第1話 転生したらボロ小屋だった。
意識が戻った瞬間、まず思った。
――俺、死んだ?
体が重い。いや、重いというより……体が、ない。手も足も、まぶたも、喉もない。なのに「ある」感覚だけは、やけに鮮明だった。
耳なんてないはずなのに、やけに近くで雨音がする。
ぽた、ぽた、ぽた。
近い。いや、近いどころじゃない。頭の上から降ってきてるような――いや、そもそも今の俺に「頭」なんてものはない。
じゃあどこから?
すぐに分かった。俺の“屋根”だ。穴が空いてる。そこから雨が落ちてきて、床板に当たり、湿った木の匂いとカビの匂い、腐りかけの藁の匂いが、俺の内側に染みてくる。
そして――痛い。
釘が緩んだ場所がズキッ。反った板がジワッ。梁が軋むたび、骨をこすられるような嫌な感覚が走る。
結論。俺は、家になっていた。
人間から物件へ。転職が急すぎる。しかもブラック社畜からボロ小屋って、落差の方向が逆じゃねえか。
前世の俺は会社員だった。終電、残業、怒鳴り声、胃薬。最後に覚えてるのは、深夜のオフィスで立ち上がった瞬間、ふわっと足元が浮いて――床が近づいて――「大丈夫ですか!」って声がして、そこで暗転。
……過労死か。納得しかけたけど。
死後の世界って、もっとこう、白い空間とか、神様とか、説明とか、あるんじゃねぇの?
あるのは、雨漏りの痛みだけ。
ぽた、ぽた、ぽた。
……くそ。誰か、絆創膏でも貼ってくれ。声に出したくても、口がない。できるのは、ギシ……と軋む音を鳴らすくらい。家鳴りでツッコミ入れる人生って、どんな罰ゲームだ。
雨が強くなった。屋根穴の真下に、ぽたぽたと“室内の滝”ができて、水たまりが広がっていく。こんなとこで誰か寝たら終わる。濡れて、冷えて、眠れない。下手したら朝までもたない。
――と思ったとき、小さな足音が二つ、ぬかるんだ地面を踏んで近づいてきた。
扉が押される。
鍵? ない。かんぬき? ない。防犯? 終了してる。
それでも扉はギギィと鳴り、雨を背負った影が二つ、俺の中へと滑り込んできた。
先に入ってきたのは、十三歳くらいの少女。幾重もの泥と煤にまみれ、鈍い鉛色に淀んだ髪を一つに結んでるけど、紐は濡れて黒ずんでる。服はサイズが合ってなくて、袖が短い。指には小さな切り傷とひび割れ。頬はこけ、肩が細い。
その背中に隠れるようにいたのは、八歳くらいの男の子。大きすぎる上着の裾が泥を吸って、膝の破れたズボンから寒さが伝わってくる。痩せてるのに、目だけはやけに大きい。
「しーっ、ルカ。声、小さく。……今は、がまん」
「……姉ちゃん、ここ、こわい。お化け屋敷みたい」
「大丈夫。……たぶん、ここなら雨は避けられる」
少女――ミア。男の子――ルカ。
なぜか、名前が分かった。家になったら住人名が自動で分かる仕様? いらない機能が妙に親切。
ミアは扉を閉めようとして、風に押し返された。扉が半開きのまま止まり、冷気が俺の中を這うように通り抜ける。ルカが肩をすくめ、カタカタと歯を鳴らした。
「さむい……」
「……毛布、ないかな……」
あるわけがない。俺の体内在庫は、カビと埃と雨漏りと、あとたぶんダニ。
くそ。今ほしいのは、まず手。次点で、自動ドア。ついでに、まともな転生特典。
腹立ちまぎれに、俺は扉に向かって「閉まれ」と念じた。
ギ……。
扉が、ほんの少し内側に寄った。
それだけ。重い。蝶番がうめき、梁がきしむ。俺の“力”は微弱。しかも動かすたびに痛い。家ってこんな肉体労働だっけ?
ミアが固まり、ルカが目を見開いた。
「姉ちゃん、いま……家、動いた……?」
「……風、かな。……ううん、違う。ルカ、こっち見て。大丈夫、私がいる」
命令じゃなくて、弟の視線をきちんと引き戻して落ち着かせる。優しいのに、背中は折れてない。十三歳でこれは重すぎる。
ミアは床の乾いた場所を探しながら移動した。床板が沈むたび、俺の中に鈍い痛みが走る。人を迎えるって、こんなに負担だったのか。家賃なめてたわ、すみません。今の俺は家賃そのものです。
ルカの腹が鳴った。小さいのに、よく響く音だった。
「……お腹すいたよね。ごめん、これ、半分こしよ」
ミアは布袋からパンの欠片を取り出し、丁寧に割って、弟に大きいほうを渡した。
お前も食え。俺の中の元社畜が叫ぶ。が、もちろん声は出ない。代わりに梁がトン、と軋んだ。
ルカが一口かじって、ふにゃりと笑った。
「姉ちゃん……ちょっと、しあわせ」
その瞬間、俺の内側に光る文字が浮かんだ。
《建築ポイント+2》
《BP:2》
……は?
家に転生した時点で意味不明なのに、ポイント制まで追加とか。誰だよ、運営してんのは。
ミアが濡れた場所を避けて座り直し、ルカが床のゴミを折れた枝で寄せると、また表示が出た。
《建築ポイント+1》
《BP:3》
なるほど。住人の生活が少しでもマシになると、ポイントが増える仕組みらしい。なら、俺が“家”として役に立てばいい。稼いで直して、もっと役に立つ。シンプルでいい。……が、現実はきつい。
雨は止まない。ミアの指は冷えて傷が白く浮き、ルカは毛布もなく震えている。
今夜の最優先は、雨漏りだ。寝床が濡れたら終わり。
俺は“もっとも濡れている場所”を感じ取った。床の隅に、割れた桶が転がっている。半分しかないが……使える。
俺は意識を集中させ、桶を動かそうと念じた。
――ずる……。
重い。遅い。動くたびに梁がきしみ、痛みが走る。家なのに筋トレしてる気分だ。意味が分からん。
それでも、どうにか雨筋の真下に滑り込ませた。
ぽた、ぽた……。水たまりが止まる。床が守られる。
《建築ポイント+2》
《BP:5》
よし、届いた。
俺の内側に、短いメニューが開く。
《屋根穴ふさぎ:5》
《壁のすき間埋め:6》
《簡易灯り:4》
選べってことか。全部ほしいが、持ち点は5。悩むまでもない。
――屋根だ。まず、雨を止める。
俺は迷わず「決定」を叩き込んだ。すると、屋根の穴にギュッと締まる感覚が走る。板が噛み合い、釘が打ち直されたみたいに硬くなっていく。
ズキン、と痛み。体が変形する。けど――
雨が、止まった。
静けさが落ちてきた。外はまだ降ってるのに、俺の中にはもう音がしない。
……こんなに、静かってありがたいのか。
ミアがぽかんと天井を見上げた。ルカの目が輝く。
「雨、へった……!」
「……止まった。よかった……ほんとに、よかった……」
ミアの声が、ふっとほどける。ほっとした呼吸に変わる。その「よかった」に、俺は少しだけ救われた気がした。
《建築ポイント+1》
《BP:1》
ギリ残り一点。見事な貧乏。でも、今夜は勝った。寝床が濡れない。それだけで大きい。
……問題は、寒さだ。
扉の隙間から、冷気が入ってくる。床は冷たい。ミアがあたりを見渡すが、毛布は見つからない。崩れた藁と、濡れた布と、臭いだけ。
「……姉ちゃん、ぼく、さむい」
「……うん。わかる。……こっちおいで」
ミアはルカを抱きしめるように座り、背中をさすった。自分も寒いのに、先に温める側になる。体温が足りないのに分けるんだ。胸が痛い。胸はないのに。
俺は再び扉に意識を向けた。「もっと閉まれ」と念じる。
ギ……。
数ミリだけ動いて、止まる。もう限界だ。痛みが強くて、蝶番が悲鳴を上げてる。
くそ、役に立て。家として、もう一歩――
……待て。ポイントがあるってことは、ステータスもあるんじゃ?
ダメ元で叫んでみた。意識の中で。
「ステータス、オープン」
すると、俺の内側に文字が浮かんだ。
【名前】ボロ小屋(俺)
【スキル】
・異世界言語 Lv.1(※口がありません)
・剣術 Lv.1(※手足がありません)
・アイテムボックス Lv.1(初回特典:水/食料/毛布)
・念動力(微)
ふざけてんのか、この世界。
異世界言語? 話せねーよ。
剣術? 振れねーよ。
でも――アイテムボックス。初回特典。
……今しかない。ミアとルカがこの寒さで体調崩したら意味がない。
俺は意識を集中させた。
出ろ、水と、食料と、毛布!
――バサッ。
二人の前に、静かに物が落ちた。
小さな水筒。温かそうな袋がふたつ。そして、一枚の乾いた毛布。
ルカが目を丸くする。
「……なに、いまの……?」
ミアは弟をかばいながら、でも目を逸らせない。欲しい。でも怖い。そんな顔だ。
「……罠じゃ……ないよね。……ルカ、触る前に、におい」
慎重だ。でも、賢い。ミアはそっと袋に鼻を近づける。
ふわっと、やさしい匂い。乳っぽい、でも甘くない。お腹の底が鳴る匂い。
「……スープ……?」
袋を握ると、じんわり温かい。湯気まで出てる。どういう仕組みかは分からない。けど今は、それでいい。
ミアは一度だけ、天井を見上げた。いや、俺を、見たのかもしれない。
「……おうちさん。……ありがとう」
返事はできない。代わりに、梁をトン、と小さく鳴らした。
ミアは毛布を広げ、ルカの肩にそっとかける。震えが少しだけ止まる。端を自分の膝にもまわし、二人は寄り添って、ようやく落ち着いた。
《建築ポイント+3》
《BP:4》
増えた。いや、助かった。俺たちは……この夜を越えられる。
ミアは温かい袋をそっと開き、中をのぞいた。白い、とろみのあるスープ。小さな野菜らしき欠片が、いくつか見える。
ルカがのぞき込んだ。
「姉ちゃん、それ、あったかい……?」
「うん……たぶん。……熱いかも。ゆっくり、ね」
ミアが一口。熱さを確かめるように口に運び、瞳を伏せた。
そして、ルカに差し出す。
ルカは恐る恐る一口。瞬間――目がぱっと丸くなる。
「……うま……」
声が小さい。驚きで言葉が出てこない。でも、次の一言には力があった。
「あったかい……」
ミアももう一口飲んだ。そして――止まった。
強がりの仮面が静かに外れていく。喉が鳴る。瞳が揺れる。
ぽたり、と、袋の端に一滴落ちた。
涙だった。




