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「…………え、カノン?」


 その日、ソルは退院直後のために病院を出てきたばかりだった。


 ウェリントン侯爵家の家紋の入った馬車に乗り込む直前の彼の姿に、私は言葉を詰まらせた。

 快気祝いの花束のひとつでも持ってくるべきだったか、と頭の片隅で思ってから、何も持たずに来てしまったものは仕方ないと首を振る。


 そうして改めて彼と向き直れば、彼は気圧されたように軽く背筋を伸ばした。


 それはそうだろう。何せ私ときたら、まるでこれから死地に挑むような鬼気迫る思いでいたのだ。

 そんな気迫で挑まれたら誰が相手でも何事かと緊張する。


「……ああ、ええと……もしかして退院のお祝いに駆けつけてくれた? 嬉しいなあ、そんなに息を切らせて走ってきてくれるなんて男冥利に尽きるよ」

「ソル……あの、私」

「君、先に帰っていてくれるかい? 僕は彼女と一緒に歩いて帰るから。父上と兄上にもそう伝えておいてくれ」


 私の声を遮って、ソルが御者に指示を出す。

 その指示に御者は一礼をすると、馬車に乗り込んで先に帰る。

 その馬車を見送り、ソルは改めて私に向き直った。


「少し歩こうか、カノン」


 彼の言葉に私は断る理由もなくて頷いた。


 私の方へと歩み寄ってきた彼が私の肩に腕を回そうとする。

 その仕草に私は咄嗟に距離を取れば、彼は怒るでもなく苦笑をした。いつものソルだった。


「そうだよね、カノンは。その反応、逆に安心するよ。手を繋ぐのも駄目? ……オーケイ、知ってた。じゃあいつも通りで」


 手を差し出す彼に私が動けないでいると、彼はニコニコと笑って道の先を指す。


 行こう、という合図に私がおずおずと彼の隣に立って歩き出せば、彼もまた歩き出す。


 いつものデート前のやり取り。初回は肩に腕を回した彼の手の甲をつねったこともあったっけ。

 それでも彼はいつも果敢に挑んで、私にすげなく振られた。


 ……これから彼に伝える言葉を考えたら、今日くらいは受け入れればよかったのか。


「カノン、お腹空いている? もし空いているならどこかレストランでも入ろうか」


 悶々と考えていると、ふとソルがそう言葉を投げかけてくる。


 その言葉にハッと彼を見て、彼のニコニコとした真っ青な瞳と目があって、私は動揺して反射的に視線を俯かせる。


 彼に告白をしに来たというのにこの体たらく。

 恋というものがここまで自分が思い通りにならなくなるものだとは知らなかった。


 ドキマギと動揺したまま、私は首を小さく横に振る。


 早く言わなければ。そう思うのにタイミングを計ろうとしてグズグズしている自分を自覚して、自分に苛立つ。


 こういうものは早いところ白状した方がいいはずなのに……!

 グズグズとしたまま何も言えないでいる私に、ソルは何を思ったのだろう。


「……カノン、ちょっとだけ待ってて」

「え?」


 彼はそう告げると私を置いて走って行ってしまう。

 戸惑う私はその場でしばらく待っていると、彼はすぐに戻ってきた。


「はい。いちごと生クリームがカノンの好物だったよね」


 そう告げる彼は二つのクレープを携えていて、そのうちのひとつを私に差し出した。


「あ……ありがとう……」

「どういたしまして」


 私が受け取れば、ソルはにっこり笑んだ後にもう一つのクレープに口をつけた。


「久しぶりだな、この味。病院食はどうにも味が薄くてね。健康志向になるのはしょうがないけれど、どうにも味気なくて。ほら、僕、少し痩せたろ?」


 おどけて言うソルに私は答えられない。

 渡されたクレープを握ったまま、おどけて笑う彼を見つめ、それから騒がしい心臓にどうしていいかわからなくて視線を落とす。


 こんなことでは彼に気を遣わせることはわかっているのに、けれども言葉が喉でつっかえて出てこない。


「……ソル、あの」

「カノンはこの後も時間ある? 僕が入院している間に大通りに雑貨屋がオープンしているはずでさ。隣国から輸入しているアイテムが取り揃えられてるって話でさ」

「ソル……」

「それから前に行ったレストラン覚えている? 最近期間限定のメニューが出ていてね。子羊のステーキが数量限定で出るって……」


「……あなたが好きなの」


 気を遣うように立板に水を流すように話し続けるソルの袖を引いて、思い切って言葉を吐いた。


 途端、ソルが驚いたように目を見張って、私を見つめる。

 その瞳を見上げ、私は再度言葉を吐いた。


「……私、あなたを好きになったの」

「…………え」

「だから、あなたと結婚を……」

「ま、待って!」


 必死に言葉を紡ぐ私を遮って、ソルが叫ぶ。

 そこで私はようやく彼の困惑しきった顔に気がついて、なんだか取り返しのつかないことをした気持ちに陥った。


 鈍感すぎて何度も振った私は、彼に愛想を尽かされていたのだろうか。

 それとも全部が全部、私の勘違いで彼を困らせたのだろうか。


 ……もしかして本気でなかったのなら。本気にされて困っている?


 彼の言葉で一瞬で不安になって真っ青になる私に、ソルが困惑した顔のまましきりに目を泳がせ、けれどもやがて真っ直ぐと私を見た。


「……その、今のは……あの時の、僕の告白の返事っていう認識でいい?」


 私はソルの顔をまともに見れず、黙ったまま一度頷いた。

 ソルは「そうか…」と頷くと、困り果てたように自分のうなじをさする。


 彼が黙っている時間は短いものだったけれど、私には死刑宣告を聞くような気持ちでいたからから長く感じた。


「…………カノン、あのさ、厚かましいお願いをしていいかな」

「お願い……?」

「…………あの時の告白、聞かなかったことにしてもう一度やり直させてほしい」


 聞かなかったことに、という言葉に呼吸が止まりかけたけれど、続いた彼の言葉に私は顔を上げる。


「……その……あの時、泣き言みたいな形でみっともなかったじゃないか。正直に言うと、あの時の僕、最初半分寝ぼけてて。途中で起きてとんでもないこと言っている自覚はあったけれど引っ込みがつかないから開き直って、でも結局君に逃げられて……今日だってその、君に改めて振られるんじゃないかって、話はぐらかしまくって……ああ、本当に格好悪いな! だから、仕切直しさせてくれ!」


 やけっぱちに叫ぶソルに私はぽかんとして彼を見上げる。

 彼は頬を真っ赤にしてこう続ける。


「今度ちゃんと格好良くプロポーズするから、その時に“はい”って頷いて」

「……それは、今度じゃないと駄目なの?」

「駄目……ではないけれど、ちゃんと君が素敵と思えるようなプロポーズがしたい。こういうの、大事だろ? 特に女の子には……だからちゃんと準備して臨ませて」


 あまりにも真剣に言うものだから、私はただただソルの顔を見上げる。

 じっと見つめる真っ青な瞳に、やがて私はこっくりと頷く。


「……あまり待たせないでね。不安になるから」

「うん、待たせない。ありがとう、カノン。僕を女の子の口からプロポーズさせる情けない男にしないでくれて」


 そう眉尻を下げて笑んだソルの顔は少しばかり情けなかったけれども。

 でも私にとって一番素敵で、魅力的な笑顔だった。


 だから私も笑顔を返す。


 彼のことが愛おしくてたまらなかった。

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