26
煌々と明るい満月が照らす庭園にはたくさんの月見草が咲き乱れ、蛍がチラチラと妖精のように舞っている。
静謐とした夜にサラサラと水の音が響いている。人工の川だというのに耳を傾けていたくなる涼やかで爽やかな音だ。
ここだけ世界から切り離されたような幻想的な光景は、確かにソルが言うようにデートにはもってこいの場所なのだろう。
「……この時間帯、ここには警備が巡回してないんだ」
ひっそり顔を歪めていると、ふとソルが口を開く。
軽やかで爽やかな声が少し憎たらしくて、彼に胡乱な視線を向ければ彼はいつもの完璧な微笑みで私の視線を受け止めた。
「ここは先先代の王妃が夕涼みのために作った場所でね。今では王族が納涼会を催すときくらいしか使っていなくてね。もったいないよね、これだけ綺麗なのに」
「ソル」
この場所の説明など今はどうでもよくて、私は口を開く。
「私、そんな話をしに来たんじゃないわ」
「つれないなあ。せっかくのデートなんだから少しは楽しもうよ。用件だけ話して終わりは味気ないだろ?」
「話すことがないなら、私帰るわ」
「……わかったよ。まったくそういうところが本当に可愛くないな。こういう時、興味がなくてもニコニコ笑って付き合う女の子の方が可愛いものだよ」
そっけなく突き放すように言った私にソルがチクリとした棘で刺すような嫌味を言う。
本当に帰ってやろうか。
白々とした目でソルを見れば、ソルはニコニコとした完璧な笑顔のまま押し黙りーーやがて私からそっと視線を背けた。
「…………この前のことだけれど」
そうして彼が静かに切り出す。
「ロデオバーグ男爵と一緒にいたね。君……彼と結婚するつもり?」
「……多分ね」
「……そう…………」
私の返答にソルはそれだけ頷いて軽くまぶたを伏せた。
「……だから今のように気軽にあなたと会えなくなる」
「……だろうね」
私が続けた言葉にソルはやはり静かに頷いた。
「君はそうするだろうなと思った」
「……別にあなたのことが嫌いなわけじゃないの。大切な友人であることは変わらない」
「……知ってるよ」
ソルが眉尻を下げて笑む。寂しそうな微笑みだ。
「君が僕に対して友情を感じてくれていることも。僕に愛想を尽かして疎遠にしたいわけでも。自分の事情で疎遠にすることを心苦しく思っていることも。全部僕が悪いんだ。僕が真面目にやってれば目溢しされたことだろう。でもずっといい加減にやってきて、悪いことばかりしてきたからね。そのツケだね」
柔らかくも淡々と言うソルの言葉に、私は何も言えない。
確かにソルがもう少し真面目で大人しく、社交界に浮き名を流すような生き方でなければ、彼と友達付き合いすることをアズーロ様も、ロデオバーグ男爵も心配しなかったかもしれない。
でも、そもそもソルがそういうソルではなかったら私たちはこうして友達にはなっていなかっただろうと思う。
色々、思うようにままならないものである。
「ねえ、カノン。どうしても彼と結婚しないとダメ?」
小首を傾げてソルが問う。
「君はソフィーの側仕えに就職した。別に無理して結婚する必要はないと思うんだ」
彼の言葉に私は黙する。
確かに私は無事に就職した。自分で稼ぎ、自分で生きていくすべを手に入れた。
ソフィア様が見据える、これから女性だって結婚に依存しない自立した生き方のできる社会において独身を貫くのは新しい生き方のひとつとも言える。
だから彼の言う通りに、無理に結婚をしなくてもいいだろう。
でも、
「……それでもやっぱり、結婚をしたいと思ったの」
そう思うに至るには、色々なものが降り積もった結果だ。
アズーロ様やロデオバーグ男爵が私を心配し、思ってくれたことが嬉しかったから。
娘の幸せな結婚を夢見て、いつか私が孫を連れてくるのを楽しみにしている母の期待を裏切りたくないから。
女はかくあるべしと教え込まれ、ただでさえ拳を握ってはみ出しているからこれ以上世間の枠からはみ出すのが怖いから。
ソフィア様の側仕えとして働くのに結婚をしている方が色々と有利であるという打算から。
何よりやっぱり、小さな頃からウェディングドレスに憧れていたから。
穏やかに、優しく、一生を誰かと添い遂げる夢を見ていたから。
燃え上がるような恋でなくていい。植物を育てるように少しずつ、根を張って芽吹く情を誰かと結べたのなら。
正直、それがロデオバーグ男爵でもなくていいと思う私は薄情だけれど、でもそんなのは“今はまだ”という枕詞がつくだけだ。
彼ならば私の望む結婚生活を共に歩んでくれるだろうという思いがある。
そしてこんな私でいいと縁を結んでくれるのは、もう彼くらいだろうとも思う。
「……カノン、僕は君が好きだ。君をかけがえのない人だと思ってる」
ふと、ソルが囁くようにこぼした。
「君と離れたくない。だから彼と結婚なんてしてほしくない……って、ワガママ言っても、ダメかな?」
「…………ごめんなさい」
頭を下げた私にソルが唇を軽く噛んだ。
「せっかくもらったチャンスをふいにしたくないの」
「そう……」
「でも、その……もう二度と会えなくなるわけじゃないから……また何かの機会に恵まれたら、お喋りしましょう?」
その時はきっと、こうやって二人では話せないのだろうけれど。
私たちの関係もきっと今とはまるで変わるのだろう。
けれど、変わってしまったとしても、別の形で良い関係が構築できたらいい。
そう願いを込めて彼に告げれば、押し黙っていたソルはゆっくりまぶたを閉じる。
「……そうだね。別に二度と会えなくなるわけじゃあないしね」
そうしてやがて開いた目が覚めるような青色の瞳は笑んでいた。
完璧すぎて胡散臭い、ソルのいつもの笑顔だ。
「ああ、でも寂しくなるなあ。僕は本当に君が好きだったんだ」
「ありがとう。私もあなたが好きよ、ソル」
「友達としてだろう? ああ、悔しいなあ。結局君のことを落とすことができなかった」
少し大袈裟なくらいに肩をすくめて、ソルがおどける。
「結局君からもらったものは張り手ひとつだ。自信失くすよ、本当」
「そういうところよ、あなた」
私がクスクスと笑えば、ソルも笑う。
変わらないいつものやりとりに安堵しつつも、一抹の寂しさを覚えた。




