死んでも離さない
初めてのサーフィン。そして、一緒にサーフィンをしていた明日香が突然の波にさらわれた。それを何のためらいもなく、助けに行く海人。体の弱い駄目僕が、自分肯定できるようになる瞬間。きっとそれは、大きくても小さくても誰にでもあると思う。
僕は、子供のころ東京に住んでいたけど、体が弱いのと父親の大学の研究所が、この近くにあったので小学校の時に、ここに引っ越してきた。母親は、会社を経営していたので、そのまま東京に残った。いつも元気に働く母を見ていると、なんであんなに元気な母親からこんなか弱い僕が生まれたのか?
いまだに疑問だ。
田舎に引っ越してきたぼくは、東京弁が生意気だ!と言って転校の初日からいじめられ、翌日に熱を出し、結局、そのまま夏休みまで学校に行かなかった。
何故か?みんな、東京弁を目の敵にした。
熱は、すぐ下がったけど、もともと体も弱かったのと、祖父も祖母も無理して学校に行かせようとしなかったこともあって、しばらくは学校にも行かずに、海の見える2階の部屋で過ごした。
そんな初夏、寝苦しさに目が覚めた。
窓の外がうっすらと明るかったから、5時ぐらいだったと思う。
夢見心地に、楽しそうに笑う女性の声が、砂浜から聞こえてきたような気がした。
こんなところに、人魚でもいるのかな?と恐る恐る2階の窓から海を見た。
黒いシルエットが、波の上をすごい速さで移動しているのが見えた。
僕は、急に怖くなって、夏布団を被って震えていた。
その日は、8時ぐらいに目が覚めた。
夢だったのかな?僕は、下に降りて、おじいちゃんにその夢?の話をした。
「それは、たぶん海の女神が波乗りをしてたんだよ。怖がらなくても大丈夫。」と言った。
その日から僕は、朝、早く起きて、その波乗りをしている女神さまのシルエットを毎日のように見ていた。
その女神様のおかげか、毎日早寝早起き、そして朝日にあたって朝ごはんを食べるという規則正しい生活になったのが良かったのか、僕は、だんだん元気になっていった。
小学校の1学期の終業式の日の午後、祖母が、僕の部屋にやってきた。
「海人、お客さんだよ。」
えっ、誰だろう。
僕は、玄関に僕のお客さんを見に行った。
そこにいたのが明日香だった。
「これ、夏休みの宿題。」ちょっとぶっきらぼう。
こんな子、クラスにいたっけ。1日しかいなかったから覚えてない。
「ありがとう。」そういって、僕は、夏休みの宿題を受け取った。
「それと、先生から、もしわからないことが有ったら、私に聞けって。」
「ほんと、あの先生、私に頼りすぎよね。」
「それと、夏休みが終わったら私と学校いくよ。これは、私の姉からの命令。」
「いやだ。って言ったのに。やってくれたら夏休みにサーフィン教えてくれるっていうから仕方なくね。」
「それと、あなたも一緒にサーフィンするのよ。それが条件なの。わかった?」
「うん。」
強引だけど、僕もそろそろこのままじゃいけないと思っていたし、最近体調も良くなってきた。
波乗りもしてみたかった。
あの女神様のようにサーフィンできたらいいな。
後ろにいた祖父と祖母が、僕が聞くまでもなく、
「明日香ちゃん、お願いね。」って言ってくれた。
「サーフィンは午前中ね。明日迎えに来るから、運動できる服装ね。」
「わかった。」
僕の言葉を聞いて、彼女は嬉しそうに帰っていった。
たぶん、彼女もサーフィン、したかったんだ。
翌朝、ぼくは、彼女と彼女のおねえさんと祖父と祖母と5人で家の前の砂浜にいた。
僕の父親と母親も来たい!と言ってたけど、『仕事があるでしょ!』ってご遠慮してもらった。
「おはよう。」
「おはようございます。」
「明日香の姉です。」そう言って、ピンクのウエットスーツの明日香のおねえさんが笑顔で言った。
彼女は、僕が、いつも窓から見ていた波乗りの女神だった。
二人並ぶと、どことなく似ている感じがした。
祖父を見たら、笑っていたから、たぶん彼女が朝早く波乗りをしていて、それをぼくが毎朝見ていたのを知っていたのかもしれないと思った。
後から聞いた話だけど、僕が、いじめられたのは、東京からカッコいい男の子が来たって、クラスの女子が騒いだから、それをやっかんだ男子が、嫌がらせをしたみたいだった。
子どもかお前ら。
だから、一度しか学校に登校しなかった僕を、同じクラスの明日香が心配して、僕の家の前の砂浜で、サーフィンをしているおねえさんに僕のことを見張って、いや気にしてもらっていたみたいだった。
明日香も、黒いウエットスーツを着ていた。
「海人君は、たぶんまだ、体力なさそうだから、砂浜の上で基礎を教えるね。」
「明日香さんは?」ぼくは、聞いた。
「明日香は、新体操習ってるから体力はあるでしょ?乗れそうなら、ちょっと海に入ってみる?」
明日香は、嬉しそうにうなずいた。
「まずは、道具の説明からね。」
「これが、ボードね。それとこれがリーシュコード。足に巻いてボードとつなぐの。」
「で、これがフィン。砂浜にボードを置くから、海人君のは、外してあるね。」
「ボードにも色々種類があって、明日香と海人君のは、発泡タイプの大きめで浮きやすいタイプね。初心者用ね。」
「ぶつかっても、痛くないから。」
「それと、海に入るときは気を付けてね。波って意外と力があるから、常に波に対しててまっすぐにボードの先を向けてね。ボードのお腹を波にあてると押し倒されるから。このあたりは、あとで海に入った時に教えるね。」
「それから、海に入るときは、必ず最初に海に挨拶してね。機嫌そこねるから。」
「へえ、海って人間みたいなんだ?」
「そうよ。」
それから、僕と明日香は、砂浜に置かれたボードで乗る位置から教えてもらった。
「まず、乗る位置から教えるね。」
「ボードの真ん中に線が引いてあるでしょ。それが左右の中心。」
「ちょっと、ボードの上にうつ伏せに寝転んでみて。」
「ちょっと前すぎるかな、もう少し後ろ。そう、その位置を覚えていてね。」
「はい。」
「そこから、パドリングで波に速度を合わせ、腕を伸ばして利き足を前に出して立ち上がる。こんな風にね。」
僕は、おねえさんに言われたとおりにやろうとしても、腕すら伸ばせなかった。
明日香は、一回でおねえさんの言ったことを理解し、横でこれ見よがしにボードの上に立ち上がっていた。
「わかったわ、明日香。ちょっと海に入ってみる?」
大きくうなずいた明日香。
「海人君は、しばらく休憩していてね。」
「はい。」
僕は、そう言って砂浜に座って、おばあさんとおばあさんの日傘の中でおねえさんと明日香のやり取りを見ていた。
ボードを持った明日香とおねえさんは、時々来る波を、飛び上がってやり過ごし、明日香の腰のあたりまで水に浸かるところ(丁度、波が割れてスープになるぐらいの所)まで海に入っていった。
波の無い時を見計らって、明日香をボードに乗せ、砂浜に向かせ波が来たらボードを押し出した。
波が、ボードと明日香を載せて砂浜まで走ってきた。
楽しそう。僕も、早く波に乗りたいな。2~3回同じことをくり返した。
「明日香、今度は沖の波を見て、乗れそうだと思ったら、ボードの先を砂浜に向けて飛び乗って、それからパドリングして波に乗ってごらん。ボードの上に立たなくていいから。」
「わかった。」
明日香は、二つ三つ波をやり過ごし
「次の波に、乗ってごらん。」
素早くボードの向きをを変えて、跳躍してボードの上に乗り、そのままパドリング。
スープの中を滑る彼女。
すごい!思わず僕は、拍手していた。
おねえさんも砂浜にやってきた。
「明日香、一度砂浜に上がって。」
「えっ、もう少しやりたい。その辺ならいいでしょ?」とボードをもってまた、海に入っていった。
「仕方ないな。あんまり沖に行かない。それと、何かあったら大声出してね。海は、甘く見ていると怖いから。」
「海人君、お待たせ。今度は、パドリングね。ボードの上に寝て、胸をそらせて手だけクロール。」
「上手、上手。それから、その反動でボードに手を着いて、利き足をその間に持ってくる。」
「そして。視線は前を見る。」
その時、ボードの上で前を向いた僕が、おねえさんの肩越しに見たものは、明日香が今までにない大きな波にボードを飛ばされ、そのまま海に沈んでいくとこだった。
「明日香!」と叫んでぼくは、そのまま海に駆け込んでいった。
なぜなら、ぼくは、父から引き潮の怖さを聞いていたからだ。
特に大きな波は、引き潮になると海の底をすごい力と速さで海に戻ることを聞いていた。
この波が、引き潮になる前に明日香をつかまえなければ、大変なことになる。
直感でそう思った。
何とか、明日香のボードの所にたどり着いた。リーシュコードの輪っかが浮いてるのが見えた。
「明日香!」大きな声で叫んでも返事がない。
その時、僕の足の横を何かが沖の方に流れていくのを感じた。顔を水の中に突っ込みながら、何の躊躇もなく、それを両手で摑もうとした。
摑まえた。それは、人間の手だった。
「明日香だ。」絶対に離さない。死んでも離さない。
そして、僕も一緒に連れて行こうとするその引き潮に負けないよう海中に足を突っ張った。全身が海の中。息ができない。意識が遠のく。クソ、負けない。
その時僕の手の上に、誰かの手が重なるのを感じた。それは、異変に気づき僕のすぐ後ろまで来ていたおねさんと祖父だった。
そして、二人をその海から引き揚げてくれた。
「助かった。」と思った瞬間僕は気を失った。
僕は、祖父に海の上を運ばれているときに気が付いた。
明日香も、おねえさんに抱かれていたのが見えた。
僕は、まだ明日香の手を握っているのに気が付いて離そうとしたら、今度は明日香の方が強く握ってきた。良かった生きてる。
そう思ったら、涙があふれてきた。
砂浜におろされた僕は、周りも気にせずワンワン泣いた。犬年生まれだから仕方がない。
その後、祖母が呼んだ救急車で明日香は近くの病院に運ばれた。
明日香は、検査のため一晩入院して翌日帰ってきた。
明日香とおねえさんとご両親がその日の夜、僕の祖父の所にやってきた。
祖父は、自分たちも砂浜にいたのにこんなことになってしまってと言いながら、明日香のご両親とお酒を飲んで寝てしまった。
明日香は、ずうっと下を見たままだったけど
「ねえ、明日香さん、明日から夏休みの宿題教えてくれる?」って聞いたら、嬉しそうにうなずいてくれた。
明日香のおねさんは、僕の両手を握って『ありがとう』って言ってくれた。
翌日から、僕は、明日香と一緒に近くの図書館で、毎日楽しく夏休みの宿題をやった。
僕は、初めて行ったのだけれども、田舎にしては、おしゃれな図書館だった。
小高い丘の上に建てられたそれは、海岸に向いているところは、すべてガラス張りだった。
それに、玄関の両側にヒマワリがいっぱい植えられていた。
エアコンの効いたその図書館は、他に誰もいなかったので多少騒いでも怒られなかった。
明日香は、すごく頭が良くて何を聞いても答えてくれて、先生が頼るのもわかる気がした。
図書館での勉強が終わって、明日香と別れた後、僕は体を鍛えるために海岸沿いを散歩するようにした。
残念ながら、あの一件から、明日香のおねえさんがサーフィンをしているのは、見れなくなった。
たけど、とりあえず、僕も中学に入ったらサーフィンをする。
そのために、いまは、体力づくりに専念するつもりだ。
でも、明日香が気にするから、サーフィンの話はしばらくお預け。
夏休みが、終わって2学期が始まった。朝早く、明日香が迎えに来た。
「おはよう。今日は、よろしくお願いします。」
「大丈夫?学校行ける?」
「明日香さんと一緒なら大丈夫。」
奥から、祖父と祖母とそしてお父さんも出てきた。そしてみんな声を揃えて、
「明日香さん、海人をよろしくお願いします。」
ちょっと恥ずかしかったけど、なんかうれしかった。
まだ、暑かったけど何とか校門の前の坂道までやってきた。
これが最後の難関とでも言いたげに、白い坂が僕の前に立ちはだかった。
明日香は、何事もないようにその坂を軽やかに上っていく。
僕は、大きなランドセルをしょった1年生に抜かれながら、1歩1歩その坂を上っていった。
のぼり切ると、さらに威圧的な大きな白い校舎が、立ちはだかった。
その校舎が、太陽の光を反射させ僕を射すくめた。
立ち竦む僕の手を、明日香が引っ張った。
たぶん、明日香がいなければ、この時点で僕は回れ右をして、引き返していたかもしもしれない。
最終的に僕は、明日香の手を離すことができずに、転校の日にいじめられた、あの教室の前まで来てしまっていた。
ビクッ、と体が硬直する。
また、いじめられるかもと思い、入口の前で再び立ち尽くす。
その僕の手を、明日香が引っ張った。
一番びっくりしたのが、クラスの男子が笑顔で僕に話しかけてきたこと。
クラスのいじめられっこが、人気者に変わった瞬間だった。
なんか魔法みたい。
みんな、はじめは、溺れた僕を明日香が助けたと思っていたみたいだった。
逆だと知って感動したみたいだ。
クラスの自慢の明日香を助けた僕は、一瞬でヒーローになった。
いまだに、時々寝込んで学校を休んだりする情けないヒーローだけど。
それから、僕は、何事もなかったように平穏無事に小学校を卒業できた。
卒業式に出てくれたのは、祖父と祖母だったけど。まあ、それはそれでいいかな。
やっと、人並みに運動できるようにもなったし。