第3話 風を止めて、家になる
ランタンの光が、ぽう、と揺れた。
……揺れたんじゃない。揺らされた。
壁のすき間から入ってくる風が、見えない指で灯りをつつくみたいに、影を踊らせている。暗い部屋の中で影が動くと、ただそれだけで怖い。
「……っくしゅ」
ルカが小さくくしゃみをした。毛布にくるまっているのに、鼻だけが赤い。
「だいじょうぶ?」
「だいじょうぶ……」
本人はそう言ったが、声が少し掠れてる。ミアがルカの額に手を当てる。手のひらが長く留まった。
ミアは笑ってごまかそうとした。
「ほら、ランタン。明るいよ。幽霊も来ない」
「幽霊、影で増えるんだよ」
「増えないよ。影は……あ、えっと……」
説明しようとして詰まる。ミアは賢いけど、学校で習う種類の賢さじゃない。生き延びる方向の賢さだ。
それでも、今は少し余裕がある。余裕があるのは、光があるからだ。暗闇が薄くなるだけで、心臓の音が静かになる。
なのに――風。
ひゅう、と吹くたび、床の冷えが増して、ミアの肩がわずかに跳ねる。本人は気づかれないようにしているつもりだろうけど、俺には分かる。俺は床だし、壁だし、空気の通り道そのものだ。
俺の内側に、例のメニューが浮かぶ。
《壁のすき間埋め:6》
《かんぬき(簡易):5》
《BP:6》
ぴったりだ。ぴったりすぎて笑う。笑うけど、笑い事じゃない。
かんぬきが欲しい。扉がちゃんと閉まるだけで安心が違う。ミアが毎晩、扉のほうを気にしなくて済む。
でも、今の敵は外じゃない。敵は、この風だ。
風は刃物みたいに地味に削ってくる。少しずつ、少しずつ、体温を奪う。奪われたぶん、気力が減る。気力が減れば判断も鈍る。鈍ったら終わりだ。
俺は決めるのが早い。動けない分、悩んでる暇もない。
――壁。
《壁のすき間埋め:6》
《BP:6 → 0》
その瞬間、俺の体が「ぐぐっ」と鳴った。
痛い。昨日の水盤ほどじゃないが、骨の奥を押し広げられるような重さが走る。梁が、ミシ、と低い声を出す。
「……家さん?」
ミアがすぐ気づく。こいつ、警戒心が鋭すぎる。
「だいじょうぶ?」と聞きたい顔で、でも声が出ない。出したら不安が移るって分かってるから、飲み込む顔だ。
俺は返事の代わりに、ランタンの光を少しだけ大きくしてみせた。安心しろ、って合図だ。たぶん伝わらないけど、やらないよりマシ。
壁の内側で、何かが動き始めた。
板の裏から、土みたいなものがじわっとにじむ。藁くず、木屑、土。そんなのが混ざって、すき間というすき間へ、押し込まれていく。
まるで、誰かが指で丁寧にパテを詰めているみたいだ。……いや、俺がやってるのか。俺が俺に詰め物してるのか。変な気分だ。
ひゅう、と鳴っていた風の音が、少しずつ小さくなる。
ひゅ……。
……。
止まった。
止まった瞬間、部屋の中の音が変わった。ランタンの灯りが揺れない。影も、落ち着いている。
ルカがきょろきょろして見上げる。
「……静か」
「……風、止まった?」
ミアが壁に手を当てる。今まで、冷たい息が指の間を抜けていたはずの場所だ。そこに、何も感じない。
ミアは目を見開いたまま、しばらく固まって――それから、ふっと笑った。
笑ったのに、声が出ない。出ないまま、喉が動いて、息が漏れた。
「……あったかい」
その一言が、俺の中に落ちて、じわっと広がる。
ルカは毛布の中で、丸くなり直した。さっきまで、身体のどこかが落ち着かなかったのが分かる。今は、力が抜けた。
「姉ちゃん、寒くない?」
「……うん。寒くない」
ミアはルカの頭を撫でた。撫でる手が、やっと優しい速さになった。
……で、ここで終わらないのがミアだ。
暖かくなった瞬間、ミアの目が部屋の隅を走る。落ちてる板切れ、散らばった枯れ草、黒いシミ。生き延びた安心より先に「整える」が来る。
「……ルカ、そこ、踏まないで。釘、ある」
「わかった!」
ルカは素直に避けた。避けて、すぐにランタンの光に自分の手をかざして遊び始める。
「姉ちゃん、見て! でっかい手!」
「静かに……でも、ふふ」
ミアが笑った。笑うと、顔が幼くなる。十三歳だもんな。背負いすぎなんだよ、お前。
俺の内側が、熱を持つ。
《建築ポイント+5》
《BP:0 → 5》
……増える。そうだよな。これが正しい稼ぎ方だ。二人がちゃんと呼吸できるようになる。それだけで、世界が少し良くなる。
そのときだ。
視界の端が、ぴか、と光った。UIが勝手に開く。俺が触ってないのに、勝手に。
《拠点ランク更新》
《ボロ小屋(廃屋)→ ボロ小屋(仮住居)》
……仮住居。いいじゃないか。名前はボロ小屋のままで、肩書きだけちょっとマシになる。
“仮”って何だよ、と言いたい気持ちはある。俺はこの体しかないし、ここでしか守れない。仮も本もない。けど――二人が帰ってこられるなら、それでいい。
さらに続きが出た。
《達成報酬:改築クーポン×1》
《対象:かんぬき/床補修/扉修理 いずれか一回》
おお。欲しかったやつに効く。しかも「かんぬき」に使える。分かってるな、この世界。
その下に、また表示が増える。
《メニュー解放:生活・食料》
……来た。これだ。こいつらが一番欲しがっているやつだ。……俺も、ずっとこいつらに見せたかった。
俺はさっそく開く。ミアとルカには見えない。見えないでいい。見えたらミアは絶対、自分を削ってでも稼ごうとする。ルカも褒められたくて無理をする。そんなのは嫌だ。俺が背負う。家ってそういうもんだろ。
開いたメニューは――思ったより、現実的だった。
《食料(1BP)》
《乾パン》
《乾燥豆》
《塩(小袋)》
《食料(2BP)》
《具入りスープ》
《乾麺》
《はちみつ(小瓶)》
おお。派手じゃない。でも回る。こういうのが一番強い。鍋があれば化けるし、なくても何とかなる。
さらにスクロールすると、別カテゴリが出た。
《罠(1BP):殺虫線香》
《罠(2BP):ネズミ捕り》
《罠(7BP):トラバサミ》
……罠?
いや、分かる。生活すると、虫もネズミも出る。俺の床、絶対ネズミに好かれるタイプだ。やめろ。
その下に、なにか見えた。見えちゃいけないものが見えた気がした。
《???(999999BP):陽電子砲》
……。
ようでんしほう?
何じゃそりゃ。
いや待て。桁。桁がおかしい。俺はいまボロ小屋だぞ。せいぜい釘一本で大騒ぎしてる身だぞ。陽電子砲って、どこから出すんだよ。梁から? やめろ。俺が粉々になるわ。
俺は一人でツッコミを入れて、メニューを閉じた。これ、今は見なかったことにする。見るだけで変な汗が出る。汗も出ないけど。
部屋の中は、静かだった。
ランタンの灯りの下で、ミアが壁のほうを見回している。何度も、手で触って確かめる。信じられないんだろう。寒さが止まるってことが。
「……家さん」
ミアが小さく呼んだ。
俺は梁をトン、と鳴らす。
ミアは笑って、でもすぐ真面目な顔に戻った。いつもの癖だ。気を抜いたら怖くなるから、固くなる。
「……ありがとう。ルカ、今日は、ちゃんと寝よう。もう、見張らなくていい」
ルカは眠そうな目で、うなずいた。
「うん……家さん、あったかい」
その言葉が、俺の中を柔らかくする。ボロ小屋なのに。いや、ボロ小屋だからこそ、だ。
ミアは、ふと思い出したみたいに水盤のほうへ行く。蛇口のレバーを見て、まだ少し怖い顔をしてから、そっとひねった。
ちょろ、ちょろ。
水が出た瞬間、俺の奥が少しだけズキッとした。出しすぎは良くない。ミアもそれを察したのか、すぐに止めた。
ミアはルカに水を渡す。
「一口。ゆっくり」
ルカはうなずいて、ちびちび飲む。飲み終わって、ぽつりと言った。
「……こわくない」
ミアの指が止まる。
「……今まで、こわかったの?」
ルカはうなずいて、ランタンの光に照らされた水面を見た。
「においがする水、こわい。お腹、いたくなる」
ミアは何も言わなかった。言えなかった。けど、その代わりに、ルカの髪をくしゃっと撫でた。乱暴じゃない、ちゃんとした撫で方だった。
それからミアは、袋の中の残りを取り出して、少し迷ってから言う。
「……白いスープ、今夜は飲まない。今日は……あったかいから、明日にしよう」
「明日も、飲める?」
「……飲めるようにしよう」
“しよう”が重い。責任を背負う言葉だ。
……任せろ。背負うのは俺だ。お前じゃない。
ミアはランタンをそっと壁際に置き、ルカの毛布を整える。自分の分はないのに、自然に弟を先に包む。
――違う。
今日は、少し違う。
ミアがルカを包んだあと、ためらってから、毛布の端を自分の肩にもかけた。ほんの少しだけ。遠慮みたいに。だけど、それでいい。
ランタンの光が、今度は揺れなかった。
外で、遠くのほうから犬の鳴き声が一度だけ聞こえた。廃集落のどこかで、瓦が小さく落ちる音がした気がする。けど、すぐに静かになる。
俺の中の灯りは、小さく、安定している。
俺は次を考える。
かんぬき。これは絶対いる。クーポンがある。今のBPは5。かんぬきは5。つまり、今すぐ作れる。
……作れるけど、今日は使わない。
今日は、家になった日だ。
ミアが目を閉じる前に、ぽつりと言った。
「……明日、何しよう。……水、また出るかな」
……うちの星。
俺は梁を鳴らさなかった。
ランタンの光も、揺らさなかった。
ただ、二人の寝息が、俺の中に満ちていくのを、聞いていた。
今夜初めて、見張らずに眠った。
俺はボロ小屋だ。でも今夜、ミアは俺を信頼した。
それだけで、十分だった。




