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転生したらボロ小屋でした。〜住人の笑顔が燃料なので、全力でおもてなしします〜  作者: ひろボ


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第7話 不労所得(大嘘)と異世界アパレル革命

 あれから、穏やかで、それでいて俺の精神を極限まで削る数日が過ぎた。


 朝は「換気」。昼は「乾燥」。夕方は「洗狼」。夜は「加湿と床暖房の微調整」。


 俺は家だ。家は動かない。なのに、俺の意識だけが一日じゅう走り回っている。


 その結果――この家(俺)のBP通帳は、かつてない潤いを見せていた。


(……チャリン。チャリン……。いい音だ)


 社畜時代の、数字だけが並んだ無機質な給与明細と違う。


 この音は、腹の底からの笑い声とか、「おいしい」の吐息とか、湯気の匂いとか、そういう生きたものと直結している。


 BPが貯まる要因は、主に三つの「業務」に集約されていた。


 ◇


 一つ目。


 もはや日課となった狼の「定期洗車(洗狼)」だ。


 夕暮れ時。霧が濃くなって、木々の輪郭が溶け始めた頃――


 ――チリン。


 気配通知が鳴けば、それは常連客(狼)の来店合図。


 今じゃ玄関前には、あの狼が「当然の権利」と言わんばかりに尻尾をバタバタと振ってお座りして待っている。


 こいつ、いつのまにか「玄関の使い方」まで覚えた。


 縄張りに踏み込む足音じゃない。扉の前で止まって、鼻先だけを寄せて、こっちの反応を待つ――妙に礼儀正しい。


(はい、いらっしゃい。今日も『全身フルコース』だな? 待て待て、そんなに急かすな)


 返事の代わりに、俺は柱をトン、と鳴らす。


 狼の耳がぴくりと動いた。合図を理解しているらしいのが腹立つような、少し嬉しいような。


 工程はいつも通りだ。


 まずは【水:微】。


 トポ……トポ……。


 最初はこの感触に驚いて飛び上がっていた狼も、今では適温のシャワーを浴びると、ふにゃあと目を細めて喉の奥で小さく鳴らすようになった。


 まるで「やっと来たか」とでも言うみたいに、前足を差し出してくる。


(おい、客が自分で手を出すな。……いや、助かるけど)


 次が泡。ここからが問題だ。


 泡はきめ細かいほど気持ちいい。だが、泡立てるほど俺の精神が削れる。しかも洗い流しにも出力が要る。


(今日の俺は残業明けだ。泡は……控えめで頼む)


 ここは俺の「演算(根性)」の見せどころだ。


 石鹸カス一つ残せば、後で肌荒れクレーム(BP減)に繋がるかもしれない。


 社畜時代のクレーム処理を思えば、最初から完璧に洗うのが一番の効率化だ。


(……よし、今日は一段と細かい泡を作ってやる。見てろよ、俺の精神メンタルをホイップしてやるからな!)


 もこ、もこ……。


 きめ細かい泡が毛の奥へ潜ると、狼が背中をぐいっと押しつけてきた。


 そこだ、って圧だ。完全に注文してきている。


 ミアとルカも慣れたものだ。


 ルカは少し離れたところでしゃがみ、狼の尻尾の動きを見て「今日は機嫌いいね!」と笑う。


 笑う前に、息がすっと抜ける。安心の呼吸だ。


 ミアは玄関の内側で様子を見ながら、手にしたタオルを握り直す。


 握る指先の力が、以前より柔らかい。


 怖さが消えたわけじゃない。怖いものを「扱う」距離感を、少しずつ掴んできた。


 仕上げは【雷:微】。


 パチッ。


 毛の水分だけを、軽く弾く。


 狼が「うっ」と一瞬だけ肩をすくめて、次の瞬間、諦めたみたいに腹を見せて倒れた。


(おいおい。そこまで脱力するな。俺が悪いことしてるみたいだろ)


 最後に【風:微】だ。


 ゴォ……ではなく、ふわ……を狙う。根元から、一本ずつ、空気を通す。


 ふわ、ふわ、ふわ。


 毛が起き上がり、匂いが変わる。


 泥と獣臭が薄まり、陽だまりの匂いが混じって――月光を弾くような銀色の輝きに変わっていく。


「泥にまみれた獣」はどこへやら。


 出来上がるのは「サロン帰りの狼」だ。


 狼はお礼のつもりか、俺の大黒柱をザリザリと大きな舌で一舐めしていく。


 ……やめろ。くすぐったい。ついでに建材が削れる。


(おい。舐めるな。そこは構造上の要だ)


 柱をカチ、と鳴らして抗議すると、狼は尻尾だけを「へへっ」とでも言うように振り、霧の向こうへ帰っていく。


 その際――玄関の靴脱ぎ場に泥ひとつ残さないよう、俺は床板の隙間から「負圧」を発生させる。


 シュウウッ、と鋭く空気が吸い込まれる音。


 狼が落とした泥の粒や、湿った土埃が、目に見えない力に引かれて瞬時に床下へと消えていく。


 これも家としてのプライドだ。


 もちろん、その一瞬の全力吸引だけで、俺の梁がミシ……と重い悲鳴を上げる。


 客の満足度と引き換えに、俺の精神が擦り減っていく。


 ◇


 二つ目。


 その報酬として狼が持ってくる「獲物(肉)」だ。


 狼は律儀だった。洗われた翌日には、必ずと言っていいほど、まだ体温の残る野兎や、丸々と太った野鳥を玄関先に置いていく。


 置き方まで丁寧だ。


 ドサッ、じゃない。コトン、に近い。


 俺の玄関を「店先」として扱っている節がある。


(……おいおい、またデカいな。ミア、今日はウサギだぞ。捌けるか?)


 もちろん俺は喋れない。


 代わりに、床板をトン、と鳴らす。ミアがそれを合図に気づいたみたいに顔を上げる。


「……来たのね」


 言いながら、ミアは手慣れた様子で小さなナイフを握り直した。


 指先が少し震えているのは、もう怖さからじゃない。


「今日は一段と立派なウサギね。ルカ、これならお腹いっぱい食べられるわよ」


 そう言って笑うミアの瞳は、純粋な期待でキラキラしている。


 横で見ていたルカも、ごくりと喉を鳴らして身を乗り出した。


「すごいや姉ちゃん! 今日の、僕の腕より太いよ!」


 そんなルカの頭をミアが優しく撫でると、二人で「ふふっ」と顔を見合わせる。


 数日前までの切実な空気はどこへやら。


 今や二人にとって、この「解体」は明日の元気を作るための、楽しくて、ちょっと誇らしい儀式になっていた。


「よし、やるね」


 ミアが小さく息を吐いて、迷いのない手つきでナイフを入れた。


 血を抜き、皮を剥いでいく。


 野生は生々しい。匂いも強い。


 それでも、ミアは「料理」に変える。


 ルカに食べさせたい。


 その一心で、彼女は手を動かす。


 仕上げは俺の番だ。


 本来なら硬くて臭みのある野兎の肉。


 だが、俺はコアの演算をフル回転させ、鍋の中の温度を一定の低温に保ち続けた。


 じっくり、じっくり。


 肉の細胞を壊さず、旨味を閉じ込める火加減。


 強火じゃない。焦げない。暴れない。


 コトコト、だけを続ける。


 パチパチと薪がはぜる音。


 それに続いて部屋に満ちるのは、野生の臭みを消し去った、純粋な「肉の焼ける芳香」。


「おいしいね、姉ちゃん。……熱い、ふーっ……でも、おいしい!」


 ルカは言う前に息を吹きかけ、舌を火傷しないように慎重に運ぶ。


 前なら我慢できずに突っ込んで、泣いていた。今はちゃんと待てる。


「……うん。家さんが、火を一番いい具合に保ってくれるから」


 ミアはスプーンを持つ手を一度止めて、湯気を吸ってから笑う。


 笑う前の間が、柔らかい。


 二人がハフハフと白い湯気を立てながら、大切そうに肉を頬張るたび、俺のコアには「これこそが贅沢だ」という確信と共に、良質なBPが流れ込んできた。


 ◇


 そして三つ目。


 この「洗狼」と「食事」がもたらした、最高の副産物――アニマルセラピーと、住人の劇的な変化だ。


「わあ、今日の狼さんもツヤツヤだね! ルカの頭よりさらさらだよ!」


 ルカがふかふかの狼に顔を埋めて笑い、狼もまたくすぐったそうに鼻を鳴らす。


 以前のルカなら、大きな獣を前にすれば怯えてミアの背中に隠れていただろう。


 だが今では、狼が運んでくる「野生の温もり」が、少年の心を力強く癒やしていた。


 抱きつく腕の力が、怯えの力じゃない。甘える力だ。


 その光景を見て、ミアが昨日よりも深く、柔らかく微笑む。


 微笑む前に、肩から息が落ちる。


 頬が緩むのを許す呼吸だ。


 俺は、彼女が微笑むたびに部屋の明るさをほんの少しだけ整える。


 あからさまじゃない、でも暗くもしない。


 彼女の喜びが、この家全体の空気に直結していることを――俺なりに示したかった。


 この数日で、二人の姿は見違えるほど変わった。


 最初に出会った時の、あの泥にまみれ、絶望に瞳を曇らせていた姿はもうどこにもない。


 毎日のお湯と石鹸。


 それに、雷(微)で空気を整え続けた清潔な室内。


 ミアの銀髪は、ボサボサに絡まっていたのが嘘のように、今は陽の光を吸い込んで絹糸のような輝きを放ちながら背中に流れている。


 梳かすたびに、櫛がすっと通る音がする。


 その音が、俺は好きになった。


 何より「肉付き」だ。


 不規則だった栄養状態が改善され、こけていた頬には年相応の柔らかな丸みが戻った。


 肌はくすみが抜けて、透き通るような白さを取り戻している。


 ――ただし。


 その裏で俺が何をしているかと言うと。


 夜。二人が眠りについた後も、俺は湿温計と睨めっこしながら、肌が乾燥しないよう加湿を微調整し続ける。


 ミアが寝返りを打てば、布団の温度が乱れないよう床暖房の出力をほんの少し変える。


 ルカがうなされれば、壁の鳴りを抑えて、安心できる静けさを作る。


 やってることは「全自動」。


 でも、その制御回路は俺の精神そのものだ。


 休む暇なんてない。俺の意識は常にフル稼働だ。


 重いバーベルを持ち上げながら、ミリ単位のダイヤル調整を二十四時間体制で続けているようなもの。


(……だが、待てよ。冷静に考えたらこれ、どこが不労所得だ? めちゃくちゃ働いてるじゃねーか俺!)


 日が暮れる頃には、梁は疲労でギシギシと悲鳴を上げ、俺の意識は焦げたゴムのような匂いがしそうなほどの過熱状態に陥る。


 だが、その血の滲むような残業代(BP)は、ついに目標を大きく上回る大台に達した。



【BP:520】



(……よし。五百の大台突破だ。これだけあれば、福利厚生の目玉、アパレル部門を『大人買い』できるぜ)


 二人の体は綺麗になった。


 だが、着ている服はまだあのボロボロのままだ。


 特にミアの服は、洗濯で清潔にはなったものの、生地は限界まで薄くなり、あちこちに不格好な継ぎ接ぎが目立つ。


 彼女が動くたび、肘や膝の布地が小さく悲鳴を上げているのが分かる。


 縫い目が引っ張られる気配が、家の感覚で伝わってくるのだ。家として、見ていてつらい。


(毎日これじゃ、せっかく治った肌が擦れて痛そうだ。……おいBPショップ、カタログ持ってこい!)


 俺はBPショップのリストを、血眼になってスクロールした。


(……おいおい、マジかよ。衣類のカテゴリー、価格設定までおかしくねぇか?)


 ボロ服(お仕着せセット):1BP

 村娘のワンピース:5BP

 夜会のドレス(一点物):30BP


 ここまではいい。


 だが、その並びに平然と混ざっている……


 高性能パワードスーツ『イージス』:1,000,000BP


(……おいおい、マジで何なんだよ。ゼロの数がバグってんだろ。これ何のジャンルだよ。戦う家じゃなくて『暮らす家』っつってんだろ。……無視だ、無視!)


 俺は「元社畜の危機管理能力」で、その明らかに不穏な、かつロマン(笑)に溢れすぎた選択肢を全力でスルーした。


 俺が今、この二人に着せてやりたいのは、そんな重武装じゃない。


(もっと、こう……シンプルで、機能的で、着心地が良くて。……そうだ。あの大手庶民ブランドみたいな、あの絶妙な普段着。一式で10BPか。……よし、二人分購入だ!)


 素材。縫製。実用性。


 普通の服なのに異常に高品質な、あれ。


 俺はかつて現代で愛用していた、あの機能美溢れる衣類を、魂を込めてコアに描き出した。


(……綿とポリエステルの黄金比率、俺の脳内チップに刻み込まれてるからな。……行けっ、俺のBP!)


 ただの布じゃない。繊維一本一本に、俺のこだわりと「安心」を編み込んでいく。


 ――コト。


 夕食後の、温かい空気が流れる食卓の上に、真っ白な包みが現れる。


「わあ……!!」


 声が出る前に、ミアの目がぱちりと瞬いた。


 驚きと、怖さと、期待が混ざった瞬きだ。


 ミアが包みを開いた瞬間、部屋の空気が華やぐような歓声が上がった。


 中から出てきたのは、肌触りの良いフリースのカーディガン、ストレッチの効いたトラウザー、そして清潔感のあるカットソー。


 布が重なるたび、サワサワと耳に心地いい音がする。


 ふわりと鼻をかすめたのは、お日様をいっぱい浴びた後みたいな、清潔で、ちょっと甘い匂い。


 この世界の、泥やカビの匂いが染みついた布とは、何もかもが違っていた。


「……ふわふわ。それに、すごく軽い」


 ミアは指先で触れて、すぐ手を引き、また触れた。


 割れ物を扱うみたいにおそるおそる、でも、幸せを確かめるみたいに何度も何度も、その布をなでていた。


「……家さん、ありがとう!!」


 言い切ったあと、息がふっと抜けた。


 嬉しさを受け止めきれずに、少しだけ笑ってしまう息だ。


 ミアが新しい服に着替え、ルカの前に現れる。


 ……絶句した。


 ボロ布を纏っていた時とは、もはや完全に別人だ。


 ふわりとしたカーディガンが、ミアの細い肩にすとん、と馴染んでいる。


 真っ白なシャツは、さっきまでボロ布を纏っていたのが嘘みたいに、彼女の透き通るような肌を輝かせていた。


 なんていうか……ずるい。


 もともと綺麗だとは思っていたけど、ちゃんとした格好をするだけで、こんなに化けるのか。


 中世っぽいこの世界で、そこだけパッと光が差したみたいに垢抜けて見える。


 洗練された「機能美」を纏った彼女は、ボロ屋の中にいるのが場違いに思えるほど、凛としていて、それでいて親しみやすい輝きを放っていた。


「姉ちゃん、お姫様みたい! ……ううん、お姫様よりずっときれい!」


 ルカは言いながら、怖いくらい真剣な目をした。


 冗談じゃない。信じてしまっている目。


「本当に、神様みたいだよ。僕、触ったら消えちゃうんじゃないかって怖いくらいだ」


 その言葉に、ミアの喉が一度だけ小さく動いた。


 照れと、戸惑いと、嬉しさが同時に来て、飲み込んだ音。


「そんな……でも、本当に動きやすいわ」


 ミアは袖を引いて、肩を回して、屈伸する。


 怖いくらい自然な動きだ。布に遠慮しない。


「手足が、自分のものじゃないみたいに軽い。……それに、すごく温かい……」


 ミアが嬉しそうに、自分自身の肩を抱くようにして微笑む。


 くるりと回ると、伸縮性に優れたトラウザーがしなやかに脚のラインに沿い、驚異的な足捌きの良さを見せる。


 裾がふわりと舞い、石鹸の微かな香りと、彼女の心からの笑顔が部屋いっぱいに弾けた。


(……ふっ。喜んでくれたなら、精神(根性)削った甲斐があったぜ……)


 梁が、ミシ、と小さく鳴る。


 疲労の軋みと、満足の軋みが同居した音だ。


(……さて、これでしばらくは安泰か?)


 だが。


 この「あまりに完璧すぎる、この世界には存在しない質感の服」が、この後に予想もつかない『事件』を引き起こすことになるとは。


 その時、俺はまだ、微塵も思っていなかったんだ。

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