〝スウィート・イントルーダー〟
大貫竜悟との巡回は特に収穫のないまま終わりを迎えた。
龍と遭遇したプレイヤーが取る反応は大別して三つ。歓迎か、無視か、一目散に逃げ出すか――ノベル・ゲームの選択肢のように、ごく限られた選択肢が提示される。彼の好む・好まざるに関わらず、その威圧感は相手に日和見の類を赦さなかった。
いずれにせよ、戦おうと考える相手はほぼいないということだ。やらずとも分かる地力を知って尚、勇ましく剣を抜く者はいない。無為に戦ってレートを下げるのは余りにも馬鹿馬鹿しい行為だった。
対する竜悟も〝戦闘〟に飢えてこそあれ、逃げ惑う羊を追い立てる趣味は持たなかった。獣のような男だが、何より〝粋〟を最上とする。無意味な殺戮を繰り返すような賎陋とは一線を画した気高い戦士は、常に狩りの是非を己の矜持に問うている。
加えて現在、竜悟は自他共に認める「足立エリアの守護神」である。帝國との一連の抗争に際しても、積極的に干渉してきた訳ではない。片手間の抵抗で帝國の尖兵をいなし続けた結果、ついぞこのホームタウンで分かり易い地位を確立したという訳である。
竜悟の武勇を思い返すことができるのは、常に修が傍らにいたからだ。腐れ縁は今日という日も例外ではなく、一度解散はしたものの、すぐに修の家に集まる手筈になっていた。名目は「スパイダー・ガールの捜索」と「対帝國について」の話し合いということであったが、竜悟のことである、どうせ二、三も言葉を交わした後に、ゲーム大会かパーフェクト・ワールドのアプリ開発業務に移行することだろう。
修は自宅側の白鷺公園の側道を行く。やる気のない小山のような遊具と、申し訳程度の高台に、寂しく揺れるブランコ。都内によくある「申し訳程度の要素」だけの公園だが、夕刻近くなっても人影はある。
一番の理由はポケモンGOのポケストップと、パーフェクトワールドのスポットが重複して設置されているからだった。日中から深夜までかなりの〝荒れ場〟になる傾向が強く、初心者狩りが横行しがちだった。区役所や管理人のおよび知らぬ所で子供達の遊び場が奪われる好例といっていい。見かねた修や竜悟が「自治活動」をしてからというもの、平穏を取り戻している。
公園沿いには小川が広がり、近隣住民の散歩コースと化している。荒川から分岐して流れる水は、その辺の側溝と変わらないドブのような色をしており、やんちゃな小学生でも入るのを躊躇うであろう汚さがあった。
広がる墓場を横目に、シャッターの降りた司法書士事務の前で足を止める。本来なら事業主が切り盛りする筈のこの場所も、今では修の「寝床」と化している。過去の決済を視るにそれなりに稼ぎは悪くなかったようで、事務所兼自宅であったこの場所は、一人で住むには少し大きかった。修は脇道から回り込み、裏口から鍵を開ける。近所付き合いも面倒になった修は、空き屋を装う為に正面玄関の不使用を徹底していた。
土間に上がり、靴を脱ごうとして、足元の靴が目に入る。女性ものの黒いロングブーツが鎮座していた。
修は警戒して一歩下がり、裏口の周囲を入念に確認した。違和感はない。改めてブーツを確認する。質の良いレザーでできており、編み上げのシューレースも太い革紐が使われている。
この場所に他人の靴があることそのものが、そもそもおかしな話だった。
マルチ商法と新興宗教に嵌まり家から去った母。
外に女性を作って出て行ってしまった父。
行方不明の兄、家に寄りつかない妹。
涌井修の家族は皆、この場にはいない。修は懐に忍ばせた武器の束に手をかけて、音を殺して階段を上がっていく。
廊下の突き当たりの部屋から、人の動くような音が聞こえる。薄ら寒さを振り払うように、束を握る手に力を込めて――自室のドアを、静かに開けた。
「お久しぶり、シュウ。元気に、してた?」
洋服とインテリアに塗れた部屋、その中央のベッドの上に少女が一人腰掛けている。ひらひらと手を振る彼女の姿に、修は呆気に取られていた。
黒いゴシック調のドレス。蜘蛛の巣を模したタイツ。黒い揚羽蝶の髪飾りには、真紅の薔薇が添えられている。
日本人とは思えない、病的に白い肌。赤褐色の瞳、色素の強い、赤い唇――。
柔らかい笑みに超然さとアンニュイな空気を同居させた、そういう少女だ。
肘から先のない右腕が、美しい丸みを描いている。
胸元に輝くタンザナイトが、紫色に輝いている。素人目にも30カラット近くありそうな、化物じみたサイズのジェムストーンも、彼女がするならやや見窄らしいと感じるほどだ。
属性と記号の塊。情報過多な姿はしかし、選び抜かれた高級な〝部品〟に彩られ、安っぽい扮装とは一線を画した出で立ちを呈している。
あの日から、何も変わってはいない。
その姿は、さながら地獄からの使者のよう。その色香と仕草でもって人間を惑わす淫魔か、現代に生きる花魁か――。
「お久しぶり。それにしても――輪をかけて悪人面になったのね、あなた」
少女は左手で、細い指に引っかけた鍵束をくるくると弄ぶ。その所在は遠い記憶の彼方であったが、確かに彼女に渡した覚えのある家の合い鍵だ。
公園で出会った立ち姿。勿論、分かっていた。疑うまでも無い。街を荒らしているプレイヤーの正体は、錆び付いた感覚でもすぐに気がついた。
会いたくなかったか? と問われればノーだ。あの日以来、彼女の事を忘れたことなど一時もありはしなかった。
だが、会いたかったか、と問われても明確な答えを持っていなかった。少なくとも彼女のほうが修よりも勇気が有り、誠実だった――それだけの話だろう。
誰もが知る国民的女優の妹で、「藤倉」の令嬢で、パーフェクト・ワールド、足立エリアの災厄〝スパイダー・ガール〟――。
藤倉カナクを、ぼんやりと眺めた。
「久しぶり……カナク。君はだいぶ、綺麗になったようだ」
取って付けたような返事を、小さく鼻で笑い飛ばす。嫌味も、冷淡さも感じさせない、品と愛嬌が同居した嘲り。彼女らしい仕草に、修はしばしまごついた。
「いい加減、スタンガンから手を離したら。女の子一人平らげる(・・・・)のに、随分とまあ物騒な」
修は懐から獲物を投げ出した。現れた大振りのダガーナイフを見て、カナクがあきれ果てた。
「非道い刃渡り。ド違法じゃないの。相変わらず此処は世紀末なのね」
「嗚呼。貧民窟の出はな、どうしても護身が癖になる」
武器を好むのは自らの「中二病」的素養に依るものだけではない。濁世に蔓延る物騒な報せを耳にするからだ。ざわつく心を鎮める度に、護身の為の〝玩具〟は増える。
「ごめんなさいね。長いこと、連絡もしないで」
「お互い様だな」
沈黙が続く。カナクが口元を抑えて軽く笑った。
「どうした」
「冴えない会話だな、と思ったの」
「この状態で、感情を……整理しきれると思うか」
「私は、つけたわ。だからここにこうして現れたというわけ」
「そうか。それで、何をしに来たんだ」
「どうぞ。座ったら」
そういってカナクはベッドの方を指し示す。常識的に考えれば椅子を修に譲るのが正着手だが、生粋の女王には似付かわしくない。
体調はどうだ。
どんな生活をしてる。
どうしてこの町に戻ってきた。
何かおれに、できることはあるか。
浮かんでは消える言葉を感じながら、修はただ、口を噤む。尋ねたいことは無数にあるが、そのどれもが本質的でないような気がしていた。出会うだけでこれほどにまで動揺するのなら、どうしてもっと早く連絡を取らなかったのだろうと、行き場のない悔恨が思考を支配する。
穏やかな笑みで修のことを見つめていたカナクが、不意にぽつりと呟いた。
「ヒーローに、会いに来たの」
藤倉カナク
[メインクラス]バグマスター(Lv100)
[サブクラス]ネクロマンサー(Lv100)
[エリア]足立区
[ランク]AA
[レート]4010
[ポイント]138890
[所属]-
[アプリセットA]
【スパイダー・ネスト】[3][変化]
半径20メートルの空間に蜘蛛の巣を張り巡らせる。
【スパイダー・パーティ】[4][召喚]
一回の発動につき10匹の『リトル・スパイダー』を召喚する。
【スパイダー・ストリングス】[3][攻撃]
蜘蛛の糸を発射する。最大射程:20メートル
【リーサル・ヴェノム】[6][攻撃]
周囲空間に『強化毒』のステータス異常を発生させる液体を噴射する。
【???】