〝スパイダー・ガール〟
群れ為す獣は、外敵の臭いに鈍くなる――。奇襲からのPKで、数多くの首を獲ってきた修の経験論だ。
街中の小競り合いに銅鑼などない。引金が引かれ、撃鉄が落ちて初めて、子供たちは戦火に巻き込まれたことを知る。足立区では珍しくない乱戦ではあるが、今宵の首謀者は〝辻斬り〟。東京の隅では珍しい、ハイレートの怪物にして古参中の古参。知名度に釣り合わぬ腕を持つ、歴戦の暗殺者。
無惨にも散った仲間の仇討ちとばかりに襲来する銃弾/レーザー光/舐める焔/爆発/剣戟。
その全てを、修は擦り抜けるようにして避けた。公園の芝生が舞い上がり、青い臭気が鼻腔を走る。バリアなしの攻撃回避を見れば、練度の差は一目瞭然と言えよう。しかしながら、怒りに任せてアタック・アプリを乱打するだけの者達が、それに気が付くことはないようだ。
修はバンダナの下で薄く笑った。この場所にたむろしている人間などたかが知れている。即ち、カジュアル・プレイヤーへの超積極的なPK行為を繰り返す、初心者狩りの賞金首と、自らの威光の元に独善的な価値観を押しつける〝帝國〟の構成員。仮に息の根を止めたところで誰も困りはしない。ゴミ置き場を漁る鴉を絞めたところで、誰がそれを糾弾するというのだろうか?
ひどく低質な戦いであることは修もよく理解していた。切って捨てても刀が錆びるばかりで、得られるものなど欠片もありはしない。等級も上がらず、研ぎ澄まされた奇襲の技術も頭打ちになってきた。
狙い澄ましたようなタイミングで更なる乱入者が現れる。あれだけ目立つアプリで鉄火場を印象づけたのだ。荒事好きなプレイヤーが殺到するのは必然だ。
群がり始めた等級乞食を縫うようにその場から消える。急駛する修を追うが、修との差はみるみる開いていくばかりだ。テクニックだけではなく純粋なフィジカルを問われるこのゲームでは、1500メートル4分30秒を切る俊足はそれだけで大きな武器になる。
これぞ害虫駆除。自ら作り上げたゲームをぶちこわしているという感覚は彼の中にもあったが、行き場のない感情をぶつける先としては他に適当なものもなかったのだ。
信念無き、魂無き――そういう殺戮を繰り返している。虚無此処に極まれり――それでも彼は毎晩のように続けていた。
もともとこの場所は涌井修の聖地だった。
不在を荒らした連中に王の帰還を知らしめているだけ――適当なことを嘯きながら、弱者も強者も等しく挫いていく。
だいぶ遠くまで逃げてきた。いつもの逃走ルートの一つだ。こういうラフな乱闘をしていて最も危険視すべき、「パーフェクト・ワールドに頼らない普通の喧嘩」に巻き込まれないよう十分に距離は置く。PWの巧拙は若者の中ではルックスや学力と同等か、それ以上の「スペック」の指針になる。加えて結果次第では仮想通貨を得ることも可能なゲームだ。ただ強者であるという理由だけでも、怨恨や憤怒の情を持たれることは日常茶飯事だった。
三分ほど、住宅の陰で待機する。喧騒は聞こえてこない。あれだけプレイヤーが群がっている以上、深追いするリスクは取らないだろうと修は判断した。余っているポーションを連打してライフを回復すると、次の目的地へと移動を開始する。
東西南北に広がる東綾瀬公園は、道路を挟んだ各スポット毎〝支配〟している集団が異なっている。ここより奥は、区内の別の高校生グループがいつもたむろしている場所だ。先ほどの修羅場では見かけなかった以上、彼らはまだ、こちらにいる筈だった。
「……なんだ」
広域マップを開いた修は思わず声を漏らした。
いつもなら少なくとも10人はたむろしているスポットに、反応がない。
違和感を覚えて冷静に辺りを見回す。アプリのエフェクトが視界の端で明滅しても良さそうなものであったが、稲光の一つも確認できなかった。この時間帯は、道路を挟んで幾つも続く公園のそれぞれで戦闘行為が繰り返されているのが常である。
不思議に思いつつも警戒度を上げて行動を開始する。なるべく植え込みに身を潜めるようにしながら、ゆっくりとした歩みで隣の公園へと向かう。
スポット周辺の状況が視認できる距離に近付いた修は、〝場〟の荒れように眉を顰めた。
VR空間上のマップ・オブジェクト――ドラム缶/ベンチ/ゴミ箱/電柱、その全てがズタズタに破壊されていた。辺りには蛍光グリーンの不気味な光を放つ粘液が撒き散らされ、ぷくぷくと泡立ちつつ煙を上げている。
かなり派手な戦闘が行われていたことは明白だった。恐ろしいことにスポットそのものも破壊されている。スポットに置いてある柱状のシンボルは、高レベルのモンスターも比較にならないほどの耐久力を有している。しかし戦闘に巻き込まれる間に損耗はしていく為、あまり長く攻撃に晒されていると破壊されてしまうこともあった。現状このスポットは、再生するまでの間アイテムも得られない状況である。
ここまで旨味のなくなってしまった荒れ場なら、拠点にしていたメンバーが移動したのも納得できる――恐らく相打ちで各陣営が数を減らした結果だろうと、一人納得した。
スポットのデータを取得してみればこの場所で40人以上のプレイヤーが倒されていた。一時間近く戦闘が続いていたようである。
修は無駄足に心残りを感じつつも踵を返す。取り残しのアイテムでもないかと広域マップを開いた時、視界に何かが映った。
狭い道路の上に架かる石造りの橋、その上にプレイヤーを示す光点が灯る。
まだ誰かいるのだろうか。何の気もなしに光点をタップして表示された情報――修は目を疑った。
ランクAAA。当日のキル数51。ノーデス。
AAAランクは全ユーザーの2.5%程度しか存在しない。それも都心部やクローズドの大会、ハイレベルプレイヤーの屋内設備でやっている人間全体も入れての割合である。故にその辺りをほっつき歩いているプレイヤーではまず見かけることがない。
修はふと、巷で噂になっていた言葉を思い出す。
〝スパイダー・ガール〟に気をつけろ――
毒に塗れたあの景色を作り出したのは、その都市伝説の主なのだろうか。
噂を確かめてみようという好奇心が、彼の足を橋へと向かわせていた。
段を軽快に駆け上がり、陸橋の上へと辿り着く。
五メートルほど先にいるのは、確かに噂通りの少女だった。
右肩から〝生えた〟三本の腕。
黒いドレス、蜘蛛の巣をイメージしたようなタイツ。黒のロング・ブーツ。
少女は橋の中程に佇んだまま、静かにこちらを見つめて――そして呟く。「やっぱりね」と、修にはそう聞こえた。
彼女が目を覆う仮面を、外した。
諦念と自信をまぜこぜにしたような不思議な笑み。闇の中で鈍い煌めきを見せる赤褐色の瞳。
分かっていた。修には分かりきっていた話だった。顔など隠していても
もう二度と会うことはないと思っていた。
プレイヤー達の間で噂になるのも無理はなかった。大量殺人者の筆頭格である修と比較してもそのキル数は五倍以上――。この辺りの領域一帯を血の海に変えている、ミス・ホロコースト。
彼女ならこの惨劇を一人で創り上げることはきっと容易かった筈だ。
ここは彼女の虐殺刑場。
憐れな豚共の屠殺場。
血と毒に塗れた戦場跡。
待ち伏せ(アンブッシュ)もしない力尽くの大量虐殺を終えた毒蜘蛛。
レート4000の強靭な化物が目の前に、居た。
まるで路傍に自生するラフレシアだ――強烈な異物感は心地よさすら覚えるものだ。
「元気、してた?」
彼女が軽い調子で言葉をかけてくる。脳内に走る様々なイメージを理性で塗り潰し、やっとのことで「まあまあだな」と馬鹿げた返答を返した。
修は動揺していた。ざわめく心を収める術も思いつかない。
やけくそで投げ槍、怠惰で無味乾燥な日々の積み重ね――未来予想図が音を立てて崩れていく。
ふと、強烈な雷撃が目の前を掠める。意識が他方へ向いていても、戦いに〝慣れきった〟体は勝手に動いて、躱す。
修は襲撃者に感謝していた。彼女と会話をする為に、心の平静を取り戻す時間が欲しかった。
「またね」
少女はそういうと修が来た方向とは逆へと石段を蹴って駆け下りていった。
追いかけることも、声をかけることもしない。できなかった。
動かなくなった頭だが、追撃は勝手にバリアで防ぐ。苛立ちを銃に込めて、余所見をしたまま引き金をひいた。
一発の銃声に続く、「逃げるぞ」という声。
辺りはまた、静かになった。