02) レンガの街並み
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魔法使いはいつもイライラ。
地位も、富も、名誉も、力も、魔法使いはたくさん持っていました。
しかし満たされることはありません。
いつしか魔法使いもみんなをきらいになりました。
王様は魔法使いを懲らしめようとしましたが、それを知った魔法使いは、塔ごと姿をくらましました。
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まるで靄がかかったように頭がうまく動かなくて、やっぱり「夢の中みたい」とつぶやく私に、「それはさっきまで寝てたからですよ」とニコルが言った。
自称魔法使いに呼び出され、ダイニングテーブルを囲んで自己紹介をしたすぐ後。
逃避していたわけではないが、そろそろこれは現実かなと頭がやっと認め始めたときに、気がついた。これが夢だという証拠がないかわりに、現実だという証拠もまたないことに。
しかし私が身に纏っている服は確かに私が元の世界で着ていたもので、現実との境界がより怪しくなった。
「ニコル」
「なんですか、フランさん」
この二人はいったいどういう関係だろう。
親子という案が頭をよぎるが、見えないにもほどがある。というか、これが夢だとしても20代に見えるフランに、10歳ちょっとの子どもがいてほしくはない。
まだ寝惚けていると思われてるのか、私を他所に二人の会話は続く。
「僕は自分の部屋に篭るから、その人に当面必要なものを用意して」
「こもって、何をするんですか?」
「その人をもとの所に帰す方法を調べてみる」
フランはニコルの頭にポンと手を置き、私には何の言葉もなしに階段を上っていった。
もしかして歓迎されてないだけじゃなく、厄介がられているのだろうか。
私は無言で背中を見送った。
「じゃあぼくたちも行きましょう」
まだ私が目を覚ましてから10分くらいしか経っていないのでは?
しかし彼らにとっては別世界の人間が来たことは日常を変えるほどの出来事ではないのか、さも当然のごとくどこかへと誘われている。
逆らうすべなくつれられるまま向かった場所は、なんとも素晴らしい洋風の町並みだった。
並んだ洋館一つ一つの造りがめずらしい。私が周囲に興味を示していることに気づかないニコルはこちらに歩みを合わせたりはせず、一直線に私を洋服店へとつれていった。
「まず着替えを買います」
ニコルが心なしか先輩風を吹かせている。新入りが来たのがうれしいのか、フランに対する態度と少し違うのは気のせいではないようだ。
そして到着した店内へと入るよう、優雅に手のひらで促される。
「好きなものを買ってください」
店内にはぎっしりと、きらびやかな服がたくさん飾られていた。
マイスターのような人も控えていて、この世界に不慣れな私にだってこのお店が一流ということはわかる。好きなものを……なんて子どもからそう簡単に出る台詞ではない、代金はフランもちだろう。
「……ニコルくん」
「なんですか?」
着替えというなら、下着もだろうか。何泊分揃えればいいのだろう。そんなことを考えながら、私はニコルにそっと伝えた。
「好きなものを選んでいいなら、もう少し控えめな服のあるお店がいいな」
ニコルは目を丸くして暫しの間、固まった。
私はおかしなことを言ったのかもしれない。――なぜなら、先程から道ですれ違う女性たちは一様に着飾って明るい色のドレスやスカートを着ていたし、この店内にも華やかなドレスやワンピースばかりが当然のように陳列しているのだから。
元いた世界の格好……パーカーにデニム姿だった私は、早くも文化の違いを感じていた。
「……一番良い店を嫌がるなんて」
おかしな人だとでも言いたげに、腑に落ちない様子でニコルが呟き、店を出て行く。
次の店、次の店とランクを下げつつ渡り歩いて、私の納得がいく店に辿り着けるまでは数件かかった。やっと落ち着いて選べそうなお店に着くと、今度はニコルが納得のいかない様子で私の買い物を見つめていた。
服を買い、靴を買い、買ったばかりの装いに着替えると、ニコルは頼んでもいないのに帽子を買って渡してくれた。貴婦人向けの房が大きな飾り帽子ではなく、少年が被るようなハンチング帽だ。
帰り道、ふと通り過ぎた店の窓ガラスに写った自分を見ると、ああなるほど、と私は髪を帽子に入れた。この世界の女性たちの格好は皆華やかで、慣れない私がそれを避けるように選んでいった洋服は、まるで私を少年のような格好にしていた。
「フランさん、もどりましたー」
必要なものを一通りそろえた私は、ニコルにこの世界の話を簡単に聞きながら家に帰った。
この世界では稀に魔法を使える者がいて、フランはものすごく偉い魔法使いなのだそうだ。彼らの家も普通の家だと思っていたが、ただの家ではなく魔法の塔なのだという。
先に入ったニコルの背を見送って立ち止まり、家に入る前に外から建物を見上げても、隣の家と同じ高さのレンガ造りの一軒家があるばかりだ。
「……これが塔?」数秒遅れて中に入ると、言われてみれば外から見えたサイズよりは狭い部屋だった。しかし、ただ片付いていないだけとも言える。
「フランさーん」
呼びながら、ニコルは「聞こえないのかな…」と二階へ上がっていった。
一人にされて、私は手持ちぶさたに辺りを見渡す。……改めて見れば、生活動線以外のところは埃が積もり、新雪のように薄っすら床を白ばませている。踏めば足跡がつくだろう。
さっき私は床に寝かされていたが、フランが上着を敷いていてくれて本当に良かった。
なんとなく頭がかゆい気がしつつ、買ってきた荷物を比較的汚れていなさそうな台に置くことにした。
そして、この家のもう一人の住人と目が合う。
「…………」
「…………」
沈黙は、二つ。
私と、そして目の主のものだった。
「……ぬいぐるみ?」
「誰だお前」
黒く丸っこい大きめのもじゃもじゃが、私のつぶやきに返答する。
「ぬいぐるみ……が、喋った……」
「ぬいぐるみが喋るわけないだろ、ばーか!」
突然遭遇した人語を操る未知の生物に心は穏やかではなかったが、それ以上にこの生き物の毛の先が埃でこんもりしていることに気が付いて、別の畏怖が湧いてくる。一度も掃除したことのないところへ突っ込んだ後のモップ、とでもいえば適切だろうか。
これが幻覚幻聴でないならば、今こそ悲鳴をあげるしかない局面なのに、私は叫ぶどころか黙って謎の生き物と視線を交わし続けていた。
頭は存外、冷静にこれが夢ではないことを理解していた。ずいぶん心が丈夫になった。いや、現実逃避で心が鈍くなったのか。
ぎょろりと光る目玉の主は質問した。
「お前何者だ?」
こっちの台詞だ。――しかし未知の生物を前に下手に機嫌を損ね、身震いでもされた日にはこちらが埃を被ってしまう。ギリギリのところで口答えをのみこんだ。
「私はスズキ」
「ふーん、変な名前。おれはオグロ、悪い魔法使いだ」
「…悪いの」
実は四足動物よろしく毛玉には足があり、オグロはすす…と少し移動した。彼が移動すると見事に周りの埃が巻き込まれていく。
オグロは僅かにこちらへ寄ると、私を頭のてっぺんからつま先までじろじろと視線で舐めて、偉そうに顎を上げて口を開いた。
「お前、変なにおいがするな」
「え……」
「この世界の者じゃないだろう」
「わかるの?」
好意的なのかはわからないが、なんとなく気安く話し掛けてくるので私も気安く返してしまう。オグロはスンと鼻を鳴らして機嫌よさげに目を細めた。
「ふん、おれにわからないわけがない」
なんとなく猫のようで、喉元を撫でたい気持ちが生まれたものの、黒ずんだ毛に触れる勇気はなく思いとどまる。
「あれ……?」
一つ、思い当たる節があった。どうしてもっと早く気がつかなかったのか。
「もしかして、オグロって」
口を開いたとき、ちょうどフランとニコルが下りてきた。