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あれから数週間が経つ。
あのジオルド王子を筆頭に引き起こした舞踏大会のテロは、あの後すぐに警備によって鎮圧された。
あの覆面をした試合相手ーー隣国の第一皇子であるロウファ様があの場にいたテロリストどもを制圧してくれていたのも大きい。
幸い、死者は出なかったものの、だがそれでも重軽傷者は何人も出た。
自爆したジオルド第一王子とその爆発に巻き込まれたソルはもちろん。それだけでなくあの大混乱の試合会場で逃げ惑う人の波に圧しつぶされて、踏み潰されるなどの被害も少なからずあったのだ。
事件に至る事の次第は宰相の息子が全て吐いた。
彼らは婚約破棄騒動の後に廃嫡や除籍によって市井に放り出された。
かつては栄華を誇る生活をしていた彼らにとって平民に落とされる屈辱は耐え難いものであり、そのために平民の生活にも馴染むことはできずに途方に暮れていた。
そこに王家に叛意のあるものたちが付け込んだ。
彼らは元王太子であるジオルド第一王子を取り込み、彼の婿入りした男爵家を抱き込んだ。
同時に不満を燻らせる彼に侍っていた宰相の息子など、かつて婚約破棄騒動で落ちぶれたものたちをも取り込んだ。
さすがに先んじて事件を起こしてしまった騎士団長の息子ばかりは手が届かなかったけれど、それでもそうしたものたちを集めて、あの舞踏大会の日にテロリストを起こした。
王族の観覧席にボウガンの矢にくくりつけた爆弾を投げ込んであの場に集う王族を一掃しようとした。
そうなれば王家の残る血筋はジオルド第一王子だけ。
あとはジオルド第一王子を担ぎ上げて、この国を意のままにしようとしたーーと、こんなところだ。
当然、ジオルド第一王子や宰相の息子たちなどを集めて取り込んだ家も、宰相の息子の証言を元に捜査が及んで正しく罰が下された。
すべてが終わったわけではないが、大体は片付いてあとは沙汰が下るのを待つばかり。
今はそれぞれ冷たい牢の中で毒杯か、公開処刑かの日取りを数えては震えて縮み上がっているだろう。
私は、というと。
舞踏大会のテロの鎮圧に一役買ったとのことで、国王陛下から直々にお褒めの言葉と騎士爵を賜った。
ソフィア様からは「薊の騎士」と異名を頂戴した。
これは元々ソフィア様が武闘大会で私が優勝した時につけようとしてくださった名前らしい。
男性に依存しない女性が「独立」するため、困難な道に第一歩を踏み出したもの。という意味も込められているとか。
私はそんな大層なことを考えて武芸を磨いていたわけではないので恐縮しきりだが、ソフィア様も、そして王太子妃となられた公爵令嬢もこの名をよく気に入って褒めてくださった。
褒められたといえば、私はロウファ様にもお褒めいただいた。
よくソフィア様をお守りした、と。
あの時、ロウファ様が武闘大会に参加したのは、私が武闘大会に参加すると小耳に挟んだのでちょうどいい機会だと私の実力を確かめるためだったという。
彼はソフィア様をとても大切に思っていて、だからこそ実力が不確かなものがソフィア様の輿入れについてくることが不安だったのだという。
確かロウファ様とソフィア様は婚約者“候補”止まりだったはずなのだが、彼の中ではソフィア様が自分の元に嫁いでくるのは確定事項らしいことが伺える物言いだった。
それだけソフィア様が好きで、確実に自分の妻にする強い想いに溢れていた。
それだけ愛されているのに、ソフィア様は「でもまだ婚約者“候補”だから」とニコニコ笑って翻弄するのだから小悪魔だ。
そんなソフィア様とロウファ様の微笑ましい一幕はさておいて。
事件がひとまず落着したくさんのお褒めの言葉をいただいたにも関わらず、私の気は晴れない。
ソルがまだ目覚めないのだ。
騒動鎮圧後にすぐに医師が手配されて治療の甲斐あってなんとか一命は取り留めたものの、彼は昏睡状態のままいつ目覚めるかもわからない。
このまま目覚めずに衰弱死する可能性も医師から示唆された。
「………ソル」
見舞いに訪れた病室はしん、と静まり返っていた。
青白い美貌はぴくりとも動かずにただ静かだ。
呼吸すらしていないのではないかと思うくらいに彼は静かで、そんな彼を見るたびに私は不安になる。
彼はいつだってお喋りだった。
胡散臭いくらいに完璧な笑顔でニコニコして、軽薄だけれど軽快でテンポ良くいつも話しかけてきた。
彼がいる場所は華やかで、賑やかだった。
だからこんな静謐さは彼に合わなくて、とても怖くなるのだ。
眠り続ける彼に不安から何も声をかけることもできず、私はただ持参した花束を花瓶に生ける。
と、その時病室の扉がノックされた。
私が花瓶から顔を上げた時、病室の扉が開く。
「ウェリントン次期公爵様……」
「……貴女か、ヒューベルト子爵令嬢」
私の姿を認めたウェリントン次期公爵が軽く眉をひそめる。
「今は職務の時間では?」
「ソフィア様からソルの……弟君の様子を確認してほしいと言付かりまして……」
ソフィア様からの命令なのは本当。
でもきっと、ソフィア様は私が彼のことを心配しているから、気遣ってちょくちょく様子を見てほしいと言ったり、見舞いの品を届けてほしいと命令してくださっているのだ。
「ああ……なるほど。ソフィア王女殿下にも心配をかけて……」
私の言葉にウェリントン次期公爵は小さくため息をつき、眉をひそめたまま眠るソルへと視線を向けた。
その視線には深い心配の色が見えた。
「……あの、ウェリントン次期侯爵様。この度は私の力が至らず、弟君を守ることができずに申し訳ありませんでした」
「貴女が謝ることではない。危険なことに首を突っ込んだこいつが悪い」
私の謝罪にウェリントン次期侯爵は深いため息をついて、眠るソルの額に手を当てる。
「もう何年もまともに訓練をしていない身で、本当に何をしているんだ、こいつは」
呆れて責めるような強い口調であったが、彼の声音は少し震えていた。
彼もまた、眠り続けるソルが死の淵に立たされていることに不安と恐怖を抱えているのだろう。
気休めの言葉もかけることができず、私もまた俯く。
ウェリントン次期侯爵が軽く頭を振ると、携えていたバスケットを私が花を生けた花瓶の横に置く。
中身は見舞いの品とたくさんの手紙でいっぱいだった。
「…………不実な遊びにばかり耽っているとばかりに思っていたが、弟を慕うものは思いの外多かったようだ」
「ーー…………」
「知らなかったよ。こいつが商売を始めていたことも、健全な関係を築けるようになっていたことも」
ウェリントン次期侯爵は後悔を吐くように、苦しげにこぼす。
「……こいつは……ソレイユは両親が晩年になってから生まれた弟でな。三男ゆえに後継のスペアという立場にもなれず、だからといって目を引くほどの優秀さもなく、それ故に両親からはどうしても後回しにされることが多かった。だからだろうか、子供の頃はどうしようもない問題児だった」
彼は語る。
幼児の頃のソルは癇癪もわがままもひどい子だった。
おそらく寂しかったのだろうと今ならわかるが、当時十代だったウェリントン次期侯爵は癇癪玉のような彼とどう接していいか分からずに距離を置いた。
それから少し成長して、ソルは自分の容姿の華やかさを理解して使うようになった。
愛嬌を振りまいて要領よく周りに取り入るようになっただけならいいのに、彼は悪い女に引っかかって良くない遊びを教えられて享楽に耽るようになった。
貴族学園にいた頃は不良仲間と連んで問題ばかりを引き起こし、その度にウェリントン次期侯爵も、彼らの父であるウェリントン侯爵も彼を散々叱りつけた。
けれども彼はまるで堪えない。そればかりか小言や叱責を避けるように頑なになって、自分たちを避けて何も言わなくなってしまった。
そうして生まれてしまった溝を、彼は、彼の父はどう埋めればいいのかわからなかった。
彼と向き合う方法がわからないまま、ただ彼が問題を起こす度に頭ごなしに叱りつけてばかりいた。
そうしたって溝が深まるばかりで埋まることがないとわかっていながら。
懺悔のように、独り言のようにポツポツと語るウェリントン次期侯爵の話に私は何も言えず、ただ黙って聞くことしかできない。
「……ソレイユは貴女とはよく話をするだろうか」
「そう、ですね……たくさん話をしてくれました」
「そうか……どんなことを?」
乞われるまま、私はソルがしてくれた話を思い返しながら話す。
流行りの店のこと。上映している舞台。商売での苦労の話。私のことをとても心配して声を荒げたことも。
ウェリントン次期侯爵はその話のひとつひとつを静かに聞き、時折眉尻を下げて眠るソルへと視線を向けた。
その眼差しが寂しそうなのに何も言わない時のソルの瞳とよく似ていた。
「……あの……その、差し出がましいのですが、ウェリントン次期侯爵様、ひとつお願いをしてもよいですか?」
「なんだろうか?」
「……もし弟君が目が覚めたら……彼の手がけたガラス細工を見て、褒めてさしあげてほしいのです」
私がそうお願いすれば、彼は少しだけ驚いたように目を丸くする。
「弟君は……前に優秀な身内と比べて自分には何もない、と……でも、けれども彼のセンスは本当に素敵なものを生むんです。だからお兄様であるあなたの口から褒められたら、弟君もきっと嬉しいのではないか、と……」
言いながら、本当に差し出がましいことを言っていると自覚して、言葉尻が次第に小さくなる。
でもウェリントン次期侯爵は忙しい最中にソルを見舞いに来るほど、ソルのことを想っている人だ。
そしてソルもずっと胸に空洞を抱えている。それが家族に起因する劣等感なのだろうとは薄々気がついていたが、今日、ウェリントン次期侯爵の話を聞いてはっきりとわかった。
ソルが飢えていたのは父や兄たち、家族からの愛であり、自分をちゃんと見てもらうことだった。
だから彼らがきちんと対話できれば、少しでも溝が埋まるのではないかと……そう思ったのだが、お節介だろうか。
「……覚えておこう」
俯いてもじもじとする私に、ウェリントン次期侯爵がはっきりとそう口にした。
私がは、と顔を上げれば、彼は続けてこう言った。
「ありがとう、ヒューベルト子爵令嬢。ソレイユは貴女に巡り会えて幸運だ。よい縁に恵まれたな」
「き、恐縮です……」
「これからもソレイユは貴女に迷惑をかけるかもしれない。けれど、どうか我が愚弟と良き関係でいてほしい」
恐縮する私にウェリントン次期侯爵が頭を下げる。
恐れ多い構図に私は悲鳴のように「頭を上げてください、ウェリントン次期侯爵様!」と恐縮した母のような裏返った声を上げてしまった。




