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ロデオバーグ男爵が誘ってくださった劇はなかなかに面白いものだった。
巷で流行っている遠い異国の地を舞台にしたロマンス小説で、神のような永久に近しい寿命を持つ長命の種族とその種族の前では吹けば飛んでしまう塵芥のような寿命の人間が織りなす恋物語だ。
彼らにはたくさんの障害があった。
それをひとつひとつ乗り越え、時には折り合いをつけながら受け入れて進む姿には胸が震えた。
最後の最後、人間であるヒロインが生を終える瞬間にヒーローの長命の種族が彼女のしわくちゃの手を握りしめて涙しながら「決して君のことを忘れはしない」と微笑みかける姿を見た時、私も厚手のハンカチをぐっしょりと濡らしてしまった。
原作、買おう。読み込もう。それでまた観に来よう。
「すごく気に入ったみたいだね」
「……す、すみません。すごく、良くて。その……すごく素敵なお話だったので」
舞台が終わってホールを出たにも関わらず鼻をぐずぐず鳴らしたままハンカチを手放せなくなっている私にロデオバーグ男爵が苦笑をしている。
「いや、いいんだよ。そんなに気に入ってくれてよかった。ヒューベルト子爵令嬢は情緒が豊かなんだね」
「情緒が豊かかどうかはわかりませんが……でも、あの話はすごく泣けてしまって……」
いまだあふれてくる涙を拭いながら答えれば、ふと耳に劇場前に人だかりができているのが目に留まった。
「さあさあ、見ていってちょうだい! 劇場公認! 今なら“龍神の花嫁”が全部揃うし、劇中に登場した“龍玉の髪飾り”も買えるよ! お土産にどうだい!?」
どうやら劇に関するものを売っている劇場公認のショップらしい。
思わず寄りたいとロデオバーグ男爵を見上げれば、彼は苦笑をして寄ってもいいよと頷いてくれた。
私たちは人だかりに紛れてショップを覗く。
買いたいと思っていた原作がすべて揃っているのに感動してついつい全巻を抱え込んだのは言うまでもない。
「これは……すごいね」
ふと一緒に見て回っていたロデオバーグ男爵の声に私は本を抱えたまま振り返る。
見ればロデオバーグ男爵は山積みになった箱の上に掲げられたガラスケースに収められたサンプルを目にして感心していた。
私も彼の隣に立ってそのサンプルを観察する。
それは劇中でヒーローがヒロインへと贈った髪飾りの模造品のようだった。
確か“かんざし”と呼ばれていたか。
二股に分かれた棒状の髪に差す異国の髪飾りの先端には大きな玉飾りとそこから垂れ下がる房飾りが絢爛だ。
特に大きな宝玉のような透明感のある玉飾りは陽の光を浴びてキラキラ輝くのが目を惹く。
透き通る内側に黄金の針状の筋を幾重にも抱いた宝玉は一見、ルチルクォーツに見えるが、艶々とした美しい玉飾りの大きさの割にはずっと安価で、私はこれと似たような輝きを見たことがあった。
「それが気になるのかい? 綺麗だものね」
ロデオバーグ男爵にふと問いかけられて私はどきりとする。
振り返れば彼はニコニコと微笑みながら私を見つめていた。
私は思わず言い淀む。ええと、あの、と上手い言葉が思いつかず、やがてやや視線を落として小さく頷いた。
「欲しいなら買ってあげようか?」
「いえ!」
思いがけない言葉に思いの外大きな声が出た。
私の大きな声にロデオバーグ男爵はきょとんと目を丸くし、私は彼のその顔にあわあわと慌てふためいた後に視線を落として首を横に振った。
「いいえ、結構です。その、確かに綺麗ですけど欲しいと思ったわけではなくて、なんというか……」
ここで馬鹿正直に過ったことを白状するのは何だか悪い気がした。
このガラス玉のかんざしを卸したのはきっとソルだから気になった、など。
「……舞台に出てきた小道具を商品化するなんて、目の付け所がすごいな、と」
私は誤魔化すようにそう続ければ、彼は「ああ、確かに」と頷いて、改めてガラスケースに収められたかんざしへと目を向ける。
気がつけば山積みになっていた箱は横からどんどん手が伸びてその数を減らしている。
舞台の記念品としてはもちろんだが、髪飾りとしての細工がとても見事で美しい。
感動的な舞台の効果も相まって、おそらく淑女の間でかんざしブームが起きそうなほどに売り上げは好調だ。
この勢いのまま、ソルの工房は繁盛して潤っているのだろうか。
「…………あの、私、本を買ってきますね」
このままここにいるとソルのことが巡ってしまいそうで、私はそそくさと会計へと向かう。
せっかくロデオバーグ男爵が誘ってくれたというのに、別の男のことを気にするなんてとても不誠実だと思ったのだ。
・ ・ ・ ・ ・
観劇を終え、無事に舞台の原作だった本も買えた後、私はロデオバーグ男爵とディナーを共にした。
彼の選んだ店は男女が入るにはとても無難な店で、食事の味もサービスもそれなりだった。
比べるのは失礼ではあるが、ソルが連れて行ってくれた店とは少しばかり見劣りする。けれども何か問題があるわけではない。
いや、言葉選びとしては無難というより、定番と言った方が適切か。
何となく、ふとアズーロ様を思い出した。
可もなければ不可もない。とても平坦で退屈だけれど、だからこそ安定している。
きっとこの人もそんな人なんだろう、と第一印象のままに改めて思った。
「ロデオバーグ男爵、今日はお誘いいただきありがとうございます」
「こちらこそ、今日は誘いに応じてくれてありがとう。今日は楽しんでもらえたかな?」
「はい、とても」
いまだに距離感を測りかねている互いの会話はぎこちない。
他人行儀が抜けないが、それでもロデオバーグ男爵は穏やかに微笑んでくれる。
「そうか。お世辞でもそう言ってもらえると嬉しいよ」
「お世辞だなんて」
「いや、僕はどうにもこう……女性の喜ぶものというものに疎くて」
慌てて言い募ろうとするが、それを自嘲する彼に遮られる。
「だからこういう時、どうしても定番と呼ばれるものを選びがちで。それで妻にも逃げられたんだ。“あなたは退屈だ”ってね」
「そんな……」
自分を卑下するロデオバーグ男爵に私はどう声をかけるべきか迷う。
「ああ、ごめん。こんな話を聞かせるつもりじゃあなかったんだ。ただ……その、ヒューベルト子爵令嬢にはきちんと話しておきたくて」
言葉を選ぶように彼は言う。
「あなたもすでに理解されていると思いますが、僕はルブラン次期伯爵に結婚を前提に考えてほしいと君を紹介された。そのつもりで僕はあなたに僕がどういう人物なのか見極めてもらうために今日という日を設けさせてもらった」
「私があなたを見極める……」
「無論、僕があなたを見極めるためでもある。今日一日過ごさせていただいて、あなたはルブラン次期伯爵から聞いている通りにとても素朴で純粋な……あ、いや、素朴というのは女性に失礼だったか……」
「いえ、大丈夫です。私自身も重々身に染みていることですので」
むしろ素朴と言うだけ、ロデオバーグ男爵は優しい方だ。
これまでの婚活で言われてきた言葉の方が容赦もなく、鋭い切れ味だった。
「このような機会をいただきありがとうございます、ロデオバーグ男爵。私のような地味で子爵とは名ばかりの何もない家の田舎者にも誠実に優しく対応していただき、感謝しかございません。ルブラン次期伯爵からあなたのような方とご縁を賜ったことは私にとってとても幸運なことです」
私も言葉を選びながら話す。
「ルブラン次期伯爵からお話を伺っているかもしれませんが、私の方からも改めてお話をさせてください。私は……その、お恥ずかしいことですが、貴族淑女として足りないことばかりです。訳あってソフィア様に仕えるという光栄な立場を賜りましたが、その理由も実は女として褒められたものではありません」
「聞いているよ。とある騒動に巻き込まれ、ルブラン次期伯爵夫人を助けるためにその身を張ったと」
「その通りです。私は女だてらに武芸の真似事をし続けて、たまたまそれを振るう機会に行き当たりました。それで、その際に……一生残る傷を」
あの時に抉られた肩に触れる。
今は塞がり、引き攣れた痕を残すその場所はもうすでに痛みはないはずなのに、わずかに声が震えた。
ウェリントン次期侯爵に拾われ、ソフィア様に仕えることになったきっかけの名誉の負傷であるはずだけれど、やっぱり女としての価値を失わせたこの傷は思った以上に私を苛んでいたらしい。
「ルブラン次期伯爵夫人を救ったことに後悔はないんです。その才を買われてソフィア様にお仕えすることになったことも光栄なことだと思っております。ですが……その、そういう女なんです、私。貴族淑女として……貴族の妻になるものとして笑われるようなことしかできない女なんです」
「ヒューベルト子爵令嬢……」
「私を妻として迎えることは、きっと普通のご令嬢を娶るよりいらぬ苦労をすることになると思います。あなたはとても誠実で優しい方なので……本当に私のようなものと縁を結んでいいのか……」
「ヒューベルト子爵令嬢」
言い淀む私へロデオバーグ男爵が穏やかに声をかけた。
その声にはっと顔を上げれば、彼は声音と同じ穏やかな瞳で私を見つめていた。
その瞳はアズーロ様のものに似ていて、でも全然違うものだ。
「自分を卑下しないで。あなたはとても立派で、強くて優しい人だよ」
ロデオバーグ男爵ははっきりとそう言い切った。
いやにはっきり言うものだから、私は褒められているのに何だか戸惑ってしまう。
「誰かが窮地に陥った時に助けることのできる才は決して恥ずかしいものではないし、手を差し伸べて不利益を被っても後悔していないと言い切れるあなたはとても強い人だ。だからそんな言葉で自分を貶めるのはもったいないよ」
「…… …………ありがとう、ございます」
不覚にも胸がぎゅうと締め付けられた。
ああ、この人はアズーロ様の友なのだな、と心の底から思わされた。
優しくて穏やかで、とても素敵な人だ。こんな人が不貞されてバツイチになっただなんて不思議に思う。
「ヒューベルト子爵令嬢が腹を割って話してくれたからには、今度は僕からもきちんと話をしないとだね。僕は……ーー」
「カノン!」
と、そこでロデオバーグ男爵の声を遮って響いた声に私もロデオバーグ男爵も驚いて目を丸くした。




