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ルフィナが寝台の中で目を開けたとき、雨戸の隙間から差し込む朝日はまだ弱々しいものだった。
身体にはまだ疲労が色濃く残り、頭もぼんやりしているのに、習慣というものは恐ろしいな、と密やかに笑う。
ほんの一拍迷うが、身を起こして、口を閉じたままゆっくりと喉の奥を開く。
鼻から吸った空気を口腔であたためてから、咽喉へ落とす。
何度か繰り返すと、声帯までしっかりあたたまってきたのを感じた。
歌族でごく一般的な準備を終えたら、何曲か歌いながら身支度をするのがいつもの流れだが、このような場でそれがいかに常識はずれかはルフィナにもわかる。
口は固く閉ざしたまま、鼻から息を抜きハミングを始める。
ただそれだけだったが、胸の内に灯がともるように熱くなる。
慣れ親しんだ熱を消さぬよう、低く長く音を織りながら、身支度を始めた。
手桶にもらっておいた水で手巾を濡らし、固くしぼる。喉元から鼻へ抜ける響きを手巾ごしに確かめながら、身体を拭き清めると、ほっと息をつく。
ふと、小さな物音が左隣から聞こえてきた。隣室で眠っていたアレクセイが起き出したのだろう。
昨夜は早めに切り上げたとはいえ、ずいぶん話し込んでしまった。
人とあれほど話したのは、初めての経験だった。
アレクセイは騎士というわりに物腰が柔らかく、話運びも上手かった。口がたつとは言えないルフィナでも、アレクセイが巧みに相槌を打ち、疑問を挟むのに乗せられて、話し過ぎてしまった気もした。
身支度の手は止めないまま、昨夜の会話をたどる。
歌族のことを知りたいと言われたときは、その真意が見えず狼狽えたが、アレクセイはなるべくルフィナの負担を軽くし、速やかにリアーナと王子殿下を連れ帰りたいということだった。
曰く、エフゲニー殿下の出奔は極秘で、ことが知られてしまえばまずいことになる、と。
国民人気の高いエフゲニー殿下だから廃嫡にはならないだろうが、王城内では王子殿下の振る舞いは勝手が過ぎるのではと不満の声も増えてきているのだ。
本当に勝手が過ぎるし、巻き込まれた形のあなたには謝罪のしようもない、と言いながら、アレクセイはぽんぽんと小気味よく質問をしていった。
健康状態や所持品の確認から始まり、受け付けない食べ物、野営や騎乗の経験まで。ルフィナとリアーナ二人分のそれらを確認したアレクセイは一言、
「なかなか厳しい旅になりそうだ」
とこぼした。だが、うまくいけばさほど長引かず終わらせられるかもしれない、とも。
アレクセイによれば、エフゲニー殿下の所持品や路銀は把握ができているそうで、そこから考えると行動範囲は絞られる。身につけているものを売ったりして、さらに資金を作ろうとした場合は網にかかるよう手配がされているらしい。
旅慣れず寒さに弱い歌族のリアーナを連れているのだから、野営も現実的ではない。
最低限治安の良い道や町を選んでいくだろう。
「期限は……三ヶ月」
リアーナの書き置きには、『エフゲニー殿下と北へ行きます。探さないで』とあっただけだ。
二人の目的は何なのか、本当に期限内に二人を連れ戻せるのか。
ーーできなかったとき、どうなるのか。
控えめな扉を叩く音で、ルフィナの思考は途切れた。
のぞき穴を確かめればーー昨夜アレクセイにそう言われたーーアレクセイが身支度を終え立っていた。
その表情は引き締まっているものの、甘い色の瞳はどこまでも凪いでいて、不思議とルフィナの腹をくくらせた。
「できています。行きましょう」