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悲しい現実

 薄らと瞼を開いたフランチェスカは、大きめの寝台の中で隣へ手をのばし溜息を吐いた。

 掌に伝わる冷たい寝具の感触が、フランチェスカの夫がまた帰ってこなかったことを如実に示しており、それはもう三日も続いている。

 フランチェスカの夫は王女の護衛騎士として働いているので、何かがあればこうして何日も家に帰らないことがある。

 

 もう一度吐きかけた溜息を呑み込んで起き上がると、フランチェスカは身支度をするために鏡を覗き込んだ。

 鏡に映るストロベリーブロンドの髪の隙間から見えるアクアマリンの瞳は、陰気な色を灯しており、ますます気が滅入る。

 気を抜けば蹲ってしまいたい衝動を無理やり押さえつけ、フランチェスカは本日やるべき家事を漫然と思い浮かべていった。


 ◇◇◇


 教会でシスターとして働いていたフランチェスカが、所用で訪れた王女の護衛騎士であるオリヴァーに見初められ結婚したのは半年前のことである。


 伯爵家の三男であるオリヴァーは、家は継げないが騎士としては優秀であり、何より見た目が良い。小麦色の金髪を靡かせ歩く姿は騎士らしく颯爽としており、きりっとした顔立ちのくせに笑うとラベンダー色の瞳を柔らかく細める仕草は、幾人もの令嬢を虜にしていると有名だった。


 少し小柄で可愛らしい容姿をしていると、教会ではそこそこ人気のあったフランチェスカだったが、三男とはいえ裕福な伯爵家出身であり見目麗しいオリヴァーからの求婚に、はじめは戸惑いしかなかった。

 フランチェスカとて貴族出身ではあるが貧乏男爵家の四女であり、シスターの職に就いたのも実家の食い扶持を少しでも減らすためである。


 神様を信じてはいるが、こんな優良物件から求婚されるなど、予想外の幸せが自分に訪れるわけがないと、ちゃんと現実を解っているつもりだった。

 

 しかし忙しい仕事の合間を縫っては教会を訪れ熱烈なアプローチをしていくオリヴァーに、気が付けばフランチェスカの方が彼に夢中になっていた。

 だから彼が震える手で小さな花があしらわれた指輪を差し出した時は、純粋に嬉しかった。

 指輪を受け取り求婚を受け入れシスターの職を辞し、王宮に程近い一軒家を購入し二人で暮らし始めるようになって、フランチェスカは幸せだった。


 その幸せに綻びがみえたのは、結婚し暫くたってからオリヴァーに連れられて、彼が護衛騎士として仕える王女に挨拶をした時である。


 身体が弱いため公式行事には一切参加せず離宮で暮らす王女の存在は謎めいており、国民や貴族さえも彼女の姿を見たことがある者はほとんどいない。

 ただ、国王に溺愛されているという噂を聞いたことはあったので、粗相がないようにと緊張で固まるフランチェスカの前に現れた王女を見て、彼女は驚愕に固まった。

 それは王女も同じだったようで、お互い言葉を失って暫しの間、見つめあってしまう。


 フランチェスカの目の前には、長いストロベリーブロンドの髪にアクアマリンの瞳をした、自分そっくりな女性が立っていた。

 髪と瞳の色だけではなく顔かたちや背格好、小柄な体形や肌の質感まで全てにおいて双子かと思われるほど似ていることに、そういえば離宮に入った時に、侍女と護衛騎士団長が驚いたような顔でこちらを見ていたことを、フランチェスカは思いだす。


(ここまで似ていれば、それは驚くわよね)


 妙に納得するも、あまりの驚愕にぽかんと放心状態だったフランチェスカと同様に、唖然としていた王女だったが、やがて苦笑すると囁いた。


「オリヴァーったら……本当に私のことが好きなのね」


 酷く小さな囁き声だったので近くにいたフランチェスカしか聞こえなかったようだったが、棘のある言い方だったこともあり、フランチェスカは自分の耳を疑った。


「さ、こちらへ。美味しい紅茶があるのよ。奥方も交えて、いつものように楽しみましょう?」


 フランチェスカが息を呑む中、嘲るような笑みを浮かべて放たれた王女の言葉に、またしても嫌な汗が伝う。

 オリヴァーは王女の護衛だ。だからいつも王女といるのは解る。

 けれど今、王女は「いつものように」と言った。それはつまり、いつもこうやってオリヴァーとお茶を嗜んだりしているということを意味している。


 心に落とされた疑惑という名の黒い染みにフランチェスカは強いショックを受けた。

 その後のことはよく覚えていない。

 にこやかに笑う王女と照れたようにそれに応える夫を、ただぼんやりと眺めていたような気がする。

 とても楽しそうに見つめ合う二人は別世界を作っており、フランチェスカは完全に蚊帳の外であった。


 ◇◇◇


 まだ職務があるからとオリヴァーから先に帰されたフランチェスカは、帰宅し寝室に籠ると一人窓辺に佇む。

 オリヴァーが用意してくれた王都の一等地であるこの屋敷からは、王女がいる離宮の屋根がよく見えた。


 所詮貧乏男爵家の娘であるフランチェスカに、何故オリヴァー程の男性が熱心に求婚してきたのか、ずっと不思議だった。

 それでも、オリヴァーが自分を愛していると言ってくれた言葉に偽りはないと、彼の真摯な態度を信じ結婚した。

 自分は愛されていると、この幸せは未来まで繋がっていると思っていた。

 全ては偽り、全てはまやかしだったのに。


「私は王女殿下の代わり……なのね」


 呟いた言葉の、彼が自分を選んだ本当の真実に項垂れる。


 男爵家であるフランチェスカから見れば伯爵家であるオリヴァーは高位貴族にあたるが、王女の降嫁先としては不十分なのだろう。それにオリヴァーは三男で伯爵家を継げないことも大きなネックである。

 手に入れられない王女の代わりとして、オリヴァーは見た目がそっくりなフランチェスカに求婚したのだ。

 その事実がフランチェスカを打ちのめす。


 それでもフランチェスカはオリヴァーを憎む気持ちにはなれなかった。

 彼は夫としては誠実で優しかった。何よりフランチェスカは既に彼を深く愛してしまっている。

 王女の身代わりだと気が付かなければ、きっとずっと幸せのままでいられた。それほどまでに結婚生活は順調だった。醜い嫉妬でオリヴァーを問い詰めてこの幸せを壊したくはなかった。

 だから彼への疑惑は綺麗に隠して、フランチェスカはオリヴァーの妻であり続けようと決意する。心にできた黒い染みは見ないふりをして。

 いつか夫が自分だけを愛してくれる、そんな淡い期待を抱きながら、小さな花があしらわれた指輪をそっと撫ぜた。


 ◇◇◇


 それからのフランチェスカは、表面上はオリヴァーと仲の良い夫婦を演じた。

 仕事に真面目な夫とその夫を支える貞淑な妻、二人の関係は傍から見れば理想の夫婦であった。

 王女の護衛であるオリヴァーは、離宮から呼び出しがあれば休日さえも返上して駆けつける。

 残業も休出も厭わないオリヴァーを仕事熱心だと周囲は褒め称えたが、笑顔の裏でフランチェスカの心の染みは静かにゆっくりと広がっていった。


 そんな中、久しぶりにフランチェスカにとって嬉しい出来事があった。

 身体の調子が悪いと感じ医者を訪ねたフランチェスカだったが、沈んでいた心が一気に浮上する。

 子供が出来たのだ。

 王女と夫の関係に複雑な気持ちはあるが、大好きなオリヴァーとの子供が出来たことにフランチェスカの心は踊った。


 自宅へ戻り刺繍箱をとりだすと、完成間近でやめてしまっていたハンカチの刺繍を再開する。元々は完成したらオリヴァーへ渡すつもりで刺繍していたハンカチだったが、王女との面会後、ずっと刺す気になれなくて放っておいたものだ。


(もしかしたら、この子が出来たことでオリヴァー様は私だけを見てくれるかもしれない)


 そう考えて、慌ててお腹に手をやり言い訳をする。


「ごめんね、貴方をダシにするつもりじゃないの。ただちょっと、そうなったらいいなと考えただけで。ああ、浅ましい母親でごめんなさい。でも私の中に宿ってくれて何よりも嬉しいのは本当よ。ママが絶対、貴方を守ってあげるから、どうか無事に産まれてきてね」


 そこまで口にして、まだ膨らんでもいないお腹に手をあてて必死に言い訳をしている自分に気が付き、フランチェスカは少し笑う。

 可笑しいと感じたのはいつぶりだろう。

 フランチェスカはシスターだった頃からいつも笑みを浮かべてはいたが、今ではそれは心の内を悟られないよう取り繕うための仮面となっていた。

 その仮面が外れて、今は自然に笑えた。

 そのことに何だか心が軽くなって、あっさりと刺繍を完成させたフランチェスカは、一先ずハンカチを刺繍箱へしまい込むと、夕飯の準備を始めたのだった。


 ◇◇◇



「子供が出来たみたいです」


 今日もまた深夜近くに帰宅してきた夫へ、そう告げたフランチェスカに、オリヴァーは目を見開くと一瞬戸惑うような仕草を見せたが、すぐにラベンダー色の瞳を細め柔らかく微笑んだ。


「そうか。よくやった、フランチェスカ。私達の初めての子だ。無事に産んでほしい。何か不足はあるか? 必要な物があれば遠慮なく言ってくれ」


 フランチェスカを抱き寄せたオリヴァーは、愛おしそうに妻のストロベリーブロンドの髪にキスを落とす。

 けれどフランチェスカは先程オリヴァーが浮かべた一瞬の表情を見逃さなかった。

 オリヴァーの腕に抱かれながら、フランチェスカの胸には虚しさが広がる。

 子供ができれば、なんて浅ましい考えは、やっぱり通用しなかったのだと自嘲し、フランチェスカがお腹に手をやると、オリヴァーがにっこりと微笑んだ。


「さっきはいきなりの告白だったから吃驚してしまったけれど、君に似た可愛い子が産まれてくると嬉しい」


 それはつまり王女に似た子が欲しいという意味ですか? という言葉は呑みこんで、フランチェスカはまた仮面を被り曖昧な笑みを浮かべたのだった。


 ◇◇◇


 フランチェスカがオリヴァーに妊娠を告げた数日後、王女のいる離宮は緊張感に包まれていた。

 王女の懐妊が発覚したのである。


 数週間前から調子を悪くしていた王女だったが、いつもの体調不良とは少し違うことに気付いた侍女が王宮医師に相談し、秘密裡に検査した結果発覚した妊娠に離宮は騒然となった。


 未婚女性の出産が許されないこの国で、未婚の王女が懐妊したという醜聞に、国王は驚愕とともに激高し堕胎するように厳命したが、王女は頑として首を縦にふらなかった。また相手の男の名も口を噤んで決して明かさなかった。

 泣いて縋って、はては堕胎するなら自死するとまで言いだした王女に、彼女を溺愛する国王が折れ、秘密裡に出産することが許された。

 普通なら有り得ないことではあるが、元々公式行事へ出席していない王女は存在さえも希薄なため、内緒で出産させれば外部に漏れることはないだろうと判断されたのである。


 それでも情報漏洩防止の観点から、離宮の警備は強化せざるを得なくなる。

 その結果オリヴァー達、護衛騎士の仕事は増加した。


 ◇◇◇


 初めての妊娠で不安なことが多いというのに、またしても急な呼び出しで出掛けていった夫の姿を見送ると、寝室に戻ったフランチェスカは離宮の屋根を眺めて、以前と同じように溜息を吐く。

 だが、フランチェスカはもうあの時のような暗い気持ちばかりでもなかった。


「一人じゃないって、強くなれるのね」


 膨らんできたお腹に手をあて、フランチェスカが苦笑する。


「神様は、ちゃんと見ててくれるのね。私に生きる希望を与えてくださったんだわ」


 腹部を撫でながら呟けば、母親の言葉に応えるようにポコンポコンと胎児が動く。その反応にフランチェスカはくすりと笑う。

 結局オリヴァーにハンカチを渡すことは出来ていないし、心に広がっていた黒い染みも消えてはいないが、いつの間にか両方とも心の隅に追いやってしまっていた。


 ◇◇◇


 やがて臨月を迎え、予定日を二日ばかり過ぎた頃フランチェスカは産気づいた。

 妹の様子を見にやってきていた新聞記者に嫁いだ三番目の姉が、産婆と医者を呼んでくれ、陣痛の周期が短くなった頃オリヴァーが慌てて帰宅してくる。しかし、もう間もなく産まれそうだという時に、またしても王女から呼び出しがかかった。


 病弱な王女にとって妊娠は相当な負担だったらしく、オリヴァーは以前よりも呼び出される回数が増えていた。

 肉体的にも精神的にも不安になっている王女は、警備の強化だけでも超過勤務になっているというのに、休日だろうが真夜中だろうが、自分の護衛騎士を呼び出すことに躊躇はなかった。そのため根を上げた何人かの騎士が辞職してしまい、残ったオリヴァー達はその穴埋めのため更なる激務になっていた。


 しかし王女の懐妊は極秘であり、オリヴァーも守秘義務を守りフランチェスカに何も話していなかったため、そんな事情を知らない彼女の心は沈んだ。

 出産の時くらい傍にいてほしかった。自分を置いて行かないでほしかった。

 けれど、それは口に出せなかった。

 王宮からの伝令を受けたオリヴァーは、陣痛で呻くフランチェスカに「すまない」と一言だけ告げると、その場を医者と産婆に任せ王女の元へ飛び出していってしまった。


 もうすぐ自分の子供が産まれるというのに出掛けて行ったオリヴァーに、フランチェスカと仲が良い姉は憤慨したが、「お仕事だから。仕方がないの」と自分に言い聞かせるように笑ってみせると、不服そうにしながらも腰を擦り続けてくれ、フランチェスカは無事に男の子を出産した。

 オリヴァー譲りの小麦色の金髪に、アクアマリンの瞳をした我が子を抱いて、フランチェスカは決心する。


「私には、この子さえいてくれればいい。この子と一緒に幸せになろう。無事に産まれてきてくれてありがとう。前にも言ったけれど、ママが絶対に貴方を守るからね」


 フランチェスカがそう決意した数日後、王女は女の子を産んだ。

 金髪に菫色の瞳の愛らしい女の子だった。

 里子に出されるはずだったその子は、王女のたっての願いで、離宮で育てられることになったため、護衛騎士の仕事は益々多忙を極めた。


 ◇◇◇


 そして七年後。


 相変わらずオリヴァーは、王女の護衛騎士として忙しい日々を過ごしていた。

 フランチェスカは慣れない育児に孤軍奮闘していたが、目に入れても痛くない可愛い息子を精一杯育てていた。

 オリヴァーのことも変わらず愛してはいたが、彼の優先順位はいつだって王女であることは覆せないのだと割り切り、フランチェスカは我が子がいる生活に幸せを見出していた。


 そんな中、オリヴァーが珍しく早い時間に、難しい顔をして帰宅してきた。

 何かあったのかと問いかければ、王女から息子を離宮に招待したいと言われたのだという。

 それは同じ年ごろの子と遊んだことがない娘のために、オリヴァーの子を離宮へ呼んで一緒に遊んでほしいという王女の親心だったが、王女に娘がいることを知らないフランチェスカは、子供だけ呼び出されたことに不審を覚えた。


 表向きはオリヴァーの子供が見たいという王女の要求だったが、フランチェスカは夫だけではなく息子まで取られたらと内心は気が気ではなかった。そう思っても護衛騎士の家族として、夫が仕える主の命令に逆らうわけにはいかない。

 それでも言いようのない不安に駆られ逡巡するフランチェスカに、当の息子はニコニコと微笑んだ。


「お母様、心配いらないよ。僕がお父様の職場をきちんと観察してきてあげるね」


 そう言ってアクアマリンの瞳を細めた我が子に、フランチェスカも渋々応諾する。

 だがフランチェスカは、この時頷いてしまったことを一生後悔することになった。

 翌日、意気揚々と出掛けていったその子は、予定時間を大幅に超えた真夜中に無言の帰宅をとげたのである。


 ◇◇◇


 騎士団が制帽の目庇を目深に降ろし静かに降ろしていった木箱に、フランチェスカは駆け寄ると、小さな棺の中で横たわる冷たい掌を握りしめて慟哭した。


「どうして? ……どうして、どうしてよ!? 何故、私の子供が殺されなければいけないの!?」


 息子を亡くした母親の悲痛な叫びに、棺を運んできた騎士達が逃げるように屋敷を出て行くのと入れ違いで入ってきたオリヴァーが渋面をつくる。


「殺されたわけではない。……離宮の外れにある小川に落ちて溺れたんだ」

「小川に? どうして王女殿下に挨拶に行って小川に落ちるの? 離宮の外れにある小川になんて行く必要ないでしょう!?」

「その……一緒に遊ぼうと誘われてしまって」


 歯切れが悪いながらも、冷静に説明する夫の姿にフランチェスカの中で理性が弾けた。


「一緒に遊ぶ? 誰が? 王女が? 大人が付いていながらみすみす子供を溺れさせたの!? それに王女なら貴方をはじめ護衛騎士だって付いていたはずでしょう!? 揃いも揃って息子を見殺しにしたって言うの!?」


 泣きながら詰るフランチェスカに応えたのはオリヴァーではなく、彼と一緒に来ていた王女の護衛騎士団長だった。


「実はご子息と一緒に遊んだのは王女殿下ではないのだ」

「では誰だというのよ!?」


 騎士団長に対する物言いではないと解っているが、フランチェスカは強い口調を改めなかった。フランチェスカの詰問に、オリヴァーは益々眉間の皺を深くさせただけで口を閉ざしたが、騎士団長は彼の肩に優しく手を置くと小さくポツリと呟いた。


「王女殿下の娘だ」

「……娘? 未婚の王女殿下に子供がいるわけないでしょう?」


 何を馬鹿なことを、という目をしたフランチェスカにオリヴァーがどことなく気まずそうに視線を逸らす。

 この国では未婚のままで子供を産むことは許されていない。ましてやそれが王女ともなれば醜聞以外の何物でもないはずだ。


「父親は誰だかわからない。けれどフランチェスカと同じ頃に出産されたんだ。子供のことは箝口令が敷かれていたから秘密になっていて、けれど王女殿下が同じ年頃の子供と遊ばせたいと仰るものだから、同じ子を持つ親として断れなかった」


 絞り出すように呟いたオリヴァーの肩を軽く叩いて、騎士団長が話を続ける。


「王女殿下の娘が小川に落としたブローチを拾おうとして、ご子息は足を滑らせたそうだ。子供の悪戯心で護衛騎士から隠れて遊ぶのがお好きだったため、我々が発見した時には既に……」


 言葉を濁した騎士団長に、フランチェスカはわなわなと震えた。

 王女の子供、それは先程逸らされた視線から、オリヴァーの子だと直感的に思った。

 だが今はそんなことはどうでも良かった。


「人殺し! 人殺し! 人殺し! 私の息子を返して!」 

「人殺しじゃない! 運が悪かったんだ! 王女殿下もその子も反省している。不幸な事故なんだ!」


 騎士団長に向かって狂ったように怒鳴りつけたフランチェスカを、オリヴァーが慌てて静止する。掴まれた腕の強さにフランチェスカの表情がスッと消えた。


「……そう……そうやって貴方はいつだって……」


 王女殿下が一番なのね。私や、この子よりも。

 口についた言葉は嗚咽でオリヴァーには聞き取れなかったらしく、泣き崩れるフランチェスカを一人残すと、騎士団長を出口へ案内していった。

 自分の子供が亡くなったというのに冷静でいられることは、騎士としては立派なのだろうが、オリヴァーのその態度にフランチェスカは彼に対して初めて憎悪を覚えた。


「オリヴァー様にとって王女の代わりである私が産んだ子供の死など、嘆く価値もないものだったのですね」


 そう考えると我が子が不憫だった。フランチェスカが王女の代わりだったため、父親の愛を受けられなかった我が子に対して贖罪の気持ちしか浮かんでこない。


 帰宅時間になっても帰ってこない息子を心配して、フランチェスカは何度も家の前に立ち、帰りを待った。

 離宮の前まで足も運んだが扉はきっちりとしまっており、門番の姿も見当たらなかったので中に入ることは叶わなかった。

 何か嫌な予感はしていた。

 けれど、どこかで父親が一緒にいるのだから大丈夫だと思ってしまっていた。

 その父親は妻よりも我が子よりも大切な人がいたことを、フランチェスカは知っていたのに。


 息子の帰宅が真夜中になってしまったのは、きっと事件が露見することを恐れたためだろう。離宮で幼い子供が亡くなったことが世間に知られれば、やがて未婚の王女に子がいることが隠しきれなくなる。

 そのことを回避するために、闇夜に乗じて人目を憚るように運び込まれた息子の亡骸は、その冷たさから亡くなってから随分時間が経っていることを知らしめていた。


 帰宅してからずっと握りしめているにも関わらず冷たい小さな掌は、フランチェスカがいくら熱を移そうとしても温かくなってはくれない。

 お母様と嬉しそうに微笑んで駆け寄ってきてくれた愛しいあの子の声は、もう永遠に聞くことはできない。

 絶対に守ると誓ったのに、死なせてしまった我が子の亡骸を抱いて、フランチェスカはただ泣くことしかできない自分を責め続けた。


 息子の葬儀が終わり、抜け殻のようになっていたフランチェスカが失踪したのは、それから間もなくのことである。

 その少し前に王女の護衛騎士団長が異動となりオリヴァーがその任に就いたこともあり、新団長の奥方を見つけようと捜索は多岐に及んだが彼女はついに見つからず、一家が幸せな家庭を築いていたと思っていた人々は、溺愛していた子供が急に亡くなってしまったので失意のうちに儚くなったのだろうと噂した。


 息子を亡くし妻が失踪してしまったオリヴァーには求婚が殺到したが、彼は頑として首を縦にふらず、王女の護衛騎士団長という慌ただしい日々の中で、次第に彼に美しい妻と可愛らしい息子がいたことを周囲はすっかり忘れていった。

 

 そうして気が付けば、あの痛ましい事故から十年の月日が経っていた。


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