超短編 零所為Epsilon 実験ログ
<実験ログ x012-4-12,16/22>
音声認識 会話ログ登場人物
主任研究員 Niiro-Akatsuki
副主任研究員 Yamashina-Mashiro
事案レベル:6
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机の上にはいくつかの箱が置かれている。そこそこ大きなガラスのケースに、動物を保管するカゴ。
「あーあー、ログ取り開始…」
「えーっと、始めましょう。」
青髪の科学者は、そういうや否や入念に保管された一つの箱を保管庫からとりだす。
「…今回の目的は。」
「そう、この物質の生体反応性を確かめるの。」
「かなり非倫理的に思えるけども…」
「そう、確かに非倫理となっているわけ。」
しばしの沈黙が広がる。
「本当は、あまり好まれないんだけどね…ただ、”ヒツヨウ”ではあるから。」
主任はそう口にする。
「まあそう…。」
副主任は微かにうなづいて自分の手についた指輪をチラリと見る。
そのままに主任は箱を机に置いて、巨大な手袋を手いっぱいにつける。
「実験用の生体を用意して。」
「このこね。」
副主任は手でヒョイっと小さなモルモットを持ち上げる。
「…尊い犠牲と言って美化はしたくないけど、やむを得ないものだし。」
その腕で、そこそこ大きなガラスケースにモルモットを投入する。
至って普通に元気よく動き回っている。
「可愛い子ではあるし、飼いたい。」
副主任は
「さーて、開けましょう。」
手袋が一際厳重な箱を開く。
そこにはほとんど正方形に近似した、固体の金属が一つばかり存在している。
状態としては、正常ではある。
「これは性質上…非常に危険なものです…」
主任はそう呟くと震える手袋にピペットを持つ。
震えるピペットはその固体の金属の表皮を掠める。
すると、空間が歪むように、ゼリーを抉るように金属はピペットに触れた部分から溶けていく。
その溶けた金属が、ピペットのガラスを金属色に染めながら溜まっていく。
「ごめんなさい。」
主任はそう呟いて、小さく無垢なモルモットに一滴をこぼす。
モルモットは、何か違和感に気がついたように苦しみ始める。
手足をジタバタと、ゆるく動かす。
でも、そのゆるさに反対するように、体に付着した金属がどんどんと表皮に広がっていく。
その様子に主任及び数人の研究員は瞬きを繰り返す。
そんなに微かなものがこんなにも影響を与えているのだから、恐ろしさがひしひしと伝わってくるものだ。
「紅月さん、これは私がみる。 人が見ていいものじゃない。」
副主任はそう呟いて、じっとモルモットの様子を凝視する。
モルモットは、その足を、手をさらに早く動かす。
やがて、体の重みに耐えかねてこてんと転がる。
かけられた部分から少し離れた場所にもその忌々しい光沢が染まり始める。
「ひっ…」
副主任は、微かに声をあげつつも、手は必死にメモを取り続ける。
微かな異変でさえ見逃さないように。
モルモットは、その様相を段々と金属に変えながらも必死に争う。
それは新人類に対する人間の無力さを表現するようなものにすら近似していた。
「紅月さん、目は開けないで。君にとって嫌なものがあるかも。」
…
モルモットはぐでんとしたままに、やがてその金属の色は手足に伸びる。
やがて、さっきまでピクピクとして動いた手足は色を変え、やがて動きが止まってしまった。 まるで抗えない力に時間をとめられたように。
抗えなくなれば、そのまま全身が金属へと置き換わってしまった。
乾いた音でもなければなんでもない、ただ
「終わった。」
主任は目を開ける。
「ああ…。本当なの?」
「…うん。」
聳えるのは数秒前までは、数分前までは活発なモルモットの金属像。
その造形はこの世の万物の何よりも精巧に見える。
まるで、今にでも生きていたかのように。
「…触れちゃダメ。」
副主任はじっと凝視する。
しかし、その彫刻は何にもならない。
「…」
20分後——-
彫刻はいまだに冷たく時を刻んでいる。
「…」
「うーん、ここまで動かないなら、ちょっと棒くらいで突いても…」
主任は小さな声で話す。
「わかった、私がやる。」
副主任は何か気張っているように感じさせる。
「でもさっきの観察は…あなたが…。」
「いや、これは私がやらなくちゃ。」
「今までの恩があるから。」
副主任は大丈夫と紅月の肩をポンっと叩く。
副主任は、指輪をつけた方の手で小さなガラス棒を持つ。
「じゃあ、始めるね。」
そのガラス棒は微かに震えながらモルモットの金属の表皮に触れる。
すると、さっきのようにペロリと金属の液体がガラス棒にこぼれる。
「えっ…。」
「…まあ、大丈夫なはず。」
二人は微かに怯えつつ、それでも突き進む。
まるで禁忌に最も容易く触れるかのように。
「少量だと体を保てない…か。」
しかし、その瞬間に奇妙なことが起きた。
ガラス棒を上るようにその小さな金属の液体は奇妙な動きをしたのだ。
スラリすらりと、まるで親を探すように手へと、指へとにじり寄ってくる。
「え…ひゃっっ!!!」
副主任はガラス棒を押し除け、床に倒れ込む。
ポケットからメモ帳が落ちて辺りは騒然となる。
そのガラス棒は彫刻を抉り倒し、溶け出した液体がガラスケースを超えて、あたりに飛び散る。
「だ、大丈夫??」
紅月はその瞬間に思いっきり駆け寄ろうと足を動かそうとする。
だが、それはすぐさまに凍りつく
「近づかないで!!」
副主任は唐突に感情的になる。
「立ち上がることはできるけど…。」
その声のまま、自分が持っていたメモ帳を足で蹴り上げる。
「拾って、そして逃げて…!」
「どうしたの…!!!」
主任は感情的に返す。
そして、手を伸ばして起き上がらせようとする。
「ダメだよ…!!」
副主任は手を見せつける。
その手にはメッキのように金属が付着していた。
「…!!」
「待って、そんな…っ..!」
「危なかった…そうじゃなかったら、紅月さんが…。」
副主任は微かに震えた声で言う。
そしてガタガタと震える体で声を必死に増幅させていう。
「全員、退避を命じます。」
「全員。私より上層の権力を持つ人物も!!」
副主任はその声を、必死に増幅させながらいう。
「待って、まだ諦めちゃダメっ…!その金属はタンパク質に反応するはずじゃ…」
「痛いかもだけど…いや、辛いけど…。ただ、そう…。」
主任は胸ポケットに隠した果物ナイフを取り出そうとする。
しかし、副主任は愛すべきもう一人の科学者の声を聞かず、一人で立ち上がる。
「私に触れちゃダメ。絶対に。」
「触れたら、私みたいになっちゃうから。」
そう呟く彼女の手はすでに金属へと変わっていた。
「だったら、私も…、君がいなくなっちゃダメだって…!!」
主任は焦る。
「いや、いいの。」
「多分、こいつは金属に反応してる..。」
どこか達観したように副主任は騙る。しかし、見れば明らかで人の柄をした身体だけはガタガタと震え続けていた。
「…っ…退避!」
主任研究員は退避命令を下した。
「…紅月さんは..?」
「私は…置いていけないっ…。」
主任研究員は白衣を微かにゆらめかせつつ、決してぶれずにここに在ろうと伝える。
微かに、微かにその金属になりつつある体に触れようと近づくのだ。
「…わからずやっ..!!」
「…責任とか、そういうのは全部私が背負うから。」
まだ金属に成り果てていない片方の腕で全力で主任研究員を殴り飛ばす。
「…うぐ…うぁ!!」
副主任は、またしても騙るように空想上の怪物の声を真似る。
「….。うぐぁあ!!」
「えっ…。」
「はやぐっ…にげぇ..で!!」
どこか副主任は涙をこぼしながら、あたかも自分が侵食されるように、必死に必死に訴えかける。
「うぐぁっぁあああ!!!」
「ひっ…。」
「ごめんなさいっ….、ごめんなさいっ..!!」
その剣幕に主任研究員は怯え、ゆっくりゆっくりと離れていく。
やがて研究室の扉の前に主任研究員は後退する。
「ま…待ってよ…。」
主任は変わらず声を出す。
代わり行く金属の塊は、すでに胴体の一部まで響き渡っていた。
「うぐぁぁぁあああ!!…ウギィ…!!!」
変わらず副主任は声を部屋中に轟かせる。
「ま…まずい、撤退..!」
主任は扉を開けて、部屋の外へ飛び出す。
モノになりつつある人の影が、主任の視点に映る。
それが閉まる扉に重なった時、微かに言葉がこぼれていた。
「…ありが..とう。」
だが、主任にとってはそんな言葉は扉にかき消されてしまった。
残るのは悲しみだけ。
……「映像ログ >」
すでにニーソックスの手前まで、その金属の危うさは迫りつつある。
「本当、紅月さんって..ばかだねぇ..。」
微かに副主任は高笑いしてる。
その笑いには、涙がこぼれていた。
金属の骸にその水が時折滴る。
しばらく笑った後に、浴びるほどの涙がこぼれ落ちる。
その頃には、ニーソックスの内側は全てが冷徹に染まる。
「…最後の別れがこんななんて。」
冷静に副主任は呟く
「ああ、なんか…」
少女の首筋には、すでに涙がこぼれている。
ただ変わるものは、その首筋の涙の反射する光の数。
「こんな醜態がログに残るのも…ね。」
「悪くはないけど…」
そんな言葉をつらつらと、まるで花をみる詩人のように唄う。
いうならば、花になるようなものだ。
永遠に枯れない花があるとするならば、それは花だろうか、モノだろうか。
私は今、永遠に枯れない花となる。思考と発想ばかりがチラつく、永遠の思考の上で生きる。
副主任の脳内には微かにそんな発想がちらつく。
そんな花の種を育ててくれたのは、紅月さんかもしれない。
でも、飾ってくれたのは一人ばかりの青年。
今はその永遠の願いの代わりに、指輪でさえ見ることが叶わない。金輪際。
「…どうか、あの人が元気でいるといいんだけど。ずっと、ず〜っと。」
首筋の涙が伝う場所は、もはや金属ばかりだ。
「…ああ、悲しいってこんなものかしら。薄っぺらい。」
重厚そうな口が、そう呟く。
「…ごめんね。」
<実験ログ終了>
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その後、特殊部隊による突入後、白衣・衣服を着用した鋼鉄像とこの映像音声ログを保存した機器を発見されました。
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この事件後、一名の研究員が暫定殉職と判定され研究者リストから削除されました。
また、遺体は適切な処分が行われ、xx研究所ジュブナイル計画-消耗薬品として再利用されました。
遺留品として当研究所職員一名に指輪が返却されました。
その後、xx 研究所管理官によりAkatsuki主任は無期限の研究禁止処分及び降格処分と判断されました。
本来であれば研究所規定により [検閲済み] が執行され、永年行方不明になるはずでしたが、事案の特殊性によるものか管理官の判断により中止されたもようです。
なおインシデントによりこのプロジェクトは中止されました。
これ以上の情報は存在しません。