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〝ゾンビ・ガール〟

 人気のない荒川土手。遠く夕陽は今にも消えかけて、辺りはそっと春の暗さに包まれつつあった。

 手慰みの三本目の電子煙草。タールも、ニコチンもない。まるでキックも感じられないコーラ味のフレーバーを飲み込んで、橘明人(たちばなあきと)は目を細めた。

 あれほど辞められないと思っていたのに、今では紙巻き煙草は臭くてとても吸えそうにない。スイーツの蒸気でいいのなら、もうおしゃぶり(・・・・・)ならなんでも構わないだろうなと思う。毎日女の乳首でも吸ってろ、と、卑下た笑みを浮かべていた友人の顔を思い出す。


 険のある顔に小麦色の肌。周囲から、「典型的なヤンキー面」と称されてきた少年は、鼻筋が通り、顎のラインも鋭い。ジャージを着て深夜のドンキホーテをほっつき歩いてれば、それなりにサマになりそうだなと、自分でも感じている。


 ビンテージのスクールジャケット。それなりに虫食い(モスホール)が点在しているが、これも味と放置して羽織っている。スキニージーンズに合わせた月と太陽の柄のドクターマーチンは、十年前に限定発売されたものだ。


「も、もうすぐおわる……から」


 意識の外側からかけられた声に、適当に頷く。

 高架下で白い髪が風に揺れている。シロツメクサを一心不乱に編み込んで、花冠を作る高校生は、この街でもかなりの少数派(マイノリティ)に分類されるだろう。


 少女は三十秒の後に冠を携えて明人の方へ駆け寄ってくる。

 色素の感じられない肌と、暗い中でも不気味に輝く赤い目。普段からぼんやりした表情だが、睫や眉の輪郭が茫洋としているせいでより一層頼りない印象を感じさせた。

 実家の古着屋の「外れサイズ」の超巨大なパーカーを、だるだるに着崩している。小柄な彼女にとっては最早ワンピースのような着丈だった。案の定、腕の部分が邪魔らしく、今は腕の部分だけを脱いで背中で縛っていた。原宿ならファッションリーダーになれるかもしれない。


「んなもんこさえても金にならねえぞ、つくも」

「あげる」

「いらねぇ……」


 つま先立ちをした白が明人の頭の上に冠を乗せる。子供っぽい思いつきはいつものことだが、面倒なので好きなようにさせていた。

 白は手を叩く。


「にあう、にあう。あきとくんは、なんでもにあいます」

「嘘つけや適当女。こんなもん、見なくても分かる。さながらうらぶれたヒッピーだぜ。お前が被っとけ」


 明人はポンと花冠を白の頭に乗せる。

 純白の肌と、絹みたいな髪の上に乗った冠は、世界中の誰よりも彼女にマッチした装備品だろう。


「わたしは、どうかな」

「妖精かエルフか、って感じだな」

「えへへ」


 嬉しそうに笑う少女を見てあきれ返る。これだけ自由に生きられたら、と思わなくもないが、奔放さと小利口さは両立し得なかった。故に明人は不幸なソクラテスとして、今日を生きている。

 瞬間的に、彼女の全身の力が抜けた。煙草を吸っていない方の手で彼女の体を支える。定番の情動脱力発作(カタプレキシー)も、頭を打つと危ないので、立っている時はなるべく側にいるようにしていた。本人も感情を制御しようと努力しているようだが、クールなようで元来、笑い上戸なのでたびたび崩れ落ちる。


「ぷわぷわした」

「そうかい」


「でも、あきとくん。あ、……あんまり、強く、なかったね……んっ」


 白にしては珍しく、十分も前の出来事を思い出したようだった。軽い吃音と戦いながら、帝國幹部の不甲斐なさ(・・・・・)を口にする。


「そうだな。幹部ってのがあんな木っ端だとは思わなかった。あれなら、オレでもお前でもすぐになれるぜ」

「あきとくんは、やりたい?」

「金払いがいいなら考えてもいいが。まぁ、このレベルの集団なら、退屈するだけだわな」

「みんなに、き、きらわ、われそうだね」

「それこそ今更だわな」


 明人は先天性白皮症(アルビノ)に加えて居眠り(ナルコレプシー)を併発した(つくも)を眺める。レアな疾患のダブルホルダーである彼女の渾名は、小中を一貫して〝ゾンビ〟である。奇矯な行動も相俟って、コミュニティから常に迫害されてきた。まとも(・・・)な社会なら無視されるだけの彼女も、娯楽の少ない小中学生からしてみれば、憂さ晴らしのサンドバッグにしたくもなるというわけだ。


 もっとも小五の春、彼女のシチューにおがくずを盛った少年が入院してからというもの、彼女に手を出す者は激減していた。衣類を全て切り裂かれ、あばらと鎖骨を折られた状態で荒川に沈められた〝加害者〟だったが、その犯人は未だに判明していない。我ながらスマートな隠蔽工作であったと、明人は評価していた。〝半殺し〟という言葉を学べたのは、あの加藤という少年のお陰であった。


 そんな縁もあり、肌への刺激が少ない夕方になると、こうして彼女を連れ出しては散歩させていた。ボディーガード兼、お目付役といったところだが、ことパーフェクトワールド絡みの紛争に関して言えば白が敗北する心配などまるでありはしない。


 白の両親は今じゃ斜陽産業となりつつあるアメリカ古着屋だが、それなりに成功を収めているらしい。少なくとも、娘の知り合いに金を払ってガードマンをさせるくらいの余裕はあった。真っ当なバイトを面倒臭がる明人にとって、貴重な収入源の一つである。たまに紛れているユーロ系の古着は白の父親によってキープされ、明人の手に渡ってくる。二重でおいしい話である。


「じもとをまもらないと」

「帝國みてぇな、強くてでかい組織に身売りするってのも一つの手ではあるけどな。まぁ、今日の感じだと、期待したほど強くはねぇようだが」


 足立区は〝スパイダー・ガール〟にかき回されていた。江東五区に対する帝國の侵略もあり、パーフェクト・ワールドは少々荒れ気味である。


 しかしながらどのような混迷も、橘明人にとって何ら意味を持ってはいない。


 帝國に恭順するか、反逆するか。心底どうでもいいトピックだった。キャッシュの払いがいいなら帝國につけばいいし、そうでないなら排除する。シンプルに考えられない連中は、自分の腕に自信がないからだろう。弱者は常に、時代と社会の激流に流されるだけだ。


 ただし、目の前の〝弱者〟は例外だった。生天目白は、ことパーフェクトワールドにおいては世の中の99%の五体満足の健常者よりも優れている。


 ゾンビガールを侮ったレート3000中盤の帝國幹部とその仲間達は、白によって玩具にされていた。状況によってはサポートに回ろうと考えていた明人も、一方的に嬲られるだけの彼らを見て考えを改めた、という訳だ。

 手慰みの電子煙草、そのリキッドが2本枯れる頃には、帝國の連中は尻尾を巻いて逃げ出していた。思い出す価値もない試合運びが、明人に乾いた笑みを湛えさせた。


「帰ろうぜ、つくも。また絡まれてもうざってぇ」

「わかった。帰って、べ、べんきょうする」

「こないだも相変わらずクソみたいな成績だったな、お前」

 明人の返事に白がむくれた。頬が朱に染まる。

「あきとくんは、頭が良すぎる」

「良すぎるならこんな半端な都立高にゃ通ってねえんだよなァ」

 白の目が泳ぐ。ころころ変わる表情は、見ていて飽きがこなかった。

「ごめんね、わ、私が……ここに、通ってるから」

「自惚れんなよ。お前がどこに居ようがオレは近場を選んだわ」

「じもとを愛している……?」

「オメーマジで適当抜かしてんな。足立も葛飾も愛するほどのモンじゃねぇわ。東京とは名ばかりの薄汚い(・・・)下町だ。単に、オレは動くのが面倒臭ぇんだよ」

 電子煙草をケースにしまい、胸ポケットに押し込んだ。白は花冠を高架下の花束(誰かが飛び込み自殺をしたらしい)の中に置いてきたが、やはり惜しくなったのかもう一度駆けていって自分の頭に戻した。


「罰当たりなムーブカマしてんな」

「そんなことない。私は、きょうも、神にかんしゃしてる」

「お前は何教なんだよ」

「……わっ、わからない。しゅうきょうは、よく知らないので」

「そりゃカジュアルな信仰だこって」


 明人は神など信じていなかった。世界の、そして個人の〝メイキング〟に際して、彼の者はバランスの取り方が下手糞過ぎる。居たところで自分の知性にすら劣ると信じてやまなかった。

 少なくとも、土手に自生しているシロツメクサほどにも、少女を救えはしないようだ。

レート3000中盤を一方的に3人片付ける野良プレイヤー

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