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異世界女子奮闘オムニバス

私を処刑するのは結構ですが、この勝負は勝ち逃げということでよろしいですか?

作者: 紗雪ロカ

わたくしを処刑するのは結構ですが、この勝負は勝ち逃げということでよろしいですか?」


 首にピタリとあてがわれた剣をものともせず、王女は落ち着いた様子でそう問いかけた。

 魔王は目元を引きつらせ、辺りに散らばったチェスの駒を見下ろす。

 窓の外は不穏な風が吹き、黒く染まる小梢をざわめかせている。

 自らの命を賭けた駆け引きは、机上の盤面から現実へと静かに戦場を移していた……。


 ***


 圧倒的な強さを持った魔王を筆頭に、魔族軍が人間領に侵攻したのはつい三日ほど前のこと。

 人々を蹂躙し尽くした後、人質兼、戦利品として敗戦国から差し出されたのは『精霊姫』と名高い第四王女だった。


 母親の身分は低いが大層美しいらしい。さて、慰み者にでもしてやろうと軟禁部屋を訪れた魔王を待ち構えていたのは、窓辺に腰かけ月明りに照らされる王女の横顔だった。思わずハッとするほど憂いを帯びた彼女は、手に持った何かを弄んでいる。そしてこちらの視線に気づくと、微笑みながらこう言ったのだ。


 ――魔王様。一局、お相手願えますか?


 しなやかな指先を伸ばし、その白いクイーンを市松模様の盤面にコトンと置く。

 チェスという遊びが人間領にあることは知っていたが、触るのは初めてだ。こちらの領では娯楽と言えば血なまぐさい殺戮ばかりだから。


 興味を惹かれた魔王だったが、何度やってもコテンパンにやり込められてしまう。

 そして何度目かの敗北を喫したところでしびれを切らし、冒頭へ繋がるというわけだ。



 剣をあてがわれている王女は、どこか遠くを見るような眼差しで続ける。


「現実の戦はお強いのに、こんな小さな盤面ではちっぽけな女一人打ち崩せないのですね」

「……貴様、馬鹿にしているのか」

「いいえ? 客観的事実を申し上げているだけですわ」


 一(はね)で飛ぶような白くて細い首だ。だが女はこの場に置ける自分の価値を誰よりも理解しているらしかった。にっこりと笑うとどこまでも慇懃無礼に煽る。


「私の勝ち逃げでよろしいのでしたら、どうぞ一思いに」


 一撃で仕留めるのは容易い――だが魔王は彼女に対してどこか痛快さを感じていた。

 それは現実の侵略が、あまりにも易々と済んだのも一因だったかもしれない。


(肩透かしを喰らった鬱憤を、この強敵にぶつけるのも悪くない)


 クックッと噛み殺すような笑いをこぼした魔王は剣を納めた。腕を組んで見下しながらこう宣言する。


「いいだろう、その見え透いた挑発に乗ってやろうでは無いか。貴様を手に入れるのは、盤面で打ち負かした後だ。その余裕に満ちた顔を恐怖で歪ませてやる」


 落ち着いた動きで駒を拾い上げていた王女は、一度もこちらに視線を寄こさず静かに返す。


「はい、いつでもお待ちしております」


 魔王は黒衣をたなびかせ部屋を退出した。

 廊下で控えていた側近が下卑た笑みを浮かべながらすり寄ってくる。


「ヒヒ、どうでしたか姫の味は」

「あぁ、とんだ歯ごたえだ。なかなかに喰えない女だぞあれは」

「はて……?」


 首を傾げる部下を残し、どこか楽しそうな魔王は歩き出した。


「この俺が挑戦者側になるなど、いつ振りだろうな」


 生まれてこの方、敗北を知らなかった彼は密かな喜びに心を躍らせていた。

 少しも敵わなかった相手を、打ち倒した時の快感はいかほどの物か。さぞかし爽快に違いない!


「いいか、できるだけ丁重に扱え。俺が打ち負かす前に姫に傷一つでも付いてみろ、胴体とオサラバした貴様の首が地面とキスするはめになるぞ」

「ヒェッ……仰せのままに」


 ***


 どうやら我らが魔王は、貢がれてきた人間の王女をいたく気に入ったらしい。

 魔王の城でそんな噂話が流れるのに、そう時間はかからなかった。

 なにせ魔王は毎夜のごとく姫の部屋を訪れては、明け方近くに疲労困憊しきった顔で出てくるのだから。


「一部ではそなたがサキュバスの末裔なのでは無いかと疑われているらしい」

「まぁ、光栄ですわ。骨抜きに出来ているのかしら」

「確かにこの戦術には首ったけだよ。……詰みだな」


 駒を動かしながらの雑談も慣れたものだ。再びの敗北に顔を引きつらせた魔王に、王女はくすりと笑う。

 毎夜、こうして膝を突き合わせてどのぐらいだろう。結論から言えば、魔王はすっかりチェスの虜になっていた。

 元々学習能力が高いせいもあったが、大部分は王女がそうさせたのが大きい。

 相手のレベルに合わせ、常にほんの少しだけ先を行く。次は、次こそはと思わせることで、魔王をこの遊びに夢中にさせたのだ。


 だがやはり、現段階では王女がまだまだ上手うわてのようだった。次の一局で魔王がうなりながら長考する間、彼女は独り言のようにぽつりと呟く。


「サキュバスの娘……」

「なんだ?」


 完全に無自覚だったのだろう、魔王に問いかけられ王女はハッとしたように我に返った。それまでとは違い、少しだけ焦ったようにはにかんでみせる。


「いえ、人間領でも同じようなことを言われていたなとふと思い出しまして……」

「ほう? 話してみろ」


 ルークの駒を動かし、魔王は続きを促した。よどみなくビショップを動かした王女は語る。


「……。私の母は、高級娼婦上がりの第七王妃でした。ですが父上の愛を一身に受け、比較的早い内に私と弟を授かったのです。そのことで宮中では色々と言われていまして……」

「ふむ」


 どうやら『精霊姫』と称えられる彼女も、一部からはやっかまれていたらしい。

 フン、と鼻を鳴らした魔王はどこか不敵に言ってのける。


「荒唐無稽だな。見たところそなたは混じりけ無しのひ弱な人間だ。そもそも、人と魔族が交わり子を成すなど聞いたことがない」

「ええと?」


 話がどの方向に転がるのかと王女は不思議そうな顔をする。

 ニヤリと笑った魔王は、こちらを指すと自信たっぷりにこう言い切った。


「つまりその呼称は全くの的外れというわけだ、何も気に病む必要はない。それにサキュバスに例えられるのはこちらでは名誉なこと。そなたとそなたの母親がそれだけ魅力的だったのだろう。誇るがいい」

「……」


 どこか確信に満ちた響きに、王女はぽかんと口を開いている。

 そなたの番だと促され、戸惑いながら動かした一手は――これ以上ないほどに最善手だった。

 それを見下ろした魔王は、悔しそうな顔をしてこう呟く。


「……ダメか、精神的に揺さぶれば打つ手も緩むと思ったのだが」


 どこかズレた励ましは戦略だったことに気づき、王女は思いがけず吹き出した。

 クスクスと笑いながら、声の調子を怒っている風に少し下げる。


「もうっ、そういう盤外戦術が得意なのは魔族っぽいですね」

「なに、事実を述べたまでだ。本心ではあるぞ」


 軽い調子で言われた言葉に、王女ははにかんで頬を染める。


 それからも、盤上では容赦ない攻防が続く一方で、王女は合間にさまざまな話を紡いだ。

 父である王の愛は母親にだけ向けられた物で、子どもたちにはそこまで関心が無かったこと。

 チェスは教育係の先生に教わって、あっという間に追い越してしまったこと。

 殿方に勝つのははしたないと言われたので、誰かと対戦する時はいつも手加減してきたこと……。


「待て、俺はいいのか」

「それはもちろん。一度でも勝ってしまえば、あなたは私に興味を失って殺すでしょうから」

「っ、それは」


 どこか居心地が悪そうに視線を逸らす魔王には目を向けず、王女は黒と白で塗り分けられた盤面を見つめる。柔らかくほほ笑んだ彼女はこう続けた。


「でも、おかしな話ですね。こんな状況だと言うのに……あなたと真剣に戦えるのがなんだか楽しいんです」

「姫……」


 少しだけ感傷的な表情を浮かべる魔王をちらりと見た王女は、容赦なく駒を置いた。


「チェックメイト」

「あ゛」


 気が緩んでいたことに気づいた魔王は、軽く睨むと恨みがましく言う。


「貴様、意趣返しとは……」

「ふふ、あなたから学んだ手法です」


 配下にこんな舐めた真似をされたら八つ裂きでは済まないだろうに、なぜだか心が弾んで仕方ない。

 破壊衝動にしか意味を見出せなかった魔王は、王女と対局し話すことで満たされているのを感じていた。



 誰からも恐れられていた魔王は、不器用な優しさを見せる。

 常に最高の状態で戦えるようにと、口ではぶっきらぼうに言いながら王女を大切に扱った。

 部屋の中はいつも贈り物の花で満たされていた。

 外に出る事が敵わない彼女の為に、故郷の物を取り寄せて心を和ませた。

 ――彼女が嬉しそうに笑ってくれるのが、何よりの幸せだった。


 ***


 そんな日を繰り返し、気づけば二年の月日が経とうとしていた。

 その頃になると魔王のチェスの腕前も相当な物になっていて、王女がヒヤリとする局面も多発するようになっていた。


「……」

「……」


 初めての勝負をした夜と同じく、窓の外の小梢がざわめく。

 何千回目になるか分からないその一局は、確かにそれまでとは何かが違っていた。

 いつも穏やかに交わしている会話もなく、互いが熟考を重ね、駒を動かすコトンという音だけが張りつめた室内に響く。


 ――魔王が王女を追い詰めていた。


 王女の顔に焦りの色が宿り、戦局を指揮する指先は細かく震えている。

 まさに熾烈を極める争いだった。魔王に優勢のまま試合が運ぶ中、彼はふいに打つ手を止めて顔を上げる。

 吹き付ける風が窓を叩く。王女を見つめる挑戦者は、覚悟を決めその一言を解き放った。


「姫。もし、もし俺が勝てたのなら、その時は――」

「……」

「そなたの……心が欲しい」

「え……」


 心からの告白に王女は目を見開いた。胸元にやった手が痛いほどに握り込まれている。


「人間領への侵攻も引き上げよう。これからは互いに手を取り合い、協力していけないだろうか? もう俺は、そなた無しでは生きていけそうにないんだ」


 魔王はただ返答を待つ。だが、俯いた小さな口から零れた答えは、期待とは少し違う物だった。


「どうして……寄りによってこの日に」

「え?」


 何を……と、問いかけようとした魔王は、その騒ぎを聞きつけて立ち上がる。


「魔王様! ニンゲンどもが潜り込んで城内を――グェッ!!」


 配下の一人が扉を開けると同時に背後から切り捨てられ倒れ込む。

 王女は辛そうに顔を背け、魔王はその後ろから現れた人物を見つめるしかできない。

 踏み込んできたのは人間の若者だった。彼は血のついた剣を振り払いながら室内を見回す。そして王女の姿を認めると切羽詰まったように叫んだ。


「姉上! ご無事ですか!!」


 彼女の弟――その事実に、魔王は咄嗟の判断が鈍る。

 まっすぐ構えて突進してきた剣先が、逸らす間もなく腹部に吸い込まれていく。

 焼けつくような痛みが脳を突き上げ、魔王はテーブルを巻き込んで倒れた。対戦途中だったチェスが、大きな音を立てて室内に散らばっていく。


「ぐっ……なぜ……」


 痛みにあえぐ魔王を見下ろす形で、王女が傍らに立つ。

 その無機質な視線とかち合った瞬間、彼は全てを悟った。


「チェックメイトです、魔王」

「姫……」


 弟から受け取った剣を持ち、こちらの心臓に狙いを定める姿は、冷酷無比なクイーンそのものだった。


 種明かしをしてしまえば、王女の密かな手引きにより、人間側の反撃体勢はすでに整っていたのである。

 魔王トップの動きを抑制することで侵攻を鈍らせ、城の守りの弱点を間者に報せる。

 そうして決行日を決め、弟と二人で外と内側から破壊してみせた。

 つまり盤面で戦っていると思っていたのは魔王だけで、実際は王女が一枚も二枚も上手うわてだったのだ。


 チャキと構えた王女は固い声で言う。


「これが、人間の底意地です」


 一方的に蹂躙され、奪われたままでは終わらせない。

 二年前、王女はその覚悟を持ってこの城に乗り込んできた。

 誇り高き王族として、示しを付けるために。


「魔族はたくさんの民を虫けらのように引き裂いて殺しました。犯し、奪い、踏みにじった。各地の怒りを鎮めるにはトップであるあなたの死が必要なのです」

「そうか……」


 魔王は腹部の傷に手をやる。致命傷ではないが、しばらくは動けないだろう。

 静かに目を閉じると、穏やかにこう答えた。


「いいだろう。惚れた女の手に掛かるのも悪くない」


 魔王は自嘲するように口の端に笑みを浮かべる。

 その脳裏には、この部屋で彼女と過ごした日々がありありと描き出されていた。

 偶然、手元の近くに落ちていた駒を拾い上げて見る。その白のクイーンを大切そうに握り込んだ。


「結局、そなたには一度も勝てなかったな……」


 そうして最期の時を待つのだが、突然、剣を取り落としたような音がガラガラと響く。

 驚いて目を開けると、こちらに寄り添うようしゃがんだ王女は微笑んでいた。


「いいえ、私の負けです」


 月明りに照らされるその様は、出会った夜と何ら変わりなく美しかった。魔王は見惚れて思わず息を呑む。


「これは、自決用に取っておいた毒です。今の弱ったあなたなら十分に殺せるでしょう」


 彼女は胸元から何かの小瓶を取り出すと、透明に揺れるその中身を一息にあおった。そして魔王の頬に手を添えると、優しく口移しをする。


 あまい、花の香りがする――何の抵抗もなくそれを受け入れた魔王は、彼女の喉も同時に動くのを見た。どうしようもない嬉しさに心が打ち震える。


「共に……逝ってくれるというのか」

「えぇ、勝ち逃げは許しません」


 かすむ視界で魔王は愛しい相手を引き寄せる。

 彼の胸に顔を埋めた王女は、最期に小さく呟いたのだった。



「もうとっくに、心なんて持っていかれてしまったのだから」



 ***


 それからという物、人と魔族の争いは沈静の一途を辿った。

 魔王を討ち取った第三王子は立派に国を治め、人々の為に尽力したと言う。

 彼の姉はその身を犠牲にした聖女として崇められ、今でも教会で称えられている。

 時代は移り変わり、次第に誰の記憶からも争いがあったことなど忘れられていった。


 それだけの時が、過ぎていった。


 ・

 ・

 ・


 とある時代の、とある貴族の屋敷。

 その日は、よく晴れた青空の下でガーデンパーティーが開かれていた。

 未来の小さな貴族たちが、お呼ばれしたことに興奮し、あちこちで楽しそうな声をあげながら走り回っている。


 そんな中、少し外れた木の根元で一人の少年が鬱屈と座り込んでいた。

 その目の前には市松模様の盤面があり、手に持ったチェスの駒をクルクルと弄んでいる。

 つまらなそうな顔をして片付けようとしたその時――ふいに、少年の顔に影が掛かった。


「ごきげんよう」


 顔を上げれば、いつの間にか傘を差した小さな令嬢が目の前に立っていた。

 風になびく髪を抑えながら、レディは柔らかくほほ笑む。


「一局、お相手願えますか?」

「……あぁ」


 余計な言葉など要らなかった。慣れた動きで盤面を整えた二人は、いつかの続きを打ち始める。


「何か、賭けましょうか」


 月明りに照らされる彼女も美しかったが、麗らかな陽射しの下だともっと綺麗だ。そう思いながら少年は答える。


「それはもちろん、」


 今世こそ勝てるだろうか。

 最高のライバルであり最愛の人のそれを、絶対に手に入れてみせると力強く笑った。



 ――そなたの心だ。



おわり

最後までお読みいただきありがとうございました。

少しでも楽しんでいただけましたら、評価やブックマークをしていただけると励みになります。

まだ見ぬ読者様への導線に繋げて頂ければ幸いです。


他にもシリアスからコメディまでいろいろ書いています。

短編でまとめていますので、よろしければシリーズ一覧からもう一本どうぞ。

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