貴方と私。貴女と俺。
少年が少女と、出逢った~ をしてみたかったんです。
その山は火口から火を吹き、燃える泥のような熔岩を流していました。山肌は素足で歩くと焼けこげるほど熱く、生命の息吹さえ消し炭に変えてしまうほどです。
何も生み出さない荒涼とした世界。
けれどそこにはたった一羽、とても美しい鳥がくらしていたのです。たった一羽で。
その姿は奥山に住む猛禽に似ていましたが、尾羽根は長く、時折火花が散るように煌めいていました。
生まれた時からずっとひとりぼっちだった彼は淋しいという感情を知りません。
自分が何者なのかも、なぜひとりぼっちなのかも知りません。
そもそも名前さえないのです。
名付けてくれるものがいないのです。
目が覚めると、一つ伸びをして、寝床の岩棚から飛びおります。寝ている間に羽毛についた錆を火口奥でぐつぐつしている熔岩で焼き落とすのです。羽毛は熱した鋼のように赤い黄金色に煌めき、羽ばたきは細かな火花を散らします。
熔岩浴でさっぱりした鳥はそのまま大きくはばたき、火口から上空に飛び立ちました。上昇気流に乗り、高く高く舞い上がります。はばたきで散る火花は下界に落ちて、時に山火事をもたらします。
鳥は知りません。
火事で生命を無くすものもいます。火事の熱を受けて発芽するものもいます。
鳥に生命の輪環を教えてくれるものはいません。
ただ、飛べる翼があり目の前に透明に広がる空があるから、はばたき飛ぶのです。
気流に乗って、大空を滑る様にただ飛ぶ鳥。
固まりながら流れる熔岩のように奥底に紅が滲む黒い瞳は前だけを見ていました。
一年のほとんどを硬い氷とふわふわした柔らかく冷たい雪で覆われている氷原。そこに、青白い毛皮と氷柱のような鋭い眼差しを持った獣のひと群れがいました。この世の最後のひと群れです。この群れが滅びたとき、世界はこの獣たちのことを忘れてしまうでしょう。けれど、彼らには今しか興味がありません。明日が来ようが来なかろうが、今、生きなければ明日は永遠に来ないのです。
けれど。
僅かな数の小さな群れ。青白い炎にも似た色合いの群れ長は前を歩く同胞たちを保護者の柔らかな眼差しで見守ります。他族が滅びて久しい今。自分たちの終わりも近いことを長だけが確信していました。だから、今日が終わっても明日に続く為にどうすればいいのか、長は群れの中に希望と祈りを育てていたのです。今がすべての同胞たちは深くは考えません。長だけが今日と明日とを繋げる道を探していました。
群れの真ん中、庇護される位置に群れの中で一番幼い子供がいました。
群れの中でもひときわ淡い氷色の瞳をしたとても美しい幼獣でした。久しぶりに群れが授かった新しい生命です。群れはこの仔を皆で慈しみ、惜しみない愛を与えて育てていたのです。
けれど刻はきました。別れの刻が。消えゆく群れが最期の最後に全てを託すため、あらん限りの愛情をかけて育ててきた美しいこども。
殿を守る長が軽やかな足取りで幼子の元にやって来ました。
群れは丁度凍土の端まで下って来ていました。ここから下っていくと世界は陽射しを受けて氷は解けて水となり、水は霞となって大気と混じり合い、また陽射しが落ちると密やかな氷に戻る、循環する世界に変わっていくのです。
「 我らは元の場所に戻るよ。」
長はさらりと幼子に告げます。
「 けれどお前はこのまま下っていくのだ。一人ぽっちで淋しかろうが、お前は我らと違う道に進むんだよ。」
青白い鼻先を幼子の頭にそっと寄せました。
「 たくさんの愛情を精一杯お前に注いだ。お前が我らの最後の仔であり、我らがこの世に存在していたあかしだから。そしてなにより可愛い仔だからな。」
柔らかな眼差しと優しい仕草でもう一度、幼子の頭をなでて長は続けます。いつの間にか群れ全体が長と幼子を中心に車座になって二人を囲っていました。みな、別れを惜しむ切ない表情で幼子を見つめています。
「 愛し子であり、幼な子であったからお前は我らが何者か詳しくは知るまい。我らは《 原初の精》のひと群れなんだよ。この星が生まれた時にこの星を育てるために生まれたんだ。
遥か昔には我らと同じような種族もたくさんいた。大地を守るためにひたすら武を極めようと鍛錬に明け暮れた一族や、戦場を巡り生命を刈り取り、新たな生命を産みだす一族などがね。だが、全て滅んだ。土の性も風の性も一人と残ってはおらぬ。もちろん、土や風から派生した精霊、木霊や土霊は存在しているさ。だが、今や星の始めから存在している純粋なる精〈 エレメント 〉はほとんどが消滅した。変化を好まず、かつ変化にも柔軟に対処できる我らは細々とではあるが太古より生き延びてこられたのよ。」
《 水の精》。彼らは冷たい塊にも流れる水にも大気に溶け込むこともできます。けれどその本質は変わることはないのです。混ざり溶かしこんでも、いつでも異物は切り離すことができました。
しかし。久遠を生きるものはそう多くありません。地や風の精のように数を増やしたことで久遠からはなれてしまい滅びた一族よりは遥かに永く存在出来ましたが、遠くないいつか、彼らもまた静かに消えていくのです。例外はただ一柱。焔の精のみ。全てを飲み込み焼き尽くせる孤高の精のみなのです。
「 愛し子のお前を凍らぬ大地に送り出すのは切ない。手放したくはない。それは我ら全員の正直な気持ち。でもまだまだ幼いお前をこのまま滅びるだけの道行に付き添わせるのも心が冷える。だからね。お前はこの地を離れ生きるんだ。そして伴侶をみつけるといい。お前が共に生きたいと思える存在ならば、我らに否やはないよ。」
長の言葉は絶対です。歳の割に聡い幼子は群れが無くなっても、自分が生き残ることで群れの完全な消滅をかわせると気づきました。
「 うん。」
小さく頷き、長の鼻先を小さな舌先でそっと舐めます。
「 あたし、行く。たくさんの、色んなものを、しっかり見てくる。」
「 あぁ。我らが滅び、意識がなくなっても、流れる水も地を潤す雨も空に浮かぶ雲も、全てに我らが宿りお前を見守るよ。約束だ。だから幸せを探しておいで。」
長は鼻先で幼子の肩をそっと押しました。まだ見ぬ大地に送り出すために。万感の想いを込めて。
幼子はゆっくりと道無き道を降り始めます。硬い凍土の上を走るための氷柱のように鋭い爪で、黒い大地をしっかりと踏みしめて一歩ずつ一歩ずつ。やがて大地の熱で氷柱の爪は丸くなっていくことでしょう。厚い氷と深い雪から離れて今の姿が変わっても、自分は自分。水の精の最後の一柱なのは変わらないのです。
群れは幼子の姿が斑雪の奥に去っていくまで静かに見送って、やがて消えていきました。
鳥は再び火山のとばぐちに降り立ち、翼を休めます。降り立った溶岩石が蹴爪の熱で柔らかくなりました。いつもの事ですが、鳥は少しばかりの居心地の悪さを感じます。
大空を滑空している間は何も考えることはありませんが、火口に降り立つと自分は何者なのかと考え込むことが増えました。少し前に初めて“ 雨 ”に触れたからかもしれません。今までは羽毛に触れる前に蒸発してしまっていたひとしずくの“ 雨 ”が頭のてっぺんにあたり、目元まで滑り落ちて消えていったのです。
自分に触れられるものなど何一つ無かったのに。
ひとりぼっちだと自覚していない時はひとりぼっちではありません。でも、自分以外の存在に気が付き、けれど自分の周りに誰もいないと気が付いた時がひとりぼっちのはじまりなのです。
鳥は熾火の瞳を半眼に、火口から少し下に舞い降ります。
刻は新緑の季節でした。けれど雨が降らず気温も何時になく高いせいでしょうか、火山の裾野は萎びた若芽がしがみつく枯れかけた木々ばかりでした。くすんだ木々の間にある硬い岩の上に舞い降りて翼を畳みます。
そんな時。誰かが近づいてくる気配がしました。下から上がってくるその気配と共に、萎れて枯れかけた木々や新芽が明るく瑞々しく立ち上がります。
一筋の緑の道が、鳥の足元まで伸びてこようとしているのです。
その道の先頭には、鳥とは真逆の色彩を纏った優美な獣がいました。淡い青の重なった白銀の毛皮と深い青の瞳の獣です。肢体は狼に似ていますが、四肢には硬い鱗と氷柱のような強靭な爪が備わっています。
焔を纏う鳥に近付く獣。一足ごとに氷片の鱗は溶けて水となり、柔らかな足先を守る衣となります。硬い氷柱の爪は丸く人の爪に変わっていきます。一足ごとに氷の獣はひんやりした色彩を纏う美しい少女に変化していきました。身の丈ほどの長い髪は降り積った新雪のように底に淡い青を重ねた銀の色。瞳は氷で磨かれたように透き通った青の色。細い鼻梁と柔らかな曲線の頬。それは氷の彫像ほどに近付き難い美しい少女となって鳥の前に現れました。
そして、鳥は。全てを焼き焦がし、残った消し炭さえ焼き尽くす業火は少しずつ勢いを無くし、焔を纏う羽根は陽炎のように静かに消えていきました。残るは逞しい身体に、銅の滲む黒い瞳の偉丈夫。羽根の名残のような焔色の髪は天衣無縫に逆立ち、まるで熱を無くした炎に似ています。荒く削られた彫像のように厳つく雄々しい顔立ちは、繊細な少女とは真逆ながら対の男雛と女雛のようでした。
少女は目の前で変化した偉丈夫を青い瞳で見上げます。
「 見つけた。私の貴方。」
偉丈夫は初めて他人の声を聞き、熾火の目を瞬かせました。
「 見つかったのか。俺の貴女に。」
どちらからとも無く、二人は手を差し伸べあいます。
触れ合ったところから陽炎が揺らめきました。
少女の氷の肌に体温が生まれ、赤みが差し、しっとりと柔らかくなりました。
偉丈夫の燻るような熱い肌は熱も失せ、しなやかに動きます。
右手と左手の手のひらを合わせ指を絡めあいます。
偉丈夫はおっかなびっくり、そうっとそうっと少女の細く柔らかな腕をおのが胸に引き寄せます。
少女は抗うことなく、引き寄せられるままに偉丈夫の胸の中におさまります。
ひとりぼっちだった鳥は─焔の精は慈しまれ育ったひとりきりになった獣─水の精と出会い、比翼となったのです。死さえも二人を離すことはできなくなりました。
「 貴方をずっと探してた。ようやく見つけたわ。」
「 貴女はずっと探してくれてたのか。」
偉丈夫は少女の言葉を繰り返し、ぎこちなくほほえみます。少女は満面の笑みを送り返しました。
「 そうよ。これからはふたりで一緒。」
「 ああ。ふたりで一緒だ。」
その時です。雲一ない晴れ渡った空なのに、さらりとひと雨が降り注いだのです。
少女の足跡から芽生えた緑の道が、雨を受けて一気に広がります。
緑の絨毯。緑の海。
草の葉の先端が風を受けて揺れ動きます。葉先が擦れ合いさらさらと音さえたてて─それはまるでさざ波のよう。
ふたりを真ん中にして祝福の雨と祝福の波。幾重にも重なり拡がる喜びの音。
偉丈夫は腕の中の少女を大切に抱きしめ、初めて自分から言葉を伝えました。
「 貴女は俺の全て。貴女を大切に育てた方々にも誓う。」
「 貴方は私の全て。貴方がひとりぼっちですごした星霜以上の時を共にすごすわ。」
腕の中から上目遣いに偉丈夫をみつめます。
偉丈夫もぎこちなさの消えた無垢な笑顔で少女をみつめかえします。
そして二人はお互いの名前を呼び合い、新しい生を生きるために緑の道を降り始めました。
「 行こうか、凍河。」
「ええ。いきましょう、炎夜。」
地の精はアマゾネス、風の精はワルキューレをイメージしてます。火の精は不死鳥。水の精は創作。




