第36話
「ここは私にお任せを」
肩越しに振り返り、片目で俺を見るリーシュカ。
これは……俺以上に怒ってるな。
「わかったよ、リーシュカ。君に任せる」
「なんだと? ふざけるな!」
俺のせりふに怒鳴り返したのはニコルだ。
「メイドふぜいがこの僕の相手をするだと? 生意気な! 僕はデンペロン侯爵家の次期当主、<水壁>のニコルだぞ! ギフトも持たない平民ごときが僕に勝てるとでも言うつもりか!」
「お言葉ですが、ニコル様はまだ次期当主とは認められておりませんし、伯爵以上の貴族家の当主もしくは冒険者ギルド中央本部から二つ名を認められてもおりませんよね?」
「だ、黙れ! そうなるのは確実だという話をしているのだ!」
「まだ手に入れてもいない権威で他人をひれ伏させようとしても失笑を買うばかりです。実力があるというのなら早くお示しになるべきかと」
「おのれ! 吠え面かくなよ! かかれ!」
騎士たちが剣を手にリーシュカに殺到する。
と同時に、背後では魔術師たちが詠唱を開始。
だが、その瞬間にはもう、リーシュカは体内で魔力を練り終えている。
「『海嘯』」
リーシュカの足元から水がせり上がり、騎士たちの足元へと流れていく。
最初は緩やかに。
だが、すぐにその流量が増え、水位は騎士たちの足首から膝へ、腰から上へと上がっていく。
いくら鍛えた騎士であっても、押し寄せる水の圧力に耐えられたのは数秒だけだった。
「「「うわああああっ!」」」
「なにっ!? くそっ、『水壁』!」
後方でニコルがギフトを使った。
忽然と現れた水のドームがニコルを覆う。
そのドームの左右を、あるいはドームにぶつかりながら、騎士たちが後ろへ流されていく。
リーシュカの生み出し続ける水はそのドームを圧迫し、ニコルの足が後ろに押される。
「馬鹿な……ギフトも持たないただのメイドがこんな魔術を…!? しかも、詠唱もなく……!?」
「幼き頃よりノエル様の薫陶を賜っていたのです。これくらいは当然です」
とリーシュカ。
リーシュカの説明は、半分は正しい。
たしかに俺は、幼い頃から自分だけでなくリーシュカのことも鍛えていた。
魔力の鍛錬には自分ひとりでできるものが多いが、パートナーがいたほうがやりやすいものもある。
リーシュカは俺の個人的な鍛錬にも付き合ってくれたから、魔力量はこの世界の標準的な人間と――いや、平均的な魔術師と比べてすら、はるかに多い。
だが、同時に、リーシュカ自身の才能も大きい。
リーシュカには水魔法の才能があった。
デンペロン侯爵家は代々水系統のギフトを授かることで有名だ。
その後継ぎ候補の一人だった俺のメイドにリーシュカが選ばれたのも、リーシュカが水魔法の才能を持っていたからだ。
……と言っただけだとピンとこないかもしれないが、具体的にはこういうことだ。
俺にはエリーゼという婚約者がいた。
だが、エリーゼとのあいだにすんなり子どもができるとは限らない。
できたとしても、将来水系統のギフトを授かるかは未知数だ。
そんな時のために、リーシュカが付けられた。
水魔法の才能を持つリーシュカとのあいだに子どもをなせば、その子が水系統のギフトを授かる確率が上がる。
つまり、リーシュカは俺の将来の側室候補という面を持つ。
それほどの水魔法の才能を持つリーシュカが、俺という転生者とともに幼少時から魔法の修行に励めばどうなるか?
その答えが今目の前にある光景だ。
「そろそろ終わりにしましょう。『渦潮』」
リーシュカの魔力操作によって、押し流すばかりだった水に指向性が生まれた。
水がニコルのドームを取り巻くように渦を巻く。
その渦は、大きくなるのではなく、小さくなった。
ドームを中心に密度を上げ、その水圧でドームを押し潰そうとしているのだ。
「ぐっ……そ、そんな馬鹿な……」
「降参してください、ニコル様。このままでは『水壁』ごとあなたをぺしゃんこにしてしまいます」
「く、くそぉっ……こ、降参、降参だぁぁぁぁぁっ!」
ニコルの「水壁」が弾けた。
リーシュカも「渦潮」を解くが、一部の水が残って、ニコルを頭からずぶ濡れにする。
「うぷっ!?」
……あれはどう見てもわざとだな。
後ろに流された騎士や魔術師たちがリーシュカに向かって構えようとしているが、
――ドドドン!
「「「うわああああああっ!?」」」
おなじみの足元エレベーターで高さ十メートルの円柱の上に立っていただく。
もちろん、俺の仕業だ。
「残るはあなたたちですね」
「「ひっ……!」」
と怯えたのは、さっき俺たちのハイルークに刀傷をつけてくれた騎士たちだ。
「ハイルークの感じた痛みをあなたたちにも味あわせてあげます。『水刃』――」
「どうどう、リーシュカ。ストップストップ」
ウォーターカッターを魔力で再現した攻撃魔法を放とうとするリーシュカを、後ろから羽交い締めにして止める俺。
「で、でも! ノエル様のクルマを傷つけたんですよ!? 絶対許せません!」
「大丈夫、日付が変わったら元通りになるから」
このハイルークは、女神様謹製の特別仕様車だ。
ガソリンを含め、すべての状態が毎日午前零時にリセットされる。
連中はハイルークを人質――ならぬ、クルマ質に取ったつもりのようだったが、脅しとしては全く意味のない行為だった。
リーシュカを無駄に激怒させただけでな。
今見てもらった通り、リーシュカは強い。
俺とどっちが強いかといえばさすがに俺だと思うんだが、噛み合い方によっては俺がリーシュカに負けることもありうるだろう。
温厚なリーシュカはめったなことでは怒らないが、仲間を傷つけられた時には黙っていない。
その「仲間」の範疇には、我らが愛車であるハイルーク君も入っていたようだ。
「ねえ、悪いことは言わないから投降してくれる? こっちの怖いお姉さんに殺されちゃうよ?」
と俺が言うと、ハイルークのそばの騎士たちは、慌てて剣を地面に捨て、両手を上げて投降した。
ニコルは、頭から水をかぶり、地面に尻もちをついて呆然としている。
リーシュカは俺を振り返ると、
「ノエル様ぁ! 任務完了しましたぁ!」
と、満面の笑みで報告してくる。
「ご苦労さま、リーシュカ」
と言って俺は、背伸びしてリーシュカの頭を撫でるのだった。




