生存と恋の両立は、クソゲーの悪役令嬢には荷が重い。
もしも、モーフィアスに、赤い錠剤と青い錠剤を差しだされたら、わたしは迷わず青い錠剤を選ぶだろう。
わたしが、前世の記憶に目覚めてしまい、ここが乙女ゲームの世界であることに気づいてしまったとき、真っ先に思ったことがそれだった。
モーフィアスとは、映画『マトリックス』に出てくるキャラクターである。
彼は、仮想現実に取り込まれていた主人公に、二つの錠剤を差しだして選択を迫るのだ。
赤い錠剤を飲めば、世界の真実を知ることができる。
青い錠剤を飲めば、すべてを忘れて元通りの生活を送れる。
主人公は勇者でありヒーローなので、赤い錠剤を飲むけれど、もしも彼が、その世界のラスボスだったら、目覚めたいと願っただろうか?
おまけに、この世界は、わたしにとっては紛れもない現実なのだ。
かつての人生では乙女ゲームでも、今のわたしにとっては、十五年間生きてきた生身の世界だ。家族も友人もいる。こんな記憶、取り戻したくなかった。モーフィアスの青い錠剤が欲しい。なにもかもを忘れて以前と同じ生活がしたい。
そう泣きべそをかいていたわたしだったが、数日間、魂が抜けたように過ごした後に、ハッと覚醒した。
─── まずい、そういえばこのゲーム、有名なクソゲーだったわ……!!
2ちゃんねるの感想スレにカキコされていた感想たちを思い出す。
『攻略対象と結ばれた後に、逆恨みしたライバルに命を狙われるところまではともかく、そのライバルを攻略対象が切り捨てる血飛沫スチルって誰得よ? マジであたおか』
『あれ絶対穴埋めスチルだよね。全キャラのルートにあるもん』
『ハッピーエンド後になんで、黒地に赤が飛び散ったスチルが出てくるの!? 信じられない。イラストレーターの甘々スチルが見れると思ったのに!』
『最後に金がなくなりましたって感じ。このゲーム、全体的にバランス悪すぎるよね』
……等々。
つまりライバルである悪役令嬢のわたしは、ヒロインがハッピーエンドを迎えてしまうと、人生の終わりを迎える。なんというクソゲーだ。アンジェ○ークを見習ってほしい。
あぁ、これがネオ○マだったら、わたしとヒロインの友情エンドが絶対に存在するのに! クソゲーが憎い!!
わたしは制作会社を呪いながらも青ざめたが、すぐに、一つだけ助かるルートがあったことを思い出した。
「ノーマルエンディングがあるわ!! もうこれに賭けるしかない!!」
ノーマルエンディング、それは多くの乙女ゲーにおいて、主人公が誰のルートにも入らなかったときに発生するエンディングである。
ただし、このクソゲーでは、主人公のパラメーターが悪役令嬢より低かったときにも発生する。
なぜなら、まずルートに入るためにパラ上げが必須だからだ。
各攻略キャラの分岐ルートに入るためには、ラスボスの悪役令嬢に、毎月のテスト(つまりパラ上げ)で勝たなくてはならない。
ちなみに、悪役令嬢であるわたしは、魔法の道具で学園中を魅了し、生徒会長として君臨している女帝の設定である。
そんなヤバそうな道具、持ってないから、これはもしかして大丈夫なんじゃない……!? と希望を持っていたら、学園への入学祝いにお父様から実にそれっぽい宝石がついたネックレスをもらった。親の手前、一度だけと思って付けて見せたら二度と外れなくなった。呪われていたのだ。最悪である。
ヒロインは、平凡な一生徒であるが、実はあらゆる魔法を跳ね返す能力を有している。そして、親の都合で転校してきたこの学園で、顔の良い攻略対象たちと出会う……という展開である。
ヒロインがパラ上げでわたしに負けると、攻略対象たちにかけられた呪い、もとい魔法を解けずに学園を卒業するのだ。
この場合、悪役令嬢のわたしのその後については、言及はない。
当然、血飛沫スチルもない。やったね!
わたしはそのノーマルエンドだけは知っているんだ。クリアしたことがあるからね。
前世のわたしは、ゆるゲーマーだったので、クソゲーに興味はなかった。
だけどブック○フで100円(税別)で投げ売りされていたので、安さに目がくらんで買ってしまったのだ。
乙女ゲーにおけるクソゲーとは、様々な要因が絡み合って成立する。
まず、だいたい、どんなクソゲーでも絵と声優はいい。
ここが悪かったら誰も買わないからだ。売れない商品には、クソであるというレビューすらつかない。ただし、絵については、好みや流行りも影響する。わたしの初プレイ作であり、思い入れの深い名作『アンジェ○ーク』だって、今どきの人気が出る絵柄ではないだろう。しかし由○先生の美麗スチルは時代が変わろうと最高である。異論は認めない。
余談であるが、このクソゲーも例にもれず、絵と声優陣は豪華だった。
なんと、わたしの実兄の声が三○眞一郎である。
記憶を取り戻し、そう気づいたときには、思わず兄を拝んだ。
攻略対象でもない脇キャラにミキシンを持ってくるなんて。そういうことをするから金が尽きて血飛沫スチルを作ることになるんだぞ。そういうとこだぞ制作会社。
……とは思いつつも、『遙かなる○空の中で』で毎回青龍から落としていた身には嬉しすぎるご褒美だ。ミキシンの声だとお説教されても全然気にならない。いつか一度でいいから『神子殿』って呼んで欲しい。『お守りします、神子殿』とか……。キャー! 想像しただけで悶えるー!! とぴょんぴょんしていたら、実兄に毛虫を見るような眼で見られた。冷たい。でも声がミキシンだから許す。
話がそれてしまったが、豪華声優陣に資金を全部つぎ込んだようなこのクソゲーは、パラ上げが重要であり、そしてパラ上げのためにはミニゲームをクリアする必要があった。
ミニゲーム。
それはたとえば ─── テトリスもどきだった。
テトリスのパクリというかなんというか。刺繍を完成させるために、せっせとテトリス(もどき)のバーを消していくのだ。消し続けて、刺繍の完成までこぎつけたらクリアである。
乙女ゲーのミニゲームなのに時間を食いすぎる。だるい。テトリスが面倒。
そういった批判は多かったが(乙女ゲーにあるまじき仕様なので当たり前である)、わたしはこのテトリスにハマった。綺麗な刺繍が少しずつ完成するのが面白かった。なので、プレイするたびにミニゲームばかりやっていた。そして、気づけばゲーム内で一年が経ち、攻略キャラをだれも落とさないまま、平和に学園を卒業したのだった……。
わたしの場合は『パラ上げに熱中しすぎて攻略せずに終わったためのノーマルエンド』だったが、パラ上げでライバルに勝てなかった場合もノーマルエンドだ。感想スレにそう書いてあった。「パラ上げ面倒くさすぎてマジでクソ」というコメント付きだった。
わたしが学園へ入学することは、すでに決まっている。
こうなっては、もうノーマルエンドに賭けるしかない。
わたしはそう決意し、死に物狂いで自分のパラ上げへ走った。
プレイヤーだった頃とはちがい、楽しくテトリスで刺繍を仕上げることなどできない。すべて自分の手でちくちくと縫っていくしかないのだ。
勉強パラや運動パラ、礼儀作法パラなども同様である。
わたしは生き延びるために必死で自分を鍛え上げた。
目指すは最強のラスボス、もとい悪役令嬢だ。
あぁ、ロザリア様、あなたこそわたしの目指す最高のライバルです ─── ッ!
しかし、わたしは失念していたのだった。
ヒロインが転校してくるまでの二年間、わたしは、女帝として学園に君臨することが義務付けられている存在なのだということを。
そして、女帝のわたしは、多くのイケメン攻略キャラたちをはべらせて、逆ハーレムを築いている女なのだということを ─── !
学園入学二年目の夕暮れ。
人気のない生徒会室で、キラキラのハンサムが、わたしの手の甲に口付けながら囁いた。
「愛しい方。どうか、今夜は、美しい貴女をエスコートする栄誉を、この私にお与えください……」
やめてッ! CV:寺島○篤で囁かないで!!
わたしは内心で身悶えしていた。
わたしはパラ上げに専念して生き延びると決めているんだから!!
その声で囁かれると決意が揺らぎそうになるからやめてえええ!!!
うっうっ、泣きたくなる。
どうせみんな、ヒロインが来るまでの間だけだとわかっているけど!!
この引きちぎっても外れない呪いのネックレスのせいだとわかっているけど!!
CV:豪華声優陣に囁かれて、ぐらっとこない乙女ゲーマーが、この世にいる!?
あぁでも、このままCV:寺島○篤の手を取ってしまったら、パラ上げどころかデートに走りまくる自分の姿が見える!!
誘惑に流されてデートしまくっちゃうもん!!
そして一年後には断罪されて血塗れスチルだー! そんなのいやああ!!
わたしは、内心の動揺と葛藤を押し隠し、ふっと薄い笑みを唇に浮かべた。
そして、キラキラのハンサムを冷ややかに見下ろしていった。
「お断りしますわ。エスコート役なら、いつものように兄がおりますから」
ありがとうミキシン。ありがとうお兄様。わたしを末永くお守りください八○様。あっ、これちがうゲームだ。てへぺろ。ううっ、どうせなら○葉のいる乙女ゲーに転生したかったよう。
わたしがそんなことを考えているとも知らず、副生徒会長である彼は、穏やかに微笑んだ。
「では、また、次の機会を待ちましょう」
「次の機会にはどうぞ、ほかの令嬢をお誘いになってくださいませ」
冷たく言い放つと、キラキラのハンサムが、憂い顔で、ぎこちなく微笑んだ。
「……何度もしつこくお誘いしてしまって、申し訳ありません。不快に感じていらっしゃるのでしょうね」
ううっ! グサグサくる!! この声にこの表情はむり!!
わたしがヒロインだったらスチル有りのシーンだよこれは!!
「貴女のことを、どうしても諦めきれずに、みっともなく悪あがきをしてしまいました」
今夜限りに諦めます、と、彼をいおうとするのを察して、わたしは思わず口を開いていた。
「いつか ─── 」
彼が驚いた顔でわたしを見る
「いつか、そう……、“卒業する時がきても”まだ貴方がわたしをエスコートしたいとおっしゃってくださるなら」
「ええ……、ええ!」
「 ─── そのときは、お受けいたしますわ」
声が震えてしまったのを、気づかれなかっただろうか?
なんて馬鹿なことをいってしまったんだろう。
たとえわたしが生き延びられても、わたしと彼の間にハッピーエンドはないのに。
だけど、彼があまりに嬉しそうに笑ったから。
わたしはもう、どうでもよくなって ─── ……いや、なってしまったわけじゃないんだけど!! 生き延びたいし!! 血飛沫スチルは絶対NGだし!!
あぁ、もうどうしよう。
生存と恋の両立なんて、悪役令嬢には荷が重すぎる!