第5話
私たちはこれ以上何も喋ることもなくて、黙っていた。
本当は喋ることなんて山ほどあるはずなのに、そのときの私には何一つ見つけられなかった。美咲と会わなかったこの三年間が、霞のように消えていくような気がした。
美咲は窓の外を見ていた。
何を見ているのだろうと思い、私も窓の外に視線を送る。窓の外には、下北沢の街を楽しそうに歩いている若者たちが見えていた。だけど美咲には彼らの姿は見えていなかったのかもしれない。その代わりに、美咲にしか見えない何かを見ていたのかもしれない。どこか焦点の合わない美咲の目が、窓の外を彷徨っていた。
マスターがトレイに二つのコーヒーカップを載せて、テーブルにやってきた。「おまたせ」と小さな声で言いながら、そのカップをテーブルの上に置いていく。私の目の前に置いたときに、私は彼に小さく頭を下げる。美咲は窓の外を見つめたままだった。
私はカップに砂糖とミルクを入れて、スプーンでかき混ぜる。久しぶりに飲むカフェのコーヒーはどこか苦くて、そしてどこか切なかった。
不意に美咲が視線を、窓の外から店の中に戻した。
私の目を正面から見てきた。その目の真剣さに私は一瞬戸惑う。
美咲は、「実は……」と呟いた。
私はその言葉の続きを待った。
だけど美咲はそれ以上、何も言わなかった。どこか苦しそうな表情を浮かべながら、私のことを見ていた。
「え? 何?」
私のこの言葉に、美咲はかすかに首を横に振る。
「ううん。……なんでもない」
美咲の口からこぼれ出たのは、この言葉だけだった。
私は「そう」と答えることしかできなかった。
美咲は砂糖もミルクも入れずに、そのままカップを右手に持ち、コーヒーに口をつける。いつもは私以上に砂糖を入れるような美咲のはずなのに、砂糖を入れるということを忘れてしまったかのようにブラックのコーヒーを飲み続けていた。
再び静寂が私たちを包みこんだ。
今度の静寂は、どこか悲しかった。
私たちはその静寂の中でただ黙ってコーヒーを飲み続けていた。
あの時、美咲は私に何を言おうとしたのだろうか。
今になって、私はそのことを時々考える。
だけどそのたびに私は、暗闇の中に一人きりで立ち尽くしているような心細い思いに襲われる。
美咲が私に伝えようとした言葉。
もう、その言葉を、彼女に確かめることはできない。




