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転生したらボロ小屋でした。〜住人の笑顔が燃料なので、全力でおもてなしします〜  作者: ひろボ


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5/10

第5話 泥を落として、素顔を洗う 

 朝だ。


 板の隙間から差し込む光が、昨日より少しだけキラキラして見えた。


 埃っぽい空気が、俺の中をゆっくりとなでていく。


 家に転生してまだ数日なのに、俺はこのボロ小屋の「呼吸」の仕方を覚え始めているらしい。


 光の粒が床の上をすべり、眠っている二人の姿を、やさしく照らした。


 ミアとルカは、まだ夢の中だ。


 よほどぐっすり眠ったんだろう。


 ミアのほっぺには毛布の跡がくっきり残り、ルカにいたっては――よだれを垂らしたまま、俺の大黒柱に手足をからめている。


(おい小僧。そこは家の体の中でも、すごく大事な場所なんだ。あんまりギュッとするなよ。家としてのプライドがミシリと鳴るじゃないか)


 まあ、かわいいもんだ。柱の一本や二本、抱っこされたくらいでどうにかなるもんじゃない。


 ……そう思った直後、俺の感覚が一点に集まった。


(……くさい)


 いや、責めるつもりはない。


 泥と、煤と、血。そして冷たい雨。着の身着のまま逃げ続けて、ここにたどり着いたんだ。匂いが染みついていて当然だ。


 むしろ、今までこの小屋に「生活の匂い」がなかったほうが不自然だったのかもしれない。生きるってことは、もっと汗くさくて、もっと人間くさいものだ。


 前世の俺なら、お風呂にも入らず会社に泊まる同僚を「社畜の鏡だな」なんて死んだ目で笑っていた。


 でも、今の俺は家だ。住人を守る側だ。


 嫌な匂いは、心を暗くする。


 せっかく気持ちよく目覚めた朝なのに、また暗い気持ちにさせてしまう。


 ――そんなのを放っておいたら、家失格だ。


 俺は頭の中のメニューを開いた。



【保有建築ポイント(BP):8】



 昨夜の具だくさんスープと、ミアの「ありがとう」で増えたポイントが、まだ俺の奥でポカポカしている。


 生活カテゴリのメニューを探ると、昨日まで眠っていた項目が明るく光っていた。



【生活:お掃除・お洗濯セット(ハーブ石鹸/ふわふわタオル/木のくし):3BP】

【BP:8 → 5】



 迷う必要なんてない。すぐに決定だ。


 カチリ、と床板の一部がパズルみたいに沈み込み、そこから丁寧に編まれた小さなカゴがせり上がってきた。


 中には、雪みたいに白いタオルが数枚。うす緑の紙に包まれた石鹸。そして、職人が磨き上げたような、ツルツルの木のくし。


 タオルは水をよく吸うもの。くしはパチパチしにくい木製。


 前世で銭湯の備品を見て学んだ「快適さ」の知識が、こんな形で役に立つとはな。


 そして――俺が今朝、一番やりたかったこと。


 蛇口から出るのは、ただの水じゃない。


(……こい。お湯モード、ぬるめ。無理はしなくていい、でも冷たくはするな……!)


 ミシ、ミシシ……。


 配管がうなり、壁の内側がじわりと熱を持つ。


 ボロ小屋の限界に挑む、俺なりの全力おもてなしだ。


 蛇口からトポトポと落ちたのは、透き通っているのに指先がホッとする温度を持った――「お湯」だった。


 湯気が、ふわっと立つ。


 それだけで、人は「生きてる」って気がするものなんだ。


「……ん……ぁ」


 湯気のいい匂いに誘われたみたいに、ミアが目を開けた。


 飛び起きるよりも先に、彼女はパッと扉を見た。昨日つけた銀色のカギだ。朝日をはね返して、堂々と光っている。


「……夢じゃ、なかったんだ」


 ホッとしたような、深いため息。


 それから彼女は、部屋の真ん中にあるカゴに気づいて固まった。


「……なに、これ……?」


 続いてルカも起き上がり、寝ぼけたままカゴに顔をつっこむ。


「ねえちゃん、おはよ……うわっ! いいにおい!」


 包み紙が少し開いて、ミントとハーブの匂いがふわっと広がった。


 ミアの目が、見たこともないほど大きく見開かれる。


 震える指先で包み紙にふれ、呼吸を忘れたように固まった。


「……石鹸? うそ、こんな……濁りのない、真っ白な石鹸。ハーブの香りが、煤の匂いを全部追い出していく。……それに、この布……」


 ミアが指先でタオルにふれた瞬間、その「白」を汚すのが怖いみたいに、一瞬手を引いた。


「雪みたい。私たちの村で一番のお金持ちだって、こんなにきれいな『白』は持ってなかった……。これ、魔法の道具なの?」


(前世の俺でも、こんな白いタオルは高級旅館でしかお目にかかれなかったぞ)


「家さん、おふろ? おふろなの!?」


 ルカがピョンピョン跳ねる。しっぽがあるなら、ちぎれんばかりに振っている勢いだ。


 さすがに浴槽は無理だ。広さもポイントも足りない。


 代わりに床板をほんの少しだけ傾けて、使った水が外へ流れるようにした。簡易の洗い場――最低限だけど、昨日までの「最低限」とはレベルが違う。


 ミアがカゴの中身をそっと、宝物を触る手つきでなでた。


 その指先が少し震えているのが、柱を通して伝わってくる。


「……ルカ。家さんが、体を洗っていいって言ってるよ」


 俺は返事の代わりに、柱を小さくトン、と鳴らした。


 その音に、ミアが小さくうなずいた。指先の震えが、ほんの少しだけ落ち着く。


 ミアは鍋を取り出し、ぬるいお湯を少しだけ汲んだ。


 熱すぎないように慎重に。湯気が立つ。


 ミアが石鹸を濡らして、手でこする。


 泡が生まれる。真っ白で、モコモコで、雲みたいな泡だ。


「うわ……!」


 ルカの目がこぼれそうに丸くなる。


 次の瞬間――ルカは泡を両手ですくい上げ、自分の顔に思いきり塗りたくった。


「見て見て! ぼく、ルカひげ隊長だぞ!」


「こら、ルカ。目に入ったら痛いよ」


 ミアが止めようとして、止めきれなかった。泡ひげの見た目が面白すぎる。


 ルカは鼻の下をえっへんと、誇らしげになでて、胸を張る。


「ねえちゃん、ぼくの命令を聞けー!」


「命令じゃなくて、お願いでしょ。……はい、お口を閉じて。息、止めないよ。ふふっ」


 笑いをこらえるみたいに、ミアの肩が小さく揺れた。


 鼻を鳴らすような、控えめな笑い。


 昨日まで「弟を守るための機械」みたいに必死だった彼女が、やっと年相応の女の子の顔を見せた。


 俺の梁が、きゅっと鳴った。


 うれしくて鳴った。たぶん。


 ミアはルカの腕を拭き、首筋を拭き、耳の後ろも丁寧に拭く。


 泥が落ちるたびに、ルカの肌が子供らしい色に戻っていく。


 煤で黒ずんでいたほっぺは、ほんのりピンク色。ボサボサだった髪は、石鹸のいい匂いをまとって、やわらかく跳ねた。


「あったけー!」


「こら、『あったけー』じゃなくて『あったかい』。ほら、言い直し」


「あったかい! 最高!」


 ルカの声がはずむ。


 これが「暮らし」の音だ。――こういう音が家の中に増えるのが、俺はたまらなく好きになってしまった。


 ミアがタオルを握ったまま、一度だけ目を閉じた。


 自分に言い聞かせるみたいに、深く息を吐く。


「……次は、私」


「ねえちゃん、見ないよ! ……たぶん!」


「たぶん、じゃダメ。ぜったい」


「じゃあ、ぜったい!」


 ルカは大げさに壁の方を向いて、両手で目をふさいだ。でも、肩がまだプルプル震えている。


 ミアはその背中を見て、ほんの一瞬だけ、やさしくほほえんだ。


 俺は家だ。家だからプライバシーは守る。


 ……守るつもりだが、空気の流れや温度の変化で、なんとなく分かってしまう。こればっかりは構造上、しかたがない。


 温かいタオルが肌をすべる、かすかな音。


 煤が落ち、本来のきれいな肌が見えてくる。


 逃げているときについた、小さなキズがいくつも見えた。手の甲、ひじ、指。


 それを「がんばった証拠」なんてきれいな言葉で片づけたくない。痛かったはずだ。


 でも今は、このやさしいお湯が、その痛みさえも溶かしているように見えた。


 ミアが最後に手にしたのは、木のくしだった。


 後ろできつく結んでいた紐をほどく。


 さらり、と。


 ほどけた髪が肩に落ちた。


 汚れていたはずなのに、あらわれたのは、どこか銀色に光る、月の光のようなきれいな髪。


 ミアは勇気を出して、縺れた髪にくしを当てた。


 だが、ひっかかる感覚がまったくない。


「……っ、……うそ。髪が、ひっかからない……?」


 根元から毛先まで、まるで水をなでるみたいにくしがすべり落ちる。


 かつて母が「いつか都会の職人さんに作ってもらうのが夢だ」と言っていた、伝説の道具。それが今、自分の手にある。


 ミアは信じられないみたいに、何度も髪をかした。


 そうするたびに、肩から力が抜けていく。


 険しい表情が消え、疲れがほどけ、最後に残ったのは――本当に、年相応の顔だった。


 汚れ一つない、真珠みたいに光る長い銀髪。


 大きな瞳は、もう何かにびくびくすることもなく、しっかりとした意志を宿していた。


 ミアは自分では見えないから、知らないまま息を吐く。


「……軽い……」


 体が軽い、という言葉の裏には、ずっと背負ってきた重いものがある。


 その言葉が、俺の床板の奥まで染みた。


 ルカがこっそり振り向きかけて、ミアの「見ないって言ったでしょ」という声で止まる。


 止まったのに、次の瞬間、ぽかんと口を開けた。


「……ねえちゃん……だれ?」


「私だよ。失礼だね」


「……お姫さまみたい。きれいすぎて、ぼくのねえちゃんじゃないみたいだ」


 ルカの声は真剣だった。お世辞じゃないから、よけいに心にくる。


 ミアはリンゴみたいに真っ赤になって、下を向いた。


「……そんなわけ、ないでしょ」


 否定する言葉は強いのに、声は照れている。


 ミアは自分の手のひらを見つめた。汚れが落ちただけで、手がこんなに「人間らしく」見える。


 胸の奥で、何かがほどけていく気がした。


「……ねえ、ルカ。私たち、まだ……きれいになれるんだね」


「うん! ねえちゃん、いいにおいする。クンクンしていい?」


「こら、近い。……でも、ありがとう」


 ミアが言って、自分で驚いたみたいに瞬きをした。


 ありがとう、って言葉が――昨日よりずっと、当たり前の「暮らし」の言葉になっている。



【建築ポイント獲得:+5】

【BP:5 → 10】



(よっしゃ……! 笑顔って、こんなにポイント貯まるのかよ)


 やる気がわいてくる。前世のボーナスなんかより、何億倍もうれしい。


 だが、その幸せな気分に浸っていた次の瞬間、俺の外壁に鋭く冷たい感覚が走った。


 ――チリン。


 風鈴みたいな澄んだ音。でも、心臓をギュッとつかまれるような音だ。


 頭の中に、警告が出る。



【スキル:気配通知(微)が作動しました】



 ……だれか、いる。


 廃村のしんとした静けさの中、俺の敷地のぎりぎりを、音を殺して歩き回る何かがいる。


 人間の足音じゃない。軽いけれど、爪がある。


 ミアがすぐに反応した。


 さっきまでの幸せそうな顔が一瞬で消え、鋭いカミソリのような目になる。


 彼女はランプへ手を伸ばしかけて、途中で止めた。明かりをつけると見つかってしまう。昨日の夜で学んだんだろう。


「ルカ、こっち。息、止めないで。……でも、しずかにね」


 ルカがミアの服をぎゅっとつかむ。指の力が強い。


 ミアが一度だけ、大きく深呼吸をした。逃げるためじゃない、守るための準備だ。


 扉の向こうで、何かが止まった。


 ――ピタリ。


 そして、


 ガリッ。


 鋭い爪が、木の扉を試すようにひっかいた。


 薄い扉だ。正直、頼りない。


 ……だけど、少しでも時間を稼げるなら、それでいい。


 俺が守ってやる。


(やらせるかよ。ここは俺の住人の――大事な風呂上がりなんだぞ)


 俺はわざと、自分の床板を思いきり鳴らした。


 ドスン!


 家全体が怒鳴るような響き。


 同時に、銀色のカギに力を送る。金属が震えて、キィィンと耳をつく高い音を立てた。


 威嚇だ。「近づくな」という合図だ。


 外の気配が、一瞬止まる。


 ……効いた。


 少し下がる足音。爪が雪をひっかく浅い音。


 やがてその気配は、霧の奥へ消えていった。


 しばらくして、ミアがやっと息を吐く。


「……行った……?」


 俺は彼女のとなりの柱を、トントン、とやさしく鳴らした。


 大丈夫だよ、と言う代わりに。


「……家さん、守ってくれたんだね」


 ルカがミアの背中から顔を出す。


 ミアは自分の髪にふれた。サラサラした感覚を確かめるように、もう一度だけなでる。


「……守ってもらうだけじゃ、ダメだよね」


 つぶやく声は小さいけれど、目は力強い。


 ただ怯えるだけの目じゃない。ここを自分たちの「家」にしようとする目だ。


「家さん。……次は、お洗濯がしたいな。服も、布も……ちゃんと、きれいにしたいの」


 そのお願いは、わがままじゃない。


「人間らしく暮らす」ためのお願いだ。


(いいぜ、ミア。洗濯板どころか、物干し竿も、新しい服も、ふかふかのベッドも。俺のメニューから全部出してやるからな)


 頭の中で、メニューが新しくなった。


【建築メニューが更新されました】

 ・洗濯セット(桶、板、物干し竿):4BP

 ・魔力式警戒鈴(トラップ機能付き):6BP

 ・ふかふかラグマット(防寒・癒やし):6BP


 石鹸のいい匂いが、まだ残っている。


 ミアの笑い声が、ほんの少し残っている。


 いい朝だった。

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