プロローグ
焚き染めた香、冷たい沼の底のような淀み湿った空気。
鼻先すら怪しいほど深い闇が、じわじわと身体の中へ染み込んでくるようだ。持ち込んだ手燭がなければ、立っているか座っているかさえわからなくなる。
この闇は、神聖なるものを守る闇だと言い伝えられているが、本当のところは誰もわからない。眉唾物だ、と陰でこそこそ言うものも少なくはないのだ。
どれほどの時間が過ぎたのか。手燭が、ゆらりと揺れた。
吐き出した息が、己のものとは信じられないほど震えているのが可笑しかった。それを気取られぬよう膝を折り、ゆっくりと頭を下げる。
腰まで伸ばした髪が、膝を掠めて滑っていった。
「ルフィナ。やはり、お前に行ってもらう。これは里の総意だよ」
「……はい」
十分予想していたことばだった。だが、里の、と言われるとぐっと胸に迫るものがあった。
「旅立ちに際して、必要なものはこちらで用意しよう。……何かお前から欲しいものや願いはあるかね」
五大、と呼ばれる長老の一人であるこの老婆なりに、ルフィナのことを案じているのかもしれない。本来なら有無を言わさぬ命令を下すばかりで、希望など言う機会さえあたえられるものではない。
「ございません」
血の滲む思いでかき集めた矜持で織った声は、聞くものすべての胸を打つほど明瞭で美しく、怜悧だった。
言いたいことなら、有り余るほどある。
なぜ自分を認めず、こんな仕打ちをするのか。
一体自分が何をしたのか。何を為さなかったというのか。
なぜ、なぜ。
どれを口にしても、そこにルフィナを慰める答えがあるわけはない。
口にすればそれはただ、ルフィナを救いようもなく惨めにするだけだ。
今まで努力を重ねて身につけてきたすべてのものまで自分自身で否定することになるようで、無様な懇願はどうしても許せなかった。
誰に認められずとも、誰にも受け入れられずとも。
ゆっくりと顔を上げ、なるべく不遜に見えるよう、ルフィナは老婆へ微笑んだ。
「必ずや、期日までに姫様をお連れいたします」
……ああ、でも。
無事戻れたなら、自分の持てるすべての力で皆を跪せてみたい。
そう真実の願いを口にしたときに、この老婆がどんな顔をするかは、見てみたい。




