潰えた未来
話は少し遡る。
息子の葬儀が終わり、フランチェスカが家に戻ると花束が届いていた。
白い花弁が可憐なスノードロップで作られた花束だったが、贈り主が王女だと知ったフランチェスカは複雑な心境になる。
息子の亡骸を見た時には、その死を受け入れられず「人殺し!」と叫んだが、彼女とてこれが事故だったのだろうということは理解しているのだ。ただ感情が追い付かないだけで。
だが花束を贈ってきたということは、きっと王女も哀悼の意を表してくれているのだろう。
思えば葬儀が済むまでの間は、一度もオリヴァーに呼び出しは来ていなかった。
花束を持ったままロビーに立ち尽くしたフランチェスカに、憔悴した妹を心配した三番目の姉がそっと労わるように近づいてゆく。
しかし姉は妹が手に持っている花束を見ると、途端に眦を吊り上げた。
「どうしたの、これ!?」
「え? これは王女殿下から……」
突然怒りはじめた姉の剣幕にフランチェスカが驚いたように返事をすると、姉はオリヴァーをもの凄い形相で睨みつけている。
オリヴァーが戸惑ったような表情を見せ、フランチェスカがオロオロする中、姉はスノードロップの花束を妹の手から奪うように取り上げた。
「この花束は、私がもらって行くから! ところで、オリヴァーさん。王女の護衛騎士だか何だか知らないけれど、それって家族を蔑ろにしてまで続けたい仕事なわけ?」
フランチェスカから花束を取り上げた上に、貴族であるオリヴァーへ放たれた侮辱とも取れる姉の発言に、慌てて姉の夫が口を塞ぎ引き摺るように家を出て行く。
オリヴァーを睨みつけたまま憤怒の形相で連行された姉だったが、去り際にフランチェスカと視線が合うと泣きそうな表情をみせた。
結局スノードロップの花束は、この騒ぎの中で姉が持ち帰ってしまったが、姉が何故あんなに怒りを顕わにしたのか解らないまま、フランチェスカはオリヴァーへ向き直る。
怒りの原因は解らないが、身内が暴言を吐いたことは謝罪しなければいけないと思ったのだ。
しかし当のオリヴァーは呆然としたように、姉が去って行った扉をじっと凝視していた。その顔色は心なしか悪く、ラベンダー色の瞳は戸惑うように揺れている。
「あの……姉が申し訳ありませんでした」
「いや……」
謝罪の言葉に返事はしたものの、何かを考え込むような表情でフラフラと自室へ戻ってゆくオリヴァーを、フランチェスカは感情のない瞳でぼんやりと見送った。
◇◇◇
オリヴァーは葬儀の翌日には仕事に復帰していたが、フランチェスカは数日抜け殻のように過ごしていた。
しかし、そこかしこに息子との思い出が溢れている我が家にいると、悲しみばかりが込みあげてしまうため、意を決して図書館へ出かけようと思い立つ。
数日ぶりに外の空気を吸いながら辿り着いた図書館で、フランチェスカは閲覧席の椅子に腰かけると一冊の本を捲る。
いつもフランチェスカには甘い姉が、何故自分から花束を取り上げるといった暴挙に出たのか不思議だったからだ。
パラパラと植物図鑑を捲り、お目当ての花のページを開くと読んでいた目がとまる。
「スノードロップの花言葉……あなたの死を望みます」
可愛らしい白い花が掲載されたページへ記載された怖ろしい文字に、フランチェスカの心の隅で燻っていた黒い染みが静かに、しかし一気にドス黒く広がった。
スノードロップの花言葉は『希望』や『慰め』もある。
だがフランチェスカは王女が自分の死を望んでいるような気がした。
「なによ、これ……」
ふと、初めて会った時に王女が自分に見せた棘のある言い方と嘲るような笑みが思い出されて、フランチェスカの中で何かが壊れた音がした。
◇◇◇
覚束ない足取りで図書館を出たフランチェスカはノロノロと歩き出す。
混沌とした意識のまま辿り着いた先は、王女が住まう離宮の前だった。
病弱なため公務をしない王女ではあるが王族であることには変わりなく、離宮の前には当然、厳つい風体の門番が立っている。
普段のフランチェスカなら絶対にやらないことだが、自棄気味になっていたこともありスタスタと門番の前へ行くと、人差し指を口にあてた。
フランチェスカの、その行動に驚いたのは門番の方だった。
彼からすれば、いつの間に外出していたのか、供も連れずに戻ってきた王女が目の前で「シー」っと、悪戯そうに笑っているのである。
末端の門番には理由までは知らされていないのだが、この離宮は数年前から警備や監視が厳しくなっているというのに、どうやって外出したのか? まさか自分の失態では? と門番は不安になる。
だが、王女は平然と戻って来ており、当の本人も内緒だという素振りを見せているため、門番は黙って門を開けると、叱責を恐れ何も見なかったことにしたのだった。
一方、フランチェスカは、彼女の顔を見た門番が驚きつつも門を開いてくれた上に、彼が上司に知らせる様子もなかったため、堂々と離宮に入れてしまい若干戸惑っていた。
皮肉にも王女そっくりな容姿だったため、容易く警備を潜り抜けてしまったことに呆れつつ、冷静さを取り戻してゆく。
とりあえず隠れた方がいいかと庭園の小径を逸れて繁みがある方へ歩いて行くと、後ろからガッチリと腕を掴まれた。
フランチェスカとて、王女に危害を加えようと考えてやってきたわけではない。
もう放っておいてほしいのに、可能なら、ただ一言でも息子に謝罪をしてほしかったのに、フランチェスカの心を更に追い詰めるように贈りつけられたスノードロップの花言葉を知って、つい感情的になってしまったのだ。
それでも、きっと王族の離宮に無断で侵入したことが知られれば、極刑だろう。
だが、それでもいいのかもしれないとフランチェスカは自嘲した。
息子がいないこの世に未練なんてなかった。
ただ、そうなると図らずも王女の意図する結果となってしまい、何だか悔しい気持ちが湧いてくる。
ままならないものだと、ないまぜになる気持ちを持て余したまま振り返ったフランチェスカが見たものは、自分の腕を掴んで驚愕の表情を浮かべているオリヴァーの姿だった。
◇◇◇
ゴクリとお互いに喉を鳴らした二人は見つめったまま硬直する。
しかしすぐにオリヴァーがフランチェスカの掴んだ腕を引っ張り、庭園の深い繁みに彼女を押し込んだ。
何故、フランチェスカがこんな所にいるのか、どうやって入ったのか、聞きたいことは山ほどあったが、今はそれどころではない。
彼女に騎士か侍女の一人でも付いていれば問題ないが、一人きりで小径から外れたこの場所にいる不自然さから、フランチェスカがこの離宮へ不法に侵入してきたのだということが容易に知れた。
だが、無謀な行いをしたフランチェスカに頭を抱えたくなったとはいえ、息子が亡くなって抜け殻のようになっていたここ数日の彼女のことを思えば、離宮まで来られる位には回復したのかとオリヴァーは少しだけ安堵する。
けれど今のこの状況は非常に拙いと、妻を隠した繁みの脇の木陰から、他の護衛騎士や侍女達に見られていないか、周囲を確認しようと視線を巡らせた瞬間、オリヴァーはピタリと動きを止めた。
王女が娘と小径を外れて、こちらへやってくるのが見えたからだ。
そのことは繁みの隙間から辺りを見ていたフランチェスカも気が付いたようで、彼女の背中に冷や汗が伝う。
だが、幸い王女達はフランチェスカどころか、木陰に立っているオリヴァーにも気が付いていない様子だったので、彼はこのまま隠れているか、姿を現して王女達を誘導すべきかと逡巡し、前者を選択した。
物音を立てずに数歩後ろへ下がり完全に木陰に隠れるように佇んだオリヴァーは、遠くの小径に侍女の姿を見つける。
立ち位置がずれたことで侍女がオリヴァーに気付いたようで、視線を受けたオリヴァーが軽く手を挙げて応えると、侍女は心得顔で頷き小路の隅で待機の体勢をとった。
どうやら王女が人払いしたらしく、侍女は監視のために遠くから付いてきていたようだが、オリヴァーがいたことで、自分からは王女の姿が見えない位置でもいいだろうと判断したらしい。
一方、繁みの前まで来た王女は腕を組むと幼い娘の顔を面白そうに覗き込んだ。
「ねえ? 貴女、私に言わなきゃいけないことがあるんじゃない?」
「え?」
ポカンとする娘に王女は微笑んだまま、遠くに待機する侍女をチラリと一瞥する。
「だからこうして人払いしたのだけれど?」
「な、何のこと?」
瞳を彷徨わせる娘の顔を可笑しそうに見つめながら、王女は首を傾げた。
「オリヴァーの息子のことよ。あの子は小川から助け出されるまでに随分時間がかかったから死んじゃったでしょ? 貴女と一緒に遊んでたはずなのに、すぐに助けを呼ばなかったのはどうして?」
「それは……」
「怒らないから、言ってごらんなさい」
優しく微笑む母親に気を許したのか、娘が屈託のない笑顔で告白する。
「だって、あの子、私やお母様より自分の母親が一番好きだって言うんだもの。イラついて突き飛ばしたら小川に落ちちゃって、すぐに助けを呼ぼうとしたんだけど、怒られたら嫌だなと思って黙って見てたら、沈んでっちゃった」
繁みの中で、息子の死の真相を聞いたフランチェスカは、衝撃のあまり息ができなかった。
自分で突き飛ばして溺れさせたくせに、「怒られるから」という理由で助けを呼ばなかった事実に、頭がおかしくなりそうだった。
たとえ相手が息子と同じ七歳の子供でも、どうしても許せなかった。
それでもフランチェスカは耐えた。
気が狂いそうな位の憎悪と憤怒に、身体が燃えそうな程に熱を持っても、只管心を落ち着かせようと口内を強く噛んで、震える程拳を握りしめ、憎しみに染まってしまいそうになる心を殺した。
だが王女の娘が放った次の一言に、凍り付く。
「人間って結構簡単に死んじゃうのね。それともあの子の根性がなかったのかな?」
「そうね。死んでしまったものは仕方がないわ。でも次からは気をつけなさい。人が死ぬと何かと面倒だから」
「はあい!」
母親から注意されたことで、膨れっ面を作りつつも肯定の返事をした娘に王女が満足そうに微笑む。母親の笑顔を見た娘は屋敷の方へと駆け出し、その後を小径で待機していた侍女が追いかけてゆく。
母娘から離れた所に控えていた侍女には、話の内容は聞こえていないようだったが、王女の娘が駆け出して行ったことには気が付いたようだ。
侍女は王女達の監視も仕事だ。先程王女の近くに護衛騎士団長であるオリヴァーがいたことを認識していたので、躊躇いなく娘の方へ付いたのである。
王女は未婚の妊娠、その娘は誤って護衛騎士の子供を死なせてしまうという二代続けての不祥事に、離宮はこの母娘を出来るだけ監視下に置くように国王に命令されていた。
だが当の王女は気儘なもので、贖罪の意味をこめ国王がオリヴァーを護衛騎士団長にさせたことなど知る由もなく、異動になってしまったことで離宮を訪れなくなったアドルフとの逢瀬ができずに欲求不満が募る。新たに騎士団長となったオリヴァーは、自分そっくりな女と結婚したくせに、昔から幾ら誘惑しても応じないことにも不満タラタラだった。
先程、娘に見せた笑顔を引っ込めた王女はストロベリーブロンドの髪を掻き上げると、軽く舌打ちをする。
「ったく、面白くないったら。私や娘より自分の母親が一番なんて、バカなことを言う息子が死んだんだから、そのバカ息子が一番だって言う母親もついでに一緒に死んであげればいいのに。男爵家の娘とか言っていたから、花言葉の意味が解らないのかしら? さっさとあの女が死ねば、同じ容姿をした私のことをオリヴァーが抱いてくれるの……に……?」
王女の言葉は最後まで続くことはなかった。
物凄い力で後ろから首を絞められ、王女の全身が固く強張る。
声も出せない程の苦しさと痛みから首元へ両手を伸ばすも、更に捩じ切られそうな力が 加わって、ゴキリと鈍い音がしたと同時にドサリと地面に落とされた。
自身の身に起こったことが信じられないように、口をハクハクさせた王女の光を失いつつあるアクアマリンの瞳には、オリヴァーが手を払ってこちらを見る様子が映しだされている。
自分の首を絞めあげた手がオリヴァーだということに気付いた王女が最期に見たものは、まるで汚物を見るような蔑みを灯したラベンダー色の瞳であった。
◇◇◇
一連の出来事をフランチェスカが瞬きもせずに凝視する中、王女を投げ捨てたオリヴァーは屋敷の方へ視線を向ける。
「次はあの娘だ。今度は楽に死なせない。たとえ相手が子供でも、息子が味わった恐怖と苦しみを思い知らせてやる」
ラベンダー色の瞳に仄暗い復讐の炎を宿したオリヴァーがゆっくりと歩きだす。その袖を、フランチェスカは徐に、だがしっかりと掴んで止めた。
「待って……どうして? どうして貴方が王女殿下を殺したの?」
フランチェスカの問いかけに、オリヴァーは不機嫌そうに眉を寄せる。
「どうして? あの女は私の大切な息子や、愛する妻を侮辱したんだ。殺して当然だ!」
吐き捨てるように言われたオリヴァーからの返答にフランチェスカは混乱をきたし、今まで心の隅へ追いやって、見ないふり知らないふりを決め込んでいた彼への疑惑を漏らしてしまう。
「でもオリヴァー様は王女殿下のことをお慕いしていたのでしょう? 私も息子も、貴方にとっては王女の代わりでしかなかったはずです」
「……誰がそんなことを言った? 私は君を愛していると言ったはずだ。それに息子のことも大切にしていた。君は私のことを愛していない女性に求婚するような不誠実な男だと思っていたのか?」
「それは……だって……」
思ってもみなかったオリヴァーの言葉にフランチェスカは言い澱むが、責めるような彼の視線を受けて、ずっと抑え込んできた不平、不満がせり上がってくる。
オリヴァーを正面から見据えて口を開くと、溜まりに溜まった感情が爆発した。
「オリヴァー様は王女殿下が好きなのだって、王女殿下が仰っていたわ! 私と結婚したのも姿形が王女殿下とそっくりだったからなのでしょう!? その証拠にオリヴァー様はいつだって王女殿下を第一に行動されていたじゃない! 私が妊娠している時も、出産する時も一緒にいてはくださらなかった! あの子が死んだ時でさえ、貴方は取り乱すことなく不幸な事故だと言い切った! あの子は貴方の子供なのに……! 私は貴方の妻なのに……! 愛していたのに、私は貴方を諦めるしかなかったのよ!」
ボロボロと両目から涙を零しながら心の内を曝け出したフランチェスカに、オリヴァーは彼女の涙を拭ってやることは出来なかった。
その資格がないことは、今の妻の言葉で十分に解らせられたから。
「そうか……だからあの時、君の姉君は私が家族を蔑ろにしていると言ったのか……」
ポツリと呟いて天を仰ぐ。
後悔と悔恨で押しつぶされそうになりながら、オリヴァーは先程、王女を絞めあげた己の手を、ぼんやりと眺めた。
「私は……どこで間違えてしまったんだろう? もう……君と遣り直すことも出来ないんだな」
自嘲するように嗤うオリヴァーに、フランチェスカは一瞬だけアクアマリンの瞳を見開いたが、泣きじゃくった顔をあげると眉を下げる。
「ええ。もう遅いの。もう手遅れなんです。貴方が私と向き合う時間はいくらでもあったのに、貴方はそれをしなかった」
フランチェスカの答えにオリヴァーは泣きそうな顔つきになり、気が付けば言い訳めいた言葉を吐いていた。
「……それは君にだって言えるだろう? 君から私に問いかけてくれれば……いや、こんなことを言えた義理ではないことは解っている。だが……」
「そうですよ。だからこそ、許せないんです。貴方のことも、私のことも! もっと早くに解りあっていれば……! 私が貴方を信じていれば……! あの時、私が無理やりにでも一緒に離宮に行っていれば……あの子はきっと今も生きて、笑って、みんなで幸せになっていたはずなのに!」
オリヴァーの言葉を遮ってフランチェスカが悲痛な叫びをあげる。
どんなに後悔しても、想いを馳せても、戻れない過去を一番嘆いているのは、誰でもなくフランチェスカ自身なのだ。
そのことを悟って口を閉じたオリヴァーに、フランチェスカは首を傾げる。
「ねえ? オリヴァー様、神様はどうして普通に生きたいと願っている人間を助けてはくれないの? 私の信心が足りないの? 人殺しをした人が笑って生きているのは何故?」
「……フランチェスカ? 何の話を……」
いきなり話題が変わったことにオリヴァーは怪訝な顔になるが、フランチェスカが向けた視線の先に転がる王女の遺体を見て、黙って彼女の話を聞くことにする。
「私、気づいたの。オリヴァー様が王女を殺した時に。この世界に神様なんていないんだ、って」
教会でシスターをしていたフランチェスカが凡そ口にしていい言葉ではないが、彼女のアクアマリンの瞳は遠くを見るように、子供の頃のことを思い出していた。
◇◇◇
貧しくも信心深いフランチェスカの両親は常々子供たちに言っていた。
『善い行いも悪い行いも神様は全てを見ていてくれる。だから神様に恥じるような行いはしてはいけないよ。たとえどんなに理不尽で辛く悲しいことがあっても、憎しみに囚われてはいけない。復讐からは何も生まれないのだから』
両親の言葉を信じていたし、シスターであったフランチェスカ自身そう思っていた。
だが先程、王女の死にざまを見て、少しだけ胸がスッとしたのは隠しようのない事実だった。
その刹那、フランチェスカの頭に一つの考えが浮かんできたのだ。
「この世界に神様はいないの。きっと神様は汚れたこの世界に嫌気がさして天界へ行ってしまわれたんだわ。つまり、この世界には神に見放された悪魔のような人間しか残っていない。そう考えたら救いのないこの現実にも納得がいくでしょう? この世界に取り残された私も貴方も全て悪魔。だから、神様の教えに背いて復讐を果たしたいと思うのよ。そして悪魔ならば、きっと……何をしたって構わない!」
復讐への強い決意をしたフランチェスカの言葉に、オリヴァーはただ頷くことしかできない。
「そうか、私達は悪魔か。それならば悪魔に相応しい復讐をしないとな。あの娘はまだ幼い。もっと絶望というものを理解できるようになってから、地獄に叩き落してやろう。あの娘を産みだした元凶の父親と共に」
「ええ、そうね。私達は悪魔だから」
心底嬉しそうに微笑んだつもりのフランチェスカだったが、その顔は歪み、アクアマリンの瞳からはとめどなく涙が零れ落ちていた。
その後、オリヴァーは王女の遺体を繁みに隠すと、着ていたドレスをフランチェスカへ着用させ、婚姻以来ずっと嵌めていた指輪を外させた。
離宮という限られた人間しか接触しない閉鎖された空間な上に、王女には彼女を溺愛する国王と娘までいたが、入れ替わったことに気が付く者は誰もいなかった。
◇◇◇
そして現在。
離宮に連行されてきた王女の娘を、フランチェスカは優しく自室へ連れていった。
本来ならば親子姦通など即、地下牢、拷問、火刑へ一直線のはずだが、娘の母親である王女に甘い国王が温情を見せたらしい。
入れ替わって十年経つというのに、娘が違う女だということに気付きもしないくせに溺愛してくる国王を、フランチェスカは軽蔑していたが、無能な彼のおかげで入れ替わりが上手くいったことは事実である。
王女と入れ替わったあの時は、オリヴァーに自分達は悪魔だから復讐してもいいと言ったが、きっといざとなれば息子と同じ年ごろの子供を殺すことなんてできなかっただろう。
それにオリヴァーにも、そんなことをさせたくなかった。
彼が王女の娘を殺すことを先延ばしにすることを提案してくれて、フランチェスカはたぶん心のどこかでホっとしていた。
だが、我が子を殺した、憎んでも憎みきれない子供の母親を演じるのは、たとえ復讐のためでも辛かった。
何度、この手で殺してやろうと思ったかは解らない。
でもその度に、我が子の顔がチラついた。
息子と同じ髪色をした王女の娘が、我が子の面影と重なる。
あの子の笑う顔、泣く顔、眠る顔、拗ねる顔、お道化る顔、そのどれもが鮮やかに蘇り、結局、復讐を果たす決心をすることに十年もかかってしまった。
その間に、もし王女の娘が改心すれば或いはフランチェスカは復讐を諦めてしまっていたかもしれない。
けれど、いつまでたっても娘の傲慢さは消えなかった。
今もまた王城兵によって粗暴に連行されたことが不服なようで、侍女達へ当たり散らしている。
フランチェスカは、動き出した復讐の歯車を最後まで回しきるべく、癇癪を起こす娘を宥めると彼女を自室へ促した。
王女には常に監視の目があるが、二人きりで自室へ入ったことと、今回は事情が事情だということ、更には護衛騎士団長が不在で指揮系統が混乱中だったことが重なり、侍女も護衛騎士も室内までは追ってはこなかった。
「最悪! 最悪! 最悪! 何で私がこんな目にあわなきゃならないの!? しかも、はじめてをあんなオジサンに……、もう、やだ! 気持ち悪い! 死んじゃえ!」
娘は部屋へ入るなりまた怒鳴り散らすと、まだ違和感の残る下腹部に顔を顰める。
暴言と文句を吐き散らす娘の後ろに立ったフランチェスカは、ゆっくりと口を開いた。
「でも、彼は紛れもなく貴女の父親だそうよ? ねぇ? はじめての相手が実の父親ってどんな気分? 普通なら気が触れてもおかしくないはずなのに随分平気そうに見えるけど?」
嘲るように母親から言われた言葉に、驚いた娘が振り返ろうとしたが、その動作は途中で止まってしまう。何故ならいつの間にか首に紐のようなものが巻き付いており、その紐を母親が強く締めあげたからだ。
キリキリと絞め上げられる苦しさと母親の暴挙に、娘はパニックを起こしつつも抵抗しようと藻掻くが、絞める力は弱まらず食い込んだ紐で切れたのか血まで出ているようだった。
「私は手で絞めるには力が無いから、全く同じ死に方にはできないわね」
「苦しそうね? でも助けてなんかあげないわ。だって貴女が言った言葉よ? 人間って結構簡単に死んじゃうの」
「ああ、根性があれば死なないんだっけ?」
狂ったように独り言を繰り返す母親に娘は恐怖を覚える。
すると突然グインッと後方へ引っ張られると、母親が見たこともない狂気を含んだ表情で覗き込んできて、にぃっと嗤った。
「私も貴女がしたように、死ぬまでちゃんと見ててあげる。うちの子を貴女が殺した時のように……!」
囁かれた言葉に、カッと見開いた菫色の瞳が絶望に染まるが、既に命の灯は消えようとしているのか、力なく上げられた手は虚空を掴むとだらしなく下がり、やがてピクリとも動かなくなった。
一瞬の出来事だったのか、はては何時間も及ぶ出来事だったのか、固く握りしめていた紐を掌から離したフランチェスカは、自分の肩を抱きしめる。
強張った身体を叱咤して、誰にも気づかれないように窓からそっと外へ出たフランチェスカは、真っ暗な闇の中を歩いて離宮の外れにある小川までやってくると、途中で手折ったオリーブの葉へ口づけた。
「私は幸せよ。だって、あの子と同じ場所で死ねるもの」
静かに呟いて、長いストロベリーブロンドの髪を水面に揺蕩らせながら、小川の中へ足を進めていったフランチェスカの姿は、やがて完全に見えなくなった。
◇◇◇
王女の娘が殺されていることに気付いた侍女や護衛が、小川の中から溺死した王女を発見したのは、王女とその娘のスキャンダルを各社一斉に新聞一面で取り上げた朝刊が届いた数刻後のことだった。
空前絶後のスキャンダルの余韻も冷めやらぬまま王女の死を告げる哀悼の鐘が響く頃、貧民街にある空き家の地下室で、一人の小悪党が数日前までは無かった頭陀袋を見つける。
金になる物でも入っていれば儲け物と、袋を開けてみれば、中には白骨化した遺体が入っていただけで舌打ちをした。
しかしよく見れば袋の底には、珍しいストロベリーブロンドの髪が散乱していたため、小悪党は髪屋に売って小金を稼ごうと拾い集める。その際、白骨はその辺にぶちまけて、墓地へ埋葬さえもされなかった。
罪人として火刑された王女の元護衛騎士団長アドルフは、全財産を慰謝料として公爵家に没収され、支払いきれない分は身内にまで被害が及んだことで、焼け残った遺体は八つ裂きにされ山野へ捨てられた。
同じく罪人とされた王女の娘であるが、おそらく母親である王女の手によって弑されてしまったため、火刑の執行は見送られた。しかし神を冒涜する罪を犯した彼女を教会が許すはずもなく、遺体は野犬に与えられ骨の回収さえされなかった。
王女が自死をとげた数日後、離宮を経由して流れ出る小川の畔で一人の騎士服姿の男が水死体で発見される。
その男の胸ポケットには男と同じ小麦色の髪が一房と指輪が、オリーブと小さな花が刺繍された白いハンカチに、大切な宝物のように包まれていた。
バッドエンドは苦手です。
でもたまに無性に書きたく(読むのも好き)なります。
最後までご高覧いただきまして、ありがとうございました。
どうか皆様には明るい未来がありますように。




