花火大会にて
花火大会に浮かれ騒ぐ人々の真ん中で、オレはただひたすらに兄さんの不幸を嘆いていた。
辺りを見渡せば、いかにも幸せそうな奴らばかりだ。食べ物を分け合うカップル、無駄としか思えないおもちゃを買うガキ、酒が入っているのだろう大学生らしきグループ、金魚すくいをねだるガキと断る親、射的に興じるガキのグループ。こんなところに金を落とすのだ、みなたんまり金を持っているに違いない。ふらふらと視線を彷徨わせながら、適当に出店が立ち並ぶ通りをぶらつく。花火大会まではまだ時間があった。それまでにちょうどいいのが見つかれば良い、いや、それよりも条件で絞った方が速いだろうか。そう考えていると、一人の少女が目にとまった。恐らく小学校低学年頃だろう。白地に鮮やかな花が描かれた、綺麗な浴衣を着ている。つややかな黒髪と細っこい手首には、祭りで買ったのだろうちゃちな飾りがついていた。少女はきょろきょろと辺りを見渡しながら泣き出しそうに目尻を下げている。ピンときて、声をかけることにした。
「大丈夫かい」
問いかけに、肩がはねた。大きな、子供特有の白目に青みがかった丸っこい瞳がオレを見て怯えたように揺れる。
「迷子かな。案内所の場所、わかるかな」
それに気付かないふりをして、あくまでも愛想よく続ける。少女は口ごもって俯いた。
「……わかりません」
「そうか。さっき見かけたから、案内しようか」
「え……」
一瞬、少女の瞳が揺れた。戸惑いを感じる沈黙が落ちる。しかし彼女はやがて、小さく頷いた。
「じゃあ、行こうか」
なるべく歩幅に気をつけて、先ほど確認した案内所へと向かう。とはいえこの年頃の、それも女の子との話題なんて思い当たるはずもなく。落ちた沈黙にさて何を、どう聞こうか迷う。
「お兄さんも迷子、ですか?」
たどたどしい敬語で少女に尋ねられてしまった。
「いや、違うよ」
「一人なの?あ、ですか?」
「はは、敬語じゃなくていいよ。うん、一人」
黙り込んだ少女。気まずげに視線が彷徨っている。一人で花火を見に来る、という状況があまり想像つかないのだろう。
「気晴らしで来てるだけでね」
「気晴らし?」
「気晴らしって何?」
「ちょっと、嫌なことがあってね」
「嫌なこと、ですか」
怒濤の質問攻めだ。こちらから聞きたいこともあるのに。内心舌打ちをしつつ、会話を終わらせるためにも返答をする。
「……兄さんが、ね。病気になっちゃって詳しいことは教えてくれなかったんだけど、治療費、お金が足りないらしくて」
「それ、は」
少女が息を詰めたのがわかる。小さな子供にも、どれだけ気が滅入る話なのかぼんやりと伝わるらしい。
「兄さんは、ヒーローだったんだ。いつもオレが困ったときに助けてくれた。だから、今度はオレが助けたいんだけど…」
言葉を濁せば、察したらしい。案外聡いようで、少し面倒くさい。
「大変なんだ」
少女がぽつりと呟く。声は小さいが、同情的な声音だった。
しかし、結局話はまでここだった。案内所の白いテントが見えてくる。ママ!と叫んだ少女が駆け出すのを追う。一人の女性が少女に駆け寄った。口にしたのは彼女の名前だろう。
「大丈夫だよ。この人が助けてくれたの」
少女はそう言ってこちらを振り返った。ぺこりと頭を下げる。
「ありがとうございます」
「いえいえ」
当たり前のことをしただけですから、とか適当に口を動かしつつ、不自然にならない程度に母親を観察する。動きやすそうな服装ではあるが、バッグや腕時計はそれなりに値の張りそうだ。華奢な手は離すまいと少女の手を掴んでいる。どうやら随分と子供を大事にしているようだ。
「では、これで」
そう言うとオレは踵を返してテントを後にする。祭りの喧噪。屋台から流れてくる食べ物の匂い。それらから離れるために公園からも抜け出して、逸る心を押さえつける。そうして見えてきたのはいかにもぼろいアパートだった。1階の角部屋のインターホンを押す。しばらくして、兄さんが顔を出した。
「入れ」
兄さんは一言そう言ってさっさと部屋に戻ってしまう。ドアの鍵はオレがかけた。
「どうだ、いいのはいたか?」
「いたよ。不自然になるだろうからあんまり話は聞けなかったけど」
そう言えば、兄さんの眉間に皺が寄った。
「でも、ちゃんと調べてから実行するよ。安心して」
兄さん、可哀想な兄さん。小さいときから困ってたら必ず助けてくれたオレのヒーロー。そのヒーローが、どうしようもなくなってオレに助けを求めている。
脳裏に先ほど別れた少女が思い浮かぶ。お金を持っていそうな家庭、愛されている子供。兄さんの為だ。可哀想だけど仕方がない。何だってすると決めたのだから。
オレは、あの子を誘拐する。