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  干した肉や果物、小さなナイフやロープ。皮袋の内側のポケットにはいくらか貨幣が入っているようだが、この旅に必要なだけのものかどうかルフィナにはわからなかった。

 荷物にしてもそうだ。自分の必要なものを詰めるといっても、旅に何が必要なのかなど、まともに里を出たことがないのだから想像することさえ難しかった。

 しばらく考えてから、さらに着替えを一揃いと櫛を入れて、皮袋の口を締めた。


 朝の空気を入れていた窓を閉め、最後に自室の扉を閉めると、静まりかえった廊下に、やけに大きな音がした。

 一瞬、誰かを起こしてしまうかとひやりとしたが、耳をすませても誰も出てくる気配はない。

「……それもそうか」

 ルフィナが今朝里を出ることは、表だって知らされてはいないけれど皆知っている。なのに、今日まで誰も声をかけてこない。誰も見送りに出てこない。


 そういうことだ。わかってはいたけれど。

 きっとひどくゆがんだろうそれを、深くフードをかぶって隠した。



 慣れない乗り合い馬車に閉口しながら、指定された町に着いたのは、門扉が閉まるぎりぎりの時間だった。

 里にはそもそも外壁も門扉もないから、閉め出されるという可能性さえ考えていなかった。


 こんなことがこれから何度も繰り返されるかと思うと、ぞっとする。気を引き締めていかないと、あっという間に命までとられてしまいそうだ。


「こんな時間に一人で大丈夫か。宿が決まってないなら……」

 人の良さそうな門兵が声をかけてくるのに、かまってくれるな、と無言で手を振り返す。

 馬車の揺れで身体のあちこちが悲鳴をあげていたし、そもそも何と口をきいていいかわからなかったのだ。

  無防備に口を開いて、面倒ごとに巻き込まれたらことだ。

 門兵は気を悪くした風もなく、気をつけて行けよ、と顎でしゃくってよこした。


 石造りの門をくぐると、大きな噴水がある広場があり、そこから格子状に建物が配置されていた。

 大陸の中では下から数えた方が早い小さな町とはいえ、一万を超える人間が住んでいると言う。

 建物は新しく建てられたものも多く、古いものも丁寧に修繕されているのがわかる。足下に敷き詰められた石畳も、割れているものや痛んでいるものはほとんど見あたらなかった。


 なるべく人目を引かないよう、速すぎず遅すぎず、背を伸ばして歩く。

 ふと、どこかの家から夕餉の匂いが漂ってきた。顔を上げると木枠のはまった窓から、橙の明かりとにぎやかな声が染み出ている。


 かつてほしかったもの。二度と手に入らないもの。

 考えれば考えるほど、ルフィナの四肢を冷たくしていく絶望。

 胸をよぎる漆黒の影に素早く覆いをして、ルフィナはしっかりとフードをかぶりなおし、窓に背を向けた。



 『左手奥に厩舎のある、黄色い屋根の宿屋』

 それほど歩かないうち、指定された宿屋は、すぐに見つかった。

 大きく立派な宿なのに、あまり人は入っていないようだ。


「いらっしゃい。宿かね、食事かね」

 扉についた土鈴の音で振り向いた女性が声をかけてきた。

 一階部分が食堂兼宿泊の受付になっているようだ。カウンターをぐるりと囲むように丸テーブルが五つほど置かれ、数人が食事と酒を楽しんでいた。


「西から来た銀です」


 里で託されてきたルフィナのことばに、恰幅のよい女性は二度瞬きをした。

 じっとフードの中をのぞくように、栗色の目を見開く。


「……あんたがかい。ほれ、あっちのテーブルで待ってるよ」

 わけがわからず視線を送ると、入り口から一番遠い、カウンターの陰になったテーブルに、こちらに背を向けて一人の男性が座っているのが見えた。


 ーーどういう、こと?


 ルフィナの躊躇いには気づかないのか、女性は背をぐいぐいと押す。ちょうどルフィナが立っているところが通路をふさぐ位置だったのが理由のようだ。


「ちょっとあんた、来たよ」


 女性のことばに振り向いたのは、若い男性だった。

 座っていてもかなり背が高いのがわかる。こっくりとした茶の髪に、蜂蜜色の瞳。なんだか甘ったるそうな色合いに、柔和な笑みが甘さを増幅させている。


「ああ、あなたが。よかった。無事お会いできた」

「……」


 男性が音もなく立ち上がり、傍らの椅子を引いて勧めてくる。

 使い込まれた椅子の背もたれは、天井の灯りを受けてつややかに光っている。細かいことは気にしなさそうな女主人に見えたが、きちんと磨いているようだ、となぜか益体も無い考えが浮かんでは消えて行った。


「……あの、あなたは」

「え?」


 なるべく低く平坦に聞こえるように訊ねると、男の蜂蜜色の目がひょこり、と泳いだ。


「……もしかして、詳しい話をお聞きになっておられない?」

「ここへ向かえとしか」


 端的にルフィナが言うと、参ったな、と男は髪に指を入れた。

 くしゃり、くしゃりと二度かきまぜてから、男はうなる。


「今回のことは、俺も昨夜聞いたところなんです。まさに寝耳に水で。とにかく、そちら側から事情がわかる方をおひとり出していただけるから、ここで待ち合わせをする、と聞いています」


 おひとり、のところで、男が少しだけ言い淀んだ。

 物腰も柔らかく、ルフィナのような得体の知れないものに丁寧に話す男は、騎士か何かをしているのだろうか。

 腰のベルトにつるした剣は、どの程度の価値があるのかルフィナにはさっぱりわからないが、随分と重そうだった。


「……事情がわかるといっても、こちらもほとんど情報は持っていないです」


 言いながら、そっと視線を周囲に向ける。

 誰が聞いているともわからないここでは、ぼかすような話し方しかできない。テーブル同士離れているとはいえ、耳をそばだてれば断片的に話を拾うことは可能だろう。

 男がルフィナの視線に気づいたのか、左手を掲げてみせる。中指にミーガンドット帝国の紋章が彫り込まれた無骨な指輪がはまっていた。


「申し遅れました。俺は護衛騎士団に身を置いています。アレクセイと申します。ミーガンドット帝国護衛騎士の名において、あなたに礼節を尽くすことを誓います」


 つきましては、上に部屋を取ってあります。一緒に行っていただけますか?


 口説き文句のようなその言い回しと、アレクセイと名乗る男の柔和な笑みに、ひくり、とルフィナの頬のあたりがひきつった。




「すみません。会ったばかりで、このようなところは嫌でしょうが」


 男が用意したというふた部屋のうちの一つ。

 小さな卓を挟んで、向かい合う。


 ルフィナの背後の扉は閉じられているが、男は卓と寝台に挟まれる形で座っていて、ルフィナの退路を保つように距離を取っている。


 その上、眉を下げられ謝罪されると、馬鹿にされているような気がしてしまう。

 ルフィナとて、密室に男と二人きりになることに抵抗はある。だが、今そんな悠長なことを言っている場合ではないということもよくわかっている。

 慮ってもらうことは、有難いけれど、状況を理解していないと思われるのも癪だった。


「わかって、います。……歌族エディアナの里のルフィナです」

 言いながら、ローブのフードを落とすと、向き合った男ーーアレクセイがにっこりと微笑んだ。

「ご丁寧にありがとう。真紅(ルフィナ)は、一度聞いたら忘れられなさそうだ。生き物を満たす赤き力だ」

「……」


 屈託のないことばに、ルフィナの胸がおかしな動き方をした。

  真紅を意味するルフィナの名は、その瞳を見た育て親がつけてくれたものだ。

 燃える炎のように、熟れた果実のように、誰かを満たし豊かにしてくれるようにと願いを込めて。

 それをアレクセイが知るわけもないけれど、育て親に頬を撫でられたときのような、どこかくすぐったいような、泣きたくなるような気持ちがした。


 そういえば、アレクセイは先ほどルフィナを"ひとり”と数えることに躊躇を見せた。

 里で教えられる外の人間の知識は、野蛮で無知で自身の正義や価値観を疑いなく多種族に押しつけるというひどく偏ったものだった。

 ルフィナに至っては育て親の教育が大きく、その教えが疑うべきものだという頭はあるが、何しろ里から遠く離れること自体初めてなのだ。


 アレクセイの先ほどの躊躇が何からくるものなのか、屈託なくルフィナの容姿を褒められるのはなぜなのか、全くわからない。


 ーーこの男は、何者なのだろう。なにを知っているというのか。


「さて、あなたもとても疲れているとは思うのだけど、実はあまり時間がない。まずは互いの知る情報を交換したい」

 ふう、とアレクセイは息を吐き出した。食堂からもらってきた熱い茶を、まずルフィナの前のカップへ、そして自分のカップへと注ぐ。


 有り難くカップを持ち上げ、口元へ運ぶ。

 深く煎ってあるのか、渋みの強い茶が、疲れた額に染み入るようだった。


「私たちが得ているのは、〝歌姫〟最有力候補であったリアーナ姫様が残した書き置きにあったことだけです」


 ことが露見したのは五日前。

 エディアナの里からとある娘が消えた。

 ちょうど里は三年に一度の祭りで大変賑わっており、誰かの出入りがあったとしてもすぐには気づかれないような状況だった。

 ところが、今回いなくなった娘ーーリアーナは、里長の娘であり歌族の最高栄誉と言われる〝歌姫〟の最有力候補者だった。

 三年に一度行われる歌族の祭りは、未婚の娘たちの中から〝歌姫〟を選出し、さらにその伴侶となる男を選出するのが最大の目的だ。

 〝歌姫〟とその伴侶が織り上げる壮大な愛の歌で、歌族は三年に一度の繁殖期を迎える。つまり、〝歌姫〟がいなければ繁殖期は始まらない。


 リアーナがいなくなったのなら他の娘が〝歌姫〟になればいい、というわけにもいかなかった。近親婚を繰り返してきた里は年々子どもの数が減ってきており、未婚の娘がそもそも少なくーーなおかつ、〝歌姫〟に必要とされる技量を持つものが他にはいなかったのだ。


 すぐさま彼女の自宅や交友関係が検められ、ほどなくリアーナの書き置きが見つかった。それによれば、ミーガンドット帝国の第三王子であるエフゲニー殿下が今回の出奔に関わっているということだった。


「そもそも……あー。えーと。俺はいつも注意されるのだけれど、配慮に欠けて不快にさせるような物言いをしたら申し訳ない」


 何かを言いかけてから、アレクセイは目線を一度下げる。ふた呼吸ほどあけて、戻ってきた視線は柔らかいものの、真っ直ぐにルフィナを刺す。


「俺は、歌族の知識がほとんどない。それにより誤解を生じたり、あなたに不快な思いをさせることは避けたいんだ」


 ついては、一般に知られていることも、そうでないことも含め、教えてほしい。


 言い切ったアレクセイは、ゆっくりと頭を下げた。


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