〝フィアレス・モンスターズ〟
「ヒーロー……?」
理解が追いつかず、言葉の語尾を上げただけの鸚鵡返しに終始する。
「つまり、貴方のことよ」
「寝惚けてるのか、カナク」
「私に手を差し伸べようなんて奇特な人、初めて見たの。貴方って、自分に言い聞かせてるほど冷血動物じゃないんじゃない」
思い当たる節はあった。大分前の話にはなるが、確かに自分はこの少女を救って(・・・)いる。だが感謝の言葉を受け止めるのは難しかった。修にとっては、それは結果論でしかない。自分の心が焼け切れない方を選び取ったことが、副次的にカナクの活路を開いただけだ。
「女の子が強姦されかけてるって分かってりゃそれなりに手を打ちもするだろう」
「ええ、そうね――でも、実際に私を犯した(・・・)のは貴方だけよ」
けらけら笑うカナクを見て修は引きつる。返答に詰まり、気がつけば湿度で遊ぶ前髪を手で弄くっている。
「おれの二の句を奪うのが趣味なのか」
「そんなことないわ。事実の描写が、堪えられないくらい辛辣で、冗談にしては笑えない台詞になってしまった――それだけで」
「この場で命を差し出して、赦しを請いたくなってしまうよ」
「そんな必要はないのよ、シュウ。あんなシチュエーションでも、貴方が相手なら、それなりにロマンチックな思い出なのよ」
カナクの言葉を噛み砕こうと、まさにその時インターホンが鳴り響く。ドアカメラ越しですら漏れ出す剣呑な空気の持ち主は、修が知る限り一人しか居ない。竜悟のことを思い出し、修は後頭部に手をやった。カナクとの衝撃的な邂逅もあり、彼の存在をすっかり忘れていたのだ。
「今すぐ帰れ、とも言えないな……隣の部屋が空いてるから、良ければそこに退避しててくれ」
「あら、私が居たら不都合」
「お前は気にしないのか」
「全くもって。寧ろ貴方の友朋がどんな人物か、とても興味があるわ」
カナクの双眸に、隠せぬ好奇が芽生えていた。こうなれば静止するだけ無駄だろう。艶然とした笑みに嘆息しつつ、インターホンに「どうぞ」と、萎えた声を投げつける。
「おいっすおいっす。差し入れ持ってきたぞ」
のっそりと姿を現した大貫竜悟は、誕生日パーティーを一発かまそう、という量の菓子と飲料をドサドサと部屋に積み上げた。ルマンド、バームロール、チョコリエール、ルーベラにホワイトロリータといったブルボン系が一式、きのこの山とたけのこの里もフェアーに両方買ってきている。修が好むハッピーターンに、亀田の柿ピー、ブラックサンダーは当然箱で――。ピザポテトにカラムーチョ、ポテトチップスはコンソメがカルビーでのり塩はコイケヤだ。竜悟が物事の加減に明るくないのはいつものことだが、指摘をすれば次からは更に倍量を持ってくるであろうことは推測できていた。分かっているからこそ、修は目を細めるのみで、だんまりを決め込んだ。
部屋の奥にカナクの姿を見出した竜悟が、目をぱちぱちと瞬かせた。
「なんだぁシュウ、女連れ込んでんなら言ってくれりゃあ、俺だって配慮くらいはするってのに」
竜悟に隻腕や服装や容姿についての感想はない。ただフラットに、修の艶事に邪魔立てしたことを詫びるポーズを取る。取るだけで帰るつもりはないらしく、修の体を脇に押すようにしてドスンとその場に座り込んだ。
「お気になさらず。貴方とは違って、私はリザーブしてなかったから」
「とはいっても予約制でやると、俺との約束が365日ブッキングすっからなあ。こいつは色っぽい話がねぇからよ。無性愛じゃあないみたいだし、友人としちゃあ、春が来たならそれを優先してぇって話だぜ。余計な世話とは知りつつもな」
「ふうん。モテないんだ。優しいし、頭は良いし、お金も持ってて、お洒落なのに」
「おう、見る目があるな、姉ちゃん。だが世間は冷てえかな、こいつは成り上がりの皮肉屋で鼻持ちならねぇヒッピーだと思われてるのさ」
「適当抜かせ」
「おうおうアンケート調査取ってみっか? まあ諦めろ、お前はシュールストレミングみたいなモンで、万人受けしねぇのさ」
竜悟は独自の「涌井修評」を述べながら、特注のばかでかいヒップ・バッグに手を伸ばす。フォアローゼスのスモールバッチを取り出すと、経口補水液でも補給するみたいに瓶に口をつけ、実に上手そうに嚥下した。ポテトチップスの袋を開き、ひと掴みで十枚ほど口に突っ込んでから、思い出したようにカナクへと目を向けた。
「ハロー、嬢ちゃん。〝ドラゴン〟こと、大貫竜悟だ。コンゴトモヨロシク」
「はじめまして。私は藤倉カナク」
「カナク……カナク! ああ! シュウから聞いたことあるぞ! 昔なじみの!」
竜悟が顔を輝かせた。誰もがいかついと見る「ドラゴン」の表情は、付き合いの長い修に言わせればあどけない子供のようだった。好奇心旺盛で、割とミーハーな所もあった
「そう。それで私が、スパイダー・ガール」
「スパイダー・ガール……ってっと、今この街を荒らしまくってる、〝蜘蛛女〟?」
「そうなの。貴方も私のこと、狙ってたかしら」
「狙ってたけどなんだ、シュウのダチだってんなら話は別だぜ。水臭えな、教えてくれりゃ良かったのに、シュウ?」
「俺も知らなかったんだ。今この瞬間まで」
「なんだそりゃ、どういうこっちゃ」
竜悟が指を顎に当て、首を傾げる。
「幼馴染と久方ぶりの邂逅を果たしたところなの」
カナクの言葉を受けた竜悟は、納得いったとばかりに頷くと、申し訳なさそうな顔になった。
「なんだ、そうとは露も知らず。そいつはマジですまなかったな」
「私が修に頼んだの。友達がどんな人か見てみたいって」
「でけぇ奴さ。タッパだけじゃねえ、スケール感がでけぇ奴だ」
「ええ、そのようね」
竜悟のぞんざいな説明にカナクは頷く。この二人の対面がどのようなことになるのか想像だにしなかった修だったが、実際はひどく拍子抜けさせられた。旧知の仲かのようにスムーズな会話が繰り広げられている。
「なんだかよく分からねえ状況みたいだが、俺にも説明賜って頂けるのかい」
修はカナクに視線を送る。
「私から話していいかしら?」
修は「何処まで」という言葉を飲み込んで、頷く。カナクの考えに任せようと思ったのだ。竜悟に隠し事などしたくはないが、内容が内容なだけにどこまで踏み込むかはカナクの意思に任せたかった。
結果――カナクは喋った。内容こそ簡潔だが、一切合切、全てを。
途中から修は右手で顔を覆っていた。
まさしく剛胆の極み。
この少女は、請われれば自分の貯金額からスリーサイズ、性経験の回数や家の機密まで気持ち良く喋るだろう。自分を安く見ている訳でも、破滅主義者な訳でもない。そのレベルの情報にさしたる価値を見出していないのだ。地の底から天の国まで、一通りの生活水準でありとあらゆる人間の汚いやりとりに晒された結果、最後に行き着いたのがこの「完全な自己開示」だった。
涌井修がカナクの叔父を殺した(・・・)話に及んでも、竜悟の表情は不変だった。
「じゃあれかい? お前の叔父さんってのは、ガキ同士がまぐわってる(・・・・・・)のを見るのが大好きな性的倒錯野郎で、そういうホームビデオをプロデュースして楽しんでたってワケか。しかし、お前が主演男優だったとはな」
「ええ。最後は悪役を殺してフィナーレってわけ」
竜悟はそう言って声を上げて笑った。カナクもくすくす楽しそうにしている。
大貫竜悟の精神はこの程度では小揺るぎもしない。仮にカナクに四肢がなく、スナッフ・ムービーの生き残りでそういう状態にされたと説明を受けても、反応は変わらないだろう。この男は、誰かの人生に感傷的になったりはしない。「味方」「敵」「その他」という、シンプルな分類だけでここまでの道程を歩んできている。
「しかし聞いちまって良かったのか。作り話って訳じゃないんだろ」
「ええ、皆悉、一切合切真実よ。どうして話したかって――信頼できそうだもの、貴方。シュウが家に上げていることもそうだけど。そのアイコンタクトと、話しぶりを見るだけで、深い仲だっていうのは分かるわ」
面食らう修をよそに、カナクは事も無げに続ける。
「どちらにせよ、例えば貴方が私に害を為そうと思ったら――今話した情報はどうせ必要ないでしょう? 貴方だったら、気にくわないものは全て、力で排除できそうだし、そうしてきた感じがするもの」
カナクの評価に竜悟はにんまりと笑った。
「へえ、スゲェキレるな、この子。こんな頭のいいダチがいるなんて、羨ましいぜ、シュウ」
「そうだな……」
「友達の友達は友達」が、修の人生史上最も綺麗に成立した瞬間だった。未だに戸惑いを隠せない修ではあるが、竜悟とカナクが打ち解けたことに不思議がないのもまた事実である。「裏表がなく」「芯のある」人間が好きな竜悟と、「奇矯さ」と「強さ」を愛するカナクは、お互いを認め合うのに多くの時間は不要らしい。
「シュウの友達って、イカれてるわね」
「君もだ、カナク。俺が一般人じゃないかと錯覚するような、そういう深刻なレベルでヤバいぞ、二人とも」
「端っから、中二病拗らせ男子の涌井修君が一番まとも(・・・)なコミュニティみたいだぜ、この空間は。仲良くやろうぜ、ミス・スパイダー?」
「ええ、よろしく。大貫さん」
「水臭えな。リュウちゃんとかでいいぜ」
「じゃあ、リュウゴくん」
「そんな感じでいこうじゃねえか」
カナクが掲げた手に竜悟が控え目にハイタッチをした。
「さらっと流したが――いいのか、竜悟。俺は……人殺しだぞ」
「自衛と愛の為の殺人なんざ、どっちかっちゃぁ称賛に値するだろ! 毎日罪もねえ家畜をかっさばいて食って、どこかの紛争地帯でガキを酷使して手に入れたエネルギーで暖取ってんだぜ。しょうもねえクソがおっ死んで、目に見えるダチが生きてる。しかも殺ったのはバレてねえときた。首尾良くやったよ、お前は。素晴らしいことじゃねえか。何か問題があっか? 罪の意識に苛まれてしょうがねえってんなら、何なら次は、オレがお前等の敵をブチ殺してやるさ」
ああ、そうだった、と。修は思い出す。
大貫竜悟は嘘をつかない。故に、親友に害為す者と対峙したのなら、その時は本当にブチ殺す(・・・・)のだろう。
この二人は、日本国の法律や道徳に縛られていない。
ただ一つ、自分の研ぎ澄まされた感性だけを拠り所とし、その腕でもって昧者の群れ為す海を掻く。斯くも恐ろしき猛者、超人が、たまたまこの場に相見えている。
何よりこの場が――心地よい。
世間と自分のズレ(・・)に痛みを感じずに済んでいる。孤独で居なければ浸かれないと、そう思っていたぬるま湯に、今は二人の同士を得た。これまで味わったことのない奇妙な安堵感を覚え、修は長く息を吐いた。
「ま、何にせよ、カナクちゃん。アンタも今日から地獄の同胞だ、よろしくやろうぜ。んで……これからどうするんだ? ここまでの人生はよく分かったが、肝心要の所を教えてくれよ。どうしてパーフェクト・ワールドで〝辻斬り〟しまくってるんだ」
言葉を選び、葛藤に押しつぶされそうだった修だったが、奔放な竜悟を前にしてそれも馬鹿馬鹿しくなっていた。本来は国家を上げて保護すべきような苦境に置かれている筈だが、こと藤倉カナクに対してなら自分は過保護なのかもしれない。
「そのビデオが、パーフェクト・ワールドの景品になったの」
きょとんとしていた竜悟が、一拍の後、修に意味ありげな視線を送る。
「クレイジー過ぎるだろ、修。彼女に会えないからって、そんな諸刃のリベンジ・ポルノを仕掛けるなんて」
「やるわけがないだろう。そもそも、常識的感覚に基づいたら、こんなに明るく話せるような過去じゃない。オリジナル・データは消した筈だ。己たちは持ってない」
「やっぱりそうなんだ」
「勘弁してくれ、カナク。俺を疑っていたのか」
「リベンジポルノだなんて思ってないわよ。もしかしたら、そういうのを公開するのが好きなタイプなのかもって。だったら理解を示さないと、とは思ったけれど」
「此処には狂人しかいないのか」
修のぼやきに呼応して、カナクと竜悟が笑う。此処は今、出鱈目で、イカれた空気が満ちる部屋。一般社会という名の濁世には、受け入れられることのない価値感に満ちている。
煤塵荒立つ、くすんだ修の世界で――この部屋だけは、一条の光が差し込んでいた。
大貫竜悟
[メインクラス]バーサーカー(Lv100)
[サブクラス]グラディエーター(Lv100)
[エリア]足立区
[ランク]A
[レート]3430
[ポイント]94736
[所属]大貫組
[アプリセットA]
【ドラゴン・クロー】[5][攻撃]
射程三メートルの強力な物理攻撃
【ドラゴン・ブレス】[5][攻撃]
Fire属性の広範囲攻撃
【ドラゴン・スケイル】[5][防御]
耐久値型の全身防御。全属性を半減する。
【アタックブーストα】[2][特殊]
常時発動型/攻撃力増強アプリ
【アタックブーストβ】[3][特殊]
常時発動型/攻撃力増強アプリ