長くて同じくらいの年齢でボーズ頭でメガネってどんな嫌がらせだよ、見分けつかねえじゃねえか!(野田チーフ込)


 ──って言いたい、言いたい、言いたい!!

 でもダメだ、俺は新人、初日、超下っ端! 何を言われようと耐えるのみ……ってこんな試練は想定外だよガッデム!!


 ぴるぴる震える俺をどう思ったのか、お隣の3人組は、まあがんばれ、なんて言って店のほうに行ってしまった。

 うん、どっちが金井さんでどっちが谷尾さんかは分からないままだ。正直どっちでもいいけど。


 悔しさをこらえて野田チーフを見上げれば、奴は心底楽しそうな笑顔でこうおっしゃった。


「で、どうする? コック帽」


 こいつ、絶対Sだ。




 何か、俺の心をえぐるイベントばかり起こっているような気がするが、そうこうしているうちにオーダーが入り始めた。気が付けば8時、立派なディナータイムだ。


 オーダーごとに、野田チーフがお手本として作ってみせてくれ、次に同じオーダーが入ったときには指導をもらいながら俺が作る、というふうに教わる。

 サラダなんかは大もとが下拵え済みだし、そう戸惑うことなく何とか作れたものなのだが、グリルメニューになって、俺は本日一番の、(真面目な)衝撃を受けていた。


「え、菜箸で混ぜるなって」

「フライパンは置きっぱなしにしない、振って振って」

「う、え」

「手首で返す。こう、くるっと」

「オムレツじゃないのに!?」

「フライパンはそうやって使うもの。君、家庭科で何習ってきたの」


 義務教育の家庭科には、炒め物は焦げないように菜箸で混ぜろって書いてあったよ! 確か!

 先生にも親にも怒られたことないし、このやり方が正しいと俺は長年思ってきたのに……


「菜箸を添えるように、材料が満遍なく混ざって、火が通りすぎないように。箸で混ぜるだけじゃ、調味料が均一にならない」

「は、はいっ」

「ぎこちないねえ。包丁使いはまあ悪くなかったけど、これは要練習」


 悪戦苦闘しながら作ったジャーマンポテトを眺めながら、ダメ出しをもらう。まいっか、のひと言と共に、俺の初ジャーマンは客席に送られていった。いいのか。ごめんなさい、見知らぬお客様。


 ちょうどそこでオーダーが途切れたので、ハイ、と俺に渡されたフライパン──と、塩。

 なぜか塩がどさっと入ったフライパン。何だこれ。


「それ、練習用。塩だったら、こぼしても散らかしても大丈夫だから、怖がらずにやってごらん」


 実演してくれる野田チーフの手つきをまじまじと見て、俺もフライパンを握る。


 チーフのフライパンは踊るように塩を舞い上がらせているのだが、俺のは何てーか……へっぴり腰?

 手首のスナップがどうの、と言われても、そんなすぐに出来るもんでもない。

 俺はオムレツだってフライ返しを駆使してそれと気づかれないような出来栄えを捏造する人間だ。


 新しいメニューのオーダーが来るまで、とりあえず今日はその練習、とのことで、もくもくとフライパンを振り続けた。

 順調に中の塩を減らし、コンロの周りがざらざらになるのに凹みながら、それでもがんばってみる。


 確かに、よく見る調理師専門学校のCMなんかだと、オムレツ作りの練習している場面ってよく見るし、きっとこれがコックさんとしての基本技能なのに違いない。

 包丁遣いで何も言われなかっただけ、マシだ。たぶん。


 そうして、少しずつ、フライパンの外に飛び出す塩が少なくなってきたかな、というところで。


「すーずもーりくーん」

「うっぎゃおわぅっ!?」


 いきなり、耳元で呼ばれてフライパンが派手に跳ねた。

 放り出さなかったのは奇跡! 中の塩は全部こぼれたけどな!!


 全身に立った鳥肌にぎこちなく振り向けば、何とも嬉しそうな野田チーフがいた。


 つか近い!


「いーい反応だねえ」

「何ですか一体!」

「いや、そろそろ上達したかなあ、と思って」

「普通に声かけてください、フツーに」

「かけたけど」


 アンタのフツーはおかしい、とつっこみたい。是非、つっこませていただきたい。


「……えーと、それで」

「じゃ、どれくらいできたか見せて。さっきと同じの」


 マジか!


「はいっ」


 さっきと同じ、つまりジャーマンポテト。頭の中で手順と材料を確認しながら、冷蔵庫を開ける。


 カットしたじゃがいもと、パプリカ、オニオン。塩胡椒、ハーブバター。

 ちょうどよく空っぽになっていたフライパンを熱し、フライヤーにじゃがいもとパプリカを投入。軽くオニオンを炒めて、色のついたじゃがいもたちを油から上げてフライパンに移したら、塩胡椒。溶けたハーブバターを、フライパンを振って絡める。


 手順は簡単で、そう時間のかかる料理じゃない。てことは、時間をかけすぎると良くないってことでもある。

 びくびくやっても仕方ない、と少しは慣れた手首のスナップをきかせて、フライパンの中で材料を跳ねさせる。

 混ざったかな、と思ったあたりで、中身を皿に移し、菜箸で見た目を整えて、でき上がり……の、はず。


「でき、ました」

「ふうん」


 くるり、と台の上で皿を回して、野田チーフがつぶやく。


 緊張の一瞬。

 いや、あの初ジャーマンですら、ダメ出しもらいながら一応客席に運ばれていったからには、そこまで悪くないと思うんだが。

 いやでも問題は、俺は上達してるかどうか、か?


「うん。良くできました」


 満足そうにうなずいて、ホールとの連絡ボタンを押すチーフ。ぽすぽすと帽子を叩かれて、やっと肩の力が抜けた。


「フライパンも、まあ振れてるし。いやあ、まさか今日中に一応できるようになるとはね」

「あ、ありがとうございます」


 いや、そういう高めのハードル設定やめようよ、マジで。新人教育にはスモールステップが大切だと思います先生!

 いいけどさ。必要な技術だってのはわかったし。思いのほか、真面目に教えてもらったし。


「じゃあ、がんばった鈴森くんにはご褒美をあげよう」

「はい?」


 口開けて、と言われれば開くのが条件反射。そこに突っ込まれたのは、焼いたパンと……何だこれ、カツ?

 はみ出た部分を手でおさえてもごもごと噛めば、じゅわりと素晴らしい肉汁が染み出てきた。辛めのソースと相まって、やばいくらい美味い。


「うちの特製カツサンド、の端切れ。おいしいでしょ」


 力いっぱいうなずく俺。おいしいは正義!


「良い顔だね。それ食べて、最後までがんばろうね」


 案外良い人だな野田チーフ。おいしいものくれるし真面目に教えてくれるし……ドSメガネとか思ってごめんなさい。


 でもそのエサを食べるペットを見るような視線はやっぱり何かアレだと思います。つかガン見すんな。


 口の中のおいしい塊をごくんと飲み込むと、オーダーが通る音が鳴った。


「ま、おいしいのも当たり前だけど。そのサンド、ひと皿3000円だしね」

「マジでっ!!」


 ダイニングバーの値段設定、ハンパねぇ……




家庭科の教科書には本当にそう書いてあったと思うんだ!

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